あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

あすか塾 俳句作品の鑑賞・評価の学習会 2020(令和2)年度 Ⅲ

2020-06-28 10:22:58 | あすか塾  俳句作品の鑑賞・評価の学習会
 あすか塾 俳句作品の鑑賞・評価の学習会 2020(令和2)年度 Ⅲ


      ☆      ☆
野木メソッドによる鑑賞・批評の基準
◎ 高次な抒情の中にドッキリ・ハッキリ・スッキリと自己を表現したい。
○ドッキリ=自分らしい発見感動のことで、日々の生活の中で四季折々に出会う
自然や人事など、すべてのものに敏感に反応する素直な心。(感性の力)
○ハッキリ=余分な言葉を省き、単純化した句のことで、のびのびと自由に自己の
表現が出来ている俳句。(知性の力)
○スッキリ=季語や切字の働きを最大限に生かした定型の句で、表現は簡素に、
心情内容は深い俳句。(意志・悟性の力)
鑑賞・合評の方法
◎「ド」=「ドッキリ」・「ハ」=「ハッキリ」・「ス」=「スッキリ」に注目して。


      ☆      ☆

あすか塾 9月
 

〇 野木桃花主宰句(「起し絵」より・「あすか」2020年8月号)

かみなりに一樹一景自粛明け
もの言はぬひと日起し絵の金魚
梅雨明けの湘南海岸鳶乱舞

【鑑賞例】
 一句目。明るい時間、私たちは森や林の樹を一本一本ことさら意識して眺めていない。だが闇の中、雷光が森や林を一瞬照らし出したとき、集団の中の一樹であることを止めて、個々の「一樹一景」が印象的に目に焼き付けられる。そんな感慨をこめた中七で切れて「自粛明け」という時事語が取り合わされています。集団の中ではなく、個としての自分自身を噛みしめた時間だったなという感慨が湧きます。
 二句目。「起し絵」というのは、印刷物の絵柄に切り込みがあり、紙を操作するとその中の絵柄が立ち上がる仕組みの絵のこと。掲句では金魚鉢の中の金魚や藻や石などが宙に立ち上がる仕組みなっているのでしょう。じっとその風情を眺めていて、そういえば今日は誰とも言葉を交わしていないなーと、これも自粛期間中の一景を暗示する表現ですね。
 三句目。これも自粛要請の影響で、梅雨が明けたのに無人のままの海岸とその空の景に感じられます。結びの「鳶乱舞」がその無人感を強調していますね。

〇 武良の6月詠(参考)

幾重もの過去世顔出す青南瓜
赤々と飢餓線上の夏の星

【武良 自解】
ウイルス禍のような大規模感染症が社会を覆うと、声もあげられない最底辺で暮らす人たちがいちばんに犠牲になるが、そのことはニュースにもならない。派遣労働者が餓死寸前の苦境に立たされているという小さな囲み記事を読み、一句目は繰り返された同様の歴史に、二句は現在に寄せる思いを表現したつもりです。


「あすか塾」20 野木メソッドによる合評会
〇同人句 「風韻集」8月号より 

みづうみの記憶は母の白日傘                   丸笠芙美子
「ド」=私にとって母と言えばと、想いを凝らして。
「ハ」=「は」で二つの心象を結びつけ、より深めた表現にした。
「ス」=「は」を「や」にして切る表現もあるが、敢えて「は」にして表現。この場合は「記憶といえば、それは」の俳句的な省略表現。切れと同じ効果の「は」。

ランドセル夢を入れるか大花火                   三須民恵
「ド」=「大花火」を季語の役目を超えた表現でわくわく感を強調した。
「ハ」=「ランドセル」という近景に広い夜空の「大花火」の遠景を配して表現。
「ス」=例えば「大花火夢いっぱいのランドセル」とした場合と比べると、結果的に読者が感受するわくわく感の違いが判る。

諸葛菜裏木戸深き喫茶店                      宮坂市子
「ド」=馴染みの喫茶店の心休まる理由を発見。
「ハ」=裏庭か林に続いている裏木戸口があるようすを描写することで、喫茶店の長く続いている落ち着きと風情を表現した。
「ス」=「諸葛菜」(ムラサキハナナ・紫花菜))は紫が美しく、群生して庭などで栽培されることも多いが、道端や空き地でも普通によく育つ花。それと「裏木戸深き」という表現で強調した。
  
蓮開花聞いた聞かぬと里鴉                    矢野忠男
「ド」=蓮の花の「ぽん」というような開花音は、噂には聞いていても実際に耳にする機会は少ない。そのことを噂話的に表現した。
「ハ」=噂話を下五の「里鴉」で受けてユーモラスに表現した。
「ス」=「聞いた聞かぬ」で、その音を聞けることの稀少さを表現した。

薫風や駆けゆく足に道ゆづる                   柳沢初子
「ド」=季節の爽やかさを、走る人が巻き起こす空気感に発見。
「ハ」=そのことをランナーの足元をクローズアップすることで強調表現した。
「ス」=一句の中に動詞を多用すると表現の中心がぶれて失敗することが多いが、この句は逆に畳みかけるようなリズム感を創り出した。

介助犬片目にかなぶんとらへけり                山尾かづひろ
「ド」=介助犬の絶えず周囲に気を配っている緊張感に感動した。
「ハ」=そのことを「片目に」と目の動きの表現で強調した。
「ス」=盲導犬や介助犬は普通の飼い犬とは表情が明らかに違う。一瞬たりとも自分が守る人間への注意を怠らない佇まいを暖かい眼差しで表現した。

来し夏に少し多めに塩胡椒                     渡辺英雄
「ド」=夏、汗をかく季節。それを食材に振る「塩胡椒」の量の変化で表現した。
「ハ」=従来のやさしい亜熱帯気候から、荒々しい熱帯気候に変わってしまったような最近の季節に、ユーモラスに立ち向かう心意気まで表現されている。
「ス」=説明せず、気象の変化と生活のひとコマですっきりと表現した。

猫背なる数多の雑木若葉雨                    磯部のり子
「ド」=普段から自然への観察眼で発見した林の木々の佇まいを表現した。
「ハ」=若葉から青葉へと繁りを増す木々のこんもり感を、ずばり人の姿の比喩で「猫背」と表現した。
「ス」=作者の自然と一体化したような生き方や感性まで表現し得た。

湯の神に隣りて竹が皮脱ぐ                    伊藤ユキ子
「ド」=豊かに湯が沸く地域ならではの景に注視して表現した。
「ハ」=涌き湯にも「神」を感じる日本人の感性。実際に形象化して祀っているところもある。その「神」に「隣りて」と、その恩恵感を表現した。
「ス」=「竹が皮を脱ぐ」という表現で、まるで竹が衣を脱いで温泉に入っているような効果を出している。

人の目を避け竹皮を脱ぐ一夜                    稲葉晶子
「ド」=同じ「竹皮を脱ぐ」の季語で、こちらはひっそりと、人のあずかり知らぬ自然の摂理に注目。
「ハ」=「人の目を避け」で意志あるもののように表現した。
「ス」=「一夜」という言葉で、一晩で皮を脱いで伸びあがる成長力も表現。

葱坊主距離置くことの常となり                   大木典子
「ド」=畑の葱が収穫で密集状態から疎らになってゆく様から詩情を立ち上げた。
「ハ」=「距離置くことの常となり」で、寂しさ、疎外感を表現した。
「ス」=季語の「葱坊主」後の切れが余韻を生む効果を上げている。

緑陰に憩ふ木の椅子丸太の磴                    大澤游子
「ド」=まるで「木の椅子」「丸太の磴」自身が「憩ふ」ているようだという感慨。
「ハ」=何もかもがコンクリートになった今、何もかもが木で作られていた時代のなつかしさと安らぎ感を表現した。
「ス」=「磴(とう)」は一字で石造りの階段を表す言葉。それを「丸太の」と表現することで、すっきりと対比感を表現した。
            
十薬の匂へる闇に獣の目                      大本 尚
「ド」=日陰や暗がりを好む「十薬」の独特の強い香りと雰囲気に、闇に潜む「獣の目」を感じた。
「ハ」=比喩表現だが、まるで目撃しているように表現して強調した。
「ス」=夏の景の一つを象徴的に表現。思いの表出を押さえた描写表現が効果的。

貝殻に去年の波音五月来る                     奥村安代
「ド」=貝殻に貝が生きていたときの「記憶」を「聞いた」という感慨。
「ハ」=そんな思いの塊りを具体的に「去年の波音」と表現した。
「ス」=貝殻は貝の死骸でもある。そこから過去の記憶を蘇らせるという表現は、命の営み全体に投網をかけるような普遍性をもった表現となる。

草を刈る一歩踏み出す藪の中                    加藤 健
「ド」=藪の草刈りをしていて、何か未来に向かって切り拓いているような感慨を抱いた。
「ハ」=そこを起点として始まったことの、先の方の長い距離と、未来的な時間まで射程にいれて、「踏み出す」と表現した。
「ス」=「踏み込む」だと、あくまで草刈りをしている藪という近距離が射程の表現に留まる。

