あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

神々の国

2022-05-23 15:59:51 | 桃花俳句ライブラリー
2022年「俳壇」6月号掲載 野木桃花俳句作品集 神々の国



古代神殿の御柱『宇豆柱(うずばしら)』

 平成12年の春、出雲大社境内の八足門前より古代神殿の御柱が顕現。
 拝殿の地下室拡張工事に先立っての事。
 前調査によって明らかになりました。
 調査後、南棟持ち柱に相当する宇豆柱が、島根県立古代出雲歴史博物館で公開展示されています。
    
 伊勢神宮に代表される神明造や住吉大社に代表される住吉造と共に、もっとも古い神社建築様式とされている出雲大社(いずもおおやしろ)に代表される大社造。

                                              
本殿の平面図 


 本殿は南面する六間四面の建物で、千木(ちぎ)までの高さは、8丈(24m)もあります。でも、創建当初は32丈(約96m)、つまり現在の4倍の高さの壮大な木造建築だったらしいのです。現在の建物は3x3=9本の柱によって支えられ、中心にある柱を心御柱(しんのみはしら)といい、直径が3尺6寸(109cm)と一番太い。
 屋根を支えている柱は心御柱の前と後ろにある2本の宇豆柱で、2尺8寸8分(87cm)の直径を有します。
 その他の6本の側柱でも径2尺4寸(73cm)の太さがあり、南面には15段の階段が付いています。神明造は奥行きより幅が大きい長方形で、高床式倉庫から発展し穀物の代わりに神宝を納めるように変化したものと考えられ、住吉造は大嘗祭の建物に近似しています。
 それに対して大社造はほぼ正方形の古典的な日本家屋に近い「田の字」形であるため、祭祀の場に使われていた宮殿が社殿に発展したとされているそうです。 
 その理由として、出雲大社の背後にある八雲山が神体であったとする説があります。
 出雲大社の社殿に関しては鎌倉時代より前の記録がないため、延享元年(1744年)建立の現社殿が基本形とされるようです。
 
『古事記』や『日本書紀』が伝える記紀神話によれば、オオクニヌシノカミ(大国主神)が葦原中国(あしはらなかつくに)を天つ神に譲る代償として、天つ神の御子が住む宮殿と同じように立派な神殿を造営してくれるならば、自分は遠い幽界に隠退しようと申し出て、その合意の上で造営された神聖な神殿とされています。

古代出雲大社想像図 


神殿は地底の盤石(ばんじゃく)に宮柱を立て、大空に千木(ちぎ)を高々とそびえさせた建物だったそうです。出雲大社の言い伝えでは、神殿の高さは上古には32丈(約96m)もあったといわれています。天禄元年(970)に源為憲(みなもとのためのり)が書いた『口遊(くちずさみ)』という本に、当時の日本の三大建築物が「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」として記されています。これは、所在地を姓として大きさの順を表したもので、「雲太」は出雲太郎の略で、出雲大社の本殿を指しています。
 同様に、「和二」は大和二郎の略で東大寺大仏殿を、「京三」は京三郎の略で京都の大極殿を表しています。その当時の東大寺大仏殿の高さは15丈あったそうです。
 したがって、出雲大社の神殿はそれを越える十六丈(約48m)はあったと想定され、「天下無双の大廈(たいか)」と讃えられました。
出雲大社で地下祭礼準備室の建設計画が持ち上がり、平成11年(1999)年9月から建設予定地の発掘調査をおこなったところ、翌平成12年になって驚くべき発見がありました。神殿の柱の根本部分が、拝殿北側から3本も出てきたのです。これらの柱は大社造りの9本柱のうち、最も重要な心の御柱、本殿の棟を支える宇豆柱(うずばしら、棟持柱)、および側柱(がわばしら)でした。しかも、いずれの柱も3本の木を束ねて1本とした巨大なもの。3本を束ねた柱の直径は約3mであり、『金輪御造営差図』に描かれた柱の太さは現実でした。発掘された巨柱の調査によって、さらに様々なことを明らかになりました。
                 
拝殿裏に置かれた巨柱の模型 

 先ず、柱材は9本の木のうち7本は杉であることが確認。柱材はすべて赤く塗られていたことも判明しました。また、柱材の化学分析の結果や他の出土品の年代観から、巨柱は平安時代末から鎌倉時代初め頃に造営された神殿のものとわかりました。さらに発掘では古墳時代前期(4世紀頃)の祭祀遺物も確認されるなど、大社の歴史を解明する上で重要な成果が得られたそうです。

※ 下記 「マシュマロ」さんのブログから引用転記させていただきました。
   https://ameblo.jp/myuu-hina/entry-11951887918.html

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あすか塾 2022年 (3) 5月から

2022-05-07 10:58:27 | あすか塾  俳句作品の鑑賞・評価の学習会

1 今月の鑑賞・批評の参考 (「あすか塾」六月) 

◎ 野木桃花主宰句(「緑舟忌」より・「あすか」二〇二二年五月号)
この町の記憶を辿る花見船
牡丹の芽ゆるり解れて無為の午後
哀悼の汽笛は長し月朧 
      (前書き 悼む白石文男様)
少年の遠国に向け草矢打つ
ゆく道の桜蘂ふる緑舟忌 
     (前書き 四月十三日は名取思郷先生の忌日です)
【鑑賞例】
 一句目、花見船のゆったりとしたスピードが、記憶を噛みしめている思いに相応しい表現ですね。二句目、心までほぐれていくような表現ですね。三句目、海の句が秀逸だった白石文男さんに相応しい、心の籠った悼句ですね。四句目、木下夕爾に「草矢高くこころに海を恋ひにけり」という句があり、季語「草矢」の俳句ではこの句がいちばん好きでしたが、この句がいちばんに変わりました。この草矢は海を飛び越して「遠国」にまで飛んでいます。五句目、桜蘂の降り積もった並木道は暗桜色で染まります。花道のような、名取思郷氏への手向けの句ですね。

