松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

3月18日 アフリカ エビはうまかった

2008年03月20日 | トーゴ

ロメ市内バザール トーゴ

2008年3月18日火曜 はれ
夕べの夕立で涼しくなるだろうよ思ったが変わらなかった。
ごごオートバイできゅうり、トマト、を仕入れに行く。オー
トバイは途中に停めて歩いてバザールへ。日本のアメ横より
規模が大きく道は狭い。ごったがえしている店を観て回る。
瞬間接着剤20円、3個持ってきたメガネ一個どこかで忘
れたので予備に買う、200円。

トマト、きゅうりを買っていると木陰の氷の入った布袋から
エビを出してこれは「どうだ」と取り出して見せる。うまそ
うだ。よし買った100円分20匹数えている。ホテルに戻
りさっそキャンプ用ガスをつけエビをバルコニーでゆでる。
今晩のおかずじゃない、つまみだ。

夕方ネット屋へ2時間ほどで終わったとたんに停電になる。
危なかったなー。持っていたヘッドライトでしまい込んでホ
テルに戻りきゅうりの塩漬け、エビ、手羽先一片、今日は盛
りだくさん、あ、チーズも腹の中に入った。エビはもったい
ないので半分はあしたにまわそう。エビは殻ごと口に運ん
だうまかった。

3月17日 トーゴの首都ロメ

2008年03月19日 | トーゴ

ホテル前のおしゃれな姉妹 トーゴ ロメ市内


海岸に建つ高層観光ホテル


いろいろ気がつくホテルの女性スタッフ


マラリア病予防に蚊取り線香

2008年3月17日月曜 はれ 夕方遅く夕立
トーゴの国は横幅200km縦600km、北にようかんの形
のように細長くなっている。高層ホテルも2,3軒海岸に
建っていて観光地らしい雰囲気は外国人の観光客を呼
んでいるようだ。ガーナより外人が多いような気がす
る。

幹線道路は太平洋の海岸に沿ってガーナ、トーゴ、ベナン
(地元はベニンと呼んでいる)さらにはナイジェリアまで
続いている。トーゴ市内の路地裏は砂地で歩くにも苦労
する。毎回々外から帰っては足を洗うのが面倒になって
きた。朝は6時半ごろ明るくなり夜は6時ごろ暗くなる。

昼間30℃ぐらいだろうか、むし暑い。乗用車よりオートバ
イの方が多く走っている。運転している誰でもがオート
バイタクシーに早変わり、人を乗せて走っている。大型オ
ートバイはなくてスーパーカブ見たいな小型の日本製の
オートバイが活躍している。10kmで200セファ=40円ぐら
いと毎日利用しているホテルの女性が話していた。

泊まっているホテルにはフランス料理もあるようだ。外か
ら食べにくる外人もよく見かける。私はメニューを見ても
わからず、聞いてもわからないので喰ったことはない。写
真付のメニューを作ってくれたらいいのになー。もっぱら
屋台の手羽先、朝方写真を撮らせてもらえなかったヤギの
丸焼きをつぶした小さい肉2片づつ(100円)買ってホテル
の部屋で食べている。

きょうは大丈夫だろうとネット屋に行くがダメ、ロメ市内の
ネットは回復してないようだ。夕方再び行ってみたら中に
人が入っている。うん、ネットが回復したようだ。金,土、日
と開店休業だったのが4日間ぶりに回復。トーゴに来て初
めてだ、電源がつながらず何回か場所を変えてようやく
つながった。

今度はネットのケーブルをつなぐ、うまく「つながり」ます
ように祈る気持ち「おーすんなり」つながった。奥行きのあ
る昔の古いテレビ型のパソコン、遅いだろうなーと開いて
みると意外と速い転換に気持ちがいい。一時間300セファ
=50円。二時間100円過ごしてホテルに戻る。


3月16日 きょうもネットカフェ開店休業

2008年03月19日 | トーゴ

泊まってるガリオンホテル1000円

2008年3月16日日曜 はれ
ネットの下書きを終えてネット屋に行くが今日もダメだ
った。オートバイで銀行へATMでお金を下ろす。日曜は
フーフーもないので楽しみがない。近くの屋台で手羽
先、朝方丸焼きにしていたヤギの肉を2片づつ100円を
買って昼も夜もホテルの部屋ですませる。

これから進む国について地図を広げたりガイドブックを
読んだりして一日を過ごす。カルネ(オートバイのパス
ポート)と国際免許書が5月始めに切れてしまう。ちょっ
と気になるなー。国際免許書はいいとしてもカルネは
どこの国で日本から送ってもらうかなー。ま、行ける所
まで行ってから考えよう。

