あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

あすかの会 2022年 令和4年

2022-02-01 18:52:45 | あすかの会 2022(令和4)

 

「あすかの会」十月の秀句から  兼題「晩 鳥」

 

◎ 野木桃花主宰句

平橋の向こう反橋秋気澄む

いくばくの風を糧とし鳥渡る

【鑑賞】

 一句目、近景の平橋、遠景の反橋という遠近の景で秋の澄んだ空気を包み込んだ表現ですね。二句目、渡鳥の自力飛行を助ける「いくばくの風」、自然の中の生き物の姿として捉えた表現ですね。

 

 武良竜彦句(参考)  

こぼれ萩捉へどころのなき世論

敗戦の荒野が浄土鉦叩き

【自解】

 一句目、取り散らかしたような印象を受ける萩の落花のさまを、漫然とした世論の比喩にしました。二句目、地獄のような廃墟にこそ浄土のような救いを見出だす心を詠みました。石牟礼道子の精神です。

 

☆ 野木桃花主宰特選句

晩秋の明日へ送る野良仕事          市子

 日暮れの早い晩秋、残った野良仕事は明日続けることにになります。言外に農家に続くそんな暮らしぶりの継承の志しも感じますね。

☆ 武良竜彦特選句

父母知らぬマックを食べて秋夕日       のりを

 ファーストフードはアメリカからのマクドナルドのハンバークを皮切りに、戦後日本を席巻し、日本の食文化を激変させましたね。作者の父母の世代は知らないことで、知ったら嘆きそうです。

 

◎ その他の秀句から

傍線に父の青春秋灯下            さき子

晩年という彩や山粧う            さき子

 二句共、視点と表現技術が冴える、さき子さんならではの句ですね。

晩節に習ふ墨の香秋ゆうべ          玲子

晩鐘の中に帰燕の影よぎる          玲子

 二句共、玲子さんの的確な言葉選びが光っていますね。一句目の「墨の香」、二句目の「晩鐘」の響。 

晩学の一日釣瓶落しかな           悦子

木道二本一望千里の草もみぢ         悦子

 二句共、数字を巧みに使った表現で、悦子さんの実力倍増には瞠目させられます。

虫の夜や身ぬちの火照りもてあます      尚

英文字の駅名の街小鳥来る          尚

 尚さんの句はいつも心澄む静寂感がありますね。一句目は季節の変化と身体の変化の齟齬を噛みしめ、二句目は神戸か横浜の歴史の時間の堆積を感じます。

湖に聴く三井の晩鐘秋惜しむ         典子

鳥渡る山又山を送電線            典子

晩秋や放りしままの竹箒           典子

 一句目、「三井」は三井寺の略称でしょう。三井の晩鐘は近江八景の一つとしても知られています。その歴史をそのまま読み込んでも詩になるのが俳句の力ですね。二句目、「山又山」のずっと続く空間の奥行の表現がいいですね。三句目、場面性、物語性のある見事な一瞬の切り取り俳句ですね。

結髪に差すかんざしや鵙日和         ひとみ

晩婚の父母の子なりや新松子         ひとみ

 一句目、秋の高い空の下の女性の姿が浮かびます。二句目、両親の年齢が高い分、慈愛の眼差しを感じますね。「新松子」が自己投影的で愛らしく。

縫ひ直すはやりの服や色鳥来         都子

主居ぬ戸袋に巣食ふ椋一家          都子

 一句目はリメイク文化とその作業をする心の状況、二句目は人口減少社会の一断面が具象的に表現されていますね。

含みみる新酒のかほり透き通る        みどり

蘭匂ふパリの都の鳥瞰図           みどり

 一句目、香を透きとおらせた表現、二句目も香と俯瞰的視座を合わせたのが効いていますね。

初時雨しづく譜となる風の韻         英子

神木てふ巨いなる杉実をこぼす        英子

 一句目、音譜ということばを分解して、しずくに寄り添わせた表現が巧みですね。二句目、日本人の大樹信仰には自然への敬虔な畏怖心がありますね。

露天湯へつづく薄闇虫の声          かづひろ

晩秋の光あまねき天守閣           かづひろ

 かづひろさんの句はいつも、失われた日本の景に対する慈しみがあって、しみじみとさせられます。

病がちの考の晩年菊供ふ           市子 

 「考」は亡父のことで、亡母の「妣」に相対する慈しみのことばですね。

ばあさんが大根焚きて迎へおり        のりを

 「ばあさん」とひらがな書きにして、庶民的な温かみがありますね。

 

              ※             ※

 

「あすかの会」九月の秀句から  兼題「消 私」

◎ 野木桃花主宰句
ひつそりと言葉たくはへ吾亦紅
天高しわたしに伸び代あるやなし

【鑑賞】
 一句目、吾亦紅は秋に枝分かれした先に穂をつけたような赤褐色の花をつけます。そこに、言葉を蓄えているようだという表現が詩的ですね。二句目、七十歳超えると、自分にはもうこれ以上の「成長」はないように思えてきますが、秋の澄んだ高い空を見上げていると、そんな限界などありはしないのだ、とも思えてきますね。 
 
〇 武良竜彦句(参考)  
慈悲相の被爆のマリア薄紅葉
晩秋や戦下の子らの消息を

【自解】
 一句目、長崎には九州に居たこころ何度も行きましたが、被曝したマリアの首には衝撃を受けました。何度も句に詠んでいます。二句目、兼題の「消」を使った句。「消息」という言葉を思いついた瞬間にこの句ができました。ウクライナのことが念頭にあって。

☆ 野木桃花主宰特選句
色のなき風のなか行く私の歩       英 子 
  
 兼題の「私」を使った句ですが、「我が歩み」ではなく「私の歩」としたのが効果的ですね。

☆ 武良竜彦特選句
法話聞く正座に涼し私語のあり      かづひろ

 静かで厳かな雰囲気の中で、話の切れ間に囁かれた私語。話の内容にそった感銘の言葉が漏れたのでしょう。季語の「涼し」を「正座」と「私語」の間に入れたのが巧みですね。

◎ その他の秀句から
居待月私の時間始まりぬ         玲 子

 「私の時間」という引き付けた表現がいいですね。

消せぬ悔いひとつ銀漢仰ぎをり      ひとみ
 人生は変動するものですが、苦い思いの中には、星空のように永く不変のものがあるという表現ですね。

矢印は消火栓へと秋高し          尚
 秋の防災運動の季節柄、いつもは見逃している「矢印」に目がいってしまったという自然な表現に共感しますね。

私に及ぶ黄葉の齢かな          市 子
 「ような」という比喩表現にしないで、「私に及ぶ」という実感表現にしたのが効果的ですね。

枝折戸のしきりに哭くや初嵐       英 子
 枝折戸という言葉が効果的ですね。折り曲げた青竹を框として、それに割り竹で両面から菱目模様に組み上げ、前後の重なりを蕨縄で結び付けてつくる、略して枝折ともいう純和風の戸ですね。内外露地の境に設けられる木戸で、茶庭では露地門として使われます。それが「初嵐」で軋んでいる、と。

出無精になつた私を花の風        典 子
 「を」が絶妙です。「に」だと静的ですが、「を」で誘われているような動的な効果がでますね。

清水にも濁り水にも今日の月       みどり
 「濁り水」で水害や、世相の倫理的な濁りなどが暗示されていますね。それでも天の月は均しくどこにでも降り注いでいるという浄化表現が詩的ですね。

便利さが村を消しゆく吾亦紅       典 子
 典子さんにしては珍しく直接的な思いの表明表現ですが、そう言いたくなるほど、現代文明の歪みへの思いが強いのでしょう。

無防備に木通の裂けてきたりけり     さき子
 「無防備に」と自分の気持ちを投影してずばり言い切ったのが効果的ですね。
 
「三斗蒔」てふ名の戸籍秋の風      悦 子             
 悦子さんのお話では、土地が貧しくて、三斗くらいしか米の収穫が見込めない場所という意味の旧地名だそうです。嫁ぎ先の「戸籍」にそれが刻印されているのを知っての、深い感慨句ですね。
          
秋の雲風の中なる横浜港         のりを
 広い港湾の風景を、風の中に表現して爽やかですね。

あの人もこの人も消ゆ愁思かな      都 子
 高齢になると親しくしていた人たちが、一人、また一人と先に冥界に旅立たれるという体験が多くなります。その喪失感がじんわりと心に響きますね。



            ※                    ※


「あすかの会」八月の秀句から  兼題「開 追」

◎ 野木桃花主宰句
胸襟を開き水澄むところまで
渡り鳥孤高の影を水に置く
風強み笠雲脱ぎし朱夏の富士

【鑑賞】
 一句目、特定の場所ではなく、「水澄むところまで」としたのが、心が澄みきるまでという内面表現になっていて趣がありますね。二句目、「水に置く」で水面に静かに浮いているさまが見えて「孤高の」と響き合っていますね。三句目、笠雲がとれて空全体が晴れ渡ってゆく富士の姿ですね。季語の「朱夏」に相応しい景ですね。
 
〇 武良竜彦句(参考)  
遠花火記憶の奥の闇開く
追伸に十七音の秋を置く

【自解】
 一句目、近くで見上げる打ち揚げ花火ではなく、「遠花火」は深く記憶の闇に閉ざされていた何かを呼び起こす力がありますね。二句目、追伸に俳句を添えた書状という情緒を表現したつもりです。
 

☆ 野木桃花主宰特選句
片陰や過去の私とすれ違う                      さき子

炎天下の狭い「片陰」の中を、肩を触れるばかりに人とすれ違ったとき、その人の佇まいに、過去の自分と同じような雰囲気を感じて、いろんな思いが込み上げたのでしょうか。   

☆ 武良竜彦特選句
消息はあへて追はざり草の絮                     英 子

 人間関係の機微を巧みに詠んだ句ですね。もっと踏み込むほど親しくはないが、傍観するほど遠い関係でもない、その中間で揺れつつ、ここは踏み込まず見守っていようと最後に決心した、心の機微が伝わる表現ですね。季語の「草の絮」のふわふわ感も効果的ですね。

◎ その他の秀句から
声援の追ひ風となり運動会                      玲 子
秋高し満開に干すユニホーム                      〃

 二句とも、玲子さんの的確な描写表現が生きる句ですね。一句目は声援の「声」を追い風という力とする運動会、二句目はたぶん一人分ではなく部活の複数の選手のものが秋空に一斉に翻っている開放的な景が見えます。

開かずの間みな開け放し盆用意                    英 子
 仏間は、普段は閉じているようなイメージがありますね。そこも含めてすべての部屋を開け放って、祖先の霊を迎える用意をしているさまが見えますね。 

追伸にやうやく本音流れ星                       尚
水じゃぶじゃぶ使へる平和原爆忌                    〃
開演のブザー高鳴る夏芝居                       〃

 尚さんの、心情の動きを細やかに表現する手法が生きている句ですね。一句目は書状の本文で触れることを逡巡していた気持ちの揺れ、二句目は今の有り様と対比しての原爆禍に寄せる思い、三句目は屋外の夏芝居の開演をわくわくして待っている人々の熱気まで伝わりますね。

追伸は森の奥よりつくつくし                     さき子
夏草や金属音に刈られゆく                       〃

 一句目、書状に喩えるなら、という表現ですね。本題は夏の空気感、追伸が森から聞こえてくる法師蝉の声というわけです。二句目、「金属音に」の「に」が効果的ですね。

空蝉の軽さと思ふ開放感                       典 子
追へば逃げまた追いかける飛蝗かな                   〃

 一句目、七年間、地中で纏っていた殻を脱ぎ捨てて、空に飛び立った蟬の姿で、開放感を表現しましたね。二句目、少年の無邪気な姿に感情移入、または少年になり切って躍動的に、楽しそうに表現しましたね。