〇 武良竜彦の三月詠(参考)
遠きもの見え難くなり富士残雪
善戦と呼ばれ春雨の白衣の塔

(自解)(参考)
一句目、実景描写を借りて、何か近視眼的になっている世相への憂いを詠みました。二句目、医療現場の現実も知らず、気楽に「善戦」などと「声援」を送る無責任さを慎んで。

2「あすか塾」39  2022年6月
  
⑴ 野木メソッド「ドッキリ」「ハッキリ」「スッキリ」による鑑賞例
―「風韻集」四月号作品から 
※「ド(感性)」=感動の中心、「ハ(知性)」=独自の視点、「ス(悟性)」=普遍的な感慨へ。
この三点に注目して鑑賞、批評してみましょう。この評言を読んで自分の句のどこが良かった
のかと、発見、確認をする機会にしてください。     

人の名をほろほろ忘れ春の昼                           本多やすな
 「ほろほろ」と手応えのないような不安感の表現にしたのが効果的ですね。

春愁の海の匂ひを持ち帰る                            丸笠芙美子
 海辺に佇んで、もの思いをしていたのでしょう。その気持ちを今も引き摺っていることを「海の匂ひを持ち帰る」と表現したのがいいですね。             

ここからはカギカッコして冬仕舞                         三須 民恵
 カギ括弧をカタカナにしたのが効果的ですね。春に向けて気持ちを一新しようという意思がユーモラスに表現ざれました。   
 
大吹雪頼りは前を行く尾燈                            宮坂 市子
 三月の「あすかの会」で評した句ですが、実景描写以上に、目先の利かない状況の中での不安感の表現としても普遍性のある表現になっていますね。
  
子供等に金の鶴折る小正月                            村上チヨ子
 折鶴といえば何かの願いをこめて折ったり、送ったりするものの象徴になっていますね。とびっきりの「金の」という思いが籠っていますね。
 
毛糸あむ一人の時を一心に                            柳沢 初子
 一心に毛糸を編むというだけで、すでにある想いが込められた表現ですが、さらに「一人の時」という言葉で、その切実さが深まる表現ですね。

さくらさくら馬手に不二置き遠筑波                        矢野 忠男
 馬手(めて)は馬の手綱を持つ手の意味から右手のこと、右の方のことで、その対義語は弓手(ゆんで)で、弓を持つ方の手の意味から左手のことを指します。この句は、桜満開の季節に、右手に富士山、左手に筑波山を遠望している壮大な景でしょう。

祈願所の矢立の匂ふ朝桜                            山尾かづひろ
「矢立」は矢を立て入れる道具、胡簶(やなぐい)も指すことばでもありますが、この句では「祈願所」ですから、墨壺に筆の入る筒をつけて、帯にはさむようになっている携行筆記具のことでしょう。この古風なことばの持つ響きから、その願いの質まで伝わりますね。下五の「朝桜」もいいですね。

一文字の突き出してゐるレジ袋                          吉野 糸子
 この句の「一文字」は文字ではなく、もと女房詞で「ねぎ」を「き」と一音でいったところから、葱の別名として使われてきたことばですね。冬の季語で、蕪村に「一文字の北へ枯れ臥す古葉哉」という句があります。そんなゆかしいことばと「レジ袋」という現代語を取合せて面白いですね。
            
凍星の布陣完璧帰宅道                              渡辺 秀雄
 帰宅が遅くなった帰路、見上げると澄んだ冬空に星座の煌めき、という景ですね。「布陣完璧」で、その不動の輝きが表現されていますね。
     
手ぶくろの中はぐうの手子と散歩                         磯部のりこ
 母子それぞれが自分の手袋の中で手を握り締めている、とも解せますが、母親の片方の手袋に子どもが手を入れて、手を繋いでいるさまとも解せる句ですね。母子の強い絆を感じる表現ですね。 
 
「もういいかい」大地押し上げ蕗の薹                       稲葉 晶子
 植物の神秘的で力強さを感じる表現ですね。待ち焦がれた春がやっと来たという思いが込められているようですね。

春光や運河もビルも跨ぎ見て                           大木 典子
 スカイツリーの展望台のような、高い視座からの景ですが、それを「運河もビルも跨ぎ見て」と、動的に表現されて爽快感がありますね。
             
春禽の歌垣背戸の雑木林                             大澤 游子
 歌垣とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗で、元々は人間の行為ですが、それを鳥たちの鳴き交わすさまの表現にしたのが効果的ですね。
 
角打ちの人みな寡黙春寒し                            大本  尚
水音のときには尖る浅き春                              〃   
                        
 一句目、「あすかの会」の句会で尚さんに教えてもらった言葉ですが、「角打ち」とは、酒屋で購入した酒を店内でそのまま飲むことで、四角い形をした升の角から直接酒を飲んだことに由来する言葉だそうです。「みな寡黙」が効果的ですね。二句目、春の川などの表現は穏やかな流れなどの表現にするのが常識的で、類型的ですが、現実にはときおり「尖った」音も混じると言う鋭い観察眼の冴える表現ですね。
 
やはらかく拭い遺愛の雛調度                           奥村 安代
夕暮れのととのつてゆく春障子                            〃

 一句目、大切に心をこめて取り扱っている心の様まで感じられる表現ですね。「雛人形」ではなく「雛調度」としたのも効果的ですね。二句目、「ととのつてゆく」というぴたりと決まった表現に、句会の席でも感嘆の声があがったほど、見事な表現ですね。

椿落つ風の重たき狭庭かな                            加藤   健
 椿の花はぽたりと重い音を立てて落ちます。それを「風の重たき」と表現したことと、「狭庭」という空間に絞り込んでゆく表現が効果的ですね。

石磴の幟に騒ぐ空つ風                              金井 玲子
固き芽にほのと紅指す梅一枝                             〃      
      