新樹光羽音賑はふ水辺かな                    金井玲子
「ド」=林や森の中の「水辺」の清々しさを鳥たちの「羽音」に感じた。
「ハ」=光溢れる森の中の水辺の空気感を、鳥の「羽音賑はふ」で表現した。
「ス」=上五の「新樹光」で五月の明るい光を、命のさんざめきを鳥の羽音で象徴的に形象化した。

ペン先は太めを憲法記念の日                   坂本美千子
「ド」=憲法の有り難さが忘れられ、ないがしろにされていないか。原点に返ろうという思いを抱いた。
「ハ」=原点と言わず「ペン先は太めを」と、ペン習字の習いたての表現にした。
「ス」=まるで憲法の前文を、ペン書きで思いを込めて書写しているような感慨が立ち上がる。

どこまでを空と思えり今年竹                   鴫原さき子
「ド」=すくすく短時間でまっすぐ伸びる竹の成長力への感慨。
「ハ」=それを理屈で説明せず「どこまでを空と思えり」と感情を込めた描写で表現した。
「ス」=「思えり」で今年竹になりきったような主観表現にした。そこに味わいがある。
【武良注】例えば視点をどちらかに絞ると次の二つが考えられる。
  どこまでを空と思ふや今年竹   ※作者の視点にしぼり観察的に。
  どこまでもどこまでも空今年竹  ※今年竹に憑依した視点にしぼって。

表札の代はりとなりて立葵                    白石文男
「ド」=門の傍にすっくと立ち上がって咲く「立葵」にたいする感慨。
「ハ」=花が表札を隠す高さであることを、まるで「表札の代はりとなりて」と印象的に表現した。
「ス」=比喩表現だけの、理屈を超えた描写表現に徹して余情を感じさせる表現。

がらあきのワンマン電車青葉潮                   摂待信子
「ド」=海辺を走る一両立ての「ワンマン電車」の、普段はそれなりに混む時間帯もあったが、今はいつも「がらあきの」状態であることに寄せる思い。
「ハ」=時節柄、新型コロナウイルス感染拡大による外出自粛の世相が背景にある句。「がらあき」という言葉でその閑散とした様、「青葉潮」で季節と土地柄も表現した。
「ス」=江ノ電を想起させる表現で、観光客も増える季節なのにという思いも込めた表現になっている。
 
壁一面の書架の編集走り梅雨                   高橋みどり
「ド」=外は雨続き。壁一面の本棚の整理をしてみた。これも「編集」という行為だなという思いが湧いて。
「ハ」=普段から編集という業務に携わる人の視座が伝わる表現になった。
「ス」=上五も、中七も、下五も、一語も無駄のない緊張感のある表現。

橋渡るかたむく西日受けとめて                 長谷川嘉代子
「ド」=遮るものがない橋で夕日を全身に浴びたときの感覚に、何か特別なものを感じて。
「ハ」=刻々陽が傾いてゆく中を、橋を渡っているという二つの動的なさまを合わせて表現した。
「ス」=全身で季節感を感受している表現、その中の一日の夕刻という時間を噛みしめている表現。

甘藍のルーツを問われ惑ひけり                  服部一燈子
「ド」=甘藍(カンラン)は漢名の甘藍(gānlán)から。キャベツという名前は英語名キャベジ(Cabbage)が転訛して名付けられており、英名の語源は古いフランス語のカボシュ(caboche: 頭でっかちの意)からきており、さらにはラテン語のカプト(caput: 頭の意)に由来する。そんな名前の由来を含めたルーツを問われて戸惑う思い。
「ハ」=由来と言わず「ルーツ」とおしゃれに言い、その軽い戸惑い感を表現した。
「ス」=誰に問われたのかは示さないが、作者がその後、調べるだろうということも暗示した表現になっている。
【注】そのルーツ。西ヨーロッパの海岸の崖の上が原産といわれ、ヨーロッパでは古代ギリシア人の時代に薬用にされ、紀元前四世紀には保健食から野菜として栽培された。日本ではじめて野菜として栽培されたのは、明治四年の北海道開拓使だといわれている。

遠くより甲冑の音春の闇                      星 利生
「ド」=日本と世界がまた軍拡競争に向かっているような厭な感じを表現。
「ハ」=「遠くより」という不可視感、「甲冑音」という不吉な音響、得体の知れないものが潜んでいるような「春の闇」と重ねて、その感覚を表現。
「ス」=幻聴表現によって、より一層、その厭な感じが強調された。
【注】もう一つの秀句「いのちへの祈り充満蝌蚪の池」もあったが、この句の方を取り上げた。


浮雲は神のゆりかご薔薇香る                   本多やすな
「ド」=「薔薇の香」に包まれて、思わず見上げた空に「浮雲」が。そのときの感慨を表現。
「ハ」=「浮雲は神のゆりかご」という比喩にして、ひらがなで柔らかく表現した。
「ス」=空と地全体を神の恩寵のように思った感慨を表現。



あすか塾 8月

〇 野木桃花主宰句(「くもの糸」より・「あすか」2020年7月号)

今生の森の深さを蝉の声
思ひ出を廻す水車にくもの糸
やはらかき言の葉ふはり水海月


【鑑賞例】
一句目。省略表現のお手本のような句ですね。今、生きてあることを愛おしむ気持ちの表現ですが、散文なら「今生の森の深さを」の後に「どうする・した」が続く文脈となるところを、そのことを言わずに省略した余韻によって深める表現ですね。そこで切れて下五をただ季語の「蝉の声」としたことで、森の深さと思いの深さが響き合います。是非、このような上級表現技法は学びましょう。
二句目。水車の擬人化による思いの投影表現ですね。上五中七だけだと、ただの直喩的な喩えで終わります。やはり下五の「くもの糸」が効いていますね。この言葉で「思い出」を紡いでいるような雰囲気が立ち上がりますね。
三句目。「やはらかき」は軟体動物の「水海月」の形態と、やわらかい言葉遣いで日々、人と向き合っている人の姿勢が同時に表現されていますね。「ふはり」という擬態語を間に挟む表現で、意味を語らない俳句の深さが表現されています。

〇 武良の5月詠(参考)

五月病感染(うつ)され鬱の街の黙
虫ピンで止めし贄あり五月晴


【武良 自解】
二句とも新型コロナウイルス感染の収まらない世情を題材にした句です。一句目は「う」音でやや強引な韻を踏んで。

「あすか塾」19 野木メソッドによる合評会

〇同人句 「風韻集」7月号より 

大南瓜今宵馬車にとあがないて                 本多やすな

「ド」=売られている大南瓜にシンデレラ物語が脳裡に過って。
「ハ」=「あがないて」で、思わず買ってみた…という気持ちを表現。
「ス」=「今宵」で、お城の夜会にドレスを着て南瓜の馬車で行くシンデレラのような気分の高揚を込めて表現。魔法使いのように自分の心に魔法をかけてみた。
【注】馬車の工作用に南瓜を買った、とも解せますが、やはりこの句はシンデレラ物語を踏まえての句と解しました。

鳥帰るうち捨られし五輪塔                    丸笠芙美子

「ド」=「鳥帰る」季節。地の五輪塔が置いてけ堀にされているように思えて。
「ハ」=空ゆく鳥と、地上の五輪塔の対比を「うち捨られし」で強調。
「ス」=五大思想の五輪塔を置き去りにして、しばしの日本の滞在を終えて故郷に帰る鳥の行方を思う。この地に残る五輪塔の方に自分の想いを寄せた表現。
【注】「鳥帰る」は仲春の季語で、日本で越冬した雁、鴨、白鳥、鶴等の渡り鳥が北方へ去ること。「五輪塔」は主に供養塔・墓として使われる塔の一種で、五輪卒塔婆とも呼ばれ、石造りのものは教理の上では、方形の地輪、円形の水輪、三角の火輪、半月型の風輪、団形の空輪からなり、仏教で言う地水火風空の五大を表す。その一番上の形が「空」を指している。そこにこの句の風情があります。

結の田に声が聞こえるははが居る                  三須民恵

「ド」=実際に聞こえている声か幻聴か不明だがそこに母の声を聴いている気持ち。
「ハ」=「る」の脚韻で共同作業のゆかしいリズム感を表現。
「ス」=「に」には場所だけでなく声のする方角という空間性があり、動詞の終止形を重ねて古謡的な郷愁感を表現。切れとリズムの効果。
【注】「結(ゆい)」とは、主に小さな集落や自治単位における共同作業の制度。一人で行うには多大な費用と期間、そして労力が必要な作業を、集落の住民総出で助け合い、協力し合う相互扶助の精神で成り立っていた。今は少なくなっている。

挿木するわが晩年におもひ寄せ                   宮坂市子

「ド」=季節になったらいつもしていた挿木という行為に、改めて時間を意識した。
「ハ」=「挿木」はその後の植物の成長という時間の予約。それをしている自分の明日の時間でもあるという思いを表現。
「ス」=上五から一息に詠み下してゆく行為が「挿木」という言葉と呼応。
  
春愁や要のゆるむ舞扇                       柳沢初子

「ド」=心が束ねる力を失ったような、なんとも言えないこの「春愁」。
「ハ」=比喩に終わらせぬ動的「舞」の語で「春愁」を強調。
「ス」=比喩表現であることを意識させない「や」の切れからの一気の表現。