夏雲の真下に飛ばす旅心                       みどり
青田波風より速き雲の影                        〃
葉漏れ日や枝先の蟻透き通る                      〃

 一句目、夏雲が誘う旅心を「真下に飛ばす」としたのが効果的ですね。二句目、青田の稲の波は目には見えない空気の流動の視覚化表現ですね。その動きより早く
雲の影が流れてゆくという、天と地双方の流動感で爽やかな景が広がる表現にしましたね。三句目、「葉漏れ日」の中ですから、その場所にスポットライトが当たっている景ですね。蟻の体が飴色に半透明に輝いて見えたのでしょう。

電柱の影の際立つ秋はじめ                      悦 子
母に子の後出しじゃんけんさくらんぼ                  〃

 一句目、秋になると空気が澄んできます。ものの影が濃くなったような、視界がクリアになった感じをうまく表現しましたね。二句目、幼児と母がジャンケン遊びをしているのでしょう。まだグーチョキパーの手の形がうまくできなくて、どうしても母に対して後出しジャンケンのように見えるという微笑ましい景ですね、さくらんぼが小さい子のグーの形のようで可愛らしく効果的ですね。

見送りの振る手を収め秋の風                     ひとみ
秋夕べ音の伝はりゆるやかに                      〃
秋はじめそろりと開く合否の封                     〃

 見送った人が見えなくなり、手を降ろしたとき、ふと秋の気配を感じたのですね。詩的な表現ですね。二句目、夏の間は物音に棘があるように感じていたのが、秋になって優しくやわらかに感じたのを、「ゆるやかに」という時間の流れで表現したのが効果的ですね。三句目、待っていた、何かの「合否」の通知の封筒を開封するときの、揺れる気持ちを効果的に表現しましたね。

シャワー浴ぶ切開の痕生々し                     市 子
追ひ風に色ます朝の青田原                       〃

 困難な手術の体験をした者なら、日常のシャワータイムのたびに感じるこの思いに、共感ひとしおでしょう。二句目、青田原が次々に押し寄せる風に、揃って葉裏を見せるので、まるで色彩の鮮やかな点滅のように見えるという景が見えますね。

開門衛士の直立秋の蟬                       かづひろ
湯の宿の灯りて烏瓜の花                        〃

 かづひろさんが詠む俳句の景は、分厚い歴史的な趣が感じられますね。一句目は万葉集にも詠まれた「衛士」の姿が浮かびます。二句目、宿の灯と烏瓜の花の取り合わせにもしっとりとした歴史が感じられますね。


※                   ※

「あすかの会」七月の秀句から  兼題「玉・居」

◎ 野木桃花主宰句
玉手箱雷神沖に轟けり
鍵かけて留守居を頼む家守かな

【鑑賞】
一句目、浦島太郎が体験した玉手箱から出た煙幕による、時の急速な進行という目の眩むような激変と驚きと戸惑いを、沖の雷神の響で表現されました。二句目、「家守」という言葉と響き合う、留守居を頼むという表現がユーモラスですね。「わたし、ちょっと出かけるけど、留守番、よろしくね」という感じでしょうか。マンションではだめで、趣のある一軒家を感じますね。

〇 武良竜彦句(参考)  
浜日傘太平洋にジャズが湧く  

【自解】
 太平洋に臨む解放感のある夏の浜を、遠くアメリカ大陸とも響き合うジャズで表現してみました。

☆ 野木桃花主宰特選句
曝書しては軽くなりたる父の遺書   悦子

父の死の直後は、その遺書の内容が重く感じられていたが、自分の成長という経年後、その重さが心理的にも軽減してきていることを、曝書後の質量感で見事に表現しましたね。     

☆ 武良竜彦特選句
渺々たる麦畑にぽつり開拓碑     悦子 

一面の荒野だったところに入植した開拓民の、血のにじむような苦闘の結果としての、この広大な麦畑。その中にまるでその歴史の証言者のように佇む記念碑。その苦難に思いを馳せた句ですね。悦子さん、野木特選と武良特選のダブル受賞。最近の大躍進には瞠目します。 

◎ その他の秀句から
傍線を引く緑陰のヘッセかな     さき子
いさかいの一部始終を金魚玉      〃

 一句目、青春時代、夢中になって書を読み込んだ記憶。充実の時間がありましたね。若者を引き付けるものがヘッセの小説には確かにありました。二句目、家庭内のちょっとした「いさかい」のすべてを見ているのが、金魚玉の中の金魚たちと言う外し方がユーモラスですね。

鎖場の岩に手を掛け玉の汗      尚
玉(たま)陵(うどぅん)の異界のごとき墓涼し     〃

 一句目、険しい岸壁状の登山道の鎖場でしょうか。足場が不安定で緊張する場面ですね。岩の突起に手を掛けてひと息ついているのでしょう。その額の汗にクローズアップする表現が効果的ですね。二句目、玉陵は琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。全体のつくりは、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建造物で、三つ別れた墓室その外は大きな壁のように聳えて見えます。遺骨の状態によってその三つの墓室を順に替えていくようです。本土の人間には墓というより、まさに異界ですね。

緑さす野外保育の紙芝居       英子
扇子もて居住まひ正す躙り口      〃

 一句目、上五から下五へ、広い野外の景、その中の一点をなす「紙芝居」に集約してゆく表現が見事ですね。子供たちの視線もその一点に向けられている様子が浮かびます。二句目、茶室での心持と所作の一瞬を切り取りしましたね。

畝立てる一ㇳ鍬ごとに玉の汗     市子
夕端居亡父の好みし石の庭       〃

 一句目、市子さんの労働歌には実存の手応えがありますね。二句目、自分で造園されたのでしょうか、石の庭が涼し気で亡き父上の人柄が偲ばれます。

人間の建てしタワーや雷を呑む    ひとみ
百日紅鷗外旧居の縁の疵        〃

 一句目、下五を「雷を呑む」とダイナミックに表現したのが効果的ですね。句会で女性のひとみさんの句だと判って、感嘆の声があがりました。タワーと人為の建造が雷光と闘っているかのようです。二句目、鷗外の九州勤務時代の遺跡を見学したときの記憶の句。百日紅に時間の経過を感じますね。

旧交の夕涼までの長居かな      玲子
玉垣を抜ける光や蟻の列        〃

 一句目、ゆったりとした時間の流れの伸びやかさに、二人の友愛の歴史の厚みを感じますね。二句目、玉垣は神社の聖域を囲む垣ですから、神社詣でをしたときの句でしょう。光の表現と蟻の列、神社特有の森閑とした雰囲気が浮かびますね。

隠された真実顕玉の汗        都子
 隠蔽した側には冷や汗でしょう。追及する正義の熱い汗と、二種類の汗が交差していますね。

痒き所探り当てたり竹婦人      のりを
 痒みはその発生場所が移動して、どこが本当の痒い所か、突きとめるのに苦労します。下五で横になって、体が冷えてきている時間経過も感じますね。

梔子の白極まれば錆淡く       かづひろ
 梔子の花は「一日花」で、開花した翌朝には黄色く萎れてしまいます。肉厚の真っ白が極まった状態に、翌朝には黄ばんでしまう予兆を感じている句でしょうか。 

夏芝居テント揺るがす泣き笑い    悦子
 夏場に仮テントで興行する大衆演劇の雰囲気が見事に表現されていますね。



※                   ※


「あすかの会」六月の秀句から  兼題「味・連」

◎ 野木桃花主宰句
手鏡に青空を溶き風涼し

【鑑賞】
「青空を溶き」で、梅雨入り前の空の爽やかさを、その手にしているような表現ですね。

〇 武良竜彦句(参考)  
五月雨や横浜(はま)は大砲(おほづつ)隠し持つ  
【自解】
 横浜だけでなく、東京湾には外国戦艦を排撃するための御台場がありました。今は平和な港町の横浜も、どこかに大砲を隠しているような趣があります。反撃能力を高めるべきだという世論の勃興に、どことなく不安を禁じ得ません。

☆ 野木桃花主宰特選句
連獅子の風の渦巻く夏芝居      玲子
連獅子は歌舞伎及び日本舞踊の演目の一つで、能舞台を模した松羽目の舞台に、二人の狂言師右近と左近が現れ、舞は文殊菩薩の霊地である清涼山にかかる石橋を描写し、連獅子の毛と衣で親子の獅子を模して、獅子の子落としの伝承を再現します。その舞台が「渦巻く」風を起こしているという景が見えます。     

☆ 武良竜彦特選句
手作りの味噌玉樽にねせて初夏    市子 
「味噌玉」樽に「ねせて」という伝来の手法を表現して、味わいがありますね。 

◎ その他の秀句から
海碧し摩文仁の丘の蟻の列      さき子
 沖縄慰霊の日の摩文仁の丘に立つ、戦没者の名前を刻んだ慰霊碑への、喪服姿の参列の様子が浮かびます。比喩的表現が効果的ですね。

戦跡滴り重き洞(がま)の闇         悦子
 沖縄戦で洞に避難した民間人が多く犠牲なりました。それを洞の闇と滴りの表現にしたのが効果的ですね。

糠床の太き指跡夏大根        悦子
 大きい指跡ということは男性のものでしょうか。何かの都合で糠床を任せられた男性の姿が浮かびますね。

冷酒や塩味ほどよき一夜干      典子
 夏らしいさっぱりとした味が、視覚的にも感じられる句ですね。

軍港と今も言はれてペリー祭     尚
 一八五三年七月十四日、ペリーは久里浜に上陸しました。この時期に毎年開催されるのが、ペリー上陸を記念した「久里浜ペリー祭」です。久里浜は軍港ではありませんが、基地の街、横須賀にあるので広い意味で軍港と呼ばれてしまいます。ほんとうは「開国」の象徴の地なのですね。

青春のビートルズ三昧梅雨籠     都子
 この句のぴったり当てはまる世代が「あすか」には多く、共感を呼びますね。下五もぴたりと決まりました。

昨日より今日の歩幅や梅雨夕焼    ひとみ
 「歩幅」と表現したことで、日々の身体能力や、精神性の進展を感じる句になりましたね。一歩、歩みなどでは出ない効果ですね。下五を梅雨夕焼としたことで、ウォーキングに励んでいる人の姿も見えますね。

一本の大樹の中や蝉時雨       のりを
 まるで蝉の声が大樹の中から湧いてきているようだという表現が効いてますね。

関守石据ゑし茶庭や糸とんぼ     英子
「関守石」は留め石、関石、極石、踏止石とも言い、丸い石に黒い棕櫚縄を十文字に掛けたもので、二又の分かれ道となっている一方を塞ぐのに使います。その先で茶会などを催している場合に、正しい道順を示して誘導する役目があります。下五に「糸とんぼ」を置いて、まるでそれが綺麗な矢印に見えますね。英子さんは実力派で、福島からの郵送投句のご参加です。今後も秀句を期待しています。