 一句目、高台にある神社仏閣の石段に沿って、幟がはためいている景が見えます。「幟の騒ぐ」という表現に工夫がありますね。二句目、下五はふつう「梅一輪」で受けてしまうところですが、「梅一枝」として、梅の木の全景が見える表現にされています。しっかり工夫されている表現ですね。

転調となりし波音鳥雲に                             坂本美千子
 鳥たちの渡りの季節の到来を、「転調となりし波音」と、海の景の変化で表現したのが効果的ですね。

薄氷に触るる総身指にして                            鴫原さき子
初心いま梅一輪に問われをり                             〃

 一句目、たとえば「薄氷や触れれば総身(そうみ)に寒走る」というような表現にしてしまいがちですが、それを「総身(そうしん)指にして」と一点に収斂させる効果的な表現になっていますね。二句目、この句も一点に凝縮させる表現で強調ざれる効果を上げていますね。

バス停めて海へ黙禱弥生月                            攝待 信子
 その場所に関連した不幸な出来事があったのでしょう。バスの客みんなに悼みの思いが共有されていることが伝わりますね。

春水とどこまでも行く母の里                           高橋みどり
歳時記に父の匂ひや春の宵                             〃

 二句とも、直接的に両親が他界されていることを表現せず、このように間接的に表現することで、逆にその深い喪の悼みの心が伝わりますね。「言わないでいう」という俳句の心得の見本のような句ですね。
 
豊作も削る命と種浸す                              服部一燈子
 深い哲学的な思念の表現ですね。命を自然の大循環の中に置く視座でなければ、この逆説的な表現はできないでしょう。

〇「あすかの会」参加会員の作品から (「あすか」五月号)  

あたたかや小さき坂に名前なく                          村田ひとみ
 坂道学会というのはタモリ氏の架空の学会だそうですが、無名の坂に愛着を感じている人も多いでしょう。今この時を丁寧に噛みしめて生きている実存感の表れですね。
             
啓蟄やかの人居らぬ俳句欄                            望月 都子
 この句は「あすかの会」での投句にあり、会の冒頭で野木主宰が白石文男さんの訃報と哀悼の辞を述べられたばかりでしたので、感慨ひとしおでした。句友の逝去の報はさびしいものです。

山ざくら咲きて京都の華やぎぬ                          稲塚のりを
中七の「咲きて京都の」という表現に趣があって、江戸の粋な桜より、京都の山桜の華やぎの表現として、とても効果的ですね。

窯出しの壺ちりと鳴く春初                            近藤 悦子
出征の男数へし年の豆                                〃

 一句目、「ちりと鳴く」という控えめの小さな音の表現が効果的ですね。二句目、戦時中、節分の日に出征した男性のことでしょうか。切なさが滲みます。 

⑵ 「あすか集」から(「あすか」五月号) 

窓際に財布鍵杖風信子                              丹羽口憲夫
 物忘れが多くなったことを自覚しての配慮を怠らない、丁寧な暮らしぶりがうかがえる句ですね。玄関の靴箱の上の窓際の風信子の脇に、財布と鍵と杖が並んでいる景がみえます。
                      
スーパーの臨時やつちや場春野菜                         沼倉 新二
猪牙船の瀬音ゆかしや葦の角                             〃

一句目、「やつちや場」は「やっちゃ、やっちゃ」と声を掛けて競りをしたことから、主に東京で青物市場のことをいいます。この句は市場ではなく、それがスーパーに臨時開設されたことを面白がって詠んだのでしょう。二句目、「猪牙船(ちょきぶね)」は、猪の牙のように舳先が細長く尖った屋根なしの小さい舟のことで、江戸市中の河川で使われましたが、浅草山谷にあった吉原遊廓に通う遊客がよく使ったため山谷舟とも呼ばれました。この句は「葦の角」という季語を下五に置いて、江戸情緒の春を表現していますね。

春一番出店の椅子を転がして                           乗松トシ子
 「出店」で、商店街の常設の店ではなく、何かのイベント会場の屋外の店であることが分かります。そのお客用の椅子が春一番で転がったシーンを切り取った表現が効果的ですね。
 
フェンス内身動きとれぬ蕗の薹                          浜野  杏
 人間が自由に出入りできないフェンスというと、沖縄の基地の長い金網を想起してしまいますが、この句は特定のフェンスと解しなくても、閉所幽閉感があって効果的ですね。

『この国のかたち』七巻菜の花忌                         林  和子
 歴史、時代小説で多くの読者に指示された司馬遼太郎の書で、多角的な視野で日本のことを考察した書として定評があります。その菜の花忌に再読したのですね。
 
密会を貝母の花の雨の庭                             福野 福男
「貝母 バイモ」の鱗茎は母貝が子貝を抱いているように見えるために、この名が付けられたそうです。中国名を音読みしたもので別名「アミガサユリ」ともいいます。この句は母子ではなく男女の「密会」とユニークな見立ての表現ですね、しかも生憎の雨の中の密会のようです。
 
桐の花ダム放水のごうごうと                           星  瑞枝
 ダムの怒濤の放水音を背景にした桐の花、作者の独創的な視座を感じる句ですね。
  
立春の街角ビアノ弾く二人                            曲尾 初生
 立春の景としての、街角ビアノの調べ。二人ですから華やかさが倍増する連弾曲が聞こえます。

金鳳花はちきれさうな人に似て                          幕田 涼代
 キンポウゲ(金鳳花)の小さな黄色い花の見頃は四月~五月頃です。全国各地に自生し、日当たりの良い山野で見られます。花弁がキラキラと光沢を帯びて輝くのは、光を反射するデンプンを含んだ細胞層があるからそうです。それを元気が「はちきれさうな人に似て」と表現しました。
 
落椿地中の音を聞いてゐる                            増田 綾子
 ラッパ状の花の形を、集音器に見立てて、ユーモラスに表現した句ですね。