3月15日 アフリカきゅうりの塩漬け

2008年03月19日 | トーゴ

夜の晩飯、きゅうりの塩漬け、手羽先、ヤギの肉2片づつがビールのつまみ



フーフーの原料は芋より一回り大きいイモ科。(上)これを煮てウスでつく

2008年3月15日土曜 はれ
夕べは12時近くまでジャズの生演奏を一階のレストラン
でやっていた。9時過ぎにきのう見つけていたネットカフ
ェに行くここは自分のパソコンをつなげてくれるネット
屋だ。しかしネットダウンで開店休業中。オートバイでタウ
ンのネット屋に行ってみたがここもダメだった。

きゅうりを塩漬けにしてホテルのキッチンフリーザーで
冷やしてもらい昼飯のビールのつまみにする。冷たくて
うまい!。ガーナ出身の女性スタッフにガーナのフーフ
「トントントン」はうまかったと話した。すると近くにあると
屋台のフーフー屋をおしえてくれた。アーこれでまた元
気が出るぞー。

夕方ネット屋に行って見たがやっぱりだめだった。NHK
レポートはFAXで送った。50セファ=100円ぐらいかな。

3月14日土曜 トーゴセファっていくらだ

2008年03月18日 | トーゴ

泊まっているホテル1000円


市内の道は砂の道 まいった.右の建物はトコヤ、左は屋台食堂

2008年3月14日土曜 はれ
トーゴもガーナと同じどんよりとした太陽だ。初めての
トーゴの朝、海が見える太平洋海岸まで200m。きのう
夕方は学校の行事なのか子どもたちが黒だかりになっ
て砂浜遊んでいた。朝一番トーゴのお金を下ろしに銀行
ATMで下ろす。シティバンクカードは使えず、VISAカード
を使った。ホテルに戻りホテル代ときのうの食事代の支
払いを済ませる。

ホテルバーカウンターにホテルの隣の人がしょっちゅう
顔を見せてビールを飲んでいる。フランス出身かなー。
その彼にオートバイを停めた時どうも不安定なのでスタ
ンドのことを相談してみた。すると隣の自分の家で溶接
道具がそろっていて、ものの見事に希望どうりに直して
くれた。今まで何回か溶接してもらったがなかなかうま
くいかなかった。これで停まった時左の方が多少高くて
も停めることが出来るのでうれしい。

トーゴセファの通貨の計算がまだ出来ていない。うーんと、
10000セファが25$=2500円だから3000セファは?
とまだすぐに計算できないでいる。トマト、たまねぎ、き
ゅうりを買って2000セファ=500円、ホテルに戻ってから
そんなにするはずがないなーと思ってもあとの祭り。

3月13日 トーゴに着きました 100カ国目

2008年03月18日 | トーゴ

トーゴに向う途中ガーナ最後の村


トーゴへの道


トーゴはどっちの道?


もうすぐトーゴ国境


国境ガーナ側


国境トーゴ側

トーゴに着く
2008年3月13日木曜 はれ
43日間過ごしたガーナからトーゴに向う。お世話に
なったバジョウと握手して朝6時30分INGOTHOTEL
を出発。トーゴまで200kmぐらいだから遅くとも10時
半ごろには着くだろう。アー一本早く道を曲がってし
まったようだ。走り出してすぐ間違ってしまった。

戻ればいいのにそのまま走り続ける。市内の渋滞に
巻き込まれてしまい幹線に出れたのは1時間半もたっ
ていた。ウーンまいった。トーゴ方面の幹線に入ると
車はぐっと少なくなった。いつの間にか鼻歌も出る。
130km過ぎて泥道に入る「エー」どこまで続くのだろ
うか。5,6人のいた若者に「ノーグッド」の道どこまで
「続くの」か。

この先もっと「悪い道」になると若者達。1,5km引き
返して迂回すると「ナイスロード」の道になると教え
てくれた。引き返すと幹線から右の道はアスファルト
になっている。おーよかったー。そのまま突き進んで
いたら泥沼にはまってどうなっていたかわからない。
考えただけでぞっとする。

200kmを過ぎても国境がない、「トーゴー」「ボーダ
ー」と聞きながら走る。静かな村から急ににぎやかに
なる。着いた国境だ11時45分なんと5時間もかかって
しまった。国境での手続きに出国一時間、入国一時間
計2時間はかかるだろうと覚悟する。ごったがえす人
ごみに混じってガーナ出国手続き。

