松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅31 カザフスタン

2012年11月29日 | 赤道直下と陸路国境148か所


2003年8月13日水曜 くもり20℃ くもり30℃ 小雨33℃ パラパラ30℃ くもり
汗が出てくる蒸し暑い夜だった。内陸で暖ったかいのかな。目が覚めたら7時を過ぎている。まーきょうはあわてなくてもいいのだ、予定首都アスタナまで800km着けばいい。8時にスタート。すぐ36号に乗った。トコトコ走る。ベンジンスタンドで「どこへ行く」「アスタナへ」この道は「クルガン」に向かう道だ。

「エエー」「あと80キロ」戻って「左に」曲がれ。ウァーしょうがない、Uターン。普段80キロぐらいで走っているのに100キロを越えている。別に急がないが気が焦ってスピードが上がっているのだ。途中で停まっていたらマイカーの人が横に着けて「どこへゆく」「アスタナ」「アスタナ」おれの「あとをついて来い」「そこの道を左に」すぐに左に入る道36号が出てきた。ありがとう手をあげて別れる。

きのうまで車がひっきりなしに走っていたのにカザフスタンに入ったら車、トラックもたまにしか会わない。やっぱりロシアM5号線は幹線道路だったんだなと思う。家もそれなりにさびしくない程度に建っていてがここでは距離を走らないと家がない。30キロ、50キロ、70キロとづーーと「誰がこんなにパンを食べるんだ」と言いたくなるような麦畑ばかりが延々と続く。アメリカでもこんなに広大な麦畑を見たことはなかった。


どこまで行っても右も左も麦畑だけが延々と続く

ベンジンスタンドの間隔も30k~50kぐらいだろうか。調子に乗って走っていたらデコボコの避けられないくぼみが道路いっぱいになっていて「あーっ」「バカーン」ついにやってしまった。しばらくしてカラン、カランの音、なにかが落ちたな。Uターンして探してみるとシート下にある金属カバーがはずれて落ちていた。それと左のボックスを支える「取っ手」も折れてしまっている。

カバーはテープで張り付けて応急処置、これで大丈夫。ボックスの取っ手はネジを外して持っていた金具をはめ込んで取っ手の代わりに付け替えた。おれも少しは手当てが出来るようになって来た、えらい。ロシアでは走っていると道ばたには一日20台以上車を停めてボンネットを上げたり、車の下にもぐって修理したり、タイヤ交換したりしていた。それを見るとロシアの人すべての人が自分で直せるのかと感心する。すごいことだと思う。

しかし修理には強いかもしれないがお店での店員さんは「スマイル」「防止法」があるのではないかと思う程「笑顔」が少ないなーと思った。カザフスタンに入ったとたん人なつっこい人柄になんだかホッとして親近感も出て来た。ウラル山脈は「ヨーロッパとアジアを分ける山だ」とM5号で食堂の人が話してくれたことを思いだす。なるほどなー笑顔はこれも影響するのかなー。でもそれとはちがうなー。