採れ過ぎの春筍だけのお菜かな                          増田  伸
 楽しさと、飽き飽きしている気分の間で揺れる気持ちの表現ですね。

あの時は恋猫なりき今八十路                           松永 弘子
 「あの時」とはもちろん、すべてが輝いて見えた思春期のことですね。一途な恋心を「恋猫」とかわいらしく表現しましたね。

小流れの木の葉をさらうおとこかな                        緑川みどり
 この「さらう」は誘拐ではなく、浚渫の浚うでしょう。家の近くの小川の底に溜まった木の葉を除去する掃除をしているようです。町がきれいに保たれている雰囲気が伝わります。
          
紅梅の濃きも淡きも愛らしき                           宮崎 和子                        
 俳句ではあまり「愛らしく」思うという気持ちことばを使わず、それを感じさせるように表現すること、というセオリーのようなものがありますが、この句は敢えて「愛らしき」ということばを使って成功している例外的な句ですね。それはその上の唄のような「濃きも淡きも」というリズム感溢れる表現があるからですね。
        
望郷のタンポポ日和遠出して                           安蔵けい子
 何々日和と、いうような、造語的な例をよく見かけますが、「タンポポ日和」は初めて見ました。蒲公英と漢字にせずカタカナにしたのも効果的ですね。
  
芽ぐむもの身の内外に退院す                           飯塚 昭子
 作者の心にも何か芽ぐむものを感じている表現ですね。下五で「退院」のことだと解り、共感する人も多いでしょう。

告白の後退りして卒業す                             内城 邦彦
 告白したのか、されたのか、明示されていませんが、作者はどうやらモテ男子だったようで、たくさんの女子たちに告白されてたじろいでいるようです。微笑しい卒業のシーンですね。

残されし一人の時間春惜しむ                           大竹 久子
 おそらく永年連れ添われた、大切な方を亡くされて、一人ぼっちになってしまったという状況ではないでしょうか。「春惜しむ」が二重の意味の深さを持つ句ですね。
 
故郷に住む人はなし青山河                            大谷  巖
 個人的な血縁者がいなくなったという句でもあり、視座を広げて読めば、深刻な過疎化の表現にも読める句ですね。
 
剪定の済めばからから風見鶏                           小澤 民枝
園児らの鳥の鳴き真似山笑ふ                             〃

 二句共、明るい音響の表現で春の到来を詠んだ句ですね。多様な視点がいいですね。

五年目の遺影とともに雛飾る                           風見 照夫
 大切な人の遺影は年中飾られているのですが、桃の節句になるとそれに一時、雛飾りが加わるという表現ですね。雛飾りが時を刻んでいるという表現が効果的ですね。
 
ザボザボと水車の廻多摩の春                           金子 きよ 
 ざぶざぶではなく「ザボザボ」の擬音が独創的で、豊かな水量を感じさせて効果的ですね。

一べつし塀の上ゆく春の猫                            城戸 妙子
 猫の「チラ見」の表現がユーモラスで独創的ですね。

水音に一輪ひらく二輪草                             紺野 英子
覚めて聴く葉擦れの音や春しぐれ                           〃

 一句目、「二輪草」は一本の茎から二輪ずつ花茎が対になって伸びることが、その由来となっています。この対なるものが一輪咲くとわざわざ表現していることに詩情が生まれていますね。二句目、早朝の、覚醒したばかりの耳に、春しぐれの中の、葉擦れの音が聞こえてきた、というだけの表現で、その早春の爽やかな気配をみごとに捉えた表現ですね。

幼子の「なぜ」に答へて針供養                          斎藤 保子
 幼い子供が「針供養」の慣習を不思議がっているとも解せますが、季語として独立して切れていると解すると、知能の発達期に「なぜ」を連発する幼児に対する暖かい眼差しの表現とも解せますね。

妻入所介護解かれる浅き春                            須貝 一青
「入所」という言葉で、何処へ、と思う謎が、中七の「介護解かれる」で解る表現になっていて、複雑な思いがこみ上げてきますね。

雲海を抜き手で泳ぐ夢始め                            杉崎 弘明
 「抜き手」という日本の古式泳法めいた言葉がいいですね。しかも初夢。爽快感と浮遊感がありますね。

地に微風天に動かぬ春の雲                            鈴木  稔
 春の穏やかな気候が体感されます。

枝詰めの古木の幹に梅の花                            鈴木ヒサ子
 古木の生育を助けるために、太目の枝も剪定したりしますね。その切り口のそばに小さな花をつけているのをクローズアップした表現で効果的ですね。

志野茶碗あつかふ手許春兆す                           砂川ハルエ「志野茶碗」の源流「志野焼」は室町時代の茶人・志野宗信が美濃の陶工に作らせたのが始まり。耐火温度が高く、焼き締りが甘い「もぐさ土」を使って作ることが多かったようです。鉄分が少なめの土で、紫色やピンク色がかった白土の素地に、長石釉と呼ばれる長石を砕いた白い釉を厚めにかけて焼くと、綺麗な志野焼・志野茶碗が出来上がります。この句はその茶碗の手捌きに春の到来を表現して効果的ですね。

鬼やらひ子等ゐぬ部屋へ「福は内」                        高野 静子
 節分の日、子供達が巣立った家では豆撒きをやらなくなることが多いようですが、この句は母らしい人が、いない子供の部屋に独りで豆撒きをしているという詩情豊かな景を詠んで心に滲みます。
              
御玄猪に伐採の梅真副体                             高橋 光友
「御玄猪 おげんちょ」は陰暦十月の亥の日。この日の亥の刻に新穀でついた餠を食べて、その年の収穫を祝います。亥の子、おげんじゅう、ともいいます。「真副体」は華道の用語で、花の生け方の 中心となる枝ものの花を「真」といい、その「真」の花に 添える草花を「副」といい、「真」よりも 三分の二ほど低い高さにして生け、「副」に対するものとして「体」の花を 「真」よりも二分の一ほど低い高さにして生けることを意味します。この句は採ってきた梅を華道の基本に沿って生けたようです。新春らしいきりっとした空気が漂う句ですね。