そしてトーゴの入国手続きに入る。おー意外とスムー
ズに済んだ。トータルで1時間もかからなかった。いつ
もどこの国境にもいるガイド役には「ノーサンキュウ」
とガイド指南役は断っているが人のよさそうな人だ
ったので頼んだ。あっちこっちと手続きの場所に付い
て回った、そのお陰で早く済ませることが出来た。残
っているガーナのお金100円ガイド指南役に渡した。

どこから集まってきたのだろうと思うほど国境を挟ん
でガーナ、トーゴとも人々が行き交い大変な混雑ぶり
だ。ホテルを探そう。トーゴに入ったとたんオートバイ
が目立つ、オートバイばかりである。そのオートバイの
人にホテルまで引っ張ってもらう。トーゴの首都ロメL
OME市内は路地裏は砂地である。

砂地にタイヤを取られてホテルに向う時転んでしまっ
た、イヤだなー砂の道は。ホテル一泊1500円と高い、
一週間連泊するからと一泊1000円にまけてもらい泊
まることにする。外人も5,6人泊まっているようだ。
水シャワーを浴びて2時、遅い昼飯のビールを飲む。

トーゴでちょうど訪問国100カ国になった。よく走って
きたなーと自分でも思う。今自分が西アフリカにいる
こと自体なんだか夢のような気がする。「よし」きょう
の夜は豪勢な食事「チャーハン」でもと思って中国レス
トランに行くがまだ時間が早いのか開いてない。

しかたない泊まっているホテルの一階はレストランに
なっているのでスパゲティを注文、自分に「ごくろうさ
ん」と乾杯。そうだ、27万4千キロ走っているオートバ
イにも感謝しなきゃならない「ありがとう」。


3月10,11、12日  みたまま、感じたままガーナの40日間

2008年03月12日 | ガーナ

あかるい声でともだちとはしゃぐ子どもたち ガーナアクラ市内



なかよしの同士好きなおもちゃをもちよって。



アフリカでパソコンにつなぐソケットはこの二つで大体の国で使える。
一個100円ぐらい。日本から持ってきた「万国共通ソケット」は
二回使ったかなー


「ガーナ見たまま、感じたまま」

ホテル、ネットカフェ、両替屋、お店でもお金の扱い
を見ているとあまり回りを気にしないように感じ
る。ホテルでは目の前にお札を広げたままだし、
両替屋では中に入ったソファの上でお札器械を
置いて数えている。大丈夫かいなと思う程両替
のお札の束も無ぞうさに積み上げてあった。


ネットカフェの隣の露天食堂親子。一度買った「パイナップル」で
顔を見ると「パイナップル」と声がかかる。


無ぞうさに見えるのはこれまで強盗などに襲われ
ることなどなかったからに違いない。銀行ATMで
カードでお金を下ろす時も周りを気にしているよう
な感じではない。周りを気にしているのはときたま
見かける外国人とわたしぐらいなもの。これまでの
国では見られなかった光景。


いつでもどこででも道路でビニールに入った「水」売りの女性、
ここは交差点で夜8時ごろまで商売している。一個5円。

街中で大声で話す人はいるが大体はおだやかな
声で話している。よく見かける「ケン」のある人や
けんか腰みたいに話す人はあまりみかけない。ま
た、わたしみたいな「外国人」に対して「嘲笑」「や
ゆ」するような言葉は他の国に比べるとぐーっと
少ない。


いつも顔をあわせる明るい子どもたち ガーナアクラ市内


この前テレビを見ながら晩飯を食っていたら、あ
とから来たスタッフがチャンネルを勝手に回した。
「ふざけるな」お前の「テレビ」かと日本語でどや
しつけた。ホテルの人たちがびっくりして5,6人集
まった。なりゆきを話したら、勝手にまわした本人
も集まった宿泊客もわかってくれた。

ビルの階段なんかで相手が通るまで「待って」て
いると、当たり前の顔して通り過ぎてしまう。も
ちろん「サンキュウ」もない。彼らにすればなにも
頼んでもいないのにとの考えなのだろう。


洋服はいらんかえー行商人の種類も多士済々


ホテルの受付嬢しかり、両替の女性しかり、男も女
も目の前にお客がいるにもかかわらず、ながなが
と平気で電話している。気にしない堂々たる態度
は立派なものだ。現地の人たちは「当たり前」の
ごとく電話し終わるのをじーっと待っている。
なにか「あした」も「あるさ」って言う感じ。