薫風へ大きな毬を蹴る少女                     矢野忠男

「ド」=大きく膨らみゆく思いに誘われて。
「ハ」=「おおきな毬」と「少女」の対比で「薫風」の季節感を表現した。
「ス」=実景を見ての句かもしれないが、表現が巧みな比喩のような効果。

八丈薄暑太平洋の根無し雲                   山尾かづひろ

「ド」=連作五句の一つ。流刑地でもあった八丈島に寄せる思いを多角的に表現。
「ハ」=「薄暑」という季語の「薄」、「根無し雲」という言葉で孤立感を強調。
「ス」=観光客的な眼差しを覆すような表現の試み。実感的な多様な表現。

ビル街に時間売る土地黄砂降る                   渡辺英雄

「ド」=コイン駐車場は「時間を売っている」のだという発見。
「ハ」=うっすら積もる「黄砂」にも時間の経過を感じさせる表現。
「ス」=土地を貸す商売は実は時間を売るという都会ならではの商売であること。

華やげる影の垂れて桜かな                    磯部のり子

「ド」=「枝垂れ柳」と言わず、その華やぎ感に揺れた心を工夫して表現。
「ハ」=「華やいで」いるのは「影」であるという表現でその揺れる様を強調。
「ス」=「垂れる」は「タレル・シダレル」の読みがあり、上五から読んでくると「タレル」と読んでしまう。下五の「桜かな」に辿り着いて、読者は中七を振り返り「シダレル」の読みに至る。そんな工夫がされている。

眼帯をとれば新た世鳥雲に                    伊藤ユキ子

「ド」=眼疾の快癒後の実感。何もかも真新しく新鮮に感じられて。
「ハ」=下五に「鳥雲に」の季語を置いて視線を空に導く結びで感慨深く。
「ス」=「とれば」というその後に帰結語を予告する表現で期待感を表現。

夕映えの川岸白鷺の孤高                      稲葉晶子

「ド」=視界が夕焼色一色に染まる中での「白鷺」の白の輝きに「孤高」を。
「ハ」=「の」で繋いだ名詞節を対句的にならべた表現でリズムよく強調。
「ス」=動詞を使わず説明的ではない漢字体言の切れの良さで表現。

コロナ禍と飽くなき戦鳥曇                     大木典子

「ド」=「飽くなき戦」に二つの意味を込めて表現。
「ハ」=晩春の曇り空を見上げての感慨を表現。いろんな「戦」がある、と。
「ス」=「コロナ禍との」だったら、コロナ禍との戦に限定される。「と」の並列表現にすると、他にも人間界には「戦」が絶えないという意味に広げた表現になる。
【注】「鳥曇」は晩春の季語。意味の同じ「鳥雲に」と少しニュアンスが違う。秋、日本に渡ってきた雁や鴨などが、春、北の繁殖地に帰っていく頃の曇り空。鳥の群が瞬く間に消えていったあとには、曇り空だけが残るという風情の方に力点がある。

夕されば黄泉へ懸け橋春の虹                    大澤游子

「ド」=夕日と反対の空に架かる一瞬の「春の虹」に黄泉の世界を幻視。
「ハ」=「黄泉への」ではなく「黄泉へ懸け橋」と表現して、今、この時を強調。
「ス」=死後の世界を美しい幻想のように表現。達観している作者の心。
【注】「夕されば」は夕方になる、日暮れになるという意味で、名詞「ゆふ」に、移動して来るという意味の動詞「さる」が付いて一語化したもの。已然形「ゆふされ」に接続助詞「ば」が付いた「ゆふされば」の形で用いられることが多い。
            
旅ごころ暫し閉じ込む麦の秋                    大本 尚

「ド」=コロナ禍の自粛とは、内なる旅ごころの封鎖だという感慨。
「ハ」=自粛の実感を「旅ごころ」の抑制と「麦の秋」で表現。
「ス」=麦の穂が成熟する五月から六月頃、日に輝く黄金色の穂は美しく、麦畑を風がわたるときの乾いた音も耳に心地よい。その季語を下五に置いた表現の妙。



土偶みな祈る形に春の月                      奥村安代

「ド」=日本詩歌の奥底にある祈りの精神。今こそ、その根源に思いを馳せて。
「ハ」=詩歌観も宗教観も古代は祈る想いが根幹にあった。「春の月」の季語の淡さが効いている表現。
「ス」=「みな祈る形」に万感の思いが込められている。「コロナ禍」を直接的に詠まず、他の四句でも自然を詠むことで表現している。

人去りて無常に速し花筏                      加藤 健

「ド」=花見客のピークが過ぎた後の静寂を「花筏」の流れに発見。
「ハ」=主観を描写のように表現。そう感じたのだが断定して強調。
「ス」=桜に無常観を感じるのは常識的には散る様。川面の「花筏」が静かに流れる様に「無常」を表現したのが斬新。

ぜんまいの日差しの方へほぐれゆく                 金井玲子

「ド」=「ぜんまい」は成長すると渦巻きが解けて葉になる。そのさまに春のテンポを見出した。
「ハ」=「日差しの方へ」という動的な表現で強調。
「ス」=表現に作者の眼差しと息遣いが込められていて共感を誘う。



露天湯に「ゴヤのマハ」ゐるおぼろ月               坂本美千子

「ド」=混浴ではなく女性専用の露天湯か。その寛ぐ姿に名画「マハ」を想起。
「ハ」=下五の「おぼろ月」で立ち込める湯気を強調。大胆なポーズも霞んでいて。
「ス」=湯煙の中の解放感を表現。
【注】「マハ(maja)」とは「小粋な女(小粋なマドリード娘)」という意味のスペイン語であり人名ではない。ゴヤには「着衣のマハ」と「裸のマハ」の二種類の絵画があり後者は当時、問題作視されて、何度か裁判所に呼ばれ、その後、絵は百年弱の間、プラド美術館の地下にしまわれ、公開されたのは一九〇一年であった。 西洋の伝統的な美術観では裸体は「神々」の姿を描くときの方法だというのが常識で、普通の人間の裸体を描くことは不謹慎だとする禁忌感が伝統的に存在した為。
【武良注】別の俳句「風を抱き風に別れを糸柳」を選んで評しようと思っていましたが、この句でユーモラスで大胆な表現をされていたので取り上げました。

ブランコの括られている夕間暮れ                 鴫原さき子

「ド」=コロナウイルス感染防止対策がこんなところにも、という発見。
「ハ」=無人の公園の景の中の、一点のクローズアップで強調。
「ス」=今の世相のことが共有されていないと理解しにくい表現となるが、それに敢えて挑戦した表現。時事俳句の一つの在り方を示した。

柔らかく帆を膨らませ夏来る                    白石文男

「ド」=帆の膨らみ様に夏の海風の柔らかさを感受。
「ハ」=帆が風に膨らんだ、とは言わず風を主語にして強調。
「ス」=初夏の風は未だ強い熱気を孕まず優しく柔らかい。そこに夏の到来を感じている表現。

春潮や防潮堤に梯子段                       摂待信子

「ド」=視界を遮る「防潮提」の梯子段は、その先にある海を先取りしている。
「ハ」=海を視るための設備ではなく、施設の点検や、場合によっては津波の様子を見守るための梯子段であることも、句の深い思いの背景に込めて。
「ス」=ただクローズアップ描写をするだけで、読者それぞれに様々な思いを抱かせる俳句の特性を生かした表現。
 
バス停のトタン作りや蕗の雨                   高橋みどり

「ド」=春の雨が奏でる「トタン」屋根の調べに故郷の空気感を感受。
「ハ」=都会では見かけないが田舎のバス停には小さな待合小屋がある。バスの本数が少ないせいだ。昔ながらの「トタン」屋根のままの故郷のバス停の風情。
「ス」=多分錆だらけの雨漏りもする「トタン」屋根だろう。作り変える予算もなく貧しいんだろうな、と普通の人なら思うところだ。だがそこに深い思いを寄せる作者の心の有り様が表現されている。

岩肌にしがみつきたる山躑躅                  長谷川嘉代子

「ド」=よくこんな場所で、と躑躅の様に思いを寄せて。
「ハ」=野生ならではの景。よくこんなところで、という感慨の普遍性。懸命に生きる姿を見出して心動かされている。
「ス」=植物は自分では移動できないので、芽吹いたところで生を全うするしかない。「こんなところで」はその過酷な条件ゆえに浮かぶ思いだが、それに直向きな姿を見出して表現。

約束のごと春蚕に部屋を明け渡す                  星 利生

「ド」=年々繰り返している行為を「蚕」との「約束」と思う心の動き。
「ハ」=「明け渡す」に人間中心主義の「近代」批判の想いが込められている。
「ス」=どんな場所も人間のためにだけあるのではなく、他のあらゆる命と共有する場所であるという思いは、原発事故まで引き起こした人間中心主義の、何かを「利用する」という思想と正反対の詩想である。

茄子苗や青息吐息の風の中                    服部一燈子
「ド」=小さな「茄子苗」に寄せる思い。
「ハ」=「青息吐息」には揺れと色の響きがあり、作者の優しい眼差しがある。
「ス」=まだ双葉状態の「茄子苗」が僅かな風にも揺れている。苗にとっては微風も嵐のようだろう。無言の励ましの表現。



