すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

過去も変えられない?!

2006-04-24 23:28:19 | ひとりごと

「他人と過去は変えられない」
の過去についてはどうだろう。
確かに、変えられない。
他人を変えること以上に、難しい、
というよりも、
過去は、物理的に絶対に変えられない。

ただ、過去起きたことの意味を、
変えることはできる。
見方を変えるというか、
善悪の基準をはずすと言うか。

それには、ひとつ重要なことがあるのだけれども。
「今」というキーワード。


小学生の頃鉄棒から落ちて両腕を骨折したこと。
親が望むとおりの高校に進学したこと。
高校でいじめにあったこと。
第一志望の大学に合格したこと。
初恋の人に告白したら即効拒否されたこと。
大恋愛の末に大好きな彼と結婚したこと。
一番大事だった友達と喧嘩わかれしたこと。
なりたかった職業に就けたこと。
交通事故をして片足が不自由になってしまったこと。
結婚式直前に婚約破棄されたこと。
失恋に苦しむ友達を励まして感謝されたこと。
死のうとして腕をリストカットしたこと。

たとえば、こんな過去の事実があったとする。
変えたくても、変えようがない。
消したくても、消しようがない。
自分の記憶からはなくなっても、
誰かが覚えているかもしれないし、
自分の無意識は覚えていて、
あるときひょっと立ち上がってきて、
その存在感をアピールするかもしれない。

経験したときは、
それぞれ、
嬉しい出来事であり、苦しい出来事だった。
楽しい出来事であり、悲しい出来事だった。

そして、
嬉しい、楽しい出来事は、良い出来事、
苦しい、悲しい出来事は、悪い出来事、
そんな風に思っていただろう。

でも、全部は、良くも悪くもなく、
ただ、
自分が起こした、
自分がおかれた環境や他の人との間で起きた、
そのときの、それなりの理由があって起きた、
過去の出来事にすぎない。
いろんな感情を味わい、
そこから次の世界へと自分を向かわせた出来事にすぎない。

ただ、今の自分が、
ここにいるために、
ここにこうして生きているために、
起きた出来事にすぎない。
ひとつでも欠けたら、
今の自分は、いなかったかもしれない、
そんな出来事たちなのだ。

ということは・・・、
今の自分が、
どこにいて、何をして、
どんな心のあり方をしているのか。
今の自分が、過去を定義することになる。
つまり、今の自分が変われば、
過去も変わるということになるのだ。

今、自分は幸せ。
そんな風にいえる人の過去の出来事は、
善でも悪でもなく、
ただ、
今の幸せを作るための材料だったということになる。