蟻穴を出て挨拶回りらし                             滝浦 幹一
蟇穴を出て長考の棋士めきぬ                             〃 

 二句共、啓蟄の季節の蟻と蟇の二様態で、春らしく暖かくユーモラスに表現した句ですね。

賀状仕舞知らせし友の初電話                           忠内真須美
 若い頃は、「来年からは賀状は失礼します」というお知らせをすることなど思いもよらぬことでした。それを貰った同年配の友人から電話があったのですね。「お互い、そういう年になったわね、私も来年から失礼しますからね」などという会話があったのかも知れませんね。
 
おひたしに買った菜の花咲く力                          立澤  楓
 切り花の状態のまま、菜の花の蕾が花を開かせたのを見たときの感慨の句ですね。そこに菜の花と、春という季節の生命力を感じたのですね。

ホワイトデーは牛丼ふたつ春の朝                         千田アヤメ
「ホワイトデー」は、バレンタインデーにチョコレートなどをもらった男性が、そのお返しとしてキャンディ、マシュマロ、ホワイトチョコレートなどのプレゼントを女性へ贈る日とされていますね。日付は三月十四日。マーケティング上の観点から日本で生まれ、中華人民共和国や台湾、韓国など日本の影響がある東アジアの一部にも広がったそうですが、欧米には浸透しなかったようです。近年(二〇〇〇年代以降)の日本ではバレンタインデーの習慣が「友チョコ」や「自分チョコ」、「義理チョコ」など多様化し、ホワイトデーにも「友チョコ」や「義理チョコ」のお返しが行われるなど多様化してきているそうです。この句はそれと「牛丼」を取り合わせて、その多様化がユーモラスに表現されていますね。

寒戻るラップの切り口見つからず                         坪井久美子
 寒さで指がかじかんでいる感覚が良く伝わる表現ですね。
 
福豆を力士の手から受くる子等                          西島しず子
 豆撒きのイベンド会場での一コマでしょうか。両手を力士の方に高く差し出している可愛らしい
子供の顔が見える表現ですね。


※                           ※



1 今月の鑑賞・批評の参考 (「あすか塾」五月) 

◎ 野木桃花主宰句(「蝶の昼」より・「あすか」二〇二二年四月号)
鳥帰るさゆらぎもせぬ風見鶏
紡ぎ出す新たな一歩蝶の昼
日差し得てささやくごとく犬ふぐり
天に月地に菜の花の黄をこぼす
走り根の地の底を這ふ山桜

【鑑賞例】
 一句目、「さゆらぎ」の「さ」は小さいことを示す接頭語ですが、言葉にゆかしい響きがでますね。まるで風が動きを止めて去る鳥を送っている雰囲気になりますね。二句目、新たな一歩を踏み出す、と言えば類型的ですが、「紡ぎ出す」ということで、人の意思の加わった表現になりますね。三句目、路傍の小さな花が日差しを浴びている、なんでもない景ですが、それを「ささやくごとく」と表現すると、見守る人の優しく温かい眼差しの表現になりますね。四句目、有名な「与謝蕪村」の「菜の花や月は東に日は西に」という古典を踏まえた句ですね。菜の花が咲いていて、東に満月、西に夕日が見えるのは、旧暦の三月十日~十五日、今の暦で四月二〇日~四月二五日に当るそうです。この句は「黄をこぼす」と独自の発見的な眼差しが効いている表現ですね。五句目、桜を詠んだ句は視線が上向きのものが多いですが、「走り根」で足元に向けられています。生命力の表現の句ですね。 

〇 武良竜彦の二月詠(参考)
うつくしき余寒の頬や常乙女

(自解)(参考)
二月十日が命日の石牟礼道子に捧げる句。「常乙女(とこおとめ)」は折口信夫の古代研究でいう感性の優れた処女である童女のこと。そのイメージを石牟礼道子に捧げて詠みました。

2「あすか塾」39  2022年5月
  
⑴ 野木メソッド「ドッキリ」「ハッキリ」「スッキリ」による鑑賞例
―「風韻集」四月号作品から 

※「ド(感性)」=感動の中心、「ハ(知性)」=独自の視点、「ス(悟性)」=普遍的な感慨へ。
この三点に注目して鑑賞、批評してみましょう。この評言を読んで自分の句のどこが良かった
のかと、発見、確認をする機会にしてください。     

春待てぬ出征のごと吾子の去る                           服部一燈子
 「出征」に喩えて見送る複雑な心境を切実に表現した句ですね。

ふきのとう夕陽はいつもやわらかに                         本多やすな
蕗の薹の新芽の心象を、夕陽の日差しの柔らかさとして表現したのが効果的ですね。 

雪国は山もろともに暮れゆけり                          丸笠芙美子
 冬の日暮れの速さを「山もろともに」と、ダイナミックに表現しました。暗さと冷えが身に迫るような効果がありますね。                 

まあだだよ御国はどちら雪だるま                         三須 民恵   
 上五が童あそびの声のようで、雪だるまを他国から訪ねてきたかのように表現して、無邪気な雰囲気が出ましたね。

初結や産毛の光る子の額                              宮坂 市子
 正月に子供の髪を結ってあげている景でしょう。光る産毛のクローズアップ表現が効果的ですね。
 
一枚の枯葉残して去りし風                            村上チヨ子
 木枯しは木々の葉を散らすという見方や表現は類型的ですが、この句は逆に「一枚残して」と表現しました。そうすることで、作者の優しい眼差しが感じられる表現になりますね。

一心にひとりの時を毛糸あむ                           柳沢 初子
 編み物に夢中になっているさまの表現ですが、「一心に」「ひとりの時を」と効果的に表現しました。寂しさを紛らわせているような、ひたむきさが感じられる句ですね。

