「他人と過去は変えられない」
の過去についてはどうだろう。
確かに、変えられない。
他人を変えること以上に、難しい、
というよりも、
過去は、物理的に絶対に変えられない。
ただ、過去起きたことの意味を、
変えることはできる。
見方を変えるというか、
善悪の基準をはずすと言うか。
それには、ひとつ重要なことがあるのだけれども。
「今」というキーワード。
小学生の頃鉄棒から落ちて両腕を骨折したこと。
親が望むとおりの高校に進学したこと。
高校でいじめにあったこと。
第一志望の大学に合格したこと。
初恋の人に告白したら即効拒否されたこと。
大恋愛の末に大好きな彼と結婚したこと。
一番大事だった友達と喧嘩わかれしたこと。
なりたかった職業に就けたこと。
交通事故をして片足が不自由になってしまったこと。
結婚式直前に婚約破棄されたこと。
失恋に苦しむ友達を励まして感謝されたこと。
死のうとして腕をリストカットしたこと。
たとえば、こんな過去の事実があったとする。
変えたくても、変えようがない。
消したくても、消しようがない。
自分の記憶からはなくなっても、
誰かが覚えているかもしれないし、
自分の無意識は覚えていて、
あるときひょっと立ち上がってきて、
その存在感をアピールするかもしれない。
経験したときは、
それぞれ、
嬉しい出来事であり、苦しい出来事だった。
楽しい出来事であり、悲しい出来事だった。
そして、
嬉しい、楽しい出来事は、良い出来事、
苦しい、悲しい出来事は、悪い出来事、
そんな風に思っていただろう。
でも、全部は、良くも悪くもなく、
ただ、
自分が起こした、
自分がおかれた環境や他の人との間で起きた、
そのときの、それなりの理由があって起きた、
過去の出来事にすぎない。
いろんな感情を味わい、
そこから次の世界へと自分を向かわせた出来事にすぎない。
ただ、今の自分が、
ここにいるために、
ここにこうして生きているために、
起きた出来事にすぎない。
ひとつでも欠けたら、
今の自分は、いなかったかもしれない、
そんな出来事たちなのだ。
ということは・・・、
今の自分が、
どこにいて、何をして、
どんな心のあり方をしているのか。
今の自分が、過去を定義することになる。
つまり、今の自分が変われば、
過去も変わるということになるのだ。
今、自分は幸せ。
そんな風にいえる人の過去の出来事は、
善でも悪でもなく、
ただ、
今の幸せを作るための材料だったということになる。