鑑賞・批評の参考 (六月「あすか塾」参考資料) 

〇 野木桃花主宰句「春休み」から(「あすか」2020年5月号)

ふり返る蒲公英に風ぽぽの空

 下五が「ぽぽの空」という弾んだような音韻で詠まれています。坪内稔典氏の句に「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」という言葉遊びのような句がありますが、野木主宰の「ぽぽの空」には春の浮き立つような実体感が込められていますね。
上五の「ふり返る」に発見的な響きがあって効いていますね。

母と子に光を増やす石鹸玉

 母子が膨らまし合ってする二個のシャボン玉が目に浮かびます。「光を増やす」という表現が素敵ですね。

むづかしきことをやさしく春休み

 これは心温まるユーモアに満ちた傑作をたくさん書いた井上ひさしの言葉をそのまま引用して句にしたのですね。下五に「春休み」を置いて、しみじみとした故人への敬意を表現していますね。

明日あるを信じ動かぬ蜷の道

「蜷」は「川蜷(にな)」のことで、蛍の幼虫が好んで食べるそうです。「蜷の道」は春の季語で、澄んだ川の底に「川蜷」が動いた一筋の形跡が見られる様をいった言葉です。掲句はその筋の先端の所でじっとしている姿に、ある感慨を発見しているのですね。たとえば現今の新型コロナウイルスの猛威に耐えて、外出自粛しているじっと我慢の心境とか……。

〇 武良の三月詠(参考)

春光といふ影向(ようごう)に盲ひをり
人類も地球のウイルス春まけて


【武良 注】 今回は二句とも造形(描写)俳句ではなくメッセージ俳句です。
一句目「影向」とは神仏が仮の姿をとって現れること、また神仏の来臨のこと。新型コロナウイルスの脅威を逆に「荒ぶる神」に例えて、その不可視の力を表現。
二句目、「春まけて」は春が近づくこと。「春かたまけて」ともいう。元になった古語「かたまく」には時を待ち受ける、または時が近づくの意がある。

       ※

「あすか塾」17 合評学習会 6月用  参考資料(武良 鑑賞批評例)


野木メソッドによる鑑賞・評価の基準

◎ 高次な抒情の中にドッキリ・ハッキリ・スッキリと自己を表現したい。
○ドッキリ=自分らしい発見感動のことで、日々の生活の中で四季折々に出会う自然や人事など、すべてのものに敏感に反応する素直な心。
(感性の力)
○ハッキリ=余分な言葉を省き、単純化した句のことで、のびのびと自由に自己の表現が出来ている俳句。(知性の力)
○スッキリ=季語や切字の働きを最大限に生かした定型の句で、表現は簡素に、心情内容は深い俳句。(意志・悟性の力)
鑑賞・合評の方法
◎「ド」=「ドッキリ」・「ハ」=「ハッキリ」・「ス」=「スッキリ」に注目して鑑賞・合評。


〇同人句 「風韻集」5月号より 

春マスク灰色人の声もなく                    服部一燈子

「ド」=時事を詠んでいつもの春と違う景に「灰色」という色を見出した。
「ハ」=「人の声もなく」と表現することで沈んだ人の気持ちを際立たせた。
「ス」=説明せず、色と人の様子の描写で、なんとも言えない重い気分を表現。

神木にしばし初日のたなごころ                   星 利生

「ド」=立派な神木を染めた初日のわずかな時の移ろいに抱いた感慨。 
「ハ」=「しばし」で短い時間を、その心温まる景を「たなごころ」で表現。
「ス」=ご神木に差していた初日が、自分の心を「たなごころ」に包むようにしているような感銘がある。

せせらぎは石との会話春の風                   本多やすな

「ド」=「せせらぎ」の音が流れる水と川石とのおしゃべりのように感じられた。 
「ハ」=自分の気持ちを書かず、水と石の「会話」と表現し、自分は「春の風」に包まれてその音に春らしい心地よさを感じている、というように表現した。 
「ス」=水量のまだ少ない春の小川の澄んだ水が、川石の上を滑るように流れてゆく音に、春の到来を実感している気持ち。

鳥帰る海へつらなる甍かな                    丸笠芙美子

「ド」=越冬した渡り鳥が北方へ帰る姿は、それを見送る者の視線を空に、心を春に誘う。
「ハ」=「海へ」で遥か感を、「甍」の形でその先へという導線的動きを表現。 
「ス」=渡り鳥は見送る者をその場に置き去りにする行為だが、心はその先にある「春」へと連れてゆかれるようだという思いの表現。

春の小川さらさらと嘘聞き流す                   三須民恵

「ド」=冬の間、心に淀んでいたものが春になって溶けて流れ出す解放感。
「ハ」=「さらさらと」までは心地よい常套句な表現にして、「嘘聞き流す」で受けて意外性と解放感を表現。
「ス」=「春の小川」の水流音に、心の淀みまで流動するような息吹を感じている。

寒見舞おもひをさやに告げられず                  宮坂市子

「ド」=喪中などで年賀状を出せなかった人に出す葉書に何を書けばいいのだろうと惑う心。
「ハ」=「さやに」という古語の副詞で「すらすらと」と「はっきりと」の双方の思いを込めた表現。一言でそれを的確に表現できる現代語はない。
「ス」=慰め、同情は上から目線だし、ご不幸のことに触れないのも冷たいようで、喪の言葉はいつも私を悩ませる、という揺れる思い。古語で味わい深く表現。

桜さくら錠の掛りしボート小屋                   矢野忠男

「ド」=満開の桜の下、ボート小屋にもまだ錠が掛ったままだったんだという発見。 
「ハ」=上五に字余りの韻律「桜さくら」と置いて浮き立つ気持ちを強調。 
「ス」=「錠」をクローズアップして「開錠」、冬からの解放感を表現。

春の潮ひときは吠えし流人墓                  山尾かづひろ

「ド」=流刑人の墓に故郷に帰ることなく亡くなった者たちの声を聞く。 
「ハ」=その声を「春の潮」の音として表現。「ひときは」で感慨の強調。 
「ス」=流人の刑に遭った経緯はもう誰も知らない、その哀感に心を寄せて。

マスクマスク見えぬものほどおそろしき               渡辺秀雄

「ド」=ウイルスは見えず、マスクは人の思いも見えなくするという思い。
「ハ」=上五に字余りの「マスク」のリフレインで緊張を高めて表現。 
「ス」=マスクをするという行為、ウイルスの不可視、その二つを交差させた表現。

足先のむずむず太る寒四郎                    磯部のり子

「ド」=足先がむずむずしてなんだか不快。そういえば今日は……という思い。 
「ハ」=「むずむず」に「太る」と言葉を続けてくぐもった思いを強調。 
「ス」=身体感覚に引き付けた季節感の表現で普遍的な表現にした。
《注》「寒四郎」は冬の季語。寒の入りから四日目にあたる日。麦の厄日とされており、この日の天候は天一天上の第一日、八専の第二日、四季の土用の第三日と並んで、その後の晴雨または一年の作柄に重大な影響があるという俗信があった。名前も面白く、順に彼岸太郎、八専次郎、土用三郎、寒四郎という。

鳥雲に入るまで玻璃戸磨きつぐ                  伊藤ユキ子

「ド」=玻璃戸のくすみが気になるほど春の日差しが明るくなったという気づき。
「ハ」=「まで」と「つぐ」で「磨く」という行為の継続を表現。 
「ス」=仲春の季語の末尾「入る」に「まで」を付けての継続を表現した新しさ。

生国の風まだ荒し水仙花                      稲葉晶子

「ド」=世間はもう春、でも私の故郷は冬の荒い風の中だろうなという感慨。 
「ハ」=下五に「水仙花」を置いてその感慨を深めた。
「ス」=故郷とは別の地にいて思っていてもいいし、ずっとそこで暮らしている人の思いでもいいし、どちらに解釈しても普遍性がある。

料峭やかつぱ百態描く塚                      大木典子

「ド」=初めて訪れた者の眼には新鮮な驚きと和みを感じさせる発見。
「ハ」=上五を「料峭」という春風が肌に寒く感じる季節感の中のほっと和む空気感を表現した。「かつぱ百態」という投網にかけたような表現で強調。 
「ス」=鎌倉荏柄天神社の「かっぱ筆塚・絵筆塚」のことか。さまざまな絵に和む。

霜のこゑ寝そびれて聴く夜半かな                  大澤游子

「ド」=季語でいう実際には聞こえない「こゑ」を聞いたような気がしたという感慨。 
「ハ」=「寝そびれて」という表現でその真実らしさを表現。 
「ス」=「霜の声」は霜の降りた夜の、冷たくさえてしんしんと更けゆく様子をいう冬の季語で、実際に聞こえる音ではない。自然との一体感の表現でもある。 
                  
春時雨職に就く人辞する人                     大本 尚

「ド」=同じ春でも違う境遇で迎える人ぞれぞれの思いがあるだろうという感慨。 
「ハ」=「就く人」と「辞する」人を並列表現してそれぞれの思いを表現。
「ス」=上五の「春時雨」が効いており、この感慨は後の「辞する人」のものだろうと推測させる。「就く人」にはそんな思いは薄く、「雨かよ」という感じだろう。