猿山に焚火暖とる親子猿                             矢野 忠男
 俳句では普通は猿山に猿、焚火に暖をとる、というような言葉の重なりを避けるべきだというのが通例ですが、この句は敢えて、そのリフレインで、しみじみとした感慨がわく表現になっていますね。

伊予柑をバケツで売つて里のどか                        山尾かづひろ
伊予柑は主に愛媛県で栽培されている糖度の高い柑橘ですね。「バケツで売つて」で、栽培地元で売っている景が浮かびますね。
 
針箱に母の匂ひや針供養                             吉野 糸子
 母の遺品に、在りし日の母の面影を感じるという俳句はよくあり類型的ですが、この句は針供養の季語で母を詠み、針ではなく「針箱」という具象で独自の表現をしたのが効果的ですね。
             
雲駆くる日も泰然と一冬木                            渡辺 秀雄
 雲の流れが急になり、天候が荒れている日にも、「泰然と」している「一冬木」のさまを表現して、作者の毅然とした思いの表現にもなっている句ですね。 

はや六日掛り付け医の目の優し                          磯部のりこ
 年末年始お休みだった掛り付けの医院の医師に対面したときの感慨の句ですね。ゆっくり休めた医師の眼差しに余裕があり、優しく感じたのか、休みの間、病の悪化を案じていた気持ちから解放されて安堵している自分の気持ちの反映なのか、どちらも想像させます。

明日有るを信じ水仙一花活く                           伊藤ユキ子
 水仙は香も強く室内に活けるとその香が満ちます。すがたもの清楚で凛としていますね。病がちで沈みがちな自分の気持ちを、さわやかにしてくれる景ですね。

コトコトと煮豆とろ火に喪正月                          稲葉 晶子
 身内にご不幸があって喪中の正月だったようです。「とろ火」の色と音が、ゆっくり気持ちを癒してくれているような句ですね。

書き留めし句帳三冊去年今年                           大木 典子
 三冊というのが絶妙の量ですね。一冊だと寡作過ぎますし、春夏秋冬新年ごとの四冊だと、少し過剰過ぎます。作句に向き合う丁寧な姿勢が浮かぶ表現ですね。
                     
風花や秩父武甲の息吹とも                            大澤 游子
 壮大な景の造形の、清々しい句ですね。晴れた空に遠く秩父武甲さんの彼方から、風に運ばれてきた風花が舞っているさまが浮かびます。
 
冴え返る終着駅のがらんだう                           大本  尚
梅が香に闇の膨らむ露地の奥                             〃

 一句目、句会で高得点を得た句です。終着駅で終電後の人気のない、がらんとした駅舎の雰囲気、冴え返る寒気がみごとに表現されていますね。二句目、狭い露地という空間の晩冬の雰囲気を、梅の強い香りと、それと対比した闇の濃さで表現されていますね。

風花や一樹となりて立つ朝                            奥村 安代
海鳴りやひとりに余す置炬燵                             〃

 一句目、早朝のひんやりとした空気に包まれて、身の引き締まるような想いをしているのでしょう。二句目、遠く聞こえる潮騒、一人でそれを置炬燵で聴いている。そう詠むだけでなにか人間の孤愁のようなものが詩情豊かに立ち上がりますね。

遍路地図展げ八十路の春隣                             加藤   健
冬日燦孫かるがると逆上がり                             〃

 一句目、まだ一度も実現していないお遍路行への憧れが「春隣」の季語で詩情豊かに表現されていますね。二句目、上五の「冬日燦」が輝きがあっていいですね。孫に注がれる祖父の優しい眼差しがかんじられます。

せせらぎの水音抱き冬紅葉                              金井 玲子
日溜りを分け合ひ石蕗の花群れて                           〃

 一句目、「水音抱き」が、冬紅葉に投影された自分の心を表現していて効果的ですね。二句目、「日溜りを分け合い」は、そのように見えるという描写であるとも、擬人化された石蕗の気持ちとも解することができる深い表現ですね。

夕さればほつと二人のお正月                            坂本美千子
 中七の「ほつと二人の」の「ほつ」の擬態語が安堵感を表わすことばとして効果的ですね。

寒波くる日本列島尖らせて                            鴫原さき子
裸木に孤独のちからありにけり                            〃

 一句目、俯瞰的でダイナミックな表現で、寒気に覆われた列島の姿が想像されますね。二句目、「孤独」という力もあるということ、それを「裸木」で巧みに表現されていますね。

北を指すブロンズの少女冬銀河                          攝待 信子
追分けの唄沁みとほる炬燵舟                             〃 

 一句目、湖畔に立つブロンズ像が目に浮かびます。作者が心に秘めたある決意のようなものを感じますね。二句目、下五の「炬燵舟」で河を行く舟からの眼差しであることが明かされる句ですね。追分の唄が心に沁みます。

返信を書けず机上の寒さかな             高橋みどり
 何か深刻な内容の、特に作者の心を氷りつかせるようなことがしたためてある手紙を受け取ったようです。しかも返信が求められているようです。それを「机上の寒さ」と効果的に表現されました。

〇「あすかの会」参加会員の作品から (「あすか」四月号)  

幾度も振り返りつつ春の虹                            村田ひとみ
 「振り返りつつ」で、作者は移動中であることがわかります。春の虹は淡く消えやすく、確かめるような心境が表れています。何か祈るような想いを抱えての移動中だったようです。
            
車椅子押す手が語る寒さかな                           望月 都子
 冬の寒気を「手」に語らせた表現が効果的ですね。車椅子に乗っている方、車椅子を押す方の双方の想いまで伝わる表現ですね。

欲も未だ七分残してしじみ汁                           稲塚のりを
逆算すると、未だ欲望が三分しか減っていない好奇心旺盛な、生き生きとした心境が読み取れる表現ですね。
 
