十月あすかの会秀句 兼題「面 秋の声」 二〇二四年十月二五日
◎ 野木桃花主宰の句
祈るとは目を瞑ること秋の声
人の世の群れて縺れて葛の花
天高し湯の町に響く下駄の音
赤面の野球部員や鵙日和
◎ 野木特選
秋の声肩甲骨のあたりから 孝 子
◎ 武良特選
耳打の叔母にザボンのにほひかな かづひろ
◎ 秀句 選の多かった順
鶏頭花身ぬちにひそむ不発弾 尚 準高得点句
乳の染み残る留袖秋の風 悦 子 準高得点句
小鳥来る私は今日からお姉ちゃん 孝 子 準高得点句
をちこちに母の面影菊の庭 玲 子 準々高得点句
虚貝(うつせがい)踏めば遥かな秋の声 尚 準々高得点句
野面積みの穴太(あのう)の剛力天高し 悦 子 準々高得点句
石蹴れば石にもありぬ秋の声 さき子 準々高得点句
懐かしき面差し胸に星月夜 典 子
玄関に来し蟷螂も一過客 さき子
銀杏の落葉が栞「たけくらべ」 英 子
面食いはむかしの事よマスカット 孝 子
名優の逝きて閑かな秋の声 都 子
面長の少女のまなざし菊人形 都 子
故郷の乗り換へ駅や秋の声 玲 子
小面にかすかな愁ひ秋ともし 尚
秋の声背中合はせの駅ベンチ かづひろ
透析に命をつなぐ鬼城の忌 かづひろ
夕暮は煙の匂い薄紅葉 さき子
竜安寺石それぞれの秋思あり さき子
E・Tとなりて銀翼月に入る 都 子
着る着ない問われる秋の更衣 礼 子
大野原イヤホン外せば秋の声 悦 子
叡山の不滅の灯り秋の声 悦 子
秋澄むや路面電車の音跳ねる ひとみ
牌ガチャと面子の揃ふ秋灯下 ひとみ
湯の町の花を自在に冬の蝶 英 子
花の息菰よりもらす秋のこゑ 英 子
木洩れ日の水澄む水面昼下がり 市 子
秋入日湖面平らに闇深む 典 子
鉄塔が校歌になつて秋高し 典 子
盃を交はす秋風来し人と 尚
小面の青い目をした菊人形 英 子
足元から四方八方稲子発つ 都 子
秋の声椅子に寂びさぶ向こう脛 市 子
秋の声揺れ止む木の間深閑と 市 子
秋の声姉に面会許されず 市 子
水槽を逃れし大亀千草踏む ひとみ
坂多き町の風道秋の声 ひとみ
秋高し連山望む無人駅 玲 子
音も無く流れゆく霧樹樹を抱く 玲 子
惜しげなく散らす花屑金木犀 典 子
粉吹き出す足裏しみじみ冬隣 礼 子
一膳目ただもくもくと今年米 礼 子
刈り終えし田の面や安堵とわびしさと 礼 子
秋の夜曲芸バイクの面構え かづひろ
あやふやな暗証番号ちんちろりん 孝 子
参考 ゲスト参加 武良竜彦
尊厳死論じて芋の煮転がし 最高得点句
秋の声賢治のセロの弦が鳴る
鬼の子や滅びの鐘が野に街に
あすか塾 講話
渚のアポリア―俳人・石牟礼道子への道程 最終回
小熊座連載稿(十月号用)
むすびに 何故俳句だったのか
今、わたしたちはどんな世界に生きているのか。
その文明世界が人類に対して加害的になっている現状の考察、何故、そのようになってしまったかという考察。
そしてわたしたちは、どう軌道修正するべきなのか、それは果たして可能なのか、という問題に突き当たった。まさに石牟礼道子が問うたのが、この問題だったである。
簡潔に述べると、ことは近代文明だけの過誤ではなかったということだ。
はじまりは人類が、言葉という「認識の道具」を、論理による世界の理解と征服のために使い始めたことに端を発する、「文明禍」という過誤であったという、人類精神史に関わるスケールの大きい問題だということだ。
文明という言葉自身が象徴するごとく、言葉で明らかにする、つまり言葉という認識的な象徴符号によって、論理的に世界を観察し、記号的な意味において、論理の不都合を発見し、その原因を取り除き、合理的に世界を解明し、手を入れ、加工という名の自然破壊によって「改善」するという方法が「文明」の手法である。
その過程でわたしたちは何を失ったのか。
「文明」という言葉の対比概念としての「野蛮さ」という概念に一括りされた、自然や世界との一体感を基調とした、「不合理な迷信的なもの」のすべてを失ったのだ。