リーダーは女子紋白蝶を連れ歩く                  奥村安代
木の芽立つどの子も向い風が好き                    〃


「ド」=二句とも子供らしい一面と早春の空気感への感慨。 
「ハ」=「紋白蝶を連れ歩く」「木の芽立つ」「向い風が好き」で鮮やかに。 
「ス」=小学生時代までの女子の身体的優位性、昔からいう「子供は風の子」を「向い風が好き」という言葉で早春の空気感を体感的に表現。

春雨や雲水一人小走りに                     加藤和夫

「ド」=寺院の多い古都の春の一景の感慨。 
「ハ」=托鉢姿の雲水の「小走り」姿に早春の空気感を表現。 
「ス」=前句の「雲水の托鉢姿春を呼ぶ」の動的展開の句。

名刹の風にほぐれて蕗の薹                     加藤 健

「ド」=名高い由緒ある寺界隈の早春の感慨。 
「ハ」=「風にほぐれて」で早春の柔らかな空気感を表現。 
「ス」=下五の季語「蕗の薹」に支えられつつ、それを超えた季節感を表現。

唱名の母の起き臥し青菜飯                    坂本美千子

「ド」=母の日常の規律ある暮らしぶりへの感慨。 
「ハ」=仏壇に向かっての「唱名」の時間が含まれる「起き臥し」で表現。
「ス」=病床の「起き臥し」ではなく、日常の規律ある暮らしぶりへの眼差し。

水仙を活けて潮騒部屋に満つ                   鴫原さき子
冬の濤老いは正面より来たる                     〃


「ド」=一句目は生け花の香に潮騒を、二句目は老いに直面する心境を。
「ハ」=一句目は「水仙」の香りと言わず、「潮騒」へとイメージを転換、二句目は「老い」の到来を「正面から」と表現。 
「ス」=自分の生きる姿勢や思いと、その表現の間に緊密な緊張感のある表現。

開きどき思案してゐるチューリップ                 白石文男

「ド」=季節のめぐりは一直線ではないことの実感。 
「ハ」=擬人法でチューリップが「思案してゐる」と表現。 
「ス」=チューリップのことを表現するだけで、季節全体が足踏みしている感じが表現されている。

しづもりし庭や実椿はぜる音                    摂待信子

「ド」=静寂と春の鼓動の音の対比の感慨。 
「ハ」=「しづもりし庭」に「や」を置いて強調した後、そんな静けさのある暮らしでないと聴こえないだろうという「実椿」の爆ぜる音で強調して表現。
「ス」=その自然が立てる音への眼差しに日々を噛みしめて丁寧に生きている姿勢が表現されている。
 
空席に落花とまらぬ遊園地                    高橋みどり

「ド」=「落花」の動的な景と無人の「遊園地」の静まりの感慨。 
「ハ」=いつもの春とは違う「遊園地」の異様な静けさを、逆の誰もいないのにただ桜の花だけが散り続いているという動的な表現で強調。
「ス」=言外に新型コロナウイルス対策の「外出自粛」要請の時事が詠まれている。

梅一輪見知らぬ人と言交わす                  長谷川嘉代子
友達へひと声かけぬ紅椿                      〃


「ド」=二句とも早春に開花する花の力への感慨。
「ハ」=一句目は梅で「見知らぬ人」と、二句目は椿で「友達」と、春の花は人の心を浮き立たせ、繋いでくれるという思いを表現。 
「ス」=季節感を噛みしめて生きている姿勢の表現。


鑑賞・批評の参考 (七月「あすか塾」参考資料) 

〇 野木桃花主宰句「みどりの日」から(「あすか」2020年6月号)

ひつそりと充電中なり蝸牛

新型コロナウイルス感染拡散防止対策での不要不急の外出自粛による引き籠りのことを言外に暗示しつつ、それを「充電中」と前向きに転換した表現ですね。下五を「蝸牛」にしたのが効果的ですね。

青林檎不穏な雲の端に立つ

 この句も新型コロナウイルスで騒然とする世相を背景にした句ではないでしょうか。中七、下五がその不穏な空気感に滲んでいます。

照り陰る湾曲の海南風
鉄線花光と影のはざまにて


 この二句には今の世相の、光と影の二面性を持つ社会や、自分の揺れる心の表現を感じますね。直接、時事用語を使わなくても、こういう深い表現で時代と切り結ぶ表現ができる、というお手本のような俳句ではないでしょうか。


〇 武良の四月詠(参考)

春うららコロナウイルスただ丸く
すかんぽの総立ちこの世触れ難し


【武良 注】 二句とも時事句。新型コロナウイルスの感染という事象をどう表現するか、二通りの方法で試作。

一句目。報道で見せつけられた新型コロナウイルスの、突起のある丸い映像とその脅威がなかなか結びつかず……。
二句目、マスク、手洗い、消毒などなど、何かに触れることの恐れが流布されて……。


「あすか塾」18 合評学習会 7月用
  
   ☆ 野木メソッドに基づく俳句の鑑賞批評の合評会

〇同人句 「風韻集」6月号より 

文明の難民未だもどり寒                      星 利生
「ド」=事故の避難ではなく「文明の難民」という状態だという発見。 
「ハ」=その言葉だけで通じるようになっていることも含めて、あえて「原発事故禍」と言わずに「もどり寒」だけを添えて、不条理感の効果を上げた。
「ス」=「文明の難民」という視座を示し得た普遍性のる表現価値。

満開のどこか淋しげ人まばら                  本多やすな
「ド」=観る人がいての「満開」という気持ちだったのだという発見。
「ハ」=桜が「淋しげ」であるかのように描いて、本当は人間の方の気持ちであることを表現した。
「ス」=新型コロナウイルスのことに触れず、その間接的な影響を肌で感じる表現になっている。
【注】「満開」で桜のことだろうと推測できますが、「満開」という言葉自身は季語ではないのでこれは無季俳句ということになります。

花どきの風に目覚めし水面かな                  丸笠芙美子
「ド」=一面を覆うばかりの桜の花弁に、水面が「目覚め」たようだという発見。
「ハ」=季節を「花どき」という柔らかな言葉で表現し、「目覚めし」を「水面」の擬人化表現にした。
「ス」=桜の花弁の舞う季節になって、風を含むすべてが何か華やいだ雰囲気に一変する。その季節感を「水面」が「目覚め」たと、印象的な表現にした。

鯉幟幸も一緒に泳ぐ村                       三須民恵
「ド」=平和であることの「幸」の発見。
「ハ」=家々に「鯉幟」が立ち、いっせいに風にそよぐさまに、しみじみ平和であることの「幸」を感じたことを、「幸も一緒に泳ぐ村」と表現した。
「ス」=結びを「村」という言葉に収斂させたことで、暮らしに結びつく普遍的な想いの表現になっている。

見送るも迎へも発つも梅の門                    宮坂市子
「ド」=この「梅の門」は送迎だけでなく、何かの想いを秘めてどこかへ「発つ」出発点となっているのだなという発見。
「ハ」=「見送るも迎へも」という日常の行為から、「発つ」という内面的な決意の方へ誘うような表現にした。
「ス」=「発つ」はある場所を起点として意識することだということを表現した。「見送るも迎へも」ある日々の暮らし自身を起点とする、ある決心。

ぼうたんの色を買い足す昼下がり                  矢野忠男
「ド」=牡丹の花を買い、それを抱えて昼下がりの町を歩いているとき、心に牡丹の色のような色どりが溢れるような気持ちになったという発見。 
「ハ」=その気持ちを「色を買い足す」というプラスのイメージで表現した。
「ス」=花を買うということは、暮らしに色どりを加えること、という普遍的な表現に高めている。

水打って棋譜開く父鳥の声                   山尾かづひろ
「ド」=庭に水を打つ、趣味の棋譜の本を開くという父の穏やかな日々の尊さを改めて発見し噛みしめている。 
「ハ」=下五を「鳥の声」とすることで、庭に面した縁側の風景が浮かび上がる表現にした。 
「ス」=父がしていたなんでもない日常の行為の回想から、普遍的な父への愛や平穏な日々の大切さの表現に高めた。

ひと手間の手間に客来る鮒膾                    渡辺秀雄
「ド」=お店が繁盛しているのは、このなんでもないような「鮒膾」にかけられた「手間」が生み出した味わいに、お客が魅せられているからだという発見。
「ハ」=語韻よく、切れ味もよく格言的な「ひと手間の手間に客来る」という表現にした。
「ス」=言われてみれば、そうだよねーという普遍的な想いに誘う表現。
【注】「鮒膾 ふななます」は鮒を薄切りにして、辛子酢か蓼酢であえたもの。鮒の卵をいり煮にして身にまぶすものもある。

梅古木切り絵となるや青き空                   磯部のり子
「ド」=梅の古木の枝振りが日本画ふうの切り絵のようだという発見。
「ハ」=下五を「青き空」として明るい空を背景にして黒味がかった枝をシルエットのように見ていることを表現した。 
「ス」=そこに日本的な美を見出してしまう気持ち、俳句的な心を表現。