行商のひもとく新じゃが瑞々し    かづひろ
 かづひろさんは他の「火夫」の句にも秀句がありましたが、こういう句も風情があっていいですね。



            ※               ※

「あすかの会」五月の秀句から  兼題「多・短」

◎ 野木桃花主宰句
多感なる少年青蔦通せんぼ
憶念の回向柱や梅雨の蝶
北斎館ひかり多彩に祭山車
緑陰をまつすぐゆけば無言館

【鑑賞】
 一句目、「青蔦通せんぼ」に多感な思春期の屈折感が表れていますね。二句目、「回向柱」は善光寺の御開帳の際に、本堂の前に建てられる大きな柱。蝶が人の魂の象徴のような表現ですね。三句目、この吟行で北斎画の魅力を再認識されたそうです。四句目、「まつすぐゆけば」に、真直ぐ生きられなかった戦没画学生たちへの供養の思いが籠っていますね。 

〇 武良竜彦句(参考)
草田男は多作われは寡作や夏来る
【自解】
草田男の「毒消し飲む我が詩多産の夏来る」の本歌取りの句です。「草田男は多作」までが上五の字余り表現の句です。

☆ 野木桃花主宰特選句
糸蜻蛉風の死角を捉へけり      かづひろ
 命の営みの不可視のものを可視化する詩人のまなざしですね。

☆ 武良竜彦特選句
万緑へマスクの顔を捨てに行く    典子
 長引く疫病禍の閉塞感からの早期脱出願望を、きっぱりと表現されましたね。

◎ その他の秀句から
先を行く多感な背なや夏祭      市子
短パンの少女米とぐ日焼けの手    市子

 一句目、反抗期、親と並んで歩きたがらない背中に、この時期特有の屈折感を感じる表現ですね。二句目、こちらは一転して、快活で家族に溶け込んでいる真直ぐな姿ですね。思春期の二様態を、その違いを鮮明に表現しましたね。

散りてなほ匂ふ花桐多佳子の忌    悦子
孤島めく西日にゆがむ核の町     悦子

 一句目、葛藤の多い多佳子の内面性や作風を大きな「花桐」に象徴させて詠みましたね。二句目、辺鄙な場所を選んで造られた原発施設のある町を、象徴的な表現で捉えましたね。

交番の四角に灯る五月闇       さき子
「四角」が「死角」だったら怖い闇ですが、この句は町の安全を守る灯が照らす闇ですね。

片かげり多弁な母と父の黙      ひとみ
 夏の「片かげり」の日差しの濃淡で、父母性の違いをうまく表現しましたね。

白シャツや言葉短く過ぎし人     玲子
 夏の活気に溢れる巷の景の一瞬を、みごとに切り取ったような句ですね。

短夜や階下に夜泣きあやす声     みどり
 まるで身内感覚のように引き付けた、同じマンションの「階下」らしい表現が効果的ですね。子育ての大変さに共感する心の動きが感じられます。

梅雨けぶる芭蕉も訪ひし多賀城碑   尚
 なぜ「梅雨けぶる」なのか。今、多賀城祉は広い敷地跡に大きな礎石が風雨に晒され点在している状態です。芭蕉が訪れたときはもっと荒涼とした草叢状態だったでしょう。多賀城市は朱塗りの建物と立派な門を復元し、観光の起爆剤にする計画を発表しました。私の知人の多賀城市とその近隣に住む俳人たちは、その俗悪な計画に批判的です。芭蕉が訪れたときに近い姿のままにしておくのがいいのだ、と。この句の「梅雨けぶる」はそういう意味で、そんな城址の景が浮かんできますね。

処方箋胸に抱えて青葉風       都子
 医者が書いた処方箋を抱えて、近くの薬局に向かう束の間の路上で「青葉風」に吹かれたという景ですね。病状が快方へと向かう祈りのような思いが伝わります。

手花火や君に昔のおさげ髪      のりを
 中七が「君の昔の」だと、手花火から重点が動かず、おさげ髪の「君」をただ回想している表現になりますね。「君に」としたことで、視線は君の方に動き、手花火をしている、目の前にいる「君」に、おさげ髪の「君」の面影を見出している、という詩情溢れる表現になりますね。


             ※         ※

「あすかの会」四月の秀句から

 兼題「受・黙

◎ 野木桃花主宰句
新社員垂直に押す受領印
牡丹の芽ゆるりと解かれ無為の午後
ひと言に黙深くなる彼岸寺

【鑑賞】
 一句目、新入社員の緊張感と初々しさが伝わりますね。二句目、「無為の午後」は虚しさではなく、平和な安堵感がありますね。「ゆるりと解かれ」でそれが表現されていますね。三句目、「彼岸寺」なので、誰かのひと言にそれぞれが故人を偲んで思いを噛みしめていることが伝わりますね。

〇 武良竜彦句(参考)
さくらさくら黙禱のごと句詠む人
春の野は嘴を持つもののため

【自解】
 一句目は散る桜の花を楽し気に観ている人だけではなく、祈るような面差しで観ている人もいるという感慨の句です。二句目は囀りの季節を迎えると春の野は人間のためだけのものではないのだなと思った感慨の句です。

☆ 野木桃花主宰特選句
黙禱を川へ短く出水跡         市 子
 「短く」という表現で、込み上げる追悼の悲しみを堪えているような効果があり、詩情が深まっていますね。

☆ 武良竜彦特選句
囀や五年三組黙食中          ひとみ
 「五年三組」という具象化した表現が効果的ですね。コロナ禍で給食の時間の、楽しさの体験もできないでいる子供たちへの、優しい眼差しを感じる句ですね。

☆ その他の秀句から

受け身こそ風孕む術凧日和       みどり
桜ごと売りに出てをり家屋敷       〃

 一句目、凧が空を舞うことができるのは、上手に風を捉えて受け身でいるからですね。そこに普遍的な真理が立ち上がる表現ですね。二句目、高齢化社会の象徴的な景ですね。きれいに造園された庭を桜で象徴的に表現して、家ごとそれが平地にされてしまうことへの複雑な思いが伝わります。

永き日やわれに不毛の文机       さき子
黙々と苺つぶしてすねている       〃
目を開けて人形眠る春の闇        〃
ブランコを乗り捨て子等は戦火の地    〃

 一句目、「不毛の」がすごいですね。時間をかけて新句を詠んだり推敲したりしたのでしょう。でも今日は成果があげられなかったという失意の表明でもありますが、逆にそれでも挑み続けようとする意思を感じますね。二句目、可愛らしい子供の反抗期の一面が微笑ましく表現されています。三句目、和人形のある種の怖さのような神秘的な雰囲気が感じられますね。四句目、ロシアのウクライナ侵攻という悲劇的な時事を、こんな形で詠めるのはすごい表現力ですね。

さくらさくら冷泉邸の黙深し      悦 子
受験子を預かりひたすら微塵切り     〃

 一句目、「冷泉家」は藤原北家の左家(二条家)の流れを汲む公家・華族にして、冷泉流歌道を伝承しています。明治維新によって多くの公家は明治天皇に従い東京に移住しましたが、御文庫を擁する冷泉家が京都に残った事で、結果として膨大な至宝は関東大震災と東京大空襲による被害を免れました。この句の「黙深し」はそんな歴史を背景にしたものですね。二句目、受験勉強をしている預かった子のための世話を「微塵切り」に象徴させて詠んだのが効果的ですね。

沈没の旗艦の黙や春嵐         典 子
春キャベツ地方発送受付中        〃

 一句目、ウクライナ軍の反撃で沈没したロシアの旗艦のニュースが想起されますね。日本の歴史にもそんな苦い出来事が刻まれていて、深い内容の句になりました。二句目、これはもう春らしい明るさと元気を感じる句ですね。

外つ国に未だ戦禍あり霾ぐもり      尚
角打ちに誘(いざな)はれゐて春の宵    〃

 一句目、ご夫妻でロシアの暴挙に心を痛めている句を詠まれました (参照、典子さんの句) 。二句目、句会の席で尚さんに教わったのですが「角打ち(かくうち)」とは、升の角に口を付けて飲むことから、酒屋の一角を飲酒スペースとして仕切って立ち飲みする意味になった言葉だそうです。下五の「春の宵」が効いていますね。

夜桜やひととき黙す二人連れ      玲 子
幾代を受け継ぐ味や花菜漬        〃

 一句目、ライトアップされた夜桜を見上げている景ですね。どんな「二人連れ」でしょうか、誰もが無口になる普遍的な一瞬を切り取りましたね。二句目、「花菜漬」からそれを食する景ではなく、伝統の味を守っている老舗へと場面の奥行を広げて詠んだのがいいですね。

野に遊べ風にあそべと犬ふぐり     かづひろ
春潮は茶房の点字メニューかな      〃

 一句目、人間だけの景ではなく、路傍の花と戯れる風の表現にして味わい深いですね。二句目、句会の合評では「春の潮」で切って中七下五を添える表現が自然ではないかという意見も出ましたが、前衛系の人にはこのような「は」の使い方をする方もいますので、その表現意図を尊重して鑑賞しようということになりました。

窓の玻璃歪み少々花は葉に       のりを
春眠に覚めてまだ寝る頭脳かな      〃

 一句目、今のような製法が確立していない時代の硝子には歪みがありました。そんな歴史を感じさせる古くて落ち着いた家屋の中からの景で、詩情がありますね。二句目、体と頭がばらばらになっているような、春の眠気を効果的に詠まれました。

受け入れると言ふは易しよ春の虹    ひとみ
 時節柄、ウクライナ難民の「受け入れ」に関する、ある種の困難さの問題も想起される表現ですが、そう鑑賞しなくても、人間の心理の綾が感じられる句ですね。

受け流すあとの侘しさ夏座敷      市 子
 棘を感じる言葉に対して、言い返しもしないで受け流し、私憤を押さえているのでしょうか。そうして堪えることで、また新たに言いようのない「侘しい」思いがこみ上げてくる、という複雑な思いの現れですね。

                   ※                      ※

「あすかの会」三月の秀句から

 当日、開会に先立って野木桃花主宰から、同人の白石文男さんのご逝去が報告され、みんなで悼句を捧げるという目標を確認し合われました。文男さんは「あすかの会」発足当時からご主導いただいた方であり、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

◎ 野木桃花主宰句
天に月地に菜の花の黄をこぼす
霞む日に御霊彷徨ふ遠流の地
放映の空爆の街残る雪

【鑑賞】
 一句目、日向でも菜の花の黄色は鮮やかですが、暮初めた薄闇の中でもそこだけ明るく日差しが残っているかのように見えますね。二句目、出雲大社に吟行されたときの一句だそうです。島根半島の北の海上に位置する、かつての流刑地、隠岐の島を遠望して詠まれたのでしょう。故郷に戻ることなく流刑の地で果てた御霊への弔句ですね。三句目、ロシアの武力によるウクライナの侵攻という時事を、直接的に言葉にはせず、国境を越えた国際報道でそのことを知ることの、複雑な思いが下五の「残る雪」に込められていますね。

〇 武良竜彦句(参考)
水爆実験を「ブラボー」と呼ぶ三月来

【自解】
一九五四(昭和二九)年三月一日未明、アメリカは太平洋ビキニ環礁において広島型原爆の約千倍の威力をもつ水爆実験(ブラボー)を行い、この核実験によって、マーシャル諸島の人びとや、多くの日本漁船などが被災。静岡県を母港とするマグロ漁船「第五福竜丸」が、実験海域近くで操業中に水爆実験による死の灰を浴び、乗組員二三人が被爆した日。「第五福竜丸」の被爆を契機に、日本中で原水爆実験反対運動が巻き起こり、三月一日は日本の反核運動の始まりの日となりました。広島長崎に次ぐ三度目の被爆で、放射能汚染による放射線被曝として数えると二〇一一年三月の福島原発事故は四度目の「被曝」でもあります。そのことを詠みました。

