あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

あすか塾 2022年 ⑸ 9月-10月

2022-09-29 11:06:26 | あすか塾  俳句作品の鑑賞・評価の学習会

2022年10月

1 今月の鑑賞・批評の参考 

 

◎  野木桃花主宰句「水澄む」より・「あすか」二〇二二年九月号)

かけがへのなき命とも蟬の羽化

渡り鳥孤高の影を水に置く

朝まだき湿りを帯びし牽牛花

なき人のこゑありありと素風かな  (「悼む渡辺秀雄様」の前書き)

胸襟を開き水澄むところまで

【鑑賞例】

 一句目、蟬の羽化の様子に見惚れてしまった感慨の句ですね。「命とも」に万感の思いが籠ります。二句目、中七、下五の表現で渡り鳥が水面で羽根を休めている姿が浮かびますね。三句目、「牽牛花」は朝顔の漢語名で、いわれは、大事な牛を牽いて行って薬草の朝顔にかえたという故事から。昔は貴重な薬草の一つだったのですね。「朝まだき」という上五の措辞で、その瑞々しさが際立ちます。四句目、大切な亡き句友の声が胸に甦っているという追悼句ですね。 季語の「素風」という秋風との取り合わせが清冽ですね。五句目、「水澄むところまで」という心的な行為の表現に詩情がありますね。

 

〇 武良竜彦の七月詠(参考)

選りし言葉に心撚られて端居かな

 (自解)(参考)

 俳句を詠むということは、言葉選びでもあり、自分が言葉を選んでいるつもりでも、言葉に自分の力量が試されているような孤独で煩悶の作業でもありますね。

 

2 「あすか塾」43 10月 

野木メソッド「ドッキリ」「ハッキリ」「スッキリ」による鑑賞

※「ド(感性)」=感動の中心、「ハ(知性)」=独自の視点、「ス(悟性)」=普遍的な感慨へ。

この三点に注目して鑑賞、批評してみましょう。この評言を読んで自分の句のどこが良かったのかと、発見、確認をする機会にしてください。

 

〇「風韻集」作品から 「あすか」九月号 
        

若葉風母子の像のつぶらな眼                           村上チヨ子

 聖母子像なら聖母マリアと幼児イエス・キリストの像ですが、そうではない一般の母子像を詠んだ句と解してもいいですね。「つぶらな眼」は子の方で、母の眼は自愛の眼でしょう。

 

テレビのみ喋らせゐて三尺寝                           柳沢 初子

 「三尺寝」は夏に大工などが仕事場の三尺(約九〇センチメートル)にも足りない狭い場所で昼寝をすることの意味で、それから、日陰が三尺ほど移る間の短い眠りという意味も生まれました。この句は、テレビがつけっ放しになっているので室内の仮眠の姿が浮かびますね。

 

老鶯の一鳴無人販売所                              矢野 忠男

 田舎の森閑とした雰囲気に包まれた、野菜などの無人販売所が目に浮かびます。上五の「老鶯」の響が効いていますね。

 

四国霊場御踏み砂とや赤のまま                         山尾かづひろ

「御踏み砂」は四国八十八ヶ所霊場の「お砂」を集めたもので、そのご利益(りやく)は実際に遍路を巡礼したのと同じ功徳を積むことができるとされているものですね。路傍の可愛らしい赤い実をつける「赤のまま」の季語を添えて、遍路行の雰囲気が出ましたね。

 

紅花を抱へ乗り込む無料バス                           吉野 糸子

 紅花の産地ならではの景ですね。村内無料巡回バスが通っているような。

  

お囃子の子らの白足袋若葉風                           磯部のりこ

 何かのお祭りの景でしょうか。お囃し方に児童が駆り出されて、御揃いの衣装を纏っているのでしょう。その足元の白足袋と若葉風の取り合わせが清々しいですね。

 

天道虫生れ地球儀ひとまわり                           伊藤ユキ子

 生まれたばかりのような小さな天道虫が、たまたま地球儀に飛んできて球体の上を歩いていたのを目撃した感慨の句ですね。実寸にすると天道虫が巨大宇宙船のようですね。

 

惜しみなき太陽の色紅の花                            稲葉 晶子

 上五をずばり「惜しみなき」にしたのが効果的ですね。説明的な形容語が、動的な心の動きの表現になっていますね。

 

苔清水深山の味をいただきぬ                           大木 典子

梅雨曇今使はれぬ連絡網                              〃

 一句目、苔と一体化して美味しい深山の水を味わっているようで爽やかですね。二句目、個人情報保護法施行以来、過剰な防衛慣習が広まっていることへの批評性も感じる句ですね。

 

せせらぎへ誘ふ木道蟾のこゑ                           大澤 游子

「蟾 ひきがえる」はただ鳴いているだけですが、それをせせらぎに誘っているようだと感じたのですね。「木道」にしたのが効果的ですね。

  

追憶の狭間ジャスミン濃く匂ふ                           大本  尚

ここもまた空家どくだみ騒めきぬ                           〃

 一句目、たしかにジャスミンの香は記憶の何かを呼び起こすようなところがありますね。二句目、「また空家が増えたなー」という感慨を、「どくだみ騒めきぬ」と、主観と具象を重ねた巧みな表現ですね。

 