たんぽぽや板碑のどれも傾ぐまま                 伊藤ユキ子
「ド」=板碑が揃って傾いている様に時代を感じている。
「ハ」=上五を「たんぽぽや」として、石でできた板碑との重量感の違いを強調し、誰もその管理をしなくなった時の移ろい、無常観を表現した。
「ス」=「傾ぐまま」という言葉だけで思いの深さを表現。
【注】「板碑 いたび」とは鎌倉時代から江戸初期にかけて盛んに行われた、死者の追善供養のために建てた平たい石の卒塔婆(そとば)。最上部を三角形に作り、その下に深彫りの横線を入れ、仏像・梵字(ぼんじ)、年月日・名前などを刻む。関東に多く、秩父青石で作ったものを青石塔婆という。

雪しろを撫でて光となりし風                    稲葉晶子
「ド」=雪代とその上を吹く風に光を感じている心。 
「ハ」=「撫でて」という表現で水と空気が共に光っているようだと表現。
「ス」=早春の空気感を雪代水の流れと風で体感的に表現した。
【注】「雪しろ(雪代)」は雪がとけて川に流れ込む水(雪代水)で、春の季語。参考=稚魚に「雪代のひかりあまさず昏るるなり」がある。

里の子の飛び越えてゆく春の川                   大木典子
「ド」=子どもの何気ない行為に、この町、今という季節を特別に感じた心の動き。
「ハ」=いつもの動作を「飛び越えてゆく」と表現することで、その場所とひと時を特別なものに感じていることを表現した。 
「ス」=上五の「里の子」で落ち着いた町の中の景であることが表現され、子どもの自然な振る舞いと溶け合って相乗効果を上げている表現。

初音かな次のひと鳴き待つ三分                   大澤游子
「ド」=今年初めての鶯の声と気づき、次の声に耳を澄ます気持ち。
「ハ」=鶯の声に春の到来を実感し、そこに意識が向いている表現にした。
「ス」=「初音」に「かな」をつけて先ず強調し、下五を「待つ三分」として全体を構成した表現。 
              
春満月思考回路のほぐれだす                    大本 尚
「ド」=心のもつれた停滞感を電子回路に譬えて、自分を見つめた。
「ハ」=上五の「春満月」でその欠けた所のない輝きと、自分の心の混沌を対比し、それが「ほぐれだす」と表現した。
「ス」=作者が自分の繊細に心の表現を易しく自然に表現しようとしている姿勢が覗える。

ホルン鳴るはちきれそうな蝌蚪の紐                 奥村安代
「ド」=生命感が溢れだす春の空気感を「ホルン」の音と「蝌蚪」の卵の膨らみに感じ取った。
「ハ」=吹奏楽隊の中ではなく、校舎から響いてくる単独の「ホルン」の音のようだ。その少し籠ったような音色が、そこに吹き込まれた息の力を感じさせて、「蝌蚪」の卵の膨らみと取り合わせる表現をした。
「ス」=校庭、その校舎の傍の小川のせせらぎまで感じさせる表現。

寺寺の鐘の音騒ぐ春の夕                      加藤和夫
「ド」=複数の寺の鐘の音が響き合う音色に春を感じている。 
「ハ」=響き合っていると説明せず、「騒ぐ」と印象的な表現にした。 
「ス」=上五からリズムよく一気にくだって下五の「春の夕」で包み込む表現。

虚空より桜ひと片母の声                      加藤 健
「ド」=散る桜の花に内なる母の声を聞いたという気持ち。 
「ハ」=内なる「母の声」を「虚空」という空間の広がりと、はなびらの舞う姿の中に表現した。 
「ス」=「ひと片」というズームアップの絞り方が効果的。

雁風呂や余生の今日を溢れさす                  坂本美千子
「ド」=湯舟から溢れたお湯に、今生きている実感を噛みしめた。
「ハ」=お湯が、と言わず「今日を溢れさす」という効果的に表現した。
「ス」=ただのお風呂ではなく、味わい深い「雁風呂」という季語を置いた表現。
【注】雁風呂(がんぶろ)は仲春の季語。雁が北へ帰ったあと、海岸に落ちていた木片をひろい、それを薪にして焚いた風呂のこと。木片は雁が渡りの途中海上で休む為に必要としたもので、残された木片は雁が死んだ数であるとして悼む心もあり、そのために「子季語」に「雁供養」がある。  

着陸す機窓の春を傾けて                     鴫原さき子
「ド」=「傾き」を感じているだけなら受動的。飛行機と自分が一体になって能動的に「春を傾けて」いる気持ち。
「ハ」=「着陸す」で飛行場と飛行機全体の俯瞰的表現。一転して飛行機の内部から視点に切り替わり、「機窓」に絞りこんだ効果的に表現した。 
「ス」=気持ちの鼓動まで伝わる臨場感あふれる表現。
【付記】「少年のB面の恋風光る」という句も味わい深く。CD世代以降の人にはこれは判らない世界。

永き日や不要不急の積み重ね                    白石文男
「ド」=「不要不急」の用で私たちの日々の暮らしは成り立っているのだという思い。
「ハ」=「永き日」という三春の季語を上五に置いて、下五を「積み重ね」としたのが効果的。
「ス」=コロナウイルス禍の時事で使われる「不要不急の用」という言葉への批判意識が、やんわりと込められている。

白糸の眩しく春のマスク縫ふ                    摂待信子
「ド」=心を込めて「マスク」を作っている気持ち。 
「ハ」=「白糸の眩しく」と「マスク縫う」を「春の」で自然なリズムで繋いで効果的に表現した。
「ス」=騒然とした世相に惑わされず、落ち着いて日々を噛みしめるようにして生きていることの表現。
 
柿若葉眺むるための椅子ひとつ                  高橋みどり
「ド」=何気ない日常の一コマ一コマを丁寧に生きる眼差し。
「ハ」=本当はそこには「因果関係」はないかもしれない「椅子」の置かれ方を、「眺むるための」と意義を与え、「ひとつ」へと絞りこみ効果的に表現した。
「ス」=「椅子」がぽつんと一脚だけ、柿の木の傍にある。座った状態に気持ちが向かうとそこから、若葉と空を見上げる視線が生まれる。物語性豊な表現。

春浅し梢の尖る雑木林                     長谷川嘉代子
「ド」=まだ葉の萌え出ていない雑木林の木々の先が、いっせいに空を指している寒気の残る空気感を噛みしめる心。
「ハ」=「梢の尖る」と寒気と澄んだ空気感を効果的に表現した。
「ス」=この後の新緑の季節の雑木林の景観を熟知している作者の視座まで表現されている。新緑の季節の雑木林は色違いのブロッコリーの重なりのように柔らかな景観になる。その手前の針のように天を指す「梢」の表現。

麦の花問いたる若き農夫かな                   服部一燈子
「ド」=農業習熟中半の若者の心に寄せる思い。
「ハ」=「問いたる」の意味が多様に解釈できる揺れを表現した。
「ス」=第一義としては麦に「おまえはどうやって育てればいいのだい」と問うている意味、「立派な実をつけるんだよ」と励まし期待を寄せている意味、そして「これってなんの花なの、麦なのかー」という無知ゆえの感嘆の意味。読者によって読みが分れる表現。その間で揺れている味わいのある表現。



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あすかの会 2020(令和2)年

2020-06-28 09:40:26 | あすかの会 2020(令和2)年度
あすかの会

「あすかの会」2020年12月句会  兼題「 聞 消 」

◎ 野木桃花主宰句
乙字忌や寒き心をたて直す
疫神の消滅願ふ聖夜かな
人類の消長の岐路クリスマス

【鑑賞】
 一句目、乙字の流れを汲む会派「あすか」の心意気。二句目、「疫神」という呼称は日本の神道系の言葉。それをキリスト教系の「聖夜」に祈っているという大らかな笑い。ふと気持ちを和らげてくれる表現ですね。三句目、地球規模のウイルスと人類の闘いを見ていると、いつか人類が負けてしまうのではという危機感を抱きます。その兆候は今、この時に始まっているのではないかと…。
〇 武良竜彦句(参考)
「にごりえ」を濁り世で読む一葉忌
今病むを明日に刻み波郷の忌

【自解】
一句目、「にごりえ」は樋口一葉の小説で、題の意味は濁った江、つまり川。男性社会の隷属的な位置に押し込められていた時代の女性の、人妻・娼婦というどちらの立場であっても「自由」のない悲劇の物語。一見自由になったかのような現代という「濁り世」に、女性の真の自由は実現しているのでしょうか。そんな思いを込めました。二句目、波郷の時代には戦禍が、私たちの今を病ませているのは終わりなき感染症という現代文明病。それぞれの時代に刻印される病の形を詠みました。

☆ 野木桃花主宰特選句
印は海沿ひの町葛湯吹く     安代
【寸評】
 安代さんは私的表現の骨法「象徴性」の表現が巧みですね。「消印」も「海沿いの町」もその言葉だけでたくさんの表徴を負う表現となって、読者それぞれの心に自分たけの特別な情感を引き起こします。その余韻が下五の「葛湯吹く」に流れ込みますね、