湯豆腐やおまえ百までという真顔                         近藤 悦子
 「おまえ百まで」ということばから、久保田万太郎の句「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」を想起しますね。それを踏まえて、下五で「という真顔」と結んだのが効果的ですね。決意がにじみます。

⑵ 「あすか集」から(「あすか」四月号) 

温度差に敏感な肌寒に入る                            須貝 一青
 冬の寒気の変化も、人は体感、主に皮膚感覚の気温で感じていますね。ことさらに自分の肌が、温度差に過敏であることを、わざわざ表現しているのは、老いと共にそれが鈍感になってゆくと一般に言われていることが背景にあるのですね。 


蠟梅の香りを残し主逝く                             西島しず子
 この「主」は蝋梅を育てた人なのか、一般的な妻側からいうときの夫なのかわかりませんが、人の逝去による「喪」の哀しみは、その鮮烈な「香」のような記憶に深く関わることが多いですね。
 
春めきて座りたくなるベンチかな                         丹羽口憲夫
 寒気の最中では肩をすくめて素通りしていたベンチが、陽光のなかで、しばし座ってみたくなったという実感的表現ですね。春の兆しをこのような具象表現で際立たせることができるのも俳句の力ですね。
                     
雪吊や旅のみやげの加賀手鞠                           沼倉 新二
 雪吊、旅のみやげ、加賀手鞠、名詞だけで冬期の旅情を鮮やかに表現されましたね。

俊敏に枝ぶり選ぶ春の鳥                             乗松トシ
 鳥はただ飛んできて枝に止まり、羽を休めているだけはなく、「俊敏に枝ぶりを選んでいる」ようだという発見の感慨の句ですね。

紅白梅農機具小屋の屋根を越ゆ                          浜野  杏
 中七、下五の動的な表現が効果的ですね。春の深まってゆくリズム感を感じる句ですね。

初場所や贔屓力士の髷の艶                            林  和子
 髷の艶をクローズアップした表現が効果的ですね。力士の力強い生命感と、作者の贔屓にする強い想いも感じる句ですね。
 
永遠に生くる白鳥帰りけり                            福野 福男
 厳密に言えばある白鳥という個体が永遠に生きるのではなく、種族としての白鳥の「渡り」という生命の営為が、毎年繰り返されて永遠に続いているようだ、ということですが、俳句的にそれを冒頭で「永遠に生くる」と効果的に言い切り表現したのがいいですね。

六代を経し太柱雪五尺                              星  瑞枝
 木造寺院や明治時代頃にまで建てられていた民家は、柱を太くすることで地震への耐性を持たせていました。大黒柱、大極柱などといわれる重要な柱もあり、通常は土間と床上部分との境の中央の柱床の間辺りの家の中心に当るところに、一際太い柱が使わていました。この句はそんな柱の家が六代に亘って継承されていることを詠んだものですね。下五の「雪五尺」で雪国の伝統家屋が想像されます。
 
につこりと一輪挿しの黄水仙                           曲尾 初生
 黄水仙が「につこり」とほほ笑んでいるように感じたという比喩表現ですね。「一輪挿し」の愛らしい姿で、作者の心の投影表現ですね。

アルバムを閉ぢては開く春炬燵                          幕田 涼代
 「閉ぢては開く」で、過去の思い出が作者の心の中を駆け巡っているさまが表現されていますね。春炬燵の季語の斡旋が効果的ですね。
 
広告のスニーカーの色春近し                           増田 綾子
 新聞の広告か、テレビの映像か、街頭で見かけたポスターの色使いに春を感じたという句ですね。その内容が「スニーカー」という活動的な具象であるのが効果的ですね。

マスクしても素心蝋梅馥郁と                           緑川みどり
 マスクは顔に一部を隠しますが、心模様まで隠してしまうように感じているのでしょう。まるで素顔を曝すような気持ちで「素心(そしん)」という、偽りのない心、飾らない心には変わりはないですよ、と宣言するように詠まれています。「蠟梅馥郁と」にもその気持ちが込められていますね。
          
アルプスの嶺白々と春田打つ                           宮崎 和子                        
 句の構図が壮大で清々しいですね。近景の「春田打つ」が際立ちます。
        
水ぬるむ海獣ジュゴンの大欠伸                          阿波  椿
 水族館のジュゴンが大欠伸をしているのを目撃されたのか、春の長閑さの比喩として表現されたのか解りませんが、ユーモラスでいいですね。

ものの芽の光力を貰ひけり                            安蔵けい子
 二重の意味にとれる表現ですね。「ものの芽」が春光に力をもらっている、そしてその景を見ている私の心も力をもらっている、と。伝統俳句派だと、それは曖昧な表現として「指導」されてしまうかもしれませんが、「あすか」は現代俳句派なので、その曖昧さも可として鑑賞したいですね。
 
雨戸繰る問答無用と冬がゐる                           飯塚 昭子
 まるで、出合い頭に「門無用の」冬に直面させられたような表現ですね。上五で早朝であることもわかります。
 
隙間風一家九人の熱雑煮                             内城 邦彦
 暖かさ、温かさの九人の輪が見えますね。人は冷たい風が吹いている季節感も伝わります。

鴨一羽遊ばせてゐる浮氷                             大竹 久子
 浮氷をつついている鴨のようすを見たのでしょうか。それを浮氷が「遊ばせてゐる」としたのが効果的で、視線の暖かさが伝わりますね、

木の根明く蔵王連峰雲を脱ぐ                           大谷  巖
 ひと息で読みくだす呼吸のリズムと、「雲を脱ぐ」という表現が効果的ですね。春を感じますね。
 
説経は朝帰りせし恋猫に                             小澤 民枝
 これはもう母親の眼差しですね。実際の家族の比喩表現ともとれるユーモラスな句ですね。

ペダル踏む力与へよ春の風                            風見 照夫
 春の風に呼びかける表現で、外の世界に遊びたいという思いが伝わりますね。