草笛や子の故郷となる山河                            奥村 安代

額の花屈託の胸青くせり                               〃

 一句目、草笛の音はどこか郷愁の響がありますね。生まれた場所が「故郷」と呼ばれるまでには、そこを振り返る人の成長の時間が必要ですね。二句目、屈託という抽象名詞を俳句で使うのは難しく、下手をすると失敗します。それを「胸」という身体、「青」という色彩的比喩で支えて、成功している句ですね。

 

切株に座せばまどろむ風みどり                            加藤   健

 みどりの風といっしょになって、まどろんでいるような、ほのぼのとした表現ですね。場所を「切株」にした上五が効いていますね。

 

眠るごと置かれし錨草いきれ                           金井 玲子

青空と海を重ねて夏来る                               〃

 一句目、陸に上げられたままになっている錨。船が活動を止めた後の長い時間を象徴していますね。上五の「眠るごと」も的確な表現ですが、下五を「赤き錆」などにせず、「草いきれ」という季語で包んだのも表現の技ですね。二句目、「重ねて」とは、言えそうでなかなかこうは言えない表現の技ですね。

   

馬頭尊の闇へ一礼登山靴                             坂本美千子

 馬頭観音は仏教における菩薩の一尊で、観音菩薩の変化身の一つで、観音としては珍しい忿怒の姿をとる。衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊する菩薩。神奈川県では南足柄市内山の石仏(通称「赤観音」)が有名。この句は登山道にそれを祀る小暗い場所があったのでしょう。

 

青葦や父にもありし少年期                            鴫原さき子

見るだけの山となりけり登山靴                            〃

 一句目、「ただごと俳句」のお手本のような表現ですね。当たり前のことですが、「青葦」という季語の持つ心象と取り合わせることで、一つの感慨が立ち上りますね。二句目、もう久しく、登山というものをしなくなったな、という感慨の中に、ぽつんと「登山靴」を置いた表現に趣がありますね。

 

初蝉の最中分け合ふ握り飯                            攝待 信子

 下五の「にぎり飯」で、時間の「さなか」であることが分かります。野外のピクニックのような景が浮かんできます。

  

月見草ほぐるる刻を妣と待つ                            高橋みどり

 みどりさんの連続して両親を見送られた「喪の仕事」が回想の時間として表現されているようです。特に母と共有した「時間」の「ほぐれ」を「月見草」に具象化したのがいいですね。

                                                                                      

水馬水はそんなに硬いのか                            服部一燈子

 自分の心的な呟きを「水馬」に問いかける表現にしたのが効果的ですね。

  

夏隣いちの端の爪を切る                             本多やすな

 爪を「いのちの端」と詩的に表現して、深い感慨を呼び起しますね。

 

落城の因ものがたる時鳥                             丸笠芙美子

 時鳥の声にかつて栄華を極めた城の、栄枯盛衰のあわれを感じている句ですね。

 

梅雨寒や灯しつづける母の言                           宮坂 市子

先を行く多感な背や夏祭                               〃

 一句目、下五が「明り」ではなく、「母の言」という意外な展開で読者を驚かせ、ある感慨に誘う巧みな表現ですね。心の中にいまでも残っている母の言葉を抱きしめているような句ですね。二句目、反抗期の息子や娘の姿が想像されますが、作者がそれを温かく包んでいるような句ですね。   

 

「あすか集」作品から 「あすか」九月号

 

梔子のこれぞ白です術後かな                           林  和子

 無事に手術を終えた安堵感、開放感を「梔子」の白い花に象徴させたのが効果的ですね。

 

英治忌や多摩の清流六十年                            福野 福男

 英治忌は大正~昭和時代の小説家・吉川英治の忌日(九月七日)。歴史・時代小説の国民的作家。東京都青梅市の多摩川の近くに大きな和風建築の吉川英治記念館があります。この句はその場所と時間を詠んで忍びましたね、

 

一間だけ灯し母の日過ぎてゆく                          星  瑞枝

 上五の「一間だけ」という限定表現に、作者の思いが凝縮されている句ですね。

 

新緑や返らぬ旅の人となり                            曲尾 初生

 新緑の旅心に誘われる季節に、近しい人を亡くす体験をされたのでしょう。その感慨を詩情豊かに表現した句ですね。

  

母よしの多産壮健茱萸の花                            幕田 涼代

 こういう固有名詞の使い方は効果的ですね。個人的な体験を普遍的な思いへと昇華する表現ですね。季語の「茱萸の花」が効いていますね。

  

咲き揃ふおしろい花の午後六時                          増田 綾子

 夏の夕方から朝にかけて咲くおしろい花の特徴を「午後六時」と限定して簡潔に表現しましたね。

              

遠き日の泰山木の別れかな                            緑川みどり

 「泰山木」はハクレンボクともよばれる大木で、九枚の花被片からなる大きく碗状の花が上向きに咲きます。大きな盞(「さかずき)のようなので「大盞木」と呼ばれ、後に「泰山木」の字が充てられたそうです。この句はそれを友との別れの盃に見立てたのでしょう。

 

外燈に蛾の群がりて古本市                            宮崎 和子

 神社の境内のような所で臨時に開かれた古本市のような景が浮かびますね。

 

百日紅鷗外の旧居縁の疵                             村田ひとみ

人間の建てしタワーや雷を呑む                            〃

 一句目、鷗外の軍医としての小倉勤務時の旧居が遺されていて、そこを訪れての感慨句ですね。現場の実景が浮かびます。二句目、人工物と自然現象のダイナミックな対峙に迫力がありますね。

 