そして「文明」が非人間的で、人間に対して加害的になることで、自然に対して加害的になっていた、ということだ。当然、それは人間の自然な生存のあり方の喪失、いや、全否定的な加害性を持つに至った世界ということだ。
もう、わたしたちは、その喪われた自然や世界との一体感のある生き方、非自我的認識、書き言葉的な言語ではない、声としてのかたりのことばの世界を取り戻すことは、不可能な地点で生きているということだ。
不可能だが、そのことについての問題意識を持つことが先ず大切であることは、もはや自明のことであろう。
自然や世界との一体感のある生き方。
そう、それは日本の詩歌の心の根底にあるものではなかったか。そこに何か考えるヒントがあるのではないか。
先に触れたモリス・バーマンはその前の著『デカルトからベイトソンへ―世界の再魔術化』(柴田元幸訳 文藝春秋社二〇一九年)で、すでに次のように述べている。
ことばが実体を失い、果てしなく記号化し、現世的な価値観優先主義で簡潔化、操作性を重視する近代にあって、わたしたちの生、自然の一部である命は、その内容を哲学的・宗教的に突き詰めたものとしての「意味」を失ってしまった、と。
この実体喪失の根が十六・十七世紀の科学革命にあり、その仕上げが資本主義と産業革命だった。
それ以前は、不思議な生命力を湛えた世界への畏怖と共感の中に人間の命は置かれているように感じられていた。
それを当時の人々が自覚していたかどうかに関わらず。
石牟礼道子が「かたった」ように、岩も木も川も雲もみな生き物として、人々をある種の安らぎのなかに包んでいた。前近代の宇宙は、何よりもまず帰属の場としてあった。人間は疎外された観察者ではなく、宇宙の一部として 宇宙のドラマに直接参加する存在だった。
バーマンはそれを「参加する意識」と呼んでいる。
彼にとって、問題の核心は人間の認識論のパラダイムである。時代を支配する科学主義優先の思い込みから、人間の認識が転換されない限り、人類に未来はないのだ。
科学的意識とは、自己を世界から疎外する意識である。 自然への参入ではなく、自然との分離に向かう意識である。
主体と客体とがつねに対立し自分が自分の経験の外側に 置かれる結果、まわりの世界から「私」が締め出される。
世界は「私の行為」とは無関係に成り立ち、「私」のことなど気にもかけずにめぐり続ける。
世界に帰属しているという感覚は消滅し、ストレスとフラストレーションの毎日が結果する、というバーマンの言葉の重要な部分を引く。
「問題は我々の日常生活に深く食い込んでいる。(略)今世紀初頭に一握りの知識人が囚われていた疎外感・無力感を、いまでは街を歩くふつうの人々がそれぞれに抱え 持っているようだ。感覚をマヒさせるばかりの仕事 薄っぺらな人間関係。茶番としか思えない政治。伝統的価値観 の崩壊によって生じた空虚のなかで、我々にあるものといえば、狂信的な信仰復興運動、統一教会への集団改宗、そして、ドラッグ、テレビ 精神安定剤によってすべてを忘れてしまおうとする姿勢である。あるいはまた、いまや国民的脅迫観念と化した、精神療法の泥沼の追求。何百万ものアメリカ人が、価値観の喪失と文化の崩壊を感じながら、自分の生を建て直そうともがいているのだ。」
さらに、とバーマンは続けて論述している。
ここには、消費主義体制に巻き込まれた心のパラドックがある、と。
自分自身に対して抱いている不安を、ものの所有によって埋めようとするがゆえの行動、すなわち、体制から受ける心の苦痛を和らげようとすることが──体制の心理的呪縛から自由になろうとするあがきが──体制を活気づけて しまうという閉塞状況のパラドックスの中にある現代を、わたしたちは生きているのだ、と。
そして精神の荒廃の根底にあるのは、宇宙や自然との一体感と、そこで充足できる自己との一体感、そんな全体性の喪失である、と。
