すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

自分も大事にする

2006-04-26 23:24:44 | ひとりごと

自分を大事にするのが下手な人がいる。
いやなことはすべて自分が引き受けたり、
常に与える側、我慢する側に回ったり。
自分は、常に後回し、後回しの人。

まるで、
他人が幸せになるためには、
自分が不幸でないとならないと思っているみたいだ。
他人が不幸である限り、
自分は幸せになってはいけないと思っているみたいだ。

確かに、
「自分を抑えて他人を優先させる」
みたいなことって、
学校や家庭で教えられた。
ことあるごとに、
大人たちから教えられた。

美徳ではある。
それが大切な場合もあるだろう。
でも、自分を後回しすることが、
周囲にとって必ずしもいいことではなかったりもする。

じゃんけんをして何かの当番を決めるとき、
勝負を降りて、
わざわざ自分がやるって言わなくたって良い。
そこにいるみんなが、
等分の責任を負うことも
みんなの成長にとって必要なことだ。

他人も大切にする、
でもその前か後か、
同じくらいの割合で自分も大切にする。
それって当たり前のこと。

自然、地球、友だち、家族、恋人、仕事、ふるさと、
自分にとってかけがえのないものたち。
自分にかかわるすべてのものを大事にしようって決めるのなら、
自分自身を除外するのはおかしい。
むしろ、自分もその中に積極的に入れるべきなのだ。

自分を大事にするから、
それ以外のことも大事にできる。
自分の面倒をちゃんと見てあげられるから、
それ以外の面倒もちゃんと見てあげられる。

自分が後回しの時があってもいいし、
自分が一番の時があっても良い。
とにかく、
大事なものにちゃんと自分も入れるんだ。
自分のことも、
自分が大事にしているものと同じように、
時には、
それ以上に大事にしていい。



どんな人も、世界に影響を与えている

2006-04-26 00:25:50 | ひとりごと

この世で何も成し遂げていない。
何も生み出していない。
誰にも影響を与えていない。
だから、自分はいてもいなくても同じ。
この世界にとって、この宇宙にとって、
いてもいなくても、大して変わらない存在。
むしろ、迷惑ばかりかける、
やっかいでお荷物な存在。

人生のなかで何度か、
そんな風にため息をつきたくなることはある。
常に、そう思っている人もいるかもしれない。
わたしも、以前はそうだった。
非生産的な自分が恨めしかった。
いろんなことを成し遂げ、生み出し、
多くの人に影響を与えている人が眩しかった。
でも、それは一つの見方にすぎないのでは、
と思うようになった。

人間は、ただ存在しているだけで、
世界にたいして、宇宙にたいして、
ものすごいことをしてしまっている。
意図しなくても、意識しなくても、
ただいるだけで、
ものすごい影響を与えてしまっている。
いや、気休めじゃなくて。
実際に、そうなのだと思う。

成し遂げたこと、
生み出したもの、
影響を与えたこと、
は、目に見える部分に過ぎない。
人間の心の意識と無意識の関係と同じで、
人が人に与えうる影響というのは、
実際は、目に見える部分よりも見えない部分のほうが、
はるかに広大で、深遠だったりするのだ。

例えばの話。
中学に入学したわたし。クラスは3組。
もし、わたしが存在しなかったら、
3組には別の人が入っていた。
その人を、仮にAさんとする。
わたしがいた場合には2組だったAさんが、
わたしがいないために3組に入れられる。
となると、Aさんのいない2組には、
また別の人が入ることになる。

こんなふうに、わたしがいるいないとで、
同じ学年のあらゆる人に際限なく影響が及ぶ。

Aさんの未来の人生も、
3組と2組とでは大きく変わるかもしれない。
わたしがいて2組ですごしおかげで、
Aさんは、
担任の先生にあこがれて教師を目指したかもしれない。
将来の奥さんになる人との出会いがあるのかもしれない。
友だちとけんかをして不登校になるかもしれない。
体育の授業で大怪我をするかもしれない。
そして、そうした出来事が、
AさんとAさんにつながる人たち、
またその人たちからつながる別の人たちに、
水の波紋のように影響を与えていく。

もちろん、それはわたしがしたことによる結果ではない。
わたしが意図したことによる結果ではない。
ただ、わたしが存在するという、
それだけで生まれ得た結果だ。
わたしの存在が、結果の直接要因ではないにしても、
不可欠な要素であったことはまちがいない。

わたしが誰かに「ありがとう」と言葉を掛けること、
わたしがお店で一点もののセーターを買うこと、
わたしが通勤の電車にのること、
わたしが大学の受験に失敗したこと、
わたしが第一志望の会社に就職したこと、
それらのすべては、
そのこと自体は取るに足りないことでも、
知らないところでいろいろな人々に、
大きな影響を及ぼしているのかもしれない。

そして、
日本の選手がオリンピックで金メタルを取ったことに、
わたしの存在が絶対に関係していないとは言い切れない。
多くの人が亡くなった列車事故の大惨事に、
私の存在が絶対に関係していないとは言い切れない。

濃くも薄くも、
人と人がつながっている限り、
自分がいるという、そのことが、
誰かの幸せにも不幸にも関わっている可能性がある。

だから、生きているだけですごい、
というのは、
大げさでもなんでもなくて、
本当のことだったりするのだ。
そして、一つ確かなのは、
わたしがいることが前提として世界が、宇宙が、
今動いているということ。
まずは、そのことを大事にしなくてはいけない。

その上で、
何かを成し遂げること、
何かを生み出すこと、
人に影響を与えることがしたいのなら、
好きなだけすればいい。
そういうことなのかもしれない。