熱帯夜スマホに見入る人の影                           望月 都子

 夜間、屋外でスマホに見入る人影を見かけたのでしょう。複数人のようです。まるで暑さを忘れようと、画面の中に没入しようとしているように見えたのでしょうか。

 

いかずちや鈍く輝く注射針                            阿波  椿

 何かの注射を受けている最中に、窓外で雷鳴があった瞬間、院内で注射受けていたのでしょうか。ドキドキするような緊迫感がありますね。

                     

波が波のせ立ち上る土用波                            安蔵けい子

 高波が起きる現象を絵画的に詠んで、迫力がありますね。

      

鯵釣りて夫の厨となりにけり                           飯塚 昭子

夏草や尻尾が通る猫の道                               〃

 一句目、家人に釣りが趣味の人がいる家庭ではよくある、微笑ましい景でしょうか。二句目、夏草の繁殖力ですね。いつもはその「猫径」は見えていたのに、尾っぽしか見えないくらいに夏草が茂ったのでしょう。

 

故郷に帰ればチャン付け茄子の花                         稲塚のりを

 下五に「茄子の花」という家庭菜園でも育てる季語を置いたのが効果的ですね。旧来の友との親近感が増します。

 

雑草の梅雨を丸呑みして威圧                           内城 邦彦

 雑草の繁殖力が、こちらを威圧しているような攻撃的なものに感じられるという表現がいいですね。

 

水遊びして太陽の子となりぬ                           大竹 久子

 「して なりぬ」句は、単なる因果関係の説明になり、俳句としての詩情が亡くなるおそれがあります。しかし、この句は「水遊び」と「太陽の子」の関係に飛躍があって成功していますね。 

                     

ぽつねんと大ジャンプ台草いきれ                         小澤 民枝

 冬のスキー競技台が、夏場使われないでいるときの風情を詠んで、夏を表現しましたね。「草いきれ」で夏草が生えているさまが浮かびます。

 

余所見せず野良猫歩む炎天下                           風見 照夫

 猫たちも暑い夏の陽に晒されるのは厭なのでしょうね。その急ぎ足ふうの姿をユーモラスに描きました。

 

壁泉の水音あの日のヴェルサイユ                         金子 きよ 

「壁泉(へきせん)」は、落ち口を水平にして水を落とし、水の幕をつくるような人工の滝の一種で、イタリア式庭園やフランス式庭園における技法の一つですね。「ヴェルサイユ」とありますから、観光で訪れたときの回想句でしょうか。そこは第一次世界大戦における連合国とドイツ国の間で「ヴェルサイユ条約」が締結され、西洋の歴史の記憶の場所でもありますね。  

 

旅先のよろづ屋で買ふ夏帽子                           木佐美照子

 予め買って被って行ったのではなく、旅先の、しかも万屋で急遽買い求めた、という表現が夏らしくていいですね。                          

  

餌をねだる子燕黄色い口と化す                          城戸 妙子

 まさに、そろって全身、口と化したような景ですね。だれもが見たことのある景でしょう。

 

笠懸や砂をまきあぐ騎射の馬                           近藤 悦子

 笠懸(かさがけ)は疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を放ち的を射る、日本の伝統的な騎射の技術・稽古・儀式・様式のことで、流鏑馬と比較して笠懸はより実戦的で標的も多彩であるため技術的な難度が高いが、格式としては流鏑馬より略式となり、余興的意味合いが強いものですね。この句はその現場を臨場感たっぷりに詠みましたね。

 

緑さす野外保育の紙芝居                             紺野 英子

扇子もて居住まひ正す躙り口                            〃

 二句とも的確な描写表現が光ります。一句目、「紙芝居」へのズームアップ表現が効果的ですね。二句目、茶室全体の雰囲気が見えます。人の所作から「躙り口」への視点移動が効果的ですね。

 

ひまはりや越後長岡米百俵                            斉藤  勲

 「米百俵 」は、幕末から明治 初期にかけて活躍した長岡藩の藩士、小林虎三郎による教育にまつわる故事ですね。現在の辛抱が将来利益となることを象徴する言葉です。この句は上五の向日葵と中七の地名読み込みのリズムに、この物語を添えて印象的な句になりましたね。

 

走り茶の香り両手で包みをり                           斎藤 保子

 新茶の季節の香を慈しんで味わっている雰囲気がよく伝わる句ですね。

 

草いきれ大学奥のビオトープ                           須賀美代子

 「ビオトープ」は生物群集の生息空間を示す言葉で、生物が住みやすいように環境を改変することを指します。この句は「大学奥」ですから、生物学の実験施設のもののようですね。

 

梔子の白きや妻に会えぬ日々                           須貝 一青

 ぐっと胸に迫る孤愁の句ですね。愛妻は施設にて療養生活の一人暮らしの寂しさを梔子の白い色で象徴的に表現しましたね。

 

髪切つて夕立晴の町に出る                            鈴木ヒサ子

 さっばりした気分で颯爽と外出して、町歩きをした気持ちが伝わります。それだけしか書かれていませんが、そこに至るまでに、なかなかそうできない事情や思いがあったのだろうと想像できます。

  

緑陰の丸太に世間話かな                             鈴木  稔

 「緑陰の丸太」というシチュエーションの設定が爽快ですね。こころゆくまでの会話が弾んだことでしょう。 

 

そつと撫で爺愛用の籐寝椅子                           砂川ハルエ

 故人を忍ばせる遺品という、特別のものがありますね。この句の場合は祖父ご愛用の籐椅子のようです。飴色の落ち着いた輝きが見えます。

  