☆ 野木桃花主宰特選句
地の塩となれと口ぐせ受難節                      玲子

「地の塩」は社会のために尽くして模範となる人のたとえ。「新約聖書―マタイ伝・五」の一節、「山上の垂訓」として知られるイエスのことば。「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか〈略〉人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」とあります。中村草田男の「勇気こそ地の塩なれや梅真白」は有名ですね。玲子さんのこの句は、そんなことを踏まえた含意のある句ですね。玲子さんは今年の「あすか賞」を受賞された実力派ですね。今回の別の句「積み上がる地元の香り三月菜」も、確かな表現力を感じる句でした。

☆ 武良竜彦特選句
沈黙という会話あり春炬燵                      さき子

 さき子さんは抽象名詞を造形的な具象俳句に転換して、エスプリの利いた箴言的な表現にすることに長けた方ですね。この句も「沈黙」という抽象名詞を使って、人が会話するのは何も「言葉」だけではありませんよ、という真理を衝く表現をされました。下五の「春炬燵」と季語も効果的で、ほのぼのとした「黙」の温もりが伝わりますね。別の句「かさと音立てて余寒を投函す」も同様の秀句ですね。

☆ その他の秀句から
山畑の土濃く匂ひ花辛夷                        安代
卒業歌ふるさとの海真っ平                       安代

 安代さんの安定した表現力も「あすか」同人中、屈指の定評がありますね。二句目は特に、臨海都市にある学校の卒業式が思い浮かぶと同時に、「海真っ平」という思春期の心模様まで包み込むような表現ですね。また卒業後の生徒たちの未来が平な道だけはないだろうという思いも暗示されているかのようですね。

沢音の定まり来たる木の芽時                     のりを
 のりをさんの、最近の大ヒット作でしょう。「沢音の定まり来たる」とは、言えそうでなかなか言えない表現ですね。「木の芽時」に向かって何か整いゆくような空気感まで伝わります。

あたたかや小さき坂に名前なく                    ひとみ
種袋振れば歓喜の歌聞こゆ                      ひとみ

 ひとみさんは着実に実力がアップしてきていますね。一句目のフォーカスの絞りと切り取り、二句目は日野草城の「もの種のにぎればいのちひしめける」と比肩する表現ですね。 
   
まだ戦火燃え立つ星に花便り                       尚
 実感から立ち上げる実存俳句を得意とされる尚さんが時事ネタを詠むと、こんなに哀調を帯びた祈りのような句になるというお手本のようです。この句における時事とはもちろん、ロシアの軍事侵攻のことでしょう。

合掌家の佛間はま中朝さくら                      悦子
 悦子さんも着実に実力つけて来ていらっしゃいます。合掌造りの歴史ある旧家はその間取りの真中に仏間がある、という「発見」の句ですが、昨今のマンションなどは仏間も仏壇さえないという風潮への批評性も立ち上がる表現ですね。

信ずるに理由は要らぬ櫻貝                      みどり
 みどりさんは両親を短期間に続けて亡くされた後の「喪の仕事(モーニングワーク)期」という命の喪失体験を経て、その直後、今度は初孫の誕生という命の手応えを感じる体験をされたそうです。この句は理屈など無用の、命の直接性に触れた想いが溢れていますね。心の喪も明けかかっているかのようです。

喜びのメールの絵文字初出社                      市子
 市子さんのモダンな側面が感じられる表現で、合評会で作者名が明かさたれ時、感嘆の声があがりました。こんな弾むような新境地の句も、今後、どんどん詠んで欲しいと思います。

収まらぬ大地のひずみ余寒なほ                     典子
 典子さんは複数の闘病で、「あすかの会」には欠席投句続きでしたが、久しぶりのご参加で、メンバーに祝福されていました。句風は自在で視点も題材も多様で、びっくりさせられます。この句も、東北新幹線の復旧に時間がかかるほどの被害のあった三月の震災を、地殻変動の「大地のひずみ」という視点で詠まれました。

啓蟄やかの人居らぬ俳句欄                       都子
 野木先生による句友・白石文男さんの訃報の後に始まった「あすかの会」でしたので、まるで、その弔句のように感じられて、座がしんみりとしました。「あすか」も高齢者が多いので訃報に接することが多くなりました。年間を通じての「喪の仕事(モーニングワーク)期」にあるとも言えますね。

昼湯へと土地っ子芸妓花の塵                    かづひろ
 かづひろさんの多様な題材の発掘と、個性的な表現方法に、合評で感嘆の声があがります。ずっと、そんな句で句友を楽しませて欲しいと願っています。


              ※                      ※

「あすかの会」二月の秀句から

◎ 野木桃花主宰句
囀や影ふかぶかと百度石
影揺れてゐる石畳ミモザの黄

【鑑賞】
二句共、兼題の「石」を使って詠まれています。一句目、「百度石」は社寺の境内にたてて、百度参りで往復する距離の標識とする石ですね。信仰心の厚さと祈願の切実さを訴えて神仏の加護や霊験を得ようとするための目印で、寺社側が百度石を立てて本堂との間を往復参拝できるようにしています。参拝の人の黙々とした行為の「影」と、それを見守るような「囀」の取り合わせがいいですね。二句目、こちらの方は何も特別なこともない「石畳」に揺れる人影ですが、「ミモザの黄」という言葉で春らしい光が溢れますね。

〇 武良竜彦句(参考)
推敲の朱書に春立つ匂ひあり

【自解】
自分で自分の句を推敲したり、他の人の句を推敲添削しつつ、春の季語だけでなく、切り取られた景から春が匂いたつような思いがしたことを詠みました。

☆ 野木桃花主宰特選句
多喜二忌や未だまだ寒き日のありて    のりを

『蟹工船』で搾取・酷使される底辺の労働者の悲哀を描き、一躍プロレタリア文学の旗手として注目を集めた小林多喜二は、二月二十日に特高警察によって弾圧・虐殺されました。そのことを過去のことではなく、今もまだ続いているのではないか、という思いが滲む句ですね。

☆ 武良竜彦特選句
梅が香に闇の膨らむ路地の奥        尚

 春の光が明るさを増すのと反比例して、路地奥のちょっとした暗がりが、闇の度合を濃くしたように感じられると、そう詠むことで確かな季節の変化を捉えた句ですね。

☆ その他の秀句から 
夕暮れのととのつてゆく春障子      安 代

「ととのつてゆく」という言葉に、冬ざれの景から穏やかな春の景の推移が感じられますね。

やはらかく拭ひ遺愛の雛調度       安 代
 先祖から伝わる雛飾り一式へのやさしい心遣いが感じられますね。

春の月魁夷の白馬走り来る        悦 子
 東山魁夷の有名な白馬の絵画に「春の月」そのものを感じたという大胆な表現ですね。

下萌や歴史積み上ぐ城の石        玲 子
 春の新萌えと城石の時間の堆積の重さとの対比がいいですね。

冴返る終着駅のがらんどう         尚
 寒々とした、人気の少ない駅構内が目に見えます。

放哉の旅へ身支度いぬふぐり      かづひろ
 道端のいぬふぐり、それに見送られるような旅。漂泊の俳人になりきったような句ですね。

初心いま梅一輪に問われおり       さき子
 まだ冬枯れの景の中。一輪の梅の花。そこに自分の「初心」を見出した思いの表現ですね。

鳥影が鳥影を追う春障子         さき子
 障子の映じた鳥影のようでもあり、春の空を後先になってゆく鳥たちの姿のようでもありますね。

陽に弾け風に弾けて石鹸玉        典 子
 この弾けるようなリズムの表現に春の空気感がみなぎりますね。

雪しまく戦乱伝ふ夜泣き石         都
 「石」の兼題で「夜泣き石」が詠まれたことに、句会では感嘆の声があがりました。各地にさまざまな夜泣き石伝説があります。石自体が怪音を出すといわれるものが多いなかで、特に静岡県の小夜の中山夜泣き石が有名で、殺された者の霊が乗り移って泣き声をあげるといわれています。上五の「雪しまく」で死者がたくさん出たに違いない戦乱の厳しさ激しさが伝わります。

春浅しさざなみ光繋ぎ合ふ        みどり
 作者の優しい人柄がにじむ句ですね。春まだ浅く、寒さは厳しいけど、手を繋ぎ合うような温もりを感じさせる表現ですね。

幾度も振り返りつつ春の虹        ひとみ
 春の虹は淡くすぐ消えてしまいます。どこかに出かけている途中で見た虹で、その移動する視線の中で、なんども確かめている思いが伝わります。

春寒し躓く度に老いを知る        市 子
 確かに、老いは足から、といいます。その季語はやはり「春寒し」がぴったりですね。


         ※                   ※

「あすかの会」一月の秀句から

◎ 野木桃花主宰句
大寒や先の見えない家業継ぐ   
巣籠やとろとろ煮込む鰤大根
着膨れて海側の席ゆずり合ふ
冬怒濤復興遅々と海(ご)猫(め)さわぐ
 
【鑑賞】
※一句目、産業形態の転換期、さまざまな旧来の業種の先行きが不透明になる不安と向き合う人が増えます。それでも家業を継がざるを得ない人の忍従の思いが詠われた社会性俳句ですね。二句目は「巣籠」の閉塞感を打ち破って暖かな気持ちにしてくれる句ですね。三句目、作者の心根の優しさが滲む句ですね。四句目、「海猫」は三夏の季語ですが、上五の「冬怒涛」が主たる季語で三陸吟行をされたときの荒涼たる実景から立ち上げられた表現ですね。

〇 武良竜彦句(参考)
切火にて世を先ず浄め寒に入る
汚れ初めといふ言葉なしお正月

【自解】
※一句目、年初からオミクロン株の感染拡大のュースで気が滅入りますね。そこで浄めの句を詠んでみました。二句目、新年の「何々初め」という語彙はたくさんありますが、「汚れ」に「初め」のつく語がないことに気付きました。それだけの句です。 

☆ 野木桃花主宰特選句
寒灯のひとつひとつにものがたり                   みどり

※寒灯に人びとのくらしと体温まで感じ取っている眼差しが深いですね。

☆ 武良竜彦特選句
着膨れて石に座れば石になる                    かづひろ

※本当は身動きが取れなくなっているという、ややユーモラスな表現でしょうが、何やら瞑想している座禅僧にも見えてきますね。

☆ その他の秀句から  
仕事の夢見るは吾が業寒昴                        尚

※誠実な人柄の方ほど、この類いの夢を定年退職しても見ることが多いそうです。作者の人柄まで感じさせる句ですね。

語り継ぐ非業の最期冬座敷                      さき子
寒波くる日本列島尖らせて                       〃
真直ぐな道の寒さでありにけり                     〃

※さき子さんのコンスタントな秀句創作力に脱帽です。いちいち解説は無用ですね。三句とも独自の視点、独創的な表現方法、「あすか」で群を抜いた力ですね。一句目は特に、日本の口誦文化の伝統が生きている「炉端かたり」の景ですね。

海鳴りやひとりに余す置炬燵                      安代
※安代さんの表現力の豊かさ、確かさにも脱帽です。電気炬燵ではこの「ひとりに余す」という心の深さはでませんね。

沈黙の度に突かれし榾木かな                     みどり
※「あすかの会」への久々のご復帰参加。「野木桃花特選」の句も、この句も、日常のちょっとした思いの機微を表現して秀逸ですね。あの会話の途切れた瞬間の・・・・・。