大晦日母のレシピに染みのあと                          金子 きよ 
 母の生活の痕跡についての感慨を詠んだ句は多いですが、年末年始用のレシピとしたのは独創的ですね。年越しの時間には特別な感慨が伴い、効果的ですね。

丸餅や郷との絆細りゆく                             城戸 妙子
 調べたわけではないので明言はできませんが、列島の西側は丸餅、東側は角餅という違いがあると聞いたことがあります。だとすれば作者の故郷は関西方面でしょうか。その故郷との絆も年と共に迂遠になってきている、という感慨の句ですね。餅の形状で故郷を表現したのが独得で効果的ですね。

うたかたの光弾きぬ薄氷                             紺野 英子
身ほとりに本のある幸雨水かな                            〃
陽炎へる木の香ただよふ太鼓橋                            〃
初漁といふ白魚の卵とじ                               〃
初蝶の光となりて風に消ゆ                              〃

 紺野さんは先月に続いて、粒揃いの秀句を詠まれていますね。かなりの実力ですね。一句目の「うたかたの光り」を弾くという表現、二句目の「身ほとりに本のある」という表現に詩情があっていいですね。三句目は「陽炎へる」から「木の香ただよふ」ともっていく表現、四句目は「初漁といふ白魚」という表現の切れ味、五句目は「光となりて風に」という変容と動的な表現、どれも巧な表現ですね。

縄解かれしばられ地蔵に春来る                          斉藤  勲
 縛られ地蔵の民話は一種の身代わり地蔵の類で、各地にあるようですが、だいたい次のような話ですね。ある小僧が大旦那の言いつけで反物をお届け先へ届ける途中、樹の下で居眠りしてしまう。目を覚ますと反物がなくなっていた。報せた役人は樹の下にいたのはお地蔵様だけだという理由で、お地蔵様を捕らえて奉行所に突き出す。村人達は、お白州で開かれたお地蔵様のお裁きに大いに関心を持って集るが、お奉行様とお地蔵様のやりとりを面白がり、酒を飲んでの祭さわぎになる。お奉行様は「無礼である」として、その村人全員に、一人につき一反、反物を差し出す罰を与える。差し出された反物の中に盗品の反物があり真犯人が捕まる。お奉行はお地蔵様も無罪にはせず、縄で縛った格好で元の位置に戻した。というなんともユーモラスな民話ですね。この句はその縄が解かれたという表現で、春到来の雰囲気を詠みました。

寄せ植ゑを転がして行く猫の恋                          斎藤 保子
 なんとも迷惑な猫の所業ですが、怒っているのではなくユーモラスな春の空気感がただよいますね。

防人のつま恋ふ歌碑や蝶の影                          佐々木千恵子
 古代人の感性では、蝶は人の魂を運ぶものとされていて、それを踏まえて、古代の防人たちのせつなさを詠みましたね。

マスクして左右の耳を橋渡し                           杉崎 弘明
 見事な「ただごと俳句」ですね。マスクを架橋と見立ててユーモラスですね。

足場解体雲をはらひて弥生富士                          鈴木ヒサ子
 長期間に及ぶ大規模修繕が終ったマンションか、小規模の民家の外装修繕工事が終わったの景でしょうか。その保護テントが外されるのと、雲がとれて姿を顕した富士山を取り合わせて、清々しい気分を効果的に表現しましたね。

春立つやのつぽの影と二人旅                           鈴木  稔
 冬から春にかけての影は、太陽の位置が低いので長く地面に映じますね。二つ並んで進む「のつぽ」の影の表現で、春風の中を旅する爽やかな気分を効果的に詠みましたね。

七草を買うて来る世になりしかな                         砂川ハルエ
 むかしは春の七草は、野に出て自分で摘んでいました。その行為自身が楽しまれていたのですね。そんな文化も失われてきたという感慨の句ですね。

子等乗せし車の尾灯雪に消ゆ                           高野 静子
 おそらく正月か冬休みに帰省していた子供たちが、車で帰ってゆく、ちょっと寂しくなる景を詠んだ句でしょうか。下五の「雪に消ゆ」に詩情があって効果的ですね。
               
着膨れて車に五人夜明け前                            高橋 光友
 どこか車で遠出した帰りなのでしょうか。夜明け前」で夜間の旅で寒かったことが「着膨れて」でわかります。後部座席に三人乗っていて、窮屈な思いをしたことまで伝わります。

茎立のくすむ光の土手つづき                           滝浦 幹一
「茎立(くくたち)」は三春の季語で、三、四月頃、大根や蕪、菜の類が茎を伸ばす事ですね。一般に茎立した野菜は潤いがなく味が落ちるといわれています。下五を「土手つづき」として、何かくすんだ感じの春先の空気感を表現しましたね。
 
初満月白雪富士と張り合つて                           忠内真須美
 寒月は晩冬の冴え冴えとした月ですが、これは新年の初めての満月を詠んだものでしょう。「白雪富士」と新年の輝きを競っているという表現が効果的ですね。

松手入れ鋏の音の天をつく                            立澤  楓
 松手入は晩秋の季語で、赤く変色した古葉を取り除き、風通しをよくしてやると、松の姿は見違えるほどよくなります。その清々とした気分を「鋏の音の天をつく」と、大きく表現したのが効果的ですね。

早やばやと一声発す蕗のとう                           千田アヤメ
蕗の薹は初春の季語で、花茎は数枚の大きな鱗のような葉で包まれ、特有の香気とほろ苦い風味が喜ばれていますね。真っ先に野で声を上げているようだ、という表現が効果的ですね。                          

小流れの音やはらかに去年今年                          坪井久美子
 小川のことを「小流れ」というゆかしい和語で表現したのが効果的ですね。行く年来る年の感慨表現の句ですが、作者の心が穏やかなさまが伝わりますね。
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