この辺は台風一過のいいお天気ですが、
山陰や紀伊半島など床上浸水とか土砂崩れとか大変なことになってるようです。
1日でも早く回復できますようお祈りします。
(軍事費や海外援助に大金出せるなら、先に国内の困ってる人たちをしっかり援助し、
ボロボロになった家や道路などドンドン直してくださいな)
久しぶりに読書記録
宗教とは神を信じること。神とは唯一無二の絶対の真理のことで、その存在を信じることが宗教。
とすれば、お釈迦様の仏教は宗教ではありません。
お釈迦様は(絶対的な)神を否定しています。
この世に真理や絶対、いわゆるアプリオリは存在しない。
「この世界は単体で存在しているものはなにもなく、すべては関係性によって存在している」
「存在とは関係性のことである」と、絶対性を否定した。
つまり、「縁起」です。
釈迦の仏教は、人間が自らを高めるための哲学。
悟ることはイコール人間完成ではない。スタート。
悟りを知って、初めて人生は始まる。
では、悟りとはなにか?
それは「この世は幻である」と理解すること。
物体X これは存在があやふやであり、幻である。
物体Xは机、食卓、イス、、、と認識の違いによって何にでもなる。
つまり、この世の存在はすべて情報次第でいくらでも変わってしまうということ。
机を机たらしめているのは、私たちがそう見ているから。
共通認識によってコロコロ変わってしまう。
映画「マトリックス」を観れば、理解しやすい。
この世の苦しみもすべて幻。
苦しみを楽しみに変えてしまうことも簡単。
楽しくなるように情報を書き換えればいいだけ。
しかし、理解だけでなく、実感も必要。
そのためには瞑想が必要。
[馬鹿の語源]
秦の高官だった趙高は官中に「珍しい馬がいました」と言って鹿を連れてくる。
趙高に操られていた二代目皇帝が「これは鹿ではないか?」と尋ねると、趙高は、
「いえ、馬です」と答え、周りにいた諸侯に「そうですよね?」と
同意を求めるように睨めつけた。
趙高を恐れる諸侯の多くは「馬です」と答え、「いえ、鹿です」と答えた高官は後日、
趙高に粛清されてしまう。
馬か鹿か、机かイスか、、
現実世界は私たちが思っている以上に情報によって成り立っている。
これが、「この世は幻である」ということ。
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