調査の目的
- 義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から、全国的な児童生徒の学力や学習状況を把握・分析し、教育施策の成果と課題を検証し、その改善を図る。
- そのような取組を通じて、教育に関する継続的な検証改善サイクルを確立する。
- 学校における児童生徒への教育指導の充実や学習状況の改善等に役立てる。
25年度 対象学年の全児童生徒を対象とした本体調査により、すべての市町村・学校等の状況を把握するとともに、1. 経年変化分析、2. 経済的な面も含めた家庭状況と学力等の状況の把握・分析、3. 少人数学級等の教育施策の検証・改善に資する追加調査等を新たに実施。 (文部科学省HPより)
具体的方法を提言した文部科学省の専門家検討会議の報告書をみると、(1)義務教育の機会均等や一定以上の教育水準が確保されているかを把握し、教育の成果と課題などの結果を検証する (2)教育委員会及び学校が広い視野で教育指導等の改善を図る機会を提供することなどにより、一定以上の教育水準を確保する となっています。 (Benesse教育情報サイトより)
なぜ順位をつけ、なぜそれを公表するのでしょう。
静岡県知事は成績の悪かった100校の校長名を公表すると言ってるし、
わが岡山県知事は順位を10位以内にせよ、と言っている。
学力テストは子どもの成績を通して、学校の成績をつけるためのもののようです。
でも学校の成績を通して、自県の教育行政を見直そうというつもりはないのでしょうか。
知事は「やれ~」と号令をかけ、成績の悪い者を見せしめにすれば、
教育がよくなると考えているのでしょうか。
(静岡県の教師一人あたりの児童数は全国で一番多く、
子ども一人あたりの教育予算は全国ワースト1位だそうです。)
教育を一人ひとりの子どもの幸せのため、と考えるのではなく
社会の発展のため(県のため、国のため)と考えるところにズレがあるのだと思います。
知事は"県のため(県知事である自分のため)"になってないだろうか?
子どもの顔が見えているだろうか?
子どもが笑顔になるためには、まわりの大人、学校が笑顔でなければ・・・。
校長をさらし者にして、学校を締め上げて、そこに笑顔が生まれるだろうか。
見せしめにされた校長は、次は“自分のため”に教育をするようにならないだろうか。
子どもをよくしたいなら、その周りにいる大人をよくすること。生きやすい社会をつくることだ。
学力テストではかれる能力だけが、人間の生きる能力の全てではない。
「~でなければいけない」という考え方が、思考力を低下させる原因にもなっているのだと思う。
教育予算を増やし、教育環境をよくし、個人の自由を認め、多様性を大切にした真の教育を進めることが、県の教育行政のトップである知事の仕事なのではないかと思います。
(学力テストは、それぞれの立場でそれぞれが改善するための材料であって、違う立場にたいして何 かを強要強制、まして見せしめにするものではないと思う。)
学校は子どものためにある。子どもの幸せのためにあるのです。
子どもは社会のために生きているのではない。
子どもはただ子ども自身のために生きているのです。
一人ひとりが幸せになることで、その結果よりよい社会がうまれる。
大事なのは、ひとりひとり。
順位をつけることには意味がない。必ずどこかの県が最下位にはなる。
どうしてもつけたいなら上位3位くらいにしておけばいい。
ちょっと思った・・・
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