俺みたいにお客様は「神様だ」などと言われている
国から来た人間には耐えられない、こっちのことを
すませてからに「しろ!」と腹が立って怒鳴りたく
なる。ビジネス、サービスなど、といった感覚はま
だのようだ。ま、これから少しずつ変わっていくの
でしょうが。


100円なのに私の顔を見て200円になる「ここでやるもんか」
と別に探したトコヤが150円しょうがない「刈る」ことにした。

ネットカフェではスタート時刻を書いた紙切れを渡
される。それが30分も過ぎてから持ってくるとき
もある。自分もメモしておき、持ってきた時刻より
大幅に違う時がある。早い時は訂正してもらい、
遅い時は黙って受け取る。これはなんと云うセコ
さ、厚かましさだ。

そして、持って来たスタッフに言っていることがふ
るっている。「時刻」は「正確」に、これが「ビジネス」
「サービス」ってもんだと抜かしておる。聞いてあ
きれるねー。やってることといってることが違うの
はどこかの校長の話とそっくりだ。これが先進国の
人間がすることかー。アーッみんなじゃないおれだ
けだった。


街角のパンから蚊取り線香何でも売っている雑貨屋さん


ガーナの人は親切で人はいいんだけど、お店でも
食堂でも、外人と見ると平気で「ぼって」くる。食堂
の餅と同じ「フーフー」最初300円とられていたの
が200円になり最近現地の人の支払いを見ていた
らコインで支払っている。うん?「いくら」と現地の
人に聞いて見たら75セディ=75円とわかった。

一ヶ月以上もだまされていたのだ。渦巻状の蚊取
り線香をホテルの前にぽつんとある店で50円で
買った。違う店で確かめたら10円だった。このよう
に平気でぼってくる気持ちがわからない。日本で
はどんな田舎に行ってもどこの国の人でも「ぼる」
ことは考えられないことだけどなー。


スパゲティを時々食べに行くレストラン400円と高いのだなー。
外人もよく見かける


今、ガーナ、アクラの朝は6時半ぐらいに明るくなり
夕方も6時半ごろ暗くなる、一ヶ月前は朝がもう少
し早く、夜も遅かったような気がする。これから夜が
長くなるのだろうか。ネットカフェに行ったあと、とか
外出した時どうも手が汚れてはいないがちょとベ
トつくような感じで洗いたくなる。小さい砂塵なのか、
海からの風でそうなるのかはわからない。


手動ミシンを持ち歩きの行商人、「カタカタカタ」とリュックを直してもらった
これは便利でいいなー。両刃のカミソリここでも活躍していた。


「両刃」のカミソリといっても知らない人が多いだろう
なー日本で40年以上も前にひげそりに使っていたもの
ここガーナではひげそりの他に裁縫の布、糸などなどを
切るのに、まだ主力のようだ。

朝から青空が広がる「からっ」とした天気にならなくて、
いつもガスにさえぎられた太陽はどんよりとした日が続
いている。朝方27,8℃昼間31,2℃ぐらいかなー、
夜ベッドに掛け布団などはいっさいなし。天井のファン
は音がうるさいが慣れてしまった。



晩飯は「フーフー」(餅と同じ)の持ち帰りと焼き鳥ソーセージ
はくすり(ビール2本)のつまみ。




3月9日日曜 奴隷積出し港 エルミナ、ケープコースト要塞

2008年03月11日 | ガーナ

美しい海岸に突然突き出た城塞が現れる。エルミナ要塞


当時使われていたクサリの実物も展示されていた、首輪と足輪だろうか。


奴隷として収容されていたエルミナ要塞。


収容されていた部屋


ケープコースト要塞入り口


要塞からつながっている奴隷積出しの埠頭 ケープコースト要塞

奴隷積出し港二つの要塞を見る。
2008年3月9日日曜 はれ 朝29℃昼2時39℃

屈辱的な悲しい歴史を残す奴隷積出し港は西アフリカ
海岸の至るところにある。きょうはケープコースト、エル
ミナ二つの要塞に行って来よう。久しぶりの遠出運転と
ガーナ地図がないので多少不安の中出発。2時間程走
りケープコーストの町入り口に着いた。

この先のエルミナ要塞を先に見てからケープコースト
に戻ろう。椰子の木がきれいな海岸を造りだしている。
白い城塞が美しい海岸から突き出ているのがエルミナ
要塞だ。入場料7$=700円支払い要塞の中に入る。

博物展示館には当時使われていたクサリの展示もある。
クサリをはめられ閉じ込めらた石の部屋は要塞の中に
いくつもある。しゃれこうべのマークは亡くなった人の
部屋なのだろうか。うーん、気持ちが重くなる。

