今回ご紹介する軍歌は、雑誌『蒙古』の昭和15年8月号に掲載されていた、おそらく内蒙古軍の軍歌と思われるものです。作詞者・作曲者共に不明。
もしかしたら原語はモンゴル語かもしれませんが、詳しいことは判りません。本当に題と歌詞しか載っていなかったので…。
蒙古軍歌
1、偲べ 我がモンゴルの同胞よ
過ぎにし年の吾等の日
恨みなるかな 長夜の眠り
安易を求め 難を忌み
進み行く世に 背きたる
六百余年の 衰亡史
西に東に 我が故地は
他国のごと 道を閉ぢ
南に北に 同胞は
仇人のごと いそしまず
赤魔はすでに 北を侵し
南隣もまた 義に叛く
モンゴル族の 命運は
げに累卵の 危機にあり
慷慨時事の 非を歎く
孤高の志士の 影寒き
此の秋にして 日本の
起義の戦 地は満洲
興安の同胞 雲を得て
二万の鉄騎 競い集ふ
内蒙自治の 月光旗
モンゴル族に 生気湧く
苦闘半歳 春巡り
五族協和の 仁光は
鉄騎の群に 降り注ぎ
興安建軍 ここに成る
2、奮へ 我がモンゴルの同胞よ
今日の君等の姿見よ
善隣の誼を 毀ひて
赤魔白禍は 民四億
塗炭の苦に泣く大陸に
再び閃く 布義の剣
永久の平和を築かむと
征師再び 海渡り
満洲起義の 思ひ出を
越えて六年 秋来る
壮勇一萬 月光旗
故地ホホコトを復すれば
西包頭も 定まりて
鞍上の将 意気昂る
復興基地に 駒進め
道尚ほ遠き 今にして
綾衣の佳人 街に充ち
錦衣の驕兒 出でんとす
見ずや外蒙 新疆の
同胞のみかはその昔
汗の幕下に 睦みたる
同紇の族 皆ともに
赤魔の笞の 下に伏し
安き日もなき明け暮れを
東の光を 一と筋の
憬れとして 忍びあり
2番の歌詞に出てくる「包頭」は1937年10月17日に日本軍によって占領され、後に他2つの自治政府と共に蒙古聯合自治政府を作ることになる蒙古聯盟自治政府が設立されるきっかけとなった都市です。このことから考えても、これは満洲国内の興安軍などのために作られた軍歌ではなく、内蒙古軍向けに作られた軍歌だと言えるでしょう。
内蒙古軍の写真。よく分かりませんが、ここに写っている旗が多分「月光旗」なんじゃないかなあ、と。
もしかしたら原語はモンゴル語かもしれませんが、詳しいことは判りません。本当に題と歌詞しか載っていなかったので…。
蒙古軍歌
1、偲べ 我がモンゴルの同胞よ
過ぎにし年の吾等の日
恨みなるかな 長夜の眠り
安易を求め 難を忌み
進み行く世に 背きたる
六百余年の 衰亡史
西に東に 我が故地は
他国のごと 道を閉ぢ
南に北に 同胞は
仇人のごと いそしまず
赤魔はすでに 北を侵し
南隣もまた 義に叛く
モンゴル族の 命運は
げに累卵の 危機にあり
慷慨時事の 非を歎く
孤高の志士の 影寒き
此の秋にして 日本の
起義の戦 地は満洲
興安の同胞 雲を得て
二万の鉄騎 競い集ふ
内蒙自治の 月光旗
モンゴル族に 生気湧く
苦闘半歳 春巡り
五族協和の 仁光は
鉄騎の群に 降り注ぎ
興安建軍 ここに成る
2、奮へ 我がモンゴルの同胞よ
今日の君等の姿見よ
善隣の誼を 毀ひて
赤魔白禍は 民四億
塗炭の苦に泣く大陸に
再び閃く 布義の剣
永久の平和を築かむと
征師再び 海渡り
満洲起義の 思ひ出を
越えて六年 秋来る
壮勇一萬 月光旗
故地ホホコトを復すれば
西包頭も 定まりて
鞍上の将 意気昂る
復興基地に 駒進め
道尚ほ遠き 今にして
綾衣の佳人 街に充ち
錦衣の驕兒 出でんとす
見ずや外蒙 新疆の
同胞のみかはその昔
汗の幕下に 睦みたる
同紇の族 皆ともに
赤魔の笞の 下に伏し
安き日もなき明け暮れを
東の光を 一と筋の
憬れとして 忍びあり
2番の歌詞に出てくる「包頭」は1937年10月17日に日本軍によって占領され、後に他2つの自治政府と共に蒙古聯合自治政府を作ることになる蒙古聯盟自治政府が設立されるきっかけとなった都市です。このことから考えても、これは満洲国内の興安軍などのために作られた軍歌ではなく、内蒙古軍向けに作られた軍歌だと言えるでしょう。
内蒙古軍の写真。よく分かりませんが、ここに写っている旗が多分「月光旗」なんじゃないかなあ、と。
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