崖氷柱光芒百本夕陽中                         悦子
※漢詩のような字面と音韻で、光まで氷るような景を鮮やかに描きましたね。

頬杖の仕草が好きよ風花す                      ひとみ
※大正ロマン派の雑誌の、可愛らしい挿絵のようで古き良き時代の香りのする句ですね。  

大吹雪頼りは前を行く尾灯                       市子
※視界を遮るような大吹雪の中の不安な思いを見事に造形表現しました。

銀翼の一点冴ゆる北の空                        玲子
皺深き大きな手へとお年玉                       〃

※一句目のクローズアップ表現の切れ味、二句目、老人となった近親者への家族の温かい心根を感じる句ですね。 
             
鉤の手に曲がる町屋を賃餅屋                      典子
※昭和の景ですね。「賃餅屋」も絶滅危惧のことばですね。自宅では餅付きが困難な人のために、手間賃ほどの額でその家の庭先に出向いて代理餅つきをしてあげていたのです。このような文化は絶滅してゆくのですね。露地の表現もお見事。

風呂吹きの熱きを吹けば言(こと)の絶え                   のりを
※あえて「吹き」の音を重ねることで「ふーふー」という息遣いを表現して、会話が途絶えて夢中になって食している景が目に浮かびます。

拠り所求め彷徨ふ雪女                         都子
※「雪女」は怪談話ではなく、歴史的に女性が置かれた寄る辺なさの象徴でもあります。それをズバリ「拠り所求め」と表現しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あすか塾」2022年 1 

2022-02-01 18:40:12 | あすか塾  俳句作品の鑑賞・評価の学習会

1 今月の鑑賞・批評の参考 (「あすか塾」2月)   


◎ 野木桃花主宰句(「年新た」より・「あすか」二〇二二年一月号)

耳ふかく父母の声年新た
ふるさとの色どり豊かお重詰
加留多読むひと日心を遊ばせて
孔子木すくつと立てり去年今年
語り部の記憶をつなぐ小正月

【鑑賞例】
 一句目、例えば「心深く父母の声あり年新た」と詠んでもいいところですね。でもこの句は「耳ふかく」として、身体性に引きつけた「ちちはは」の声の質感ごと甦っているという現代俳句的な、実存感のある表現になっていますね。二句目、生家の郷土色豊かな重箱の正月料理を嫁いでも守り、毎年再現し続けているのでしょう。三句目、「犬棒」加留多ではなく、和歌加留多、つまり百人一首で読み手が和歌の上の句を読み上げる、あの朗朗とした正月らしい音響に包まれていますね。四句目、「孔子木(こうしぼく)」というのは植物学博士の牧野富太郎が名付けた別名で「楷の木」のこと。別名に爛心木、南蛮櫨、孔子の木(クシノキ)、特に中国では黃連木とも呼ばれる木で鮮やかな赤に紅葉します。「楷の木」の名は直角に枝分かれすることや小葉がきれいに揃っていることから、楷書にちなんで名付けられたとされています。別名の孔子の木(クシノキ)は、山東省曲阜にある孔子の墓所「孔林」に弟子の子貢が植えたこの木が、代々植え継がれていることに由来するそうです。また、各地の孔子廟にも植えられていて、孔子と縁が深く、科挙の進士に合格したものに楷の笏を送ったことから、学問の聖木とされています。初学の志を新たにされた句でしょうか。五句目、日本の韻文文化は散文より古く、忘れてはいけない大事な過去の記憶を謡い語ることを緒元とします。「小正月」というような古い慣習の季語と、句を詠む俳人としての矜持を感じる句ですね。

〇 武良竜彦の十一月詠(参考)
柳葉魚焼く校歌は山河永久に謡ふ
霊に重さあるとするなら散紅葉   

(自解)(参考)
 一句目、校歌にはその地区の悠久の自然が必ずといっていいほど詠み込まれています。今となってはそれが失われつつあることの危機感を感じますね。二句目、季節の色を纏って四時(いしじ)の変遷に身を委ねる散紅葉。すべての精霊の魂が宿っているように感じます。

2「あすか塾」36  2022年2月
  
⑴ 野木メソッド「ドッキリ」「ハッキリ」「スッキリ」による鑑賞例―「風韻集」十一号作品から 
※「ド(感性)」=感動の中心、「ハ(知性)」=独自の視点、「ス(悟性)」=普遍的な感慨へ。
この三点に注目して鑑賞、批評してみましょう。 

    
湖はみな哀話を持てり薄紅葉                           鴫原さき子
横顔を持たぬ案山子でありにけり                         鴫原さき子

 一句目、例えば榛名湖には女人入水説話が諸説あるように、多くの湖には同様の伝説が残されていますね。水平に広がる湖面が何か哀しみのようなものを抱えているように感じるのは詩人の感性でしょうか。二句目、最近は立体的な案山子も見受けられるようになりましたが、たいていの案山子は厚みがなく薄くて、顔の部分は横から見ると扁平で「横顔」というものはありませんね。作物を被害から守るための田という「正面」向きの仕事を負わされた、人型の哀しみのようなものを感じます。

藁塚や風の形を留めをり                              白石 文男
 藁塚は円錐形をしていますが、風に一方向に靡くような跡がついているのを発見した句ですね。

泡立草勢ひづくや津波跡                              摂待 信子
 河原や空き地などに群生する「泡立草」は北アメリカ原産で、日本では切り花用の観賞植物として導入された帰化植物(外来種)。芒などの在来種と競合しているそうです。山田みづえの「泡立草穂すすき雑草合戦図」という句はその様を詠んだものですね。信子さんの句は荒れたままなっている津波跡の荒涼感を表現しました。兜太に「泡立草群れて素枯れて思案かな 」という句もあります。

仏壇の菓子はなやぎてクリスマス 高橋みどり
 宗旨を違えているのにクリスマスの派手なイルミネーションなどの過剰ともいえる光の洪水で、仏壇の菓子まで「はなやいで」見えるというアイロニーですね。ごった煮日本文化ですねー。

冬の薔薇今朝の青空虚ろなり                            服部一燈子
 今月の一燈子さんの句は暗めのものが多かったのですが、何かそのような思いをされることがあったのでしょうか。憂いを抱えた人にとっては、薔薇の花の鮮やかさが過剰に感じられたり、空の青さが虚ろに感じられたりするものですね。

山寺の庭の深きにこぼれ萩                            本多やすな
 こぼれ萩は深まりゆく秋の風情ですが、それを庭の「深きに」と表現されました。庭は物理的には一定の空間ですから、広い、狭いという言葉で普通は表現されますね。それを心の奥行きのように表現したのが効果的ですね。

夕映えの風のゆくへや鳥渡る                            丸笠芙美子
 渡り鳥の行方ではなく、風の行方という表現にしたのが、深みがあっていい表現ですね。大気の動きが渡り鳥に先行しているような、大きな季節の変動感がありますね。

冬日差す房総の崖目を醒ます                           三須 民恵
 房総半島の地層は,大部分が海洋プレートのかけらや海底の堆積物から成り立っていて、それが活発な地殻変動によって海底から持ち上げられ陸上に顔を出し,私たちの目に触れるようになったそうです。その部厚い歴史性を踏まえて「目を醒ます」と詠んだのですね。

スイッチバックして姥捨の月今宵                          宮坂 市子
 スイッチバックは、険しい斜面を登坂・降坂するため、ある方向から概ね反対方向へと鋭角的に進行方向を転換するジグザグに敷かれた道路又は鉄道のことですね。悲話を抱え持つ姥捨山の月が、まるでそのように屈折して上がってきているような、独特の表現ですね。

潮騒や房総指呼に月見酒                             村上チヨ子
 神奈川県の海岸線の高台から見た房総半島の景ですね。月見酒ですから、窓外に東京湾を挟んで月光に浮かぶ房総半島が見えているのでしょう。上五に「潮騒」の季語を置いたのがいいですね。

病棟の長さ際立つ秋灯                              柳沢 初子
 大病院の病棟は一直線で長いですね。病室の数だけ窓があり、秋の灯が点っているのでしょう。それだけを描写して、病を抱えて入院している人たちの個々の思いに寄り添うような表現になっていますね。 
 
秋寂の社よ里よ水細る                              矢野 忠男
 社よ里よ、と呼びかける詠嘆のリズムで「水細る」冬に向かう寂寞が表現されていますね。

洞窟の切符売る婆股火鉢                            山尾かづひろ
 観光客が来るような鍾乳洞なのでしょう。その入場券を売っている老女が足下の火鉢で暖をとっているほど寒いのでしょう。季節の寒さだけでなく、鍾乳洞の冷気まで感じる表現ですね。

竹篭を真っ赤に染めて烏瓜                            吉野 糸子
 竹篭を真っ赤に染めて、という表現が巧みで効果的ですね。熟した烏瓜の赤は本当に鮮やかです。

ビル街の時は早足夕月夜                             渡辺 秀雄
 アインシュタインの宇宙物理学的な世界では、時の進行は条件によってズレが生じるようですが、特定の地域の等時性は不変のはずです。でも詩人の感性ではビル街は時が速く進むように感じられてしかたがない、というわけです。街全体が分刻みでセカセカと動いているように感じられますね。

立話して団栗に打たれけり                            磯部のりこ
十三夜淡き白雲脱ぎ着して                            磯部のりこ

 一句目、まるで「罰が当たった」ような表現がユーモラスですね。二句目、「脱ぎ着して」という擬人化した表現が効いていますね。

語り部としての生きざま秋高し                          稲葉 晶子
 歴史的な被害を被った地区で、その悲劇を語り継いでいる人の生き様に共感した句だととれますが、自分が俳句を詠んでいることも、一種の「語り部」的行為ではないか、という思いも込められているように感じる句ですね。

トンネルは煉瓦積みなり葛の花                          大木 典子
 現代的なトンネル工法は進化しているでしょうが、古いトンネルは、この句のように煉瓦積み工法で造られているのを見かけますね。その時代感と季語の「葛の花」がぴったりですね。

校庭の角に火柱櫨紅葉                              大澤 游子
 まさに櫨の紅葉の燃えるような鮮やかさをずばり「火柱」と表現してインパクトがありますね。十代の生徒達が集う若さの熱気の象徴のようでもあますね。

また別の光の道へ秋の蝶                             大本  尚
 こう詠まれると、まるで秋の蝶が光のハンターのごとく日差しを追って飛んでいるかのようですね。むろん、作者の心の投影の比喩表現でもありますね。

秋寂ぶや庇寄り添ふ漁師小屋                           奥村 安代
 庇を連ねて小さな漁師小屋が並び建っている漁村の景色が、秋の光の中に浮かびますね。心地よい昔ながらの共同体の暖かみも感じます。

向ひ風切り裂く秋の白帆かな                            加藤  健
 帆船と風の関係を熟知の上で詠まれた句ですね。「切り裂く」で風の強さも伝わります。

こぼれ萩水無き井戸の小暗がり                            金井 玲子 
涸れ井戸の森閑としたわびしい景を「こぼれ萩」という季節感と動的な表現をしてから、「小暗がり」に収斂させた詠み方が効果的ですね。

治部少輔柿食さずに逝きにけり                           坂本美千子
碑に七言絶句も鵙高音                              坂本美千子

一句目、治部少輔は、じぶしょう、じぶしょうゆう、などと読み、治部省の次官二人中の下位者、従五位下に相当します。江戸以降は豊臣秀吉の臣、石田三成をさすことが多くなりました。徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織しましたが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑されました。その末期の食として柿が出されたが「柿は体に悪い」または「体が冷える」と言って拒否したという逸話が残っていて、この句はそれを踏まえて詠んだものですね。二句目、「七言絶句」の「絶句」は四句からなる近体詩という漢詩体の一つ。一句七言で四句からなり、二句目と四句目が脚韻を踏み、四句の内容が順に起承転結になるように作る漢詩ですね。故人の慰霊碑でしょうか。そこに見事な漢詩を発見した感慨の句ですね。 

