鮎川玲治の閑話休題。

趣味人と書いてオタクと読む鮎川が自分の好きな歴史や軍事やサブカルチャーなどに関してあれこれ下らない事を書き綴ります。

スマートフォン…のような何か。

2010-12-26 23:39:07 | 日記
 

クリスマスということで、父にこんなものを貰いました。
どう見てもスマートフォンですが、通話機能はありません。超パチもんです。
ついている機能はMP3プレーヤー(何故か曲の始めと終わりがフェードになる)、動画再生(試したところMP4が再生可能)、電子ブック(単にメモリに移したtxtファイルが表示されるだけ)、写真撮影、動画撮影など。
ゲーム機能や謎のタッチパネル機能もついてますが、そっちは放置してます。

4000円弱と安価な割にはなかなかどうしてそれなりの性能ですが、パチもんなのでやっぱり微妙なところはあります。
タッチパネルの認識が弱かったり、曲を変えようとしたらいきなり音量がマックスになったり(笑)。

産経抄がまたなんか言ってる。

2010-12-25 23:44:05 | 日記
今日は12月25日。乃木大将、お誕生日おめでとうございます。
え? 聖☆おにいさんのロン毛の方? 知らんなあ。

まあ一般的にはクリスマスな訳ですが、そんなイエスさんの誕生日にかこつけて産経新聞の一面コラム「産経抄」がみょうちくりんな事を書いています。

 昨日の1面で曽野綾子さんが書いていたように、12月25日のキリストの誕生日には異論が多い。聖書によれば、近くで野宿していた羊飼いたちが真っ先に天使からその知らせを聞いたという。だが12月のベツレヘム辺りは寒くて野宿などできない、というのも一例だ。

 ▼曽野さんに言わせればそんなことはどうでもいい。生誕の背景に思いを寄せることの方がずっと大切なのだ。実際、世界中のキリスト教徒たちはその誕生日が正確にいつなのかにかかわりなく、2千年間、キリストへの信仰を守ってきたのである。

  ▼そのことで思い出したのが日本の天皇陵の治定(じじょう)の問題だ。奈良県明日香村の牽牛子(けんごし)塚古墳の発掘調査で、37代斉明天皇のお墓であることが確実になった。宮内庁が定める斉明天皇陵は別の場所にあり、調査結果に従い変更すべきだとの声が強まっている。

 ▼しかし古代の天皇陵に疑問が残る例はいくらでもある。例えば奈良時代の47代淳仁天皇陵は淡路島にある大きな古墳状の小山がそれとされる。先代天皇や天皇の座を狙ったという僧・道鏡との確執からこの島に流され、自死もしくは暗殺されたといわれる天皇だ。

 ▼奈良期に大きな古墳が造られることはほとんどないから、この治定は間違いと指摘する学者は多い。島にはほかにも、本当のお墓ではないかという場所があるという。だがそのこととは関係なく、地元の人々のこの「悲運の天皇」への崇敬の念は厚い。

 ▼冬になると「天皇さま寒かろう」と、埋葬地とされる神社に菰(こも)をささげる風習もあるそうだ。歴史を科学的に解明することは大切である。しかしそればかり強調して、素朴な信仰心や敬慕の念まで失わせては、元も子もなくなる。


…という感じで、どうも強引に天皇陵治定の問題に絡ませたような感じに。
大体、明らかに違うものを強引に「こっちが天皇陵なんだ!」といい続けるのはどう考えてもおかしいでしょう。「陵」に埋葬されてる人にも斉明天皇にも失礼な話ですよ。
それから後半の方で淳仁天皇陵と地元の人々との心温まる話を描いてますけど、この話、実は重大な落とし穴があるんですよ。

一度でも天皇陵へ参陵したことのある人なら分かると思うんですけど、天皇陵に治定されてる場所って周りに柵が廻らしてあって中に入れないんですよ。
じゃあどうやって「天皇さま寒かろう」と菰を捧げるのか?
答えは単純。地元の人々が菰を捧げているのは、宮内庁による治定とは別の場所だからです。

淡路島には、淳仁天皇をお祀りした「大炊神社」という神社があります。そしてこの神社の拝殿に隣接した「天皇塚」こそが、この文中に出てくる「埋葬地とされる神社」。治定された天皇陵でもなければ陵墓参考地に指定されているわけでもない、言ってしまえばただの塚です。
この場所に対する「崇敬の念」は、純粋に地元の伝承によっている訳です。それは多分単に天皇陵の治定が変わったからといって変わるような類のものではないと思います。

毎回同じようなことを言ってますが、伝統を守るのと単なる守旧は別です。
産経新聞はもっとほかにやるべき事がたくさんあるでしょう。そっちをがんばってくださいよ。

メリーバースデー。

2010-12-24 23:09:22 | 日記
 

問・本日、十二月二十四日は何の日か?