夏帽子老人倶楽部と書かれたる                          高野 静子

 施設名入りの夏帽子。その小さな発見と感慨。俳句の一行詩たるゆえんがここにありますね。

 

異国語の飛び交う工場梅雨あける                         高橋 光友

 グローバル社会の国際色ゆたかな、いい職場であることを祈る気持ちになる句ですね。研修生という名の単純労働を課せられているという暗いニュースが多いのでそんな気持ちになります。

  

夏蝶の伝言ありと留まれり                            高橋冨佐子

 夏蝶は偶然、そこにやってきて、束の間、休んでいただけでしょう。それを「伝言ありと留まれり」と詩的に表現した俳句心ですね。

  

田水沸く遠く近くに救急車                            滝浦 幹一

 水が張られた田の土の中から、ガスの泡が出ているさまを「田水沸く」といいます。そんな夏の田園風景の中を、救急車が急いでゆくという景で、猛暑の被害を暗示する句ですね。

 

風鈴の短冊替えし音かな                             忠内真須美 

 短冊を替えて、風鈴の音色が変わったことを、繊細に敏感に捉えた句ですね。作者の感性が光る表現ですね。

 

妖精めく花烏瓜闇深し                              立澤  楓

 烏瓜の花は白く繊細なレースの飾りのような形をしていますね。闇を背景にして見た景を、「妖精めく」と詩的に表現しましたね。

 

茄子の花母の小言のなつかしき                          丹治 キミ

 若い頃でしょうか、母の生前、直接聞かされていた小言は厭だったのに、時を経ると、ただただ懐かしく思われてきたのですね。家庭菜園で育てられる庶民的な野菜の「茄子の花」が効いていますね。

 

夏の雨きらりきらりと足元に                           千田アヤメ

 足元で跳ね返る雨粒が、まるで宝石のように輝いて見えるという景の発見で、鬱陶しい雨の気分を一変させる表現ですね。

 

老鶯の声朗朗と一人旅                              坪井久美子

 作者の一人旅の途中で、朗々たる老鶯の声を聴き励まされたのでしょう。

 

亀二匹土留の杭に梅雨の川                            成田 眞啓

 雨季の急な川の増水の景でしょうか。亀たちがまるで緊急避難しているようでユーモラスですが、もしかしたら大水害に繋がる危機感を孕んだ状況でもありますね。

 

学園の夜のツアーやほたる狩                           西島しず子

 修学旅行という正規行事ほどの規模ではない、少人数単位の「ツアー」でしょうか。それが「ほたる狩」という風物の一つであるという夏らしい一コマの表現ですね。

 

もう雨に濡れない友や雷激し                           丹羽口憲夫

 詩情豊かな喪失感の表現ですね。しみじみとした深い味わいがありますね。

  

こつちだよと向きを変へやる瓜の蔓                        沼倉 新二

 植物の蔓は原則的には光を求めて上昇志向が必然ですが、その場の条件によっては、横へ横へ、時には下へと、まるで迷走しているように見えるときがあります。この句はそんな蔓の方向を正してやっている景ですね。呼びかけの表現にしたのがいいですね。

 

外海へ滑るがごとく朝凪す                            乗松トシ子

 水面の波が収まり、鏡のように真っ平になる現象を伴う凪ですが、それを俯瞰的に内海から外海に、まるでスケートリンクを滑るような広がり方の表現にしたのが独創的ですね。

 

炎昼に草刈る人や異国語で                            浜野  杏

 草刈り機の音は案外、けたたましく五月蠅く感じますね。作業をしている人の声も大きくなり、室内からもよく聞こえるほどでしょう。集合住宅の夏の草刈りを専門業者に頼んでいる情況が浮かびます。日本語にしては変、と違和感を抱いて窓外を覗いたら、その中に外国人が混じっていたという軽い驚きの表現ですね。ご時勢ですね。

 

 

2022年9月

1 今月の鑑賞・批評の参考 

◎ 野木桃花主宰句(「花待つ」より・「あすか」二〇二二年八月号)
夕さりの運河を海月さかのぼる
大壺に涼し気に活け公民館
古民家に多弁な二人江戸風鈴
戻り梅雨記憶をつなぐ白湯の碗
花を待つゴーヤの蔓の伸びに伸ふ

【鑑賞例】
 一句目、「夕さり」という古語がいいですね。自動詞「去る」は文字通りの意味ではなく、時や季節を表わす語の後につけて、「その時になる」また「変化する」を表わす季節や時に限っての用法です。だから夕刻になって、という意味です。「海月」の、のんびりとした浮遊感と合わせて趣がありますね。二句目、公民館という公的な施設の広い空間に置かれた大壺、「活けてある」と、眺めている表現ではなく「活け」とその行為の主体に入り込んだ表現が効果的ですね。これも実存俳句の極意の一つです。三句目、多弁な二人の正体は示さないで、読者に委ねた表現と「江戸風鈴」の風情がマッチしていますね。四句目、白湯(さゆ)は水を一度沸騰させて飲みやすい温度に冷ましたものです。水道水に含まれるカルキや不純物を取り除き、水本来の味を感じることができます。この冷まし加減が「戻り梅雨」と「記憶」を結びつけます。この「碗」もきっと趣のあるものに違いないですね。五句目、「ゴーヤ」は沖縄方言で、標準和名は「ツルレイシ」という植物で、通称ニガウリ。蔓の伸びが速いので緑のカーテンを作っているのをよく見かけます。親蔓と子蔓を上手に摘心(摘み取ること)するのがコツです。上五の「花を待つ」でその実りを見守っている視線を感じる句ですね。

〇 武良竜彦の六月詠(参考)
舵の無き雲の行方や横浜(はま)梅雨(つ)入り

(自解)(参考)
 神奈川現俳協の横浜吟行会の投句、九位入賞でした。舵無き人生行路の比喩表現です。

2 「あすか塾」42 9月 

〇「風韻集」作品から 「あすか」8月号 

守りゐる持ち田の水路花菖蒲                           宮坂 市子
黙禱を川へ短く出水跡                                〃 
                      
 一句目、先祖から受け継いできた田なのでしょう。そのことを上五、中七で表現されているので、「花菖蒲」に特別感を感じますね。二句目、水害で亡くなった方の存在と、その深い弔意を感じる表現ですね。

まんまるの薔薇の花束まるく抱く                         村上チヨ子
 「まんまるの」「まるく抱く」のひらがな表記の繰り返しに、愛しむ気持ちが溢れていますね。

母の日や一通だけの妣の文                            柳沢 初子
 亡き母の自筆の手紙が一通だけ手元に残っているのですね。年月を経るに従って、その貴重さが増し、思いが深まっているのですね。

薫風や字舞岡の水車小屋                             矢野 忠男
 「字舞岡」という古い地名の呼称を使ったのが、水車小屋のある田園的風景と相俟って趣がありますね。

川石は亀の定席葛の花                             山尾かづひろ
軍艦の鉄の匂ひや西瓜割り                              〃

 一句目、定席は「ていせき」ではなく、「じょうせき」と読み、意味としては① 座る人がいつもきまっている席、2 落語や講談などの寄席(よせ)、➂常客として行く家、行きつけの家があります。そのイメージが背後にあるので、それを亀がいる河原の石という場所に使っているのがユーモラスですね。二句目、西瓜は鉄の匂いがするので嫌いだという人がいるほどです。好きな人は何も感じないでしょうが。横須賀の軍港としてのイメージを背景に背負う表現ですね。

俎板の音枕辺に明け易し                             吉野 糸子
 朝早くキッチンに立っているのは作者ではなく、別の人ですね。その音を枕辺近くの音として聞き、その気配を感じているのでしょう。家族のだれかの存在が身近に感じられている句ですね。
 
早苗田や列を乱さず水過る                            磯部のりこ
 田植が終ったばかりの田の清々しい景ですね。等間隔に早苗が風に揺れています。田水の流れを描き、「列を乱さず」という言葉で早苗の一直線に並ぶ清々しい景を的確に表現していますね。

花種蒔く人差し指の温むまで                           伊藤ユキ子
 凍えていたような指が、花種という命の凝縮されたものから、温かい何かを貰っている、という、やがて発芽する温もりを先取りするような表現ですね。

朴の花触れては雲の流れゆく                           稲葉 晶子
 まるで雲が、大きな朴の花に触れて流れているような景ですね。比喩的に見立てている表現ですが、俳句ではこういう断定表現をして、味わい深い世界を生み出しますね。

帆を畳み五月の空をひろくする                          大木 典子
初夏の風の透けゆく日本丸                              〃 

 二句とも横浜市西区みなとみらいに、停泊する帆船日本丸を詠んだ句ですね。一句目は帆が畳まれて背景の青空が見える景が常態で、帆は定期的に短時間張られています。下五の「ひろくする」が効果的ですね。二句目、数本のマストの姿を「風の透けゆく」と表現して趣がありますね。

            
新緑の風の足跡旧街道                              大澤 游子
 風の吹き抜けるさまを「風の足跡」という、作者の心が実際には見えない景を「観て」いる表現にしたのが趣がありますね。
  
街騒とほく葉桜といふ安らぎよ                          大本  尚
母の日や焦げ目ほどよく玉子焼く                           〃

 一句目、「街騒」という言葉はふつう見かけない言葉ですが、短い俳句や短歌ではよく使われています。端的にその雰囲気が表現できます。この句はそこから遠く離れた静かな場所であることが際立つ効果がありますね。「葉桜といふ安らぎ」という表現にも短くずばりと総掴みにする言葉の技がありますね。二句目、「焦げ目ほどよく」という言葉遣いにも熟練の技があり、他のことばでは表現できない抒情性が立ち上がりますね。
 
黄昏を曳航したりヨットの帆                           奥村 安代
 ヨットの帆を擬人化した表現で、黄昏の港の雰囲気を動的に表現したのが効果的ですね。

水平線沖の沖より雲の峰                             加藤   健
 入道雲を詠むとき、その上の方を見上げている表現が多いのですが、この句は「雲の峰」を水平線の「沖の沖」から沸き立たせる壮大な景として詠んでいますね。

青き踏む北条五代の夢の跡                            金井 玲子
百戦を見し柏槇や春疾風                               〃

