病気の世の中で、健やかに楽しく生きよう
病気に悩む人々の中で、
健康な人間として生きてゆこう。(198)
>人間を含めたすべての生命は病気だということです。仏教で病気という場合は、精神的な病のことであって肉体の病はあまり気にしません。
>精神的な病気とは具体的に何かと言えば、まず第一が「欲」です。・・・第二に「怒り」があります。・・・第三にどうしようもない無知があります。この三つを仏教では「貪瞋痴」(とんじんち)と言っています。
>たとえば仏教徒の立場から私が、「欲はいけない」と言っても、たちまち「そんなことを言われても困る」と反論されます。「怒ってはいけない」と諭しても、「悪いやつがいるのだから、怒らなかったらもっと調子に乗って大変なことになる」ともっともらしい反論が飛んできます。そこからわかることは、世の中には欲を満たす、怒りをぶつける、という道しかなくて、他の考えは出てこないということです。貪瞋痴の方向にしか頭が働かない。そういう人々を仏教では、「精神の重病で倒れて寝込んでいる人々」と言うのです。
それならば、がんばって立ち直りましょう、健康的になりましょうと言うのが正しい対応ではないでしょうか。
>精神的に弱くて独立心がない人々は、社会にも歴史にもなんら貢献できない。一つの生き方に固執しています。すでに「みんながやっていること」をやろうとするのです。それではまったく社会は発展しません。
>いっさいの生命が精神的な病気で倒れているけれども、自分は病気から立ち直って健康的に生きよう、輪廻という重病から抜け出す道にチャレンジしてみよう、と明るく励むことです。(『原訳「法句経ダンマパダ」一日一悟』A.スマナサーラ著より)
「普通の国」になると言っていた誰かのことかと思ったら、輪廻からの解脱の話でした。さすがに、真理ですね。あらゆること、あらゆる生命に当てはまります。
「あなたは病んでいる」と言われると、普通の人は「病んでないよ!失礼な!」て不機嫌になる。でも、不機嫌になる(怒る)ってことが、病んでいる証拠なんですよね。そうだねえ、と理解し笑える人は心が健康。(完全に100%健康な人っていないから)
治せるものなら少しでも病気は治した方がいい。みんなが病気だから私も病気でいい、みんな病気になるんだから私も(わざわざ)病気になりましょう、というのはおかしなことです。病気はしっかり治して、明るく生きていきたいと思います。
さあ、毎日が治療、修行だぜ~。
みんな病んでいるかもしれない。
困るのは、重病のやつが実権を握っていることだよ^^
したっけ。
(病気なら実は本人も苦しいはずです^^;)
やっぱりみんな病気は治した方がいいですよね。