「あすか」は今年(2019・令和元年)55周年
「あすか」は昭和三十九年、名取思郷師が東京で創刊。
名取思郷の創刊のことば
『ここに集まったこの小さな集団は、大それた夢を迫うものではない。ただしっかりと大地に歩を踏みしめながら、明日への可能性を信じるものたちである』
この理念を大切に今があります。
平成六年、思郷師急逝のあと野木桃花(のぎ とうか)が結社を継承。
野木桃花主宰の言葉
俳句の基本は有季定型。その中で高次な抒情を求め、ドッキリ、ハッキリ、スッキリと自己を表現したいとの思いで切磋琢磨してゆきたい。
ドッキリとは、自分らしい発見・感動のことで、日々の生活の中で四季折々に山会う自然や人間など、全てのものに敏感に反心する素直な心。
ハッキリとは、余分な言葉を省き、単純化した句のことで、のびのびと自由に自己の表現が出来ていろ俳句。
スッキリとは、季語や切字の働きを最大限に生かした定型の句で、表現は簡潔に心情内容は深い俳句。
平成三十年四月十五日には、五十五周年の記念祝賀大会も無事終わり、長年「あすか」を支えて下さったた永年会員、そして功労者に心ばかりの感謝の気持を伝えることが出来たことはうれしいことでした。
また東京在住の先師に捧げる思いで、句集『飛鳥』を出版。ほんの少しだけ親孝行のまねごとができたこともうれしく思いました。
福鳥から町しい仲間も加わり新たなスタートラインに立ったところです。
「俳句四季」2019年7月号より転載
参考
「あすか」は、その創始者、名取思郷の師系を遡れば、「新傾向俳句」の主要メンバーの一人、大須賀乙字に至る、歴史ある系列の流れを汲む俳句会です。
「新傾向俳句」とは、河東碧梧桐を中心とする新傾向の俳句および俳句運動のことです。
高浜虚子とともに正岡子規門下の双璧であった碧梧桐は、明治末 (1908頃) 、自然主義の影響下に子規流の平面的写生から脱却。
季題趣味の打破と実感描写による個性発揮を唱えて、「日本俳句」 (新聞『日本』の俳句欄) に拠って虚子らの『ホトトギス』派を圧倒し、その句風は全国に及びました。
その運動の中心的メンバーの一人が大須賀乙字で、他には荻原井泉水、中塚一碧楼がいました。
大須賀乙字の門下から十ほどの後継結社が生まれ、その中の一つが吉田冬葉の「獺祭」で、その門下から誕生した六つの結社のうちの一つが名取思郷の「あすか」で、今の野木桃花主宰はその「あすか」の継承者です。
季語を作句上の単なる措辞、約束事にしないで、その中で生きる命の実感から立ち上げた表現を大切にする「あすか」の今の理念に、その歴代の理念が継承されています。