 一句目、この「北条」は鎌倉北条氏との血縁はなく、室町幕府に仕官していた北条早雲が伊豆に進出して相模国を平定し、五代にわたり領土を広げ関東一円を支配した「北条」でしょうか。小田原城への吟行時に詠まれたのでしょう。有名な芭蕉の「夢の跡」の句とはまた違う栄枯盛衰の趣がありますね。二句目、鎌倉では柏槇(ビャクシン)と呼ばれる伊吹(イブキ)はヒノキ科の常緑高木で、大きくなると幹がねじれたようになり独特の趣があります。鶴岡八幡宮にもありますが、建長寺の柏槇は特に立派で、開山の蘭渓道隆手植えと伝わり樹齢七五〇年にもなる大樹です。その大きさと時間の経過を「百戦を見し」と「春疾風」の季語で効果的に表現しましたね。

一枚の体となりぬ夏蒲団                             坂本美千子
 上五の「一枚の体」という表現に発見と独創的な視座を感じる句ですね。

葉桜やよみかけの本伏せてあり                         鴫原さき子
一句ふと燕のように過ぎりしが                           〃

 一句目、葉桜の木漏れ日の中のベンチの上でしょうか。読書は秋の景として詠む人が多いのですが、この句は初夏の清々しい光の中で、読書をしているように表現して独創的ですね。二句目、思いついた句のフレーズを瞬時に忘れたことを燕の飛翔速度に喩えてユーモラスですね。

葉隠れにゐて健やかや葦雀                            攝待 信子
 まるで小さな雀が、小さな葉陰で羽根を休めているような表現で、作者のやさしい眼差しを感じる句ですね。
 
母恋ひの窓際の席ソーダ水                             高橋みどり
梅の実を鍋に空けたる音たのし                            〃

 一句目、敬慕する亡母の面影がまだ暮しのさまざま時空で甦る心的状態のようですね。そこに二人が共有した貴重な時空の記憶の、確かな手触りがあるのでしょう。二句目、暮しの音はこういう小さな場面にこそあるのですね。
       
川明けにそぞろ神つく漢かな                           服部一燈子
 川明けは川で魚をとることが解禁されることですね。特に陰暦六月一日に京都鴨川で鮎漁が解禁されることに因むことばですね。「神つく」は神懸かりになるということでしょう。鮎漁で川中に立つ男性のことを「漢」の字で表現したのも効果的ですね。
 
月光をのせては散りし竹落葉                           本多やすな
 竹落葉が散る瞬間、月光にきらりと光ったような景ですね。「のせては散りし」という柔らかな表現が効果的ですね。

夕薄暑耳にこもりし海の声                            丸笠芙美子
 「海の音」ではなく、「海の声」が「耳にこもる」とした表現に余韻があって効果的ですね。昼間、海を見にいった日の夕暮れでしょうか。 
 
◎「あすか集」作品から 「あすか」八月号
 
過疎の村飛び地のごとく青田あり                         浜野  杏
 人口減少の村で見かける、少し淋しい景ですね。「飛び地のごとく」が効果的ですね。

夏帽子今日を生ききる力あり                           林  和子
 炎天で見かけた涼し気な夏帽子を見ての感慨でしょう。夏バテで萎え気味の気持ちを奮い立たせているような句ですね。

水玉を飾る蜘蛛の巣朝の風                            福野 福男
 蜘蛛の巣に残る水玉を発見したとき、その美しさに目が止まりますね。「飾る」と表現して、天の差配か、蜘蛛自身がそうしたかのように表現したのが効いていますね。 

青鷺の片脚たちに午前過ぐ                            星  瑞枝
 「片脚たちで」ではなく、「片脚たちに」としたことで、「で」の手段ではなく、その場所全体「に」、時が過ぎるような表現になりましたね。
  
苅田道童は喜々と犬と駆く                            大谷  巖
 下五を「犬と駆く」としたことで、子供らしい生き生きとした情景が浮かびますね、

ピアスして異国の少女袋掛                            曲尾 初生
 果樹園の「袋掛」の仕事を手伝っている異国の少女の象徴として「ピアス」をクローズアップしたのが効果的ですね。技能実習生などの短期体験留学生か、農家の子または友人なのでしょうか。
  
胡瓜捥ぐ少し平和な心地して                           幕田 涼代
 胡瓜を捥ぐのは、菜園を持つひとの日常の行為なのでしょうが、その時ふと戦禍のことが心に過るのは、まさに今という不穏な時代の空気のせいですね。その逆の平和の尊さが胸に沁みます。
 
鯉跳ねてはつと開花の未草                            増田 綾子
 未草(ひつじぐさ)は水連科の多年生水草で、池沼に自生しています。葉は水面に浮き,夏、花茎の先に白色花をつけます。未の刻(午後二時)頃に開花するというのでこの名があるります。花は午前中開き夕方しぼみます。この句はその開花のきっかけを鯉の跳ねる音として、ユーモラスですね。
                
風光るいつもの場所の太極拳                           緑川みどり
 屋外の広場でいつも目にしていた、太極拳をする人たちの姿。この「風光る」季節の中で、とくに溌溂としている景のように感じて、元気をもらったのでしょうか。

すれ違う今朝はあの方登山帽                           宮崎 和子
 いつも街路で出会って軽く会釈を交わしていた人が、今日は登山帽姿だったことに、ああ、山開きの季節だなとしみじみと噛みしめた句ですね。

梅雨籠青春の日のビートルズ                           望月 都子                      
 青春時代にビートルズの新しい響きに魅せられた世代の気持ちですね。同世代の人が多い「あすかの会」では共感ひとしおでした。
 
軒先に吊す十薬過疎の村                             安蔵けい子
十薬はドクダミを乾燥したもので、漢方的には、清熱、解毒、利水、消腫の効能があり、肺炎や気管支炎、腸炎、膀胱炎、腫れ物、痔などに用いられてきました。昔は自家薬つくりが各家でなされ、このような景を見かけました。その風習が残っている景を過疎地の象徴として効果的に表現しました。                          
      