〇「あすかの会」参加会員の作品から (「あすか」一月号から)  

絶筆の目のなき龍や冴ゆる月                           村田ひとみ
 日本画の巨匠が弟子に遺した絶筆である龍の絵に、弟子が「眼」を入れて完成させたという逸話を踏まえて詠んだ句だそうです。下五の「冴ゆる月」が相応しいですね。

躊躇ひを言葉に変へてピラカンサ                         望月  都
 植物にも「ピラカンサ」があり初夏に白い梅のような花をつけ、秋から冬にかけて可愛らしい赤い実をたわわにつけますが、これは季語にはなっていません。季語になっている「ピラカンサ」は冬の鳥全般を指す三冬の季語で、子季語に、冬鳥、寒禽、かじけ鳥という言葉があります。雪の上の鴉や雀、ピラカンサなどの実に群れている椋鳥など、種類はさまざまですね。この句は何の躊躇いを冬の鳥に託したのかは不明ですが、語義が二種類あるので、その間で揺れているように感じる句ですね。

美しき嘘を聞きをり虎落笛                            稲塚のりを
 嘘にはいろんな種類がありますね。人を騙す悪い嘘から、聞き手の心を慮ってつくやさしく切ない嘘まであります。この句の嘘は後者の嘘でしょう。言っている側の心の複雑な思いが季語の「虎落笛」に込められているように感じますね。

鰐口のにぶき響きや秋日差                            近藤 悦子
譲渡書の実印歪む秋の暮れ                            近藤 悦子

 一句目、鰐口(わにぐち)とは仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具の一種。金口、金鼓とも呼ばれる金属製梵音具の一種で、鋳銅や鋳鉄製のものが多い。鐘鼓をふたつ合わせた形状で、鈴(すず)を扁平にしたような形をしている。上部に上から吊るすための耳状の取手がふたつあり、下側半分の縁に沿って細い開口部がある。金の緒と呼ばれる布施があり、これで鼓面を打ち誓願成就を祈念します。金属の響が秋日差しと調和していますね。二句目、「実印歪む」で逡巡の気持ちを表現して見事ですね。

十三夜カレーを焦がす妻がいて                          須貝 一青
 十三夜と少し焦げたカレーの匂い。円満な家庭の空気が感じられます。一青さんの愛妻俳句は「あすか」で一番です。          

⑵ 「あすか集」(「あすか」一月号作品から) 

晩秋の風亡き母の独り言                             千田アヤメ
 冬に向かって北風がだんだん強くなる季節。聞き慣れた隙間風の音が聞こえてくる季節でもあります。その音を亡母の独り言としたのが効果的ですね。

手作りの花笠回し運動会                             西島しず子
 花笠が、参加している生徒一人ひとりの手作り、という点に届く眼差しの深さがいいですね。

抽斗に動かぬ時計神の旅                             丹羽口憲夫
 季語の「神の旅」の「旅」の動的な言葉と、止まったままの時計、それを閉じ込めている抽斗という構成がお見事ですね。

団栗の百万分の一つかな                             浜野  杏
 手にした団栗を見て、「百万分の一」という貴重な物だという感慨の表現にしたのが効果的ですね。人間だってそうだよねー、という背後の思いも伝わります。

捨案山子流行りのTシャツ惜しげなく                       林  和子
 まだ新品の、今流行りのデザインのTシャツを案山子に着せてあるのを発見して、労りの気持ちを感じている句ですね。

裏鬼門南天の実固まりて                             曲尾 初生
 裏鬼門とは鬼門の正反対にあたる方角。起源や考え方の基本は鬼門と同じ。裏鬼門は数ある鬼の出入り口の中でも最後に鬼が出ていく場所。そのため陰陽道などでは鬼門だけの対策だけでなく、裏鬼門の対策も行ってきました。裏鬼門の方角は南西です。北東の正反対の位置にあたり、干支に当てはめると未と申の間で未申(ひつじさる)となります。南西は北東の対角線上にあたる場所。そのため陰陽道では北東と南西の間は不安定になりやすいと考えられてきました。ちなみに裏鬼門の干支には申があたるので、古来よりその対策として申の彫刻や置物をおいて対処してきたとされています。この句の南天は、「南を転じる」ことに関連して植えられているのでしょうか。

尻餅や空青々と大根引く                             幕田 涼代
 太くて長い大根を引き抜いた瞬間の動的な一瞬を切り取った句ですね。尻餅をついて視線が上向きなって、視界に広がる青空も見えます。

秋うららサドル一段下げにけり                          増田 綾子
 児童と高齢者は転倒しないように、サドルの位置を低くして、両足が地面に着くようにして乗ることを勧められますね。それを守って、安全対策をぬかりなく行って、さあ、うららかな季節の中に踏み出そうという爽やかな思いが伝わります。 

晩秋や鍬すく男の影長し                             宮崎 和子                        
 晩秋から冬の陽の低さと影の長さ、そして暮れの早さ、それを畑打つ人の姿として描き出した句ですね。静かな抒情が立ち上がります。

息かるく母のまじなひ石蕗の花                          安蔵けい子
「息かるく」の主体と情景が少し解りにくいですが、「母のまじない」は子供が打撲傷を負ったときなど、息を吹きかけて指でさすりながら唱えてくれた言葉と仕草が浮かびます。下五「石蕗の花」の路傍の花である季語が効いていますね。上五は「息かけて」でいいのではないでしょうか。

ストーブの熱量譲る間柄                             内城 邦彦
「熱量譲る」という言葉が独創的ですね。ストーブの熱の放射には強いところと弱いところがあります。それを譲り合っている仲睦まじい間柄が、そのぬくもりといっしょに伝わります。

風凪て湖水に休む落葉かな                            大谷  巖
 ただ落葉が湖水の水面に散っただけの景ですが「湖水に休む」とした表現に抒情性がありますね。

彩も香も小さく納め返り花                            小澤 民枝
 返り花はどうしても小ぶりなものなることが多いようです。それを「彩も香も小さく納め」と、可愛らしく表現して、作者のやさしい眼差しも感じされる句になりました。

ヴィオリンの音色とどけて冴ゆる月                        金井 和子 
 バイオリンではなく「ヴィオリン」と表記するのなら、いっそフランス語で「ヴィオロン」と表記した方がもっと情感が出たのではないでしょうか。冴える月光とその音色がいいですね。

釣瓶井戸桶に野菊の忘れ物                            金子 きよ 
 実景を詠んだ句でしたら、まだ共同井戸でしかも釣瓶井戸が存在している所があるのですね。作者はそれだけではなく、野摘みしてきた野菊を忘れていった人がいるという物語性のある場面として描きました。余韻のある表現ですね。
             
水音の遠きにありて黄櫨紅葉                           城戸 妙子
 「水音の遠きにありて」と、実景のようでもあり、幻想のようでもある表現にして、秋の水音という普遍的な季節感で、黄櫨紅葉を包みこんだのが効果的ですね。

行く年や語らふごとく詩を誦す                          紺野 英子
風呂敷をふんはり被せ熊手買ふ                          紺野 英子
炉話や遺愛の棗掌にかるし                            紺野 英子

 三句とも粒揃いの秀句ですね。一句目、詩の朗読会の景と解してもいいですが、作者独りのこころの様とも読める句ですね。二句目、「ふんはり」は作者の所作の優雅さ、心根の優しさを感じる表現ですね。三句目、親しい人の遺品の棗を手に炉話を聞いているのでしょう。その人の思い出話ではないかと想像させますね。「掌にかるし」がお見事です。

月さして部屋いつぱいに吾の影                          斎藤 保子
 何か充足感のようなものを感じる表現の句ですね。部屋の灯を消して月光を楽しむ心の余裕がそうさせているのかもしれません。

夜行急行の窓懐しや冬銀河                           佐々木千恵子
 開閉自由の車窓ではなく、嵌めごろしになっている寝台特急のような列車の車窓のようです。長距離の夜行列車で帰郷していた、かつての学生たちの姿が浮かびます。

鳥来ればかつと目を剥く案山子かな                        杉崎 弘明
 案山子は実際には眼を見開いたりはしません。そんなことができる進化した人形タイプの案山子のことかもしれませんが、この句は役目を果たしている案山子の心象表現と解しました。

実南天仏間に生けて退院日                            鈴木  稔
 南天は「難を転じて福となす」に通じることから、縁起木として親しまれてきました。戦国時代には、武士の鎧櫃に南天の葉を収め、出陣の折りには枝を床にさして勝利を祈りました。正月の掛け軸には水仙と南天を描いた天仙図が縁起物として好まれました。江戸時代に入ると、南天はますます縁起木として尊ばれるようになり「これを庭に植えて火災を防ぐ」とされました。この句の背景にはそんな日本古来の文化の伝統があります。「退院」を寿ぐ思いの詰まった表現ですね。 

黒土に命託して虫逝けり                             高野 静子
子を育てデジタル駆使す一葉忌                          高野 静子
海渡る難民の背を冬が押す                            高野 静子

 多様な題材、多角的な視座のある三つの句です。一句目は天命を悟っているような境地、二句目は時代の変遷と、独身で子育てなど体験していない擬古文による物語作家の一葉と、デジタル時代の子育ての環境の違いを鮮やかに表現しました。三句目は命さえ危ぶまれる洋上の孤立した難民の境遇に思いを寄せた社会性のある表現ですね。

自転車の空気入れ足す冬うらら                          滝浦 幹一
 自転車でピクニックにでも出かけようとしているような句ですね。春に相応しい題材ですが、たまたま暖かい日差しに恵まれた冬の一日の、浮き立つような気分の表現にぴったりですね。 



※                      ※

1 今月の鑑賞・批評の参考 (「あすか塾」1月)  

◎ 野木桃花主宰句(「くだら野」より・「あすか」二〇二一年十二月号)
火口湖の黙を沈めて水の秋
錦秋や湖の愁ひをともなひて
鐘一打山頂テラス霧ごめに
馬の背に微動だにせぬ冬帽子
点景の羚羊冬の遠からず
くだら野や失ひし過去へ深入りす

【鑑賞例】
一句目、「沈めて」で水の重さと「黙」の深さが伝わりますね。二句目、一句目との連作で静けさが一層深まっていますね。三句目、霧深き山小屋のテラスでしょうか。静けさを逆に「鐘一打」という音の後の余韻で表現されていますね。四句目、馬上に人がいるのですが、その不動の気配を「冬帽子」だけで表現されました。五句目、向こうの山との距離感、空間の広さ、小さい点のように見える羚羊、その全体に冬の冷気が迫ってきているようです。六句目、「くだら野」は朽野 枯野のことですが、枯野よりも草木の枯れ朽ちた様がより強調される季語ですね。人生には喪失感が付き纏うものです。大切な人との別れなどがその一例。気が付くとずっとこのことばかり考えていることがありますね。その茫漠たる喪失感と「くだら野」の景が拮抗していますね。

〇 武良竜彦の十月詠(参考)
十月や巣籠りのまま逝く虫も       
十月の巒(らん)気(き)のごとき疫病(えやみ)冷え  
     
(自解)(参考)
二句とも新型コロナ・ウイルスの世相から詠みました。一句目は病院に収容されることなく亡くなった方への悼句です。虫に例えるとは不謹慎な、と叱られそうですが、その見殺し感を表現したつもです。二句目、「巒気=らんき」は山特有のひえびえとして冷たい空気、山気のこと。感染症は罹患すると発熱しますので、これは人体のことではなく世相の冷え込みの喩的表現です。