まさにそれこそが、石牟礼道子文学の主題の背景と通底する問題である。宇宙、自然、自己という命、存在の一体感、つまり「全体性の喪失」という大問題である。
石牟礼道子が最後に選んだのが、なぜ俳句だったのか。
もう一度、石牟礼道子のことばを思い出しておこう。
俳句は死者たちと、そして死者たちのたましいと「道行き」をする私にとって、大いなる慰撫であった、ということばを。
自然や宇宙との一体感に不可欠なのが、死者の眼差しの内面化である。一体感の喪失は死の排除に起因している。
物言わぬ自然や宇宙と死者。
自分もその一部であると認識してはじめて内面化できる一体感。
近代文明の一部である近代文学は、死と共存する口誦的かたりの文体も喪失した。
ロジカルな個我と社会の軋轢などという、西洋的問題意識が文学的主題にとって替った。
重複するが、本稿本章、二の〈「かたり」についてー近代的な「作者」の死〉の項で述べたことを、再度、確認の意味で、ここで述べ直しておこう。
江戸の文化を濃厚に引きずる明治期、持て囃された西洋的な近代小説の手法に背を向け、前近代的「かたり」を死守した泉鏡花の作品を取り上げ、石牟礼文学はその流れに位置することを、すでに指摘したのでここではもう繰り返さない。
前近代の「ものかたり」の作者は、いわば共同幻想的な集合無意識的、非人称的な「かたり手」だったのである。
石牟礼道子の『苦海浄土』が文学として優れているのは、民びとの「かたり」に憑依し、そこで生きている人の命の真実の姿を「かたり」得ているからである。
それは近代的な「作者」がいる、近代小説の手法では表現が困難な世界である。
バルトが指摘する「作者の死」を乗り越えて、はじめて可能となる文学的地平であったといえるだろう。
石牟礼道子文学の創作者は石牟礼道子に他ならないのだが、その「かたり」のかたり主である「作者」ではない。
自然や宇宙との一体感を有する魂の蘇生のための文学において、近代的自我の「作者」は一端、葬られなければならない。
日本の非文字文化の中の、口誦的文化の中に豊穣に存在していたもの、文学が本当に、そこに言葉を与えるべく目指すことは、未だだれもそこに言葉を与えていないが、人間の血肉の中に埋め込まれている無自覚な「もの」「かたり」に言葉を与えて、顕在化してみせることではないか。
石牟礼道子の初期の短編小説、随想の書かれ方がまさしくそれであった。
メディアへの発表作品としては短歌から始まり、「水俣病」問題に向き合う過程で、自我と叙情的にこだわる短歌の限界を自覚し、『苦海浄土』に始まる小説を書く中で、自分が真に向き合うべき文学的主題である「死者」を発見し、然るべくして石牟礼道子は、最後に俳句という表現形式に辿り着いたのだ。
いや精神的には「帰還」したのだ。
だがそれは既存の伝統俳句や現代俳句を意味しない。あくまで彼女にとっての「俳句」だ。わたしたちも、自分自身にとっての「俳句」とは何かと模索しなければならない。
石牟礼道子にとって俳句とは、死者の魂に添寝して詠う「うた」であった。かつて日本国土に遍在した、自然と宇宙との一体感を有する、存在の手応えそのものを表現する、口誦文化の流れを自覚した、新しい創造的表現の地平。
石牟礼道子のこういう声が聞こえる。
今生きてある「価値」だけに囚われるのを止めて、もっと死者を自分の魂の中に住まわせ、その魂の奥底から立ち上がってくる旋律を「かたり」なさい、と。論理を述べたてるためにだけに声を使うのは止めなさい、と。書き言葉依存症という文明病から自由になりなさい、と。
月影や水底はむかし祭りにて
童んべの神々うたう水の声
これは通常の俳句表現を逸脱しているがゆえに、魂の深いところをゆさぶる肉声的な表現の「うた」ではないか。
本稿は、石牟礼道子のこのような文学精神世界への、わたしからのささやかなオマージュである。 ― 完
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