うどんげや農家に借りる外厠                           飯塚 昭子
 うどんげは「優曇華」または「憂曇華」とも書かれ、実在の植物を示す場合、伝説上の植物を指す場合、昆虫の卵を指す場合があります。植物は長崎などの特定の所しか生育していません。この句は農家の場面なので昆虫の卵、昆虫クサカゲロウの卵塊のことでしょうか。長い柄の先に一つずつ卵塊が付いたものが、時には数十個まとめて産み付けられ、吉兆や凶兆として伝えられてきました。この句は外厠を訪問者に貸してくれる大らかな風習ごと表現しましたね。

老鶯やこの地に遠野物語                             稲塚のりを
 『遠野物語』は、柳田国男が明治時代に発表した、岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集ですね。内容は天狗、河童、座敷童子など妖怪に纏わるものから山人、マヨヒガ、神隠し、臨死体験、あるいは祀られる神とそれを奉る行事や風習に関するものなど多岐に渡っています。この句は現地を訪れて、老鶯の鳴き声の中での感慨の句でしょうか。
 
蚊を打ちし咄嗟の団扇とり落す                          内城 邦彦
 反射的に団扇で蚊を殺してしまったことに、ちょっとした心の動揺があったことを、巧みに表現されていますね。

意地通す十薬の根の走りかな                           大竹 久子
 どくだみの根の張り方に、命あるものの意地のようなものを感じ取っている表現ですね。
 
昨日より今日の歩幅や梅雨夕焼                          村田ひとみ
 一歩、ではなく、具体的に「歩幅」としたのが効果的ですね。そのことで努力しているような意思的なものが表現されました。
                   
夢にみる百足が百の靴を履く                           小澤 民枝
 実景ではなく夢の景なので、百足の季語の本意からやや逸れますが、子供向けのファンタジーの趣があって、ユーモラスな句ですね。

結論を真先に言ふ梅雨の入り                           風見 照夫
 今年のように一端、梅雨明けして、後で戻り梅雨があり、本当はいつ明けたのか、というグズグズ感を季語に背負わせて、上五中七で気持ちを「結論を真先に言ふ」として表現したのが巧みですね。

五月晴水辺の父子網をもつ                            金子 きよ 
 微笑ましい景が目に浮かびます。目高は絶滅危惧種となりましたが、鯉や鮒や泥鰌などは子供と父0の遊びの仲間でした。

若葉風尖る身のうち鎮もりぬ                           木佐美照子                          
 ふつう、若葉風のやわらかさ、清々しさが詠まれることが多いなかで、この句の「尖る」には意表を突かれますね。世間の刺々しい雰囲気を、風の中に感受している繊細な心を、それでも何とか鎮めようとしているのでしょう。
 
校庭の主めく樟若葉風                              城戸 妙子
和名クスノキの由来は香り高く寿命が長い「奇(くす)しい木」という意味で名付けられたという説があるほどです。校庭の大樟にはそんな風格が確かにありますね。
 
つばくらめ下町の空明るくす                           近藤 悦子
孤島めく西日に歪む核の町                              〃

 正反対の趣の二句ですね。一句目は明るい下町の空と燕の自由な飛翔、二句目は原発立地の町の、孤立しているような景ですね。

水すまし水の沓履く足の先                            紺野 英子
床の間のうす墨の書や梅雨じめり                           〃

 一句目、たしかにミズスマシの脚の先が触れている水面は小さな輪のような窪みが見えます。それを「水の沓」と愛らしく表現しましたね。二句目、床の間に掛け軸の墨書の佇まいで「梅雨じめり」を表現した繊細な句ですね。

土用干し村一巡の獅子頭                             斉藤  勲
 土用干しは衣類・書籍を陰干しにしたり、農業では水田の水を抜き、風に強い穂をよく実らせるために行うことで、また収穫して塩漬けにした梅を梅雨明け後に三日ほど日干しすることですね。この句の雰囲気から、水を抜いた水田沿いの村道を獅子頭が一巡している景でしょうか。

河鹿笛遠くの友を呼ぶやうな                           斎藤 保子
河鹿笛はカジカガエルの鳴き声で、笛の音に似ているのでこう呼ばれています。渓流に生息し、フィー、フィーという鹿のような美しい鳴き声のため、古来より日本人に愛されてきました。この句は友達を呼んでいるように感じたという表現ですね、
 
あの赤は誰を待つのか蛇苺                            須賀美代子
 蛇苺は、実が食用にならず蛇が食べる苺だとか、苺を食べに来る小動物を蛇が狙うからとか、毒があるという俗説がありますが、実は無毒で案外おいしいものです。この句は赤く小さな灯を点して誰かを待っているようだと表現しましたね。
 
満身に日を飽食のつつじかな                           須貝 一青
妻の時計止まったままや更衣                             〃

 一句目、躑躅が日を浴びていることを「飽食の」と表現したのが独創的で意表を突かれますね。二句目、長く奥さんの介護をされて来ましたが施設に入られて、一人暮らしになられた寂寥感を、奥さんの時計が止まっている景として表現されたのが心に沁みますね。 

江戸川のネオンを浴びし花筏                           杉崎 弘明
 川沿いに桜並木がある所はたくさんあり、その場所によって散った花弁がつくる花筏の趣が違いますね。この句は江戸川のネオンに照らされた川面に浮かべました。

寝返り出来ぬ夫に見せたき夕焼雲                         鈴木ヒサ子
 介護の日々の中のひとこまを切り取った、愛情あふれる句ですね。
 
ひとり客の一輌車ゆく青田中                           鈴木  稔
 田舎の一輌車の独りだけの客という寂しげな景を、青田中に置いて視界を広げたのが効果的ですね。

波荒し佐渡北端の花萱草                             砂川ハルエ
 萱草は日本の野生種では、昼咲きのニッコウキスゲ、ノカンゾウ、夜咲きのユウスゲ、夜昼咲きのエゾキスゲなどがありますね。これらワスレグサ属の植物はすべて多年草で、代表的な生育地は海岸草原や高山・亜高山の草原ですね。この句は佐渡北端、日本海の荒波の見える場所に咲いている景で、はっと目を引くような効果がありますね。
  
影持たぬ毛虫よ急げアスファルト                         高野 静子
 たまたまアスファルト舗装道にいる毛虫を見つけたのでしょうか。車に轢かれてしまう危機が迫っています。小さくて歩道と同色で目立たず轢かれてしまうかもしれない危うさを「影もたぬ」と独創的に表現しましたね。そのハラハラドキドキ感に作者の優しい眼差しを感じますね。

ロックダウン上海の街の新樹光                          高橋 光友
 新型コロナウイルス感染症でロックダウンされた上海に知人がいらっしゃるのでしょうか。その安否を季語の新樹光に託して表現されました。新樹光は新樹の反射によって周囲がみずみずしく見えること、又はそのような雰囲気のことばですね。今ごろはそんな光に溢れている季節なのに、部屋に籠っているのだろう、と案じているのですね。
 
夏蝶の伝言ありと留まれり                            高橋冨佐子
 手の届くような所に飛んできた夏蝶が、しばらくじっと動かないでいるのに、誰かの言づてを私に運んできたのかな、と表現して趣がありますね。
 
草笛の途切れて友の安否かな                           滝浦 幹一
 誰かが吹いている草笛の音に聴き入っていたのですね。その音色で旧友との思い出が甦ったのでしょう。それがふと途絶え、友の安否が気がかりになったのですね。深い友愛を感じる句ですね。

髪切って森の声聞く夏初め                            忠内真須美 
 髪を切ることと、森林のさざめきの音とは、なんの因果関係もありませんが、一句で取り合わせることで、ある抒情が立ち上がりますね。これも俳句ならではの力です。

仲間呼び雨宿りする燕の子                            立澤  楓
 雨が降り出したら、先に燕が一羽軒先に飛んできて、遅れて数羽が加わった景を見て、そのように感じたのでしょう。その詩情が一句を立ち上げ、作者の詩心を読者に伝えますね。

残り鴨水脈引く沼の広すぎる                           丹治 キミ
 春深くなっても北へ帰らず居残っている鴨。そのどこか寂し気な雰囲気を、「水脈引く沼の広すぎる」と、独創的に表現しましたね。

のら犬は梅雨空ばかり気にしてる                         千田アヤメ
 飼い犬ではなく野良犬ですから野外で暮している犬ですね。当然風雨に晒されて生きているはずです。そのことを「梅雨空ばかり気にしてる」と表現されました。家も職も失って野宿している人の姿と重なって、憐れみが増します。
 
山鳩の声遠くあり緑雨かな                            坪井久美子
 山鳩の声の、林間に谺するような音色と、新緑の季節に降る雨の季語、緑雨を取り合わせたのが効果的ですね。

老鶯の遠近に谺ほしいまま                            成田 眞啓
 林間に谺する老鶯の声を「欲しいまま」と表現して、その遮るもののない透過性の響を表現しましたね。

次々と走り幅跳夏の雲                              西島しず子
 上五の「次々と」が動的で躍動感があり、子供たちの姿が目に浮かぶ効果的な表現ですね。

墓じまい終えたる跡の夏落葉                           丹羽口憲夫
 最近の世相をたくみに詠み込んだ句ですね。「墓じまい」をする人が増えているようです。様々な事情を抱えての場合と、墓など要らないという世代が増えてきたことなど、いろいろ原因があるようです。「終えたる跡の夏落葉」に深い抒情性が立ち上がりますね。
 
堀切に江戸百景や花菖蒲                             沼倉 新二
 江戸百景といえば、浮世絵師の歌川広重『名所江戸百景』を想起しますね。この句はその中の堀切菖蒲園の景でしょう。名所図会類の画題には複数の地名を羅列しただけのものが多いのですが、これらは適宜、「の」「より」「と」「臨む」などを補って読むといいそうです。例えば次のように。
日本橋江戸橋 → 日本橋より江戸橋を臨む
永代橋佃島 → 永代橋より佃島を臨む
外桜田弁慶堀糀町 → 外桜田より弁慶堀(桜田濠)・麹町方面を臨む
鉄砲洲稲荷橋湊神社 → 鉄砲洲より稲荷橋と湊神社を臨む
 この句は堀切菖蒲園のことですから、堀切より菖蒲園を臨んでいるのでしょう。
 
一対の古びし湯呑み新茶酌む                           乗松トシ子
 一対の、ですからご夫婦で永年使ってきた愛着のある湯呑でしょう。今年も新茶の季節ですね、という声が聞こえてきそうな句ですね。

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