☆ 武良竜彦特選句
宇宙船冬の銀河の水脈辷り     晴夫
【寸評】
 「銀河の水脈(みお)」という言葉が効いていますね。「天の川」では付き過ぎます。宇宙船がその水脈を辷るように進んで……という壮大な景の表現です。銀河の果てからみた地球もきっと、そんなふうに見えているのではという思いにかられる句ですね。

☆ その他の秀句・佳句  
※みなさんの句がレベルアップしてきているのを感じます。
〇 秀句
聞き耳を立てているらし冬木の芽  サキ子
聴かずとも聞こえくるもの虎落笛  文男
窓の灯の一つ消えずに冬館     文男

〇 佳句
聞き取れぬままの一言クリスマス  市子
熱燗や早正論は消滅す       尚
振り向くも振り向かざるも十二月  サキ子
餡パンの臍わらってる冬日和    悦子
同人として晴れやかな年迎う    一青
十二月八日のラジオから落語    のりを
ただならぬ世を包み込み冬の星   安代
寒林を抜け来て弧愁消え去りぬ   文男
消し切れぬ落書きの痕冬襖     宮坂市子
聞こゆるは家の軋みか深雪の夜   玲子
ふる里を偲ぶ兄妹みかん剥く    悦子
猫通る暫しの間合ひ寒鴉鳴く    のりを
聞かすより観せる紅白年暮れる   一青



「あすかの会」11月の句会 兼題(時・明)

◎ 野木桃花主宰句
里山の秋は多彩に自在なり
ひといろに暮れゆく山脈時雨傘

【鑑賞】
 一句目。下五が「自在なり」という主観語で結ばれていて意表を衝きますね。中七の「秋は多彩に」という語も主観語なので、下五は具象的な描写表現でまとめるところですね。それを更に重ねて主観を前面に押し出す「自在」という語で、しかも断定の「なり」と結んであります。人智の及ばない自然の摂理の中の、自然の側の「多彩で自在な姿」が強調されています。
 二句目。下五が「時雨傘」なので、視点は傘の下から遠い山脈と、周り全体を見回している表現であることがわかります。「一色」ではなく和語的にひらがなで「ひといろに」と表現されていることが効果的ですね、

〇 武良竜彦句(参考)
裸木となりて明りの降る街路
咲くやうに枯れゆく時を十一月

【自解】
二句とも枯れの季節を、通常、暗い心象で表現されることが多いのに対して、「明」「咲く」という明るい心象に逆転する表現を試みました。

☆ 野木桃花主宰特選句
冬瓜の転がるたびに進む過疎                     さき子
【寸評】
 具象的な描写表現の力の勝利ですね。重くて大きい冬瓜は軽々と転がったりはしません。重さを伴う「回転」ですね。「たびに」で刻々と過疎化してゆく変化のスピード感が重く表現されています。

☆ 武良竜彦特選句
月明に半跏の指のなを細く                       典子
【寸評】
この句は一度、「なを細く」という主観を潜り抜けた上での具象描写表現ですね。
「半跏」は弥勒菩薩半跏思惟像のこと。半跏思惟像は仏像の一形式で、台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組むのが半跏、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する姿が思惟のこと。最も有名なのは京都府京都市太秦の広隆寺霊宝殿に安置されている「宝冠弥勒」で、右手の中指を頬にあてて物思いにふける姿。「なを細く」は指のサイズのことではなく、その思惟の深まりの度合いを感じさせる表現ですね。

☆ その他の秀句から
朴訥な背な冬耕の影落とす                       安代
燈明に闇の香のあり小夜時雨                       尚
非常口の虚ろなみどり冬に入る                     悦子
墓仕舞最後に供ふ野紺菊                       のりを 

【寸評】
 全句、野木メソッドにいう「ド」、つまり感動の中心が的確な言葉で表現されていますね。安代さんの「朴訥な背な」、尚さんの「闇の香」、悦子さんの「虚ろなみどり」、ノリオさんの「最後に供ふ野紺菊」という言葉に、気持ちを言葉で説明しないで、描写で伝えるための感度の中心が表現されていますね。 



「あすかの会」10月の句会 兼題(指・過)

◎ 野木桃花主宰句
被災せし街や帰燕の過ぐる空
秋茜指切りげんまんまた明日
秋愁ひ今宵も母の指狐

【鑑賞】
一句目、震災からまだ復興のならぬ時間が止まったままのような街の景が浮かびます。いつもなら燕が巣をかけて子育てをした場所が失われているのですね。復興の困難さという現実が背景にある表現ですね。
二句目、秋の澄んだ茜色は不変です。それを童歌が持つ邪気のない肯定感の響きで、変わりなく「明日」あることの確かさという希望が詠まれていますね。
三句目、私の個人的な感想になってしまいますが、遊びの世界までデジタル化した時代に、指による影絵遊びというアナログ的温もりのある遊びをしている母子の姿が、敢えて表現されているのですね。そう詠むことに作者の思いが籠ります。

〇 武良竜彦句(参考)
秋深しだれかの指紋の残る窓
消し炭のごときビル群秋過ぎぬ

【自解】
 一句目、いつの間にか付けられてしまう窓ガラスの指紋。単に汚れと見做してさっさ拭き浄めてしまいがちですが、指紋は「だれか」の存在の証でもあるのだ、という発見的感慨を表現しました。
 二句目、新型コロナウイルス禍で都会のビル街が閑散としていたことが背景にある句です。ビジネスで賑わうビル群もひっそり不気味に静まり返っていました。そのことを「消し炭」の比喩で表現しました。 

☆ 野木桃花主宰特選句
渓流や木葉山女の命生(あ)れ                      石坂晴夫
【寸評】
 水質のきれいな渓流にしか棲まない「木葉山女」が、そこだけで命を繋いで生存し続けている。そのことに対する畏敬と慈しみの思いの滲む表現ですね。この山河を汚すなよという思いも感じられます。

☆ 武良竜彦特選句
被災せし街や帰燕の過ぐる空                    野木桃花
【寸評】
 野木先生と私は、特選に互選はしないという暗黙のルールのようなものがありましたが、今回はそれを敢えて破って野木先生の句を特選させていただきました。東日本大震災から来春で十年ということもあり、みなさんにもこのような震災詠に挑戦していただきたいという思も込めました。評は先述した通りです。 

☆ その他の秀句から
大根蒔く過ぎし日たぐり明日たぐる                 宮坂市子
【寸評】
 種を蒔くということは、その命の過去と未来に関与するという行為ですね。それが対句的にリズミカルに表現されていて、好評価を得ました。
とくとくと桝に溢るる新走り                    近藤悦子
【寸評】
 直接酒樽からか、一升瓶からか、豪快に酒が注がれているリズムが表現されていて、それが「新走り」なら尚更と感じられて指示を集めました。
ふと誰か呼んでるような秋夕焼                  鴫原さき子
【寸評】
 秋夕焼の澄んだ茜色に染まる景の中に包まれているときの空気感がずばり表現されていますね。
指立て読む山頂の風は秋                      金井玲子
【寸評】
 風に秋を感じたことを指で「読む」と表現したところがこの句の命ですね。
単座して燗はぬるめに月今宵                    大本 尚
特急の通過せし駅虫すだく                       〃

【寸評】
一句目、「単座」は 座席が一つしかないこと。同じ音の熟語で「端座/端坐」は姿勢を正して座ることです。この句は「単座」ですから座席が一つしかないような小さなお店の雰囲気です。「燗はぬるめ」、外は秋の澄んだ月夜で、味わい深い、ぴったりの表現ですね。
二句目、動と静、轟音の後の静寂。その後に虫の声。秋の空気感があります。
過去形の話題に終始温め酒                     白石文男
来し方に過不足の無き良夜かな                    〃

【寸評】
 一句目、未来より、振り返ることの方が多くなったな、と自分の年齢をしみじみと噛みしめる心に「温め酒」がぴったりです。
二句目、わが人生、過剰でもなく不足なかった、と得心できる晩年の充実した思い。これ以上の「良夜」はないでしょう。
律の風過所文見せて箱根越ゆ                    石坂晴夫
【寸評】
 高得点句にはなりませんでしたが、私は共感した句です。「過所文」は関所通行の許可証のこと。律令制時代からの言葉ですね。こういう古語に命を吹き込むことも大切ですね。「律の風」という古風な秋の季語ともマッチして味わい深いですね。



「あすかの会」9月の句会 兼題(素・手)

◎ 野木桃花主宰句
木犀を楚々と零して父母の墓
せせらぎやかそけき虫の闇揺るる

【鑑賞】
一句目、木犀の花は点々と地に朱を零すように散ります。その様を「楚々と」と表現し、しかもそれが「父母の墓」に感慨深い色どりを与えている句ですね。
二句目、小川のせせらぎが聞こえる流れの傍に虫の声がしている闇。そのことを、流れの音と調和するかのように「虫の闇」が揺れているようだ表現されました。

〇 武良竜彦句(参考)
手作りの起し絵少しだけ萎靡つ
傘させば素手に九月の雨重し

【自解】
 一句目、前回、話題になった起こし絵で詠みました。いびつを漢字で歪ではなく、萎靡つとしてて作り感を強調しました。二句目は傘と雨が重なってしまいましたが、どう推敲しても雨以外の言葉では収まりが悪く、そのままにしました。