30分ほどでケープコースト要塞に戻る。エルミナと同じ
規模の要塞。入場料6$。奴隷の収容所が今はおみやげ屋
になっているのがエルミナ要塞と違う所。要塞から海岸に
向けている大砲とスイカ大の大砲の砲弾もそのまま残され
展示されている。要塞からつながる海岸には奴隷の積み出
しに使ったと思われる埠頭が残っている。

朝7時過ぎに出発。往復400kmぐらい走っただろうか、
スピードを落とすために作られた「カタカタ」の「突飛と
っぴ」がひっきりなしに出てきた。もしかしたら要塞の近
くで泊まることになるかもしれないと洗面用具を持っ
ていったがホテルに3時半に戻ることが出来た。

夕方黒い雲が立ち込めてガーナに来て初めて雨の音
を40日ぶりに聞くとことが出来た。

3月7日金曜 めずらしい五カ国共通ビザとれた。

2008年03月09日 | ガーナ

「五カ国共通ビザ」トーゴ大使館でとれた


明るい声で遊ぶこどもたち ガーナ、アクラ市内

めずらしい五カ国共通ビザをとった。

2008年3月7日金曜 はれ
これから進む国のビザを取りにトーゴ大使館に行こう。
地図には日本大使館の近くにある、前に行った時日本
大使館へは歩いて行ったので道路標識を気にせずいけ
たがオートバイで走ると一方通行になっていて大回り
になってしまった。、とたんに場所がわからなくなっ
た。途中タクシーの運転手に聞いて9時ちょっと前に
トーゴ大使館についた。

受付でガーナに来てから初めて日本人男性とあった。
館内に入り「五カ国共通ビザ」を申請したいんです。
「OK」と係官。名前とパスポートだけ英語で記入あと
はいつものようにひらがなで書いた。係官は「日本語
はダメ」とパスポートを見ながら係官が書き直してく
れた。すみません。

トーゴ、ベナン、ニジェール、ブルキナファソ、コートジボ
アールの五カ国ビザである。この共通ビザ、わたしは初
めてである。国同士仲良くなって信頼の上で初めて成
り立つ「五カ国共通ビザ」。あっちにもこっちにもこのよ
うなエリア別のビザが増えるといいなーと思う。3万セ
ファ?日本円でいくらだろうか。トーゴの通貨でないと
受付できないと係官。

オートバイで近くの銀行、両替屋へ。いつもカードが使
えるバークレイ銀行でカードが戻ってくる。他のカード
を使ってみたが戻って使えない。イヤーまいったなー。
他の二箇所のATMでも使えない。しょうがない手持ち
のUS$で両替するしかない。最初の両替屋で3万セファは
US$で62$と計算してくれた。ここで初めて6300円
ぐらいとわかる。ここにはトーゴ紙幣はなかった。

両替屋を二軒、三軒そして四軒回るがトーゴのお金は
ないと断られる。今日は申請はだめだなーと思ってい
る所へ大使館で会った日本人が申請を終わらせて歩
いてやってきた。オートバイを見てわかったらしい。「私
も朝回った時だめだった」がレートの悪い両替屋を
知っていると彼が話す、最後の両替屋だ、多少悪くて
もこの際かまわない。

そこでようやく6$も高い68$で3万トーゴセファの
両替できた。汗びっしょりになってトーゴ大使館に戻り
申請10時半に終わる。ビザ受取りは午後2時以降、パ
スポート交換用のカードを受け取り迷いに迷ってホテ
ルに着いたのが12時だった。午後2時過ぎ、めでたく
五カ国ビザを受け取った。

余談
街で「そこだよ」ほら「すぐそこの」と指さして両替屋
を教えてくれる。両替屋はトーゴのお金がなくて別の
両替屋を教えてくれる時も、ほら「見えてる」「そこだ
よ」ほれ「すぐそこ」と教えてくれる。地元だから「す
ぐそこ」がわかるが知らないところから来ている者に
とってわからないんだなー。

すぐ「そこ」がわからないんだ。なかにはあまりにも
わからないものだから「ははは」と嘲笑される。「笑う
んじゃねー」「俺は困ってるんだー」「人の気持ちもわ
からないで」「ふざけるなー」「この○○やろう」とど
やしつける。聴いている者より教えている方の者が怒
られている。

でも、なかには「すぐそこ」まで歩いて連れて行ってく
れる人もいる。これほどありがたいことはない。なