あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

藤の会・あすかの会 合同句会  2024年12月

2024-12-30 16:39:26 | あすかの会 2024年・令和6年

 

あすかの会・藤の会 合同句会 12月   兼題「離 冬の花」 あすかの会会長 大本尚

 

野木桃花主宰

名木に深き瑕あり石鼎忌    武良推奨句 

宅地化のここまで迫る返り花  

飴色は里の甘味や吊るし柿          

日向ぼこ記憶の底に父と母    

 

 

◎ 野木主宰特撰 

心ひらくまでの長さよ冬薔薇   さき子    野木主宰特撰 武良推奨句

 

◎ 武良特撰

茶の花やつましき寡婦の暮しむき みどり    武良特撰 野木主宰・大本会長推奨句

 〇 以下、高得点順

 〇 準高得点句

夕映えの光離さぬ枯芒    玲 子       大本会長・武良推奨句

  

〇 準々高得点句 

本線を離れ支線へ山眠る   典 子     野木主宰・武良推奨句

  

石蕗の花日暮の早き坊泊り        典 子   

人生の夕暮れにあう時雨かな       さき子    大本会長・武良推奨句

今日なぜか軋む裏木戸花八つ手       尚  

綿虫や隠しやうなき手に齢        孝 子    野木・大本会長推奨句

 

風荒ぶ落葉の流離はじまりぬ       市 子    野木宰推奨句

静もれる離陸の機内冬日入る       ひとみ    大本会長推奨句

機を織るゆるやかな里冬桜        悦 子    武良推奨句

 

エンディングノート余白の日向ぼこ    孝 子 

初雪や検査の結果聞く朝         ひとみ 

ひとひらの記憶の重さ冬薔薇       玲 子    野木宰推奨句

つくづくと父母居ずなりぬ藪柑子     みどり 

夕餉時離農の庭の蕪を抜く        典 子 

十二月くるくる回す膝小僧        さき子    武良推奨句

「ゆりかもめ」交差す小春の中空に    トシ子 

サンタにも廻る順番寝落ちの児      礼 子    武良推奨句

離れまで冬満月の肩借りぬ        市 子    武良推奨句

手の平で団栗転がす警察官        都 子    武良推奨句

 

離れてもなほ君想ふクリスマス      礼 子 

街後にして柊の郷の花          礼 子 

波音の日向日陰に石蕗の花         尚  

離れから洩れる歌声師走かな       都 子 

侘助落つ静寂の中の古刹かな       トシ子    大本会長推奨句

ますみ空木洩れ日拾ふ落葉道       トシ子 

まずつける句誌に折り目や新年号     一 青 

足で弾く静謐な音聖夜のミサ       悦 子 

大木の伐らるるままに冬青空       ひとみ 

離れ家の母に顔みせクリスマス      孝 子 

 

年忘れ盛会にゐて孤島めく        みどり 

花八ツ手木の表札の古りにけり      みどり 

数へ日や耕の終りに立つ煙        悦 子 

厭離穢土戦旗駆けこむ冬の原       悦 子  

闇しんしん闇寂寂と霜の夜        トシ子 

咲き残る畑の隅の黄菊かな        一 青 

 

木枯や子は離れゆくばかりなり      一 青

年毎に構え衰う太極拳          一 青

返り花千鳥ヶ淵の丘の上         都 子

コピー機の日日を吐き出す紅葉山     都 子

黒塀のくぐり戸そとの雪しぐれ     かづひろ

結界や定家葛の枯れ姿         かづひろ

厭離穢土バット吸ひたる雪女      かづひろ

透析の血の色赤し水仙花        かづひろ

山村は暮るるに早し藪柑子        孝 子

日溜や狭庭に探す福寿草         玲 子

朝霜や一輪白く立ち上る         玲 子

親離れ出来て真っ赤なシクラメン     典 子

極月の顔の映りし車窓かな        さき子

慰めの言葉に代えて冬薔薇        ひとみ

袈裟懸けに鳥の目指すは竜の玉      礼 子

離陸して右へ旋回北颪           尚

離農夫の手指ざらざら皹す         尚

山茶花の白際立たせ雨上る        市 子

ひそと咲く柊白く地を染むる       市 子

 

 

参考 特別参加 武良竜彦

最高得点句

地に眠るものにやさしく霜の花     野木主宰・大本会長推奨句

茎揃へ剪らるる花束十二月         

仇名禁止師走の門を潜る子ら        

離農者の続く寒村寒椿 

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あすかの会 2024(令和6)年 作品展  杉田地区センター  

2024-12-21 11:05:03 | あすかの会 2024年・令和6年

      あすかの会 2024(令和6)年 作品展 

 

 

 

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あすかの会  11月 2024年 令和6年

2024-11-25 11:19:13 | あすかの会 2024年・令和6年

      あすかの会  11月   兼題「枯野 転」

 

野木桃花主宰

ひそやかに黄菊白菊母は亡し 

地の微熱小春日和のつづきをり    

小春凪離岸の船の汽笛鳴る

石蕗咲いてひつそりかんと路地の奥

  

野木主宰特撰

雲の翳走りて枯野動き出す         玲子    最高得点句

 

 武良特撰

冬の薔薇あの一言を転機とす        玲子    最高得点句

 

最高得点句

万の根の生命ひそかに大枯野        玲子

転勤の辞令一枚おでん鍋          礼子

火星にも川の痕跡枯野原          英子

土踏まず枯野の温み持ち帰る        典子

 

準高得点句

枯野にも老にもありや明日の夢       礼子

鼻唄の津軽じょんがら枯野中      かづひろ

色のない夢を見ている大枯野       さき子

このあたり落人伝説枯野行く        孝子

白足袋の一日の疲れはたきけり       孝子

 

準々高得点句

考読みし本を開けば木の葉髪        礼子

冬銀河忘れたきこと夢に見る        尚

施設へと転居のうはさ室の花        孝子

    

       ※       ※

   

日の匂ひ残る草枯三輪車          悦子

冬あたたか転校生の国訛         ひとみ

薄氷や水屋の柄杓伏せしまま        英子

たゆたゆと自転してゐる水蜜桃       英子

訛なき赤きマントの転入生         典子

枯野来て素つぴんの顔並びをり       典子

サルビアの赤の向ふの転轍手      かづひろ

立読みは婦人公論秋袷         かづひろ

寂として踏み込む隙のなき枯野       尚

トロッコの音の消えゆく霧襖        玲子

雲水のふっと消えたる初時雨       さき子

ゴーギャンのパレットもあり柿落葉    さき子

夫逝けり夫を知らぬ児七五三        孝子

句にならず舌に千転冬日和         市子

 

 

小春日の回転木馬高く高く         典子

肩で押す回転ドアや冬の月        さき子

凩一号回転ドアに木の葉舞ふ          尚

雲奔り枯野に転(まろ)ぶ草の毬          尚

枯野原風生み八方まぶしめる        市子

磴ひらけ眼下に枯野一望す         市子

耕運機の音転げくる枯野かな        市子

冬ざれの回転扉にある不安         悦子

秋日傘傾げて海を振り返る         悦子

晴れわたる信濃の河原渡り鳥        悦子

翠玉の湖の吊橋小六月          ひとみ

水子地蔵ぐるりと石蕗の花灯る      ひとみ

枯野行く果てはもうすぐもうすぐと    ひとみ

目印の転びバテレン秋薊        かづひろ

口裂けの女役請け文化祭          礼子

これほどに咲いてゐたとは椿の実      英子

 

武良竜彦

言葉から棘抜いてゐる枯野かな

輪転機ことば吐出す冬真昼

葉を落す木は木のこころ初時雨

 

 

 

 

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九月あすかの会秀句 兼題「澄む 積」   2024年9.27

2024-10-01 11:31:26 | あすかの会 2024年・令和6年

  九月あすかの会秀句 兼題「澄む 積」   2024年9.27

 

 野木桃花主宰の句

目鼻あるトーテムポール秋気澄む

新涼の澄みし空気に包まれる

積年の夢が叶ふ日涼新た

フルートの音色澄みく望の月

 

 野木主宰特選

籾袋積み込む蔵や窓一つ    市 子

  武良竜彦特選

諍ひはなかったことに石榴の実 孝 子

  秀句  選の多かった順 

木道に硬き靴音秋気澄む         尚     最高得点句

 今日の月空の広さを上りけり      さき子    準高得点句

 

消印は積丹岬鳥渡る          悦 子

歩荷積む荷の高々と秋の空        尚

 

透析の血の色澄みし後の月       かづひろ

災禍なほ止まぬ列島草ひばり      英 子

かなかなの声の限りの句読点      さき子

星澄むやライヴの火照りより出でて   ひとみ

 

暮れなづむ神田古書店秋の色      悦 子

まつすぐに置くや涼しき紙と筆     悦 子  

秋の澄むこの郷生れ替りても      市 子

逆しまに揺らめく湖景水澄めり     英 子

 

澄む水の川音尖る谿深し        礼 子

秋雲の風に散らされラブの文字     礼 子

面積の公式さらふ休暇明        礼 子

一葉義経末路語るかに        英 子

河原石積んで竈に芋煮会         尚

この径の終点は何処真葛原       玲 子

積み上る瓦礫に秋の大夕焼       玲 子 

木道に色なき風の岐れゆく       典 子

積ん読の机辺のあたり秋気満つ     孝 子

積雲の折り重なりて野分前       都 子

 

秋澄むや山間の村過疎進む       市 子

風よけて休むや新藁積む陰に      市 子

強力へ積荷を分けて鰯雲        かづひろ

湧水の音澄み切って鰯雲        かづひろ

行商にもとめしぼた餅居待月      かづひろ

松虫を門外不出の古刹かな       さき子

灯火親し吾積ん読に成り果てぬ     さき子

廃城の石積む隙間苔の花        英 子

船底に石積む帆掛け秋時雨       典 子

娘来て芋煮馳走になろうとは      典 子

誰ぞ積むケルン撫でゆく秋の風     典 子

鰯雲遺跡の上に建つ校舎        玲 子

魁夷見て庭園巡る水の秋        玲 子

ゲリラ豪雨過ぐ虫の音の高らかに    ひとみ

左右荷を持ち替えて秋没日       ひとみ

積読の嵩より一つ秋灯し        ひとみ

秋うらら定期満期の通知来る      礼 子

敬老会一際高く澄んだ声        礼 子

油照コンクリートジャングル人を呑む  都 子

パリ五輪人力競ふ秋の空        都 子

皓皓と空を澄ませて盆の月       都 子

大皿に猫の足跡秋日和         悦 子

秋澄めりどこやらの児の無き騒ぐ    孝 子

稚の名を尋きつ訊かれつ盆の家     孝 子

 

参考 ゲスト参加 武良竜彦

秋澄むや我が身に刻む戦禍あり

この星はかぐやの流刑地夕月夜

秋の河原石を積みては父母のため 

過失なら赦せますかと曼珠沙華     

 

講話 あすか塾 65

和讃「賽の河原の石積」は生諸事のあわれ・日本人の仏教的心性の原型

 

人が死んで冥土の旅に出た後、三途の川の手前にある河原に至る。それが賽の河原
親よりも先に死ぬと、賽の河原に行き、石積みをしなければならないという俗信があった。根拠は『法華経』の「童子戲聚沙爲佛塔」和訳「童子の戯れに沙(すな)を聚(あつ)と塔を為す」である。これを元に鎌倉時代の法相宗(ほっそうしゅう)の僧侶、貞慶(じょうけい)が作った『賽の河原和讃』。

      ☆

〇 その冒頭

帰命頂礼 世の中の 定め難きは無常り。

※「帰命頂礼(きみょうちょうらい)」仏に信順し,仏の足を自分の頭に戴き礼拝すること。仏教の

最敬礼。仏に祈念するとき,その初めに唱える語。


親に先立つ有様に 諸事のあわれをとどめたり。

※この一文で、この和讃が人生の苦難の比喩であることを示している。

一つや二つや三つや四つ 十よりうちの幼子(おさなご)

母の乳房を放れては 賽の河原に集まりて

昼の三時の間には 大石運びて塚につく。


夜の三時の間には 小石を拾いて塔を積む。

一重(ひとえ)積んでは父の為

二重(ふたえ)積んでは母の為

三重(みえ)積んでは西を向き

しきみほどなる手を合わせ 

郷里の兄弟わがためと

あらいたわしや幼子は 

泣く泣く石を運ぶなり。

     

〇 賽の河原和讃の教えの意味

 この世は無情の世界であることの比喩で、ここでの子の受難劇は人生の比喩。

 親よりも子供が先に死んでしまうという設定は、自分や親兄弟を見舞う災難の典型的な例示。その中に自分の行いの報いの意味も秘められている。

 子供は死後(人生の最中)賽の河原という疑似地獄に行き、「一重積んでは父の為、二重積んでは母の為」と石を積んで仏塔を作る。朝六時間、夜六時間、泣きながら石を運び続けねばならず、石にすれた手足がただれ、指から血がしたたり、体が鮮血に染まる。その苦しさに、
「お父さーん、お母さーん、助けてー どうして助けてくれないのー」
とその場に崩れ、突っ伏して泣くことになる。

 すると、獄卒のがにらみつけ、
「なんだお前のその塔は。ゆがんでいて汚いな。そんなもので功徳になると思うのか。
早く積み直して成仏を願え」
と怒鳴りつけ、せっかく作った塔を鉄の杖やムチで壊してしまう。

 このように毎日十二時間、石を積んでは崩され、石を積んでは崩され、これをいつ果てるともなく繰り返すことになる。母親のお腹に宿ってから十ヶ月、両親に様々な心配をかけ、大変な苦しみに耐えて、血肉を分けてこの世に産んでくださったのに、親孝行もせずに先立ち、両親を悲しみ苦しませたのは、恐ろしい五逆罪である。

 悲しみ苦しませた父親の涙は火の雨となり、母親の涙は氷のつぶてとなって、やがて自らにふり注いでくる。近づくと両親の姿はたちまち消え失せて、河の水は炎となって燃え上がり、身を焼く。

 

〇 賽の河原の石積みの和讃は、この世の苦しみの比喩 そこからの解脱へ

 人は毎日朝から晩まで汗水たらして働いている。生き地獄である。

 目標を達成しても次の目標がある。和歌にもこう詠まれている。

越えなばと 思いし峰に 来てみれば なお行く先は 山路なりけり

 それは、果てしなく続いて、これで終わったということはない。

 どこまで行っても、心からの安心も満足もなく、汗と涙で築いたものが色あせ崩れる悲劇を繰り返し、人生を終わって行く。

 果てしなく繰り返す賽の河原の石積みは、私たちの人生の姿である。

 それは親不孝、兄弟不幸、我欲の結果である。それを改めなさい、ということ。

 それを自覚して心の地獄から脱出しないさいという教えの和讃である。

 

 

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八月あすかの会秀句 2024年 令和6年

2024-08-26 11:24:02 | あすかの会 2024年・令和6年

          八月あすかの会秀句 兼題「異 残暑」   二〇二四年八月二三日 

 

 野木桃花主宰の句

銀漢や異郷さすらふ友がをり    

オカリナの調べ流して浜の秋    

異郷へと旅立つ友よ秋あつし    

夫も老いにき紛れ込む花野かな

 

 野木主宰特選

家といふ箱むし〱(繰り返し記号)と稲光         都 子

  武良竜彦特選

己が身の影につまづく残暑光       英 子   最高得点句

 

 秀句 選の多かった順

 

バーボンの氷ことりと星月夜         尚     準高得点句

 

異形めく向日葵の首白昼夢         みどり

異論などある筈もなく西瓜食ぶ       孝 子

梨食めば梨の音してひとりなる       さき子

 

糸とんぼ草を離れてより透けり       英 子

仏壇の残暑の扉開けてあり         さき子

狗尾草道草を食う風もあり         さき子

幼子の髪透きとほる花野かな        玲 子

閼伽桶の水を捧ぐ個長崎忌         悦 子

透析の血濁は清へと大夕焼         かづひろ

 

残暑なほ汲めば汲むほど井戸の水      市 子

語り合ふふるさと異に青りんご       市 子

異を唱へ親族和ます生身魂         都 子

鳳仙花知覧に残る手紙かな         典 子

秋思ふと弾かねば琴の立ち通し       英 子

梵鐘の音の余韻に法師蝉          悦 子

異次元の好きな宰相秋の風          尚

 

異人館井戸水に売る青りんご        かづひろ

八月や六日九日十五日            尚

溝萩のひときは群れて知己の墓       みどり

詩ごころ抱(いだ)きて残暑の厨事      市 子

メダリストの鳴らす鐘の音爽やかに     典 子

釜の蓋ひねもす開けて蟻地獄        礼 子

異母兄を慕ふ弟星月夜           ひとみ

終戦日目覚めぬままの無言館        悦 子

サンダルを履きて足指解き放つ       都 子

風待ちの暖簾に残る暑さかな        玲 子

ゆるゆるとバス上り来る残暑かな      玲 子

異郷にて医師を全う秋さびし        英 子

再びの駅は無人や桐一葉          孝 子  

 

異文化の衣装彩やかパリ五輪        典 子

露座仏の眩しさうなり晩夏光        典 子

身預けし動く歩道を出で残暑        ひとみ

揚羽蝶過る耳もと風起きて         ひとみ

赤を噴く「沖縄の図」や終戦日       ひとみ

異存なく村をあげての曼珠沙華       礼 子

盆灯籠五百羅漢に嘆き顔          礼 子

体温を越える一日や残暑かな        都 子

訪う人を休ませ晩夏の切株よ        悦 子

製図室椅子をベッドに昼寝かな       かづひろ

ドライアイスを懐に鳶の残暑かな      かづひろ

何某の墓の積石吾亦紅           孝 子

階の手摺に置かるる残暑かな        孝 子

畦異にむらさき凛と秋薊          市 子

異国語の飛び交う空港残暑         さき子

病葉にまたも目がゆく厨窓         みどり

新興地カレーの匂ふ残暑かな        みどり

オフィス街残暑貼りつく石畳         尚

垂幕に「祝陸上部」夏終る         玲 子

高校三年生の素振百本晩夏光        悦 子

 

参考ゲスト参加 武良竜彦

ピアフ流すセーヌに五輪の残暑かな

 

かなかなの焦がす天地が浄土なり

朝顔や色とりどりの訣あり 

生捕りにせむと人来る虫の秋  

 

講話  あすか塾 64

 

「先行句」問題について     

                     

 俳句の先行句の存在にまつわる問題は、俳句という短詩型文芸の、その短さゆえに抱える類想、類型句の問題でもあります。

 この問題は様々な観点による受け止め方が存在し、ある一つの基準で解決するような問題ではないと思います。 

筑紫磐井氏が現代俳句協会の機関俳誌「現代俳句」の七・八月号の対談で、類想類句こそ、俳句文化の分厚さだ、というようなことを述べていました。歳時記自身がその見本帳ではないかということで、類句集である歳時記を参考にして、多くの人たちは、俳句を学び詠んできたわけです。言語表現文化という括りでみると、そういう見方にもなるでしょう。

 公的な場への類句の発表を許してもいい、放置していいとは、だれも思わないでしょう。また作者が気づいていない行為なら許せて、意図的なら許すべからざる行為だ、というのが一般的な意見でしょうが、ことはそんなに単純なことではないと思います。

 類想、類句の発表を許さないという考えは、「作者のオリジナル」でという考えに基づきますが、その観点は近現代文学のもので、近代以前にはなかった「個」を重視する、人間中心主義的、西洋文学的な視座です。

 日本の近代以前は、類想、類句を詠むのも、句座の賑わいの一つとして許していた文化があったのでしょう。

 そんな大らかな文化が「時代遅れ」と見做されるようになってから、類句批判意識が顕著になって来たのでしょう。

 これは伝統俳句との超克の問題とも絡みます。

伝統俳句的な世界を超えて、独自、新しい俳句をという人には、類句を作る作者の姿勢の問題に感じられるでしょう。

 そんなことは一切関係なく、俳句作りを楽しんでいるだけの人は、そこまで批判されなければならない問題なの、という気持でしょうし、そのことに厳密な句会から足が遠のくでしょう。

また、意図的にそれをやる作者、確信犯的な作者は、言語遊戯派に多く、先行句を和歌の「本歌取り」的に踏まえて詠むことで、新奇さを生み出す試みをする俳人もいます。

そんな態度自身に拒否感を抱く人もいるでしょう。

 因みによく話題になる類想句の例を次に揚げます。

句の下の「先・後」が発表された順番です。

  鐘つけば銀杏ちるなり建長寺   漱石   先

  柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺   子規   後

  凩の果はありけり海の音     言水   先

  海へ出て木枯帰るところなし   誓子   後

  桐一葉日当りながら落ちにけり  虚子   先

  桐の葉のうら返りして落にけり  鬼城   後

  獺祭忌明治は遠くなりにけり   芥子   先

  降る雪や明治は遠くなりにけり  草田男  後

 

 どれも類想句として、過去にも議論になった有名な句例です。

 どちらの方がいいとか、好きとか、咄嗟にいろんな感想が浮かぶでしょう。いろんな見方、批判、評価があり、どの意見が正しいというものではない、ということが、この例でも分かります。

 この類想、類句の存在は、AI俳句の高度化の問題とも絡みます。AIが学習しているのは過去の句という、歳時記的データと、俳句で使用されている語彙、その組み合わせ方を含んだ膨大なデータの蓄積によって自動生成されるものですから、生身の身体的存在である俳人が、その表現において、どこまでオリジナリティのある創作ができるか、という深刻な問題に発展してゆく問題でもあります。

 類想句に陥らず、AI俳句に劣らぬ表現をするには、電子システムであり、身体を持たないAIにはない、自分の今生きてあること、自分という命の重みの中から立ち上げた表現だけではないか、といえるかもしれません。つまり俳句を詠むときに、頭の中だけで考えた、実態とはかけ離れた記号としての言葉のハンドリングに頼らないという姿勢、それが大事ということになるのではないでしょうか。

それには先ず、「いい俳句」より「自分だけの世界がある俳句」を詠む姿勢が大事になってくるのではないかと思います。

 現実問題として、句会などで、先行句の存在のことが問題になったのなら、御誌のように、ひろく意見を求めて議論するのは、とてもいい文化だと思います。批判ではなく、共に考え、学ぶという姿勢ですね。

 

                     俳誌「こんちえると」からの要請による寄稿

 

 

 

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