☆ 野木桃花主宰特選句
渓流に素手を浸して秋つかむ                    白石文男
【寸評】当日の最高得点句
 伝統俳句の表現は第三者的に眺める位置で詠まれることが多いのですが、この句は「秋をつかむ」と、アクティブにその季節の中で生きて行為している詠み方がされています。新傾向俳句の流れを汲む、まさに「あすか」俳句の鑑ですね。

☆ 武良竜彦特選句
月明の海へと開く非常口                      奥村安代
【寸評】当日の準高得点句
 「非常口」という言葉は、何か災害が起こったときの避難口という緊張感を帯びた句です。その固定概念が脱構築されて詩情豊かな景の中に置き直されています。
 
☆ その他の秀句から
手のひらをのべて確かむ秋時雨                   白石文男
【寸評】
 先の野木特選句と同じ体感的な季節感の表現で、生き生きとしていますね。

マスク取る素顔の少女風さやか                   金井玲子
【寸評】
 句会で中七は「少女の素顔」とする案も出ましたが、そうすると顔だけにズームアップが効き過ぎてしまいます。作者は少女の姿丸ごとをその爽やかさの中に置きたかったのだと、この句から感受できます。コロナ禍の世情が背景にある表現でもあると思われますが、そうでなくても素直に鑑賞できる秀句ですね。

一枚は素描の山家柿たわわ                     宮坂市子
【寸評】
 中七で切れている句ですから、「柿」は絵の中ではなく季節を示す表現ですが、絵の中に描かれた柿と解した人もいましたから、「秋日和」などにしたらそのような読みをされることはないのでは、という意見もでました。このままでも充分にいい句です。上五の「一枚は」が効いていて、たくさん描いたうちの一つという時間と行為が伝わる句ですね。

「閉店」の手書きの半紙秋夕焼                  金井玲子
さやけしや仮名文字映ゆる手漉和紙                大木典子
限りなき空総立ちの曼殊沙華                   奥村安代

【寸評】
 三句とも眺めていないで、作者の心がその季節の中の時空と交わっている表現ですね。



「あすかの会」8月の秀句から

◎ 野木桃花主宰句

重陽やこの世の乾く九輪塔
樹から木へ新涼の音光り合ふ


【鑑賞】
一句目。「重陽(ちょうよう)」は、五節句の一つで、九月九日のこと。旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である九が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。「九輪塔」は寺の塔の頂上部の柱にある九つの輪装飾。九重になっているので九輪と呼ばれる。秋の乾いた空気感と、澄んだ秋空を真直ぐ指すような九輪塔の姿。「この世の乾く」で夏を過ぎた自分の心の渇きも含み込む表現ですね。
二句目。森か林という全体像から一本の木へのズームアップ。秋の明るい光が、美しい音色のように響き合っている表現ですね。

〇 武良竜彦句(自句自解)

軍服を燃やす父の背涼新た

【自解】
 幼少時に見た父の後ろ姿に滲む思いの記憶が、「涼新た」という季語に出合うことで、やっと言葉にできたという思いでいます。ずっと詠めないでいたことです。 

☆ 野木桃花主宰特選句

父の事話題少なし素秋なり                   稲塚 のりを

【寸評】「お母さんって、こうだったよね」という感じで母は子等の話題になり易いですが、なぜ父は話題になりにくいのでしょうか。それは家庭という生活時空をあまり子らと共有しにくい位置に父がいるためでしょうね。父の哀愁が漂います。

☆ 武良竜彦特選句

新走り舌にころがし艶話                     大本 尚   

【寸評】舌先に馴染む味わいの句ですね。「新走り」は晩秋の季語。その年の新米で醸造した酒。昔は新米が穫れるとすぐに造ったので、秋の季語とされています。この季語には新米の収穫のめでたさを祝う思いが含まれています。それに「艶話」を取り合わせた絶妙のわざがこの句の命ですね。

☆ 高得点句

◎最高得点 梵鐘の涼しき音色山暮るる              宮坂市子
              
【寸評】「涼」の兼題で詠んだ句。梵鐘の音と山の日暮れを涼とした表現が共感されました。何気ない句のようで、選び抜いた言葉に作者の感度が感じられます。

〇次点句  決断という爽涼のありにけり            鴫原さき子 
  
【寸評】「決断」というような抽象語を「爽涼」という様子語の比喩表現にする方法は、実体のない観念表現になり失敗しやすいものですが、これは成功した稀な例ですね。苦渋の「決断」ではなく明日へ颯爽と歩み出そうする意志を感じますね。

〇準次点句 終戦日の空ひまわりの立ち上がる          奥村 安代

【寸評】読者それぞれが「立ち上がるひまわり」に思いを寄せることができる表現で、戦争の記憶が刻印された戦後日本の夏に、新たな表現が創造されました。



☆ 2020年6月秀句から

◎ 野木主宰句

身動きの出来ぬ走り根蝉生る
ひと色に夏が来てをり直ぐなる樹
未来へと点ブロック夏に入る


【鑑賞】
 一句目、その地に根を張って生きる姿に人生的な感慨が投影されていますね。
二句目、見渡す景が夏一色に、ということですが、それをやわらかく「ひと色に夏が来てをり」とした表現が心にふわっと入り込みますね。
三句目、「点字ブロック」という言葉を、目の不自由な方の道標という、健常者目線の固定概念から解放した瞠目の句ですね。上五の「未来へと」と下五の季語の「夏に入る」で挟み込んだ表現で、観点をがらりと変えた見事な表現ですね。

〇 武良竜彦の句(参考)

青西瓜膨張宇宙の刻(とき)の中

【自解】
宇宙が今も膨張し続けている。その時間を共有する中で、という視点で夏という季節の中の植物の成長を表現しました。大本尚さんが的確な評をしてくれました。

☆ 野木主宰特選句

陸奥に溜まるベクレル梅雨最中                  石坂晴夫

【寸評】
「ベクレル」は放射線量の計測単位。「梅雨最中」でも放射能汚染が続いている地があることに思いを寄せた句ですね。

☆ 武良竜彦特選句

行水の盥に余る嬰児の足                     近藤悦子

【寸評】
 元気な嬰児の成長を「盥に余る」という動的な表現にした点が見事ですね。

☆ その他の秀句から

万緑の重さに耳を塞がれり                   鴫原さき子

【寸評】万緑の色を重さ、そして音響へと二段に変化させた表現がお見事。

余生にも変身願望朝の虹                    鴫原さき子

【寸評】「朝の虹」のように儚いものではあれけれど、「余生」を生きる身にも「変身願望」があるのだという感慨。 
 
鎧ひたるマスクを洗ふ夕薄暑                   奥村安代

【寸評】「マスク」を「鎧」のように纏っているという自覚に批評精神が。

竹皮を脱ぐ少年は缶を蹴る                    奥村安代

【寸評】取り合わせ句はその関係に独立性がないと失敗します。まったく違う景で同じ響きを共鳴させる見事な表現。

初蛍音の一切消へており                     宮坂市子

【寸評】「初蛍」の光の点滅の、引き込まれるような感覚を「音の一切」の消滅という言葉で表現して秀逸ですね。

菖蒲田や風の揺らぎの中に居り                  金井玲子
 
【寸評】「菖蒲田」という面の表現にしたことで「風」の動的な「揺らぎ」感が強調されて、作者自身がその中で「ゆれる思い」でいることに共感できます。



「あすかの会」7月秀句から

◎ 野木桃花主宰句

混迷の出口を捜す羽抜鶏
自粛明けまるまる太る梅雨菌

【鑑賞】
一句目、新型コロナウイルスの感染拡大が終息することなく混迷を深めている情況を「出口を捜す」と表現し、季語の「羽抜鶏」という過渡期の姿を思わせる言葉で受けています。 二句目、「自粛」を迫られた閉塞感を「まるまる太る梅雨菌」という言葉で、少しユーモラスに表現されています。

〇 武良竜彦句(参考)

脇役の人生それでも七変化
紫陽花の渚に寄せる色の波

【自解】
 紫陽花で二句。一句目は人生を比喩的に、二句目は実景を比喩表現で。

☆ 野木桃花主宰特選句

一幅の変体仮名に涼走る                      宮坂市子

【寸評】
 句会での高得点句でした。どの言葉にも隙のない切れ味のいい句ですね。毛筆体の「変体仮名」の流線形は涼し気ですね。

☆ 武良竜彦特選句

少年に夏野の匂ひ変声期                      大木典子

【寸評】
 句会の最高得点句。「夏野の匂ひ」という活発な少年の野性味を表す言葉に「変声期」。中学生の頃に男の子が通過する身体的変化。高い子供の声から低い大人の声に変わります。母親の暖かい視座を感じる句ですね。

☆ その他の秀句から

今もなほ変身願望天の川                      大本 尚

 原句は「水中花変身願望今もなほ」で高得点を得た句でしたが、野木先生から「水中花がもう変わりようのない造花」である点が少し気になるという指摘を受けて、このように改作されました。
原句には哀感を、推敲句には壮大な夢を感じます。

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