2「あすか塾」35  2022年1月  
⑴ 野木メソッド「ドッキリ」「ハッキリ」「スッキリ」による鑑賞例―「風韻集」十二月号作品から 
※「ド(感性)」=感動の中心、「ハ(知性)」=独自の視点、「ス(悟性)」=普遍的な感慨へ。
この三点に注目して鑑賞、批評してみましょう。  
   
ちちははの齢を既に銀河澄む                            坂本美千子
 寿命は遺伝的なものと聞きますので、特にこのことへの感慨がありますね。美千子さんはその思いを下五の「銀河澄む」で、澄みわたった宇宙的な天命観へと昇華表現しましたね。 

問い問われ旅人と知る城の秋                           鴫原さき子
 旅の途上で「どちらから?」と互いに尋ね合ったのでしょう。そのことで今自分が旅路にあることを改めて自覚したという感慨ですね。時代を感じさせる「城の秋」としたのが効果的ですね。

秋湖の匂ひ満ち来る身のほとり                           白石 文男
 「身のほとり」という表現で、匂だけではなくその景全体の只中にいる実感が伝わりますね。

採血に息を凝らして深む秋                             摂待 信子
 「息を凝らして」で慣れない体験による緊張感が伝わりますね。下五の「深む秋」で、自分の身体的なことへの思いを深めているようです。
 
父母のあらば天の高さを言合へり 高橋みどり
 単なる回想や想像ではなく、これは逆の深々とした喪失感の詩的表現になっていますね。

日の高し冬の小鳥の寝てをりぬ                         長谷川嘉代子  
 本当に「寝て」いるのかどうは解らないはずですが、「寝てをりぬ」と敢えて断言的言い切り表現にすることで、ある情感が立ち上がりますね。

無花果や一日一果を薬食とす                            服部一燈子
 無花果は晩秋の季語ですね。「薬喰(くすりぐひ)」という三冬の季語がありますが、これは体力をつけるために、寒中に滋養になる肉類を食べることですね。獣肉を食べることを嫌った時代があったので、これを薬と称して鹿や猪などを食べていたわけです。この句は「無花果」を薬のようにして食べたという思いの表現ですね。
 
遠き日やどんぐりひろいの教科あり                        本多やすな
鬼やんま時間の嵩が消えて行く                          本多やすな

 一句目、まだ時代がゆったりとゆとりがあったことを感じさせる句ですね。二句目、時間というものに「嵩」を感じるときとは、どんな時でしょう。この句の場合は何か為すべきことが滞っている状態を感じさせますね。それが解消された安堵感を表現しているように感じますね。
 
降りつのる雨燃えつのる花野かな                          丸笠芙美子
 雨の中でその濡れ色で一層、燃え立つような輝きを放っている花野の景でしょうか。「つのる」のリフレインが効果的ですね。

頬張って朝の空気は冬の味                            三須 民恵
 空気を「頬張る」とはあまり言いませんね。その大胆な表現が効いていますね。林檎でも齧るかのように、初冬の空気を味わっていることが伝わりますね。

目はすでに少女鬼灯もみてをり                           宮坂 市子
「鬼灯」を揉むのは皮を毀さず、中身を取り出して空っぽの球体にして、口に含んで鳴らず遊びをしたいからですね。花は叩いて爪を赤く染めるのに使っていました。主に少女の遊びですね。そんな乙女時代への感慨の句ですね。

ちちろ虫夫の手擦れの辞書繰れり                         柳沢 初子
 夫も辞書を傍置いて調べものをする方のようです。俳句を詠むようになって自分もその辞書を使っている、という感慨の句ですね。辞書には印や書き込み、折り皺などが残っていたりして、間接的に夫と対話しているような気持ちになっているのかもしれません。なんでもスマホで済む時代にはなかった抒情が立ち上がりますね。
 
土の香を嗅いで起こして秋の空                           矢野 忠男
 秋の土起しの作業を、そのようにストレートには表現せず、「香を嗅いで」を先ず入れて、二段階のアクションにしたのが効果的ですね。その行為そのものを味わっているような感じが伝わります。土起しをしてから、土を手に取って嗅いでいるのではなく、まず深呼吸をして土の香と季節感を味わい、おもむろに土起しを始めているのですね。

史跡読む転びバテレン懐手                           山尾かづひろ
 解説するまでもないことだと思いますが、「バテレン=伴天連・破天連・頗姪連」はポルトガル語でキリスト教が日本に伝来した当時の宣教師・神父に対する呼称、「パーテレ」が元になった語ですね。そこから日本に伝来したキリスト教の俗称、またはその宗徒の意になりました。この句は、キリスト教弾圧があった不幸な時代に、踏絵などを迫られて、やむなく宗旨換えをさせられた人の「史跡」を読んでいるのですね。下五の「懐手」に沈思黙考の思いが籠ります。

語尾荒げ次の舞台へ法師蝉                            渡辺 秀雄
中七の「舞台へ」で切れている句ですから、上五中七の行為の主体は蝉ではなく人間だとも解せます。しかし、まるで「法師蝉」が一際高く鳴いて、その場所から飛び去った景のようにも感じる面白い表現の句ですね。

味噌汁の菜を摘みに出る朝の畑                           磯部のり子
 農家としての専用畑ではなく、庭先などの家から近い場所に家庭菜園を持っている人の暮しの一コマを切り取ったような句ですね。晩秋か初冬の朝の空気感が伝わります。

手ざわりの三粒の種や大根蒔く                          伊藤ユキ子
 感じることは生きること。一つひとつの行為を、慣習にしてしまわないで、日々の命を噛みしめて生きるとは、このような感度の高い感性を生き生きと働かせて生きることですね。上五中七に無駄のない、切れのある句ですね。

朝霧に足絡まれて山くだる                             稲葉 晶子
校門に鳥の口上九月来ぬ                             稲葉 晶子
風を呼び風をはなさぬねこじやらし                        稲葉 晶子

 一句目は「朝霧に足絡まれて」、二句目は「鳥の口上」、三句目は「風をはなさぬ」と、類型を脱した、自分だけの独創的な表現がされていますね。比喩的表現の熟達と、その上に拓ける表現の地平を目指されているような意欲を感じる句ばかりですね。
 
裂織の指のざらつき昼の虫                             大木 典子
豪放な筆字のラベル新走り                            大木 典子

 一句目、裂織(さきおり)は、傷んだり不要になったりした布を細く裂いたものを緯糸(よこいと)として、麻糸などを経糸(たていと)として織り上げた織物や、それを用いて作った衣類のことですね。表面が芸術的な凹凸があります。それに触ることで、自分の手荒れの「ざらつき」を自覚した、という感慨表現でしょうか。下五の「昼の虫」で秋の乾いた空気感も伝わりますね。二句目、新走りはその年の新米で醸造した酒のことですね。今は寒造りが主流となって季節感がズレてしまっていますが、元々は新米が穫れるとすぐに酒作りをしたのですね。その新米の収穫のめでたさを祝う思いがこの季語には含まれているのです。この句の上五中七の表現がその祝賀気分を表わしていますね。

盛り皿に触れ合ふ手と手衣被                           大澤 游子
はらからの根釣りの一尾夕餉膳                          大澤 游子
海のなき故郷へ続く鰯雲                             大澤 游子

 一句目、大皿を家族で囲んで和気あいあいと食している景が浮かびます。二句目、季語「根釣り」の「ね」は海底の岩礁などの障害物の意で、海中の岩などの根方、割れ目にひそむ魚を釣ること。水底につく魚の多くなる晩秋がその季節とされています。兄弟同朋が釣ってきてくれた魚の「夕餉膳」なので家族の空気感も伝わります。三句目、故郷は内陸で海に面していない所だったようです。下五を魚の名のつく季語にしたのが効果的ですね。

下りることなき遮断機や秋の蝶                          大本  尚
 遮断機が壊れて、長いこと放置されているのでしょうか。考えられるのは廃線になった線路の踏切の景でしょうか。過疎化するご自身の故郷の景でしょうか。寂しさの身に染む表現ですね。

いくさ場の今なほ昏し百舌の声                          奥村 安代
骨片のやうな流木銀河濃し                            奥村 安代

 一句目、古戦場の景でしょうね。芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」は空しさの表現ですが、この句は今なお昏いという歴史的な影響の現在性に焦点を当てていて斬新ですね。下五の「百舌の声」も贄を想起させて不気味です。二句目、形のいい流木は民芸品に加工されて売られていますが、元々は植物の「死体」であることを「骨片」と即物的に表現してインパクトがありますね。下五の「銀河濃し」で宇宙的な時間の中に置き直しています。いずれ人間も・・・という批評性も立ち上がりますね。

竹林の闇を切りとり黒揚羽                              加藤  健
触れてより蕾弾くる枝垂れ萩                           加藤  健
 一句目、上五中七の表現が効果的ですね。竹林の中は昼でも薄暗く闇を湛えていますね。そこからふわっと黒揚羽が、まるで竹林の闇の欠片のように飛び立ったという劇的な表現になりました。二句目、零れ萩ともいうように萩の花は少しの揺れでも散ります。それを、自分をアクショ
ンの起点として表現したのが効果的ですね。

小鳥来る手作り工房並ぶ街                              金井 玲子 
 「手作り工房並ぶ街」で、何かクリエイティブな活気と雰囲気の街の様子が浮かびます。それだけだとただの説明ですが、上五に季語の「小鳥来る」を置いて自由で楽し気な効果を上げましたね。

〇「あすかの会」参加会員の作品から (「あすか」十二月号から)
 
星星の澄む声聞こゆ賢治の忌                           村田ひとみ
母の忌の露ほろほろと葉を流る                          村田ひとみ

 一句目、賢治のイーハトーブ童話世界へのリスペクト感に満ちた句ですね。「星星の澄む声」という「無音」を音化したのが効果的ですね。二句目、「露ほろほろと」という擬態語的な音韻の響が、母に対する敬慕の抒情表現にぴったりですね。昔、墨を摺るとき採ってきた、大きな里芋の葉の露は玉状になって葉の上を転がっていました。

角砂糖の角の溶け行く良夜かな                          近藤 悦子
九九の声一人ずれたり鰯雲                            近藤 悦子 
 
 一句目、本当に角砂糖が角から溶け始めるのか、真偽のほどは知りませんが、この句はティタイムの心理的なほぐれを暗喩的に表現したと読めますね。二句目、子供が声を上げて九九を覚えている授業の景ですね。その中にみんなから遅れてしまう子がいます。微笑ましい一瞬を切り取りました。

おしろいの咲きて路地への道標                          稲塚のりを
 おしろい花の白を、路地への道標と詠んだ視点がいいですね。そこで暮らす人々への温かい眼差しが感じられる句ですね。
句の載りし俳誌祝うや実南天                           須貝 一青
 俳句同人誌なら自句が掲載されるのは当然ですね。この句は有名な商業誌の読者投稿欄に優秀作として掲載されたのでしょう。朱色の南天の実がまるでそれを寿いでいるかのようです。            
豆柿の自覚の色や黄金色                             望月 都子
 豆柿は枝に小粒の実をびっしりと付けて、その「黄金色」が賑やかですね。霜が降りる頃に渋が抜けるので、一部食用にもなりますが、主に未熟果から柿渋が採られました。この句は、やがて柿渋になる豆柿の「自覚」を、その黄金色に見たのでしょうか。

⑵ 「あすか集」(「あすか」十二月号作品から) 

今日もまた有明月をベランダに                          忠内真須美
 毎日繰り返される暮しの一コマなのですね。まるで月を独り占めした気分の早朝の空気感です。
 
庭師のごと枝を落とすや秋の空                          立澤  楓
 上から突然、小枝が降ってきたのですね。庭師が入って剪定作業でもしているのかと思ったら、人影はない。自然が季節の変り目にしていることだったのですね。まるで秋の空の意志のように。

私を見てあわてて落ちる零余子かな                        千田アヤメ
 擬人法の句ですね。そのように「私」が感じたという表現ですが、俳句では「かのように」と説明せず、ずばりそう言い切ることで味わいが深くなりますね。

日照雨降り丸まる太る秋茄子                           坪井久美子
「丸まる太る秋茄子」は普通の表現ですが、「日照雨」の中の景にしたのがいいですね。「降り」と言わなくても解りますので「降り」は削りましょう。字余りもなくなりますね。

広大な大地潤す蕎麦の花                             西島しず子
 壮大な蕎麦畑の一面真っ白の世界ですね。「広大な」と説明表現にしないで「ひろびろと大地潤し蕎麦の花」というように「し」でキレを入れて描写的表現にしたらもっといい句になると思いました。 
 
吾亦紅古里はいまダムの底                            丹羽口憲夫
菊日和谷中の猫はよく太り                            丹羽口憲夫

 一句目、故郷がダム湖の底に沈められたのですね。戦後の高度経済成長期に日本各地で起こったことでした。石牟礼道子の小説『天湖』は九州で実際にあったことを元にした小説で、故郷を失うということがどういうことか考えさせます。上五の「吾亦紅」の季語が効いていますね。二句目、谷中は町ぐるみ猫を保護飼育している町として有名ですね。幸せそうな猫の姿が浮かびます。

秋の声みみずの声も混じりをり                          沼倉 新二                
 季語の世界では春に亀が鳴き、秋には蚯蚓が鳴くといいます。本当は亀も蚯蚓も鳴いたりはしませんが、その声が聞こえるように思うのが俳諧の趣ですね。秋の夜のしんとした静けさを「声」として「混じりをり」と敢えて表現したのですね。 
                     
奥宮へ見上ぐる磴や初紅葉                            乗松トシ子                       
「磴=トウ」は石でできた階段。訓読みでは「いしざか・ いしだん・ いしばし」とも読みますが、ここは音読みの表現がいいですね。そこを初紅葉が染めている景ですね。視線が上向きで背景の青空も見えます。 

手折ること拒む白さよ杜鵑草                           浜野  杏
「杜鵑草」は紫紅色の斑点のある花ですが、それがかえって白地を際立たせています。何か人を寄せ付けない凛とした雰囲気を捉えた句ですね。

落蝉や暗がりの地を終として                           林  和子
 哀愁の滲む表現の句ですね。地に還るのが命あるものの定めですが、その暗がりこそが安心立命の境地なのかもしれません。

俳句てふ文字のアルバム秋の旅                          曲尾 初生
 句帳を「文字のアルバム」とした表現に味わいがありますね。ただのノートではなく自分の心を記録したアルバムなのですね。心の旅路としての「秋の旅」の季語を下五に置きました。

食卓の夫の定位置栗ご飯                             幕田 涼代
夫の食卓の席を「定位置」と表現して、ご夫婦の季節の定番料理である暮らしの一コマを表現した句ですね。

朝顔の野生となりて草を這ふ                           増田 綾子
 専用の棚を作って咲かせていた朝顔が、まるで野生帰りをしたように、思わぬところまで蔓を伸ばしている様を、「草を這ふ」表現したのが効果的ですね。

百目柿袋をかけて良き予感                            緑川みどり
 労働の動作と吉兆の予感を素直に結びつける、楽しげな心持ちが伝わる句ですね。

藁ぼっち雀は何処へ行ったやら                          宮崎 和子                        
 稲架掛けをして干した後、その藁を結わえて田圃で更に干す様を「藁ぼっち」といいますが、そのクローズアップから、雀の行方へと視点を自然の空の方に広げた表現が効果的ですね。

床の間に活けて人呼ぶ花芒                            村上チヨ子
 宮沢賢治は「風の又三郎」の中で、芒が風に揺れるさまを「あ、西さん、あ、東さん」と芒が風に呼びかけているような表現をしていましたが、この句は床の間に活けられた芒が、人を招いていると表現して、味わい深いですね。

冬日向ゆつくり廻るミキサー車                          吉野 糸子
 工事現場のミキサー車の動きと「冬日向」を詠み込んで味わいがありますね。中のコンクリートをよく攪拌して、固まらないようにゆっくり動かしているのですね。そのゆっくりとした動きが「冬日向」にぴったりです。

不器用な相手たよりに障子貼る                          安蔵けい子
 プロの職人なら独りでテキパキと済ます障子貼りも、素人はそうはゆきませんね。たるみや皺にならないように、反対側を引っ張る手伝いをしてもらっているのでしょう。その相手が、まあ不器用なもので・・・というユーモラスな暮れの一コマを表現しましたね。

秋潮の引き残してや夕日影                            飯塚 昭子
 暮れるのが早い秋の落日の中で、引く潮までが「引き残して」いるようだという感慨を、俳句的な格調のあるリズムで表現しましたね。

どんぐりの時節到来トタン屋根                          内城 邦彦
 トタン屋根と言えば、人の住む戦後のバラック小屋の屋根を思い浮かべる人はもういないでしょうね。この屋根は農家の作業小屋のようなところでしょうか。どんぐりの実が立てる音に、そんな時節の到来を感じている表現ですね。

暮れ早し砂場に小さき足の跡                           大谷  巖
秋澄むや吾妻連峰雲を脱ぐ                            大谷  巖

 一句目、秋の日暮れの早さを、つい先ほどまで子供が遊んでいた砂場に残された小さな足跡に感じている俳句的叙情の表現ですね。二句目、下五の「雲を脱ぐ」という擬人法表現も俳句的叙情ですね。

過疎の地に若き移住者稲雀                            小澤 民枝
夫は鬼皮吾は渋皮を栗の飯                            小澤 民枝

 一句目、過疎地に若い人が移住してきた、という感慨の表現は、説明的にならずにどう俳句的表現にできるかが、命ですね。下五の「稲雀」だけで効果的に表現しました。二句目、夫婦で役割分担をして手際よく栗の皮を剥いて、無事栗御飯を作ったようです。仲睦まじさが伝わります。 
                    
命日は赤丸印虫時雨                               風見 照夫
秋風や重なり合へる絵馬の声                           風見 照夫

 一句目、いろいろスケジュールを書き込める壁のカレンダーのようです。誰のとは書かれていませんが、「赤丸印」という言葉で、特に大切な人の命日だということが伝わりますね。二句目、それぞれに違う願い事が書かれた絵馬が、重なり合っている神社の景ですね。風でその絵馬が触れ合う音が、照夫さんには人声のように聞えたという感慨の句ですね。

竹の春旧家の屋根を越えて伸ぶ                          金井 和子 
 旧家の藁葺き屋根を思わせる句ですね。もしかしたら、もう人が住んでいないのかも知れません。時間が止まったようなその家の屋根を越えて、成長の時間を全うしている竹の姿を対比して詩情がありますね。
 
こほろぎの掛け合ひの間に引き込まる                       金子 きよ 
 まるで鳴き交わしているかのような蟋蟀の声に、聞き惚れてしまったという感慨の句ですね。僅かに無音の間が生じるのでしょう。その間に引き込まれる、という表現が効果的ですね。 
             
天高し小学校の国旗台                              城戸 妙子
 国旗台、略さず言えば国旗掲揚台でしょうか。校庭に一段高く設えられている所で、普段はだれもその存在すら忘れているような、ポールが立っているだけの場所ですね。秋の空が高くなったなあ、という感慨の表現にぴったりですね。

小学生総出で田圃の飛蝗取り                           斎藤  勲
 都会では考えられない、微笑ましい景ですね。農家の多い地区では、もしかしたら、その食害防ぎは、小学生も駆り出されるほど、必須の「仕事」なのかもしれないと考えてしまいました。

音階を変へて露地ゆく虎落笛                          佐々木千恵子
 「露地ゆく」という擬人化表現で、笛吹き童子のような格好の少年の姿を思い浮かべました。電線などが強風で立てている音ですが、場所場所で音程、音色の変わる虎落笛の雰囲気を幻想的に表現しましたね。

風の盆男踊りも嫋やかに                             杉崎 弘明
見上げれば星も囃すや風の盆                           杉崎 弘明

 二句とも風の盆を詠んだ句ですね。「おわら風の盆」という富山市八尾地区で、毎年九月一日から 三日にかけて行われている行事ですね。「越中おわら節」の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが、洗練された踊りを披露します。艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了します。作者はその男踊りにも「嫋やかさ」を感じ、「星も囃して」いるような優雅さを見出しているのですね。私も見たことがあるので、作者に同感です。みんな美男美女に見えて惚れ惚れしました。

朝霧や一番で入る診療所                             鈴木  稔
秋風をふるさとに吸ふ旨さかな                          鈴木  稔

 一句目、診療所に一番で入っているのは医者か看護師さんかなとも思いましたが、高齢で病院通いが日常的になっている人のことかも知れないですね。とすると、順番待ちを短くするための努力のことで、そちらの方が、ある種の感慨が沸きますね。二句目、こういう実に俳句的な表現技法が身につくと、作句が楽しくなりますよね。「○○を○○に○○/○○」。/は切れの意味です。それだけで一つの情景とそこから立ちあがる感慨と叙情の表現ができます。この句はその簡潔な成功例ですね。

嵯峨菊に源氏名のあり御苑展                           砂川ハルエ
嵯峨菊は独特の古代菊で、王朝感覚の一つの型に仕立て上げられた風情と格調をそなえた菊です。大覚寺「門外不出」の菊とされています。一鉢に三本仕立て、長さは約二メートル。花は下部に七輪、中程に五輪、先端に三輪で「七五三」とし、葉は下部を黄色、中程は緑、先端を淡緑と、四季を表します。花弁は糸状で五十四〜八十弁程、長さは約十センチの茶筅状が理想とされ、淡色の花々が色とりどりに美と格調高い香りを漂わせる特別な菊です。作者は御苑展に出品された菊に雅な源氏名のを発見して、溜息をついているようです。「源氏名」とは「源氏物語」の五四帖の題名にちなんでつけられた、宮中の女官や武家の奥女中などの呼び名のことですね。近世以降は遊女や芸者につけられました。その雅すぎる名に、ある感慨を抱いた句ですね。

薩摩芋核家族のごと畝の中                            高橋 光友
「核家族のごと」という比喩が効いていますね。因みに核家族とは社会における家族の形態の一で、旧来の大家族、複合家族が主流だった時代が終わり、夫婦や親子だけで構成される家族が趨勢を占めるようになって生まれた言葉ですね。元は米国の人類学者であるジョージ・マードックが人類に普遍的ですべての家族の基礎的な単位という意味で用い始めた「nuclear family」という用語の和訳だそうです。それを畝の中の薩摩芋の表現に使ったのが斬新ですね。

宵寒やポスターの人みな笑顔                           滝浦 幹一
 選挙の季節になると専用ボードにベタ貼りにされるポスターなどの、人物像を見ての違和感の、巧みな表現ではないでしょうか。怒りや悲しみを抱えて歩いている人が、その作り笑いのような、ある種、人ごとめいた作り笑いに、むしろ腹が立つ思いがするのではないでしょうか。その感慨を見事に俳句にしました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする