前回に続き、心屋さんのメソッドについてです。
心屋さんのメソッドに触れて、痛感するのは、心屋さんのメソッドの強み、多くの悩める人をその気にさせたり、行動へと駆り立てるのは、
表現のオリジナリティ
と
言葉のシンプルさ
の2つだなぁ、と。
言ってることは心理メソッドの王道でも、独特の言い回しはオリジナリティそのもの、そこでまず興味を惹かれます。で、シンプルだからわかりやすくて、実践しやすいんですね。
逆をやる。
これも、あまりに斬新。つべこべ考えずにやってみて、という強引さがあります。人間関係でドツボにはまる人は、まさにつべこべ考える傾向があるので、紋切り型の言い回しそのものが治療的です。
これ、
今までとは違う思考を選択する
対極のパーソナリティーを自分に組み込む
なんて言い方もできますが、これだと頭で理解してそれだけで終わりそうです。お勉強的な感じで、行動を促すインパクトがない。魂まで落ちない感じです。
逆をやる。
タブーに挑む。パターンを崩す。
という表現もあります。
わかりやすいです。頭で色々考えなくても、自分にとって、偏りのあった行動の逆にやればいいのだから、やろうとする勇気と決心さえあれば簡単。
その集積が、一つのあり方に凝り固まっていた自分に、違うあり方を添えてくれます。
私の場合は、
本心からではなく、義務やべき思考でやってたものは、とにかく逆をやる。
バランス悪いな、予定調和でやってたな、と思うものは、逆をやる。
と決めました。
例えば、
メールをすぐに返信してたのをやめて
すぐには返信しない。
仕事は全部引き受けていたのをやめて
やりたくないものは断る。
人を褒めることばかりしていたので
時には褒めないこともする。
子どもを心配してばかりだったので
大丈夫と思ってみる。
ランチのお店はいつもお任せだったので
私が選ぶ。しかも独断で。
苦手な人にも愛想よくしていたのをやめて、避けてみる。
一つひとつは小さい出来事なんですが、もちろん実践するにはそれぞれ勇気と決心が要ります。なにせ、これまでの自分の行動パターンとは違うものですから。
最初は、力んで、恐る恐るやります。それが、だんだん慣れてきます。そして、いつしか、べき思考に縛られず、ゆるんでいく自分、自由さを感じます。
例えば、メールの返信。翌日にメールを返すのも、最初はソワソワします。でも、エイヤとやってみると大したことない。別に何も起こらない。
そのうち、自分の遅いメール返信をイライラされてどうしよう、という焦りが減ります。さらに他人の遅すぎるメール返信も気にならなくなります。
不思議な境地。こんな世界があったのかーという心境。
やがて、逆ばかりやらなくなる。どっちもあり、どっちでもいい、になります。返信を早く返してもOK。遅く返してもOK。相手に対してももちろん同じ。
自分の中の選択肢が増えることで、自分が広くなる感じ、大きくなる感じがします。
あっ、そっか。懐の深い人というのは、OKの範囲が、自分にも相手にも大きい人なんですね。
逆をやっても、不都合が起きない。それが、実は一番の驚きでした。自分がそれをしたら大変なことになる、他人に迷惑がかかる、と異様に怖れていたことが、実際にはそうでもない。むしろ、自分がゆるんだことで相手もゆるんでくれる。そんな実感があります。
さて、心屋さんについて「無資格」とか「心理療法じゃない」とか言う人もいますし、ご本人もそれを自認する発言をされています。
個人的には、自分も含めて効果を実感する人が大勢いることが全てを物語っていると思います。無資格だから信用できない、という人の気持ちもわからなくない。ただ、もったいないなぁ、そのこだわりがいろいろな可能性を潰すのになぁという老婆心が湧いてきます。
心屋さんのメソッドは、結局はアカデミックな心理学とも通底しています。心屋さんの勉強量は並じゃないです、ホント。
河合隼雄氏の「影の現象学」を読むと、なるほどユングと心屋メソッドは似てる、とも思いますし、
私の好きな精神科医、斎藤学先生のツイートを見ていても、かなり共通点が多い。
(ユングや斎藤先生はアカデミックでない、という人もいるかもしれませんが(^_^;))
心屋さんは、非常に頭のいい人で、一つ聞いて十理解できた人で、短い時間で王道の心理学を習得し、さらに自分のオリジナルなメソッドを築き上げた、ただそういうことなんだと思います。
だから、アカデミック心理学を信奉する人も心屋メソッドを侮るなかれ、と思うのです。
そう、なんでも、
まず、やってみる。
です。基本は。(*^_^*)

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心屋さんのメソッドに触れて、痛感するのは、心屋さんのメソッドの強み、多くの悩める人をその気にさせたり、行動へと駆り立てるのは、
表現のオリジナリティ
と
言葉のシンプルさ
の2つだなぁ、と。
言ってることは心理メソッドの王道でも、独特の言い回しはオリジナリティそのもの、そこでまず興味を惹かれます。で、シンプルだからわかりやすくて、実践しやすいんですね。
逆をやる。
これも、あまりに斬新。つべこべ考えずにやってみて、という強引さがあります。人間関係でドツボにはまる人は、まさにつべこべ考える傾向があるので、紋切り型の言い回しそのものが治療的です。
これ、
今までとは違う思考を選択する
対極のパーソナリティーを自分に組み込む
なんて言い方もできますが、これだと頭で理解してそれだけで終わりそうです。お勉強的な感じで、行動を促すインパクトがない。魂まで落ちない感じです。
逆をやる。
タブーに挑む。パターンを崩す。
という表現もあります。
わかりやすいです。頭で色々考えなくても、自分にとって、偏りのあった行動の逆にやればいいのだから、やろうとする勇気と決心さえあれば簡単。
その集積が、一つのあり方に凝り固まっていた自分に、違うあり方を添えてくれます。
私の場合は、
本心からではなく、義務やべき思考でやってたものは、とにかく逆をやる。
バランス悪いな、予定調和でやってたな、と思うものは、逆をやる。
と決めました。
例えば、
メールをすぐに返信してたのをやめて
すぐには返信しない。
仕事は全部引き受けていたのをやめて
やりたくないものは断る。
人を褒めることばかりしていたので
時には褒めないこともする。
子どもを心配してばかりだったので
大丈夫と思ってみる。
ランチのお店はいつもお任せだったので
私が選ぶ。しかも独断で。
苦手な人にも愛想よくしていたのをやめて、避けてみる。
一つひとつは小さい出来事なんですが、もちろん実践するにはそれぞれ勇気と決心が要ります。なにせ、これまでの自分の行動パターンとは違うものですから。
最初は、力んで、恐る恐るやります。それが、だんだん慣れてきます。そして、いつしか、べき思考に縛られず、ゆるんでいく自分、自由さを感じます。
例えば、メールの返信。翌日にメールを返すのも、最初はソワソワします。でも、エイヤとやってみると大したことない。別に何も起こらない。
そのうち、自分の遅いメール返信をイライラされてどうしよう、という焦りが減ります。さらに他人の遅すぎるメール返信も気にならなくなります。
不思議な境地。こんな世界があったのかーという心境。
やがて、逆ばかりやらなくなる。どっちもあり、どっちでもいい、になります。返信を早く返してもOK。遅く返してもOK。相手に対してももちろん同じ。
自分の中の選択肢が増えることで、自分が広くなる感じ、大きくなる感じがします。
あっ、そっか。懐の深い人というのは、OKの範囲が、自分にも相手にも大きい人なんですね。
逆をやっても、不都合が起きない。それが、実は一番の驚きでした。自分がそれをしたら大変なことになる、他人に迷惑がかかる、と異様に怖れていたことが、実際にはそうでもない。むしろ、自分がゆるんだことで相手もゆるんでくれる。そんな実感があります。
さて、心屋さんについて「無資格」とか「心理療法じゃない」とか言う人もいますし、ご本人もそれを自認する発言をされています。
個人的には、自分も含めて効果を実感する人が大勢いることが全てを物語っていると思います。無資格だから信用できない、という人の気持ちもわからなくない。ただ、もったいないなぁ、そのこだわりがいろいろな可能性を潰すのになぁという老婆心が湧いてきます。
心屋さんのメソッドは、結局はアカデミックな心理学とも通底しています。心屋さんの勉強量は並じゃないです、ホント。
河合隼雄氏の「影の現象学」を読むと、なるほどユングと心屋メソッドは似てる、とも思いますし、
私の好きな精神科医、斎藤学先生のツイートを見ていても、かなり共通点が多い。
(ユングや斎藤先生はアカデミックでない、という人もいるかもしれませんが(^_^;))
心屋さんは、非常に頭のいい人で、一つ聞いて十理解できた人で、短い時間で王道の心理学を習得し、さらに自分のオリジナルなメソッドを築き上げた、ただそういうことなんだと思います。
だから、アカデミック心理学を信奉する人も心屋メソッドを侮るなかれ、と思うのです。
そう、なんでも、
まず、やってみる。
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