答・(1)一般的な人…「クリスマスイブでしょ?」
  (2)駄目な人(含む鮎川)…「サー! WWⅡのイタリア空軍エース、フランコ・ルッキーニ大尉のお誕生日であります! サー!」

という訳で、本日鮎川はルッキーニ大尉のお誕生日を祝してシャンメリー飲んでケーキ食ってますが何か?
べ、別にクリスマスイブだから浮かれてるってわけじゃないんだからねっ!(オチツケ

ちなみに上の画像は祝宴(笑)の様子です。
中央で主賓になってるのはストライクウィッチーズのフランチェスカ・ルッキーニ。さっきのイタリア空軍のエースパイロットがモデルになったキャラで、当然誕生日も同じです。
ま、それでも鮎川が祝ってるのはフランコさんの方なんですが。そこは最後の矜持ですから(笑)

産経新聞の社説に疑問。

2010-12-23 22:44:04 | 日記
慶祝・天皇誕生日。今日で今上陛下は77歳、喜寿を迎えられました。おめでたいですな。

ところで、鮎川の家は読売新聞を購読契約しているのですが、それとは別に個人で産経新聞を駅のキオスクで買って読んでいます。何で産経なのかといえば、真っ当な新聞の中で一部100円と一番安いからです。
で、今日も大宮の講習会に行く前に買って電車の中で読んでいたのですが、その時にちょっと気になったのが社説「主張」の下段。「天皇陵の治定 科学だけで割り切れない」という記事です。
この間の発掘調査で被葬者が斉明天皇ではないかと話題になっている牽牛子塚古墳に関する社説なのですが、どうも気になる論理展開。
――牽牛子塚古墳が斉明天皇の陵墓ではないかという調査結果を受けて、天皇陵の治定を見直してはどうか、という論調がメディアで目立つようになってきた。現在の治定は江戸期から明治期に行われたもので、当然科学的検証は不十分である。現在治定されている天皇陵のほとんどは違うものである、という説もある。

ここまでは良いです。問題なのは次の文です。

「ではあっても、100年以上にわたって大切に守られ、陵前での祭祀も続けられてきた。こうした伝統を現今の「学術的成果」だけで否定し、安易に治定変更していいものだろうか。」(原文ママ、前後の鍵括弧は引用者)

伝統ときたか!(笑)
そりゃまあ、これまでは確かに現在治定されている「陵墓」で祭祀を行ってきたのでしょう。でもそれは、治定された当時の「学術的成果」でそこが陵墓だとされたからそこで祭祀を行ってきたのでしょうに。
何も神話時代の陵墓に治定されているものを見直せとは言いません。しかし少なくとも現時点での「学術的調査」で陵墓の可能性があるところを参考地的なものに指定するくらいはしてもいいのでは?
重要なのは「誰のための祭祀か」ということだと鮎川は思うんですけどね。何でもかんでも「伝統」にすりゃあ良いってもんじゃありませんよ。

「大摑源氏物語 まろ、ん?」を読む。

2010-12-22 23:07:44 | 書籍
 

本日は鮎川の通う高校の二学期終業式でした。その後文芸部での作品発表に参加した後、ブックオフに立ち寄りました。
そこで購入した本のうち、一冊が写真のこれ。「大摑源氏物語 まろ、ん?」です。作者は「ブッタとシッタカブッタ」で有名な小泉吉宏氏。
実はこれ、私が二年の時に当時の古文担当の先生が、「源氏」の「桐壺」を授業でやったときに参考資料としてプリントにして配ってくれた本なんですね。見つけたときは「おっ、これは」と思いまして即購入。
内容としては「源氏」の五十四帖を各巻見開き8コマの漫画にしてダイジェストで紹介するという形式です。
その他、補足事項としての注釈、人物紹介、人物関係図、漫画に入りきらなかったエピソードの紹介など。ちょっと面白いのは「ブッタとシッタカブッタ」の作者らしくところどころに妙に教訓めいた文章が載せられていること。
例えば第二巻「輝日宮」では「初恋は、自分も周りも見えなくなることが多い。」という文章が。これは光源氏(この作中では「まろ」)が、父帝の後添いである藤壺女御にのぼせ上がって手を出してしまった事に対するコメントとなっています。ちなみにこの頃の光源氏の年齢は13歳から16歳、つまり大体中学生程度。
ま、元々当時は十二歳ぐらいで元服(=成人)でしたからアレですが、まあこの位の年頃になると一通りの事はやれる訳でして。色々な意味で(笑)。

一般的に光源氏はやれロリコンだのマザコンだのバイだのと結構散々なことを言われています。
あ、光源氏=バイ疑惑というのはですね。第四巻「空蝉」の中に、この巻のヒロイン?である空蝉の弟である「小君」に対して「いとらうたしと思す。手さぐりの、細く小さきほど…この子は、いといとほしくさうざうしと思ふ」という文章があるわけなんですが、この部分に関して、国文学者の田中貴子氏が「80%、ヤっていると解していい」(「セクシィ古文!」メディアファクトリー刊より)と言っているんです。
閑話休題。これまでそんな風評被害とも言うべき評判を受けてきた光源氏ですが、この本を読めばそんな噂がことごとく嘘だと…言えないwww
いやだって、既に二巻目の段階で藤壺との不義密通ですよ? 第三巻「帚木」の雨夜の品定めのシーンで藤壺を理想の女性と再認識ですよ? んでもって第五巻の「若紫」で理想の女性に育てるために幼女誘拐(マテ
さすがにその時点では手を出していないにしろ、第九巻の「葵」で新枕(=初夜)。その後いろいろあって明石・須磨へ行っていた源氏が十三巻「明石」で紫と再会した時のコマに「二年半ぶりに会った紫は美しく成人していた」とあるので「じゃあ新枕当時の紫はまだ未成年かよ?」とか邪推をせざるを得ないとか、ほかにも色々と庇えない言動が多々ありますな。極めつけは第八巻「花宴」の四コマ目の台詞。

「お静かに わたしは何をしても許されている身です」

何だとこの野郎www
いやー、教科書会社は是非こういうアホな部分を採用するべきですよ。絶対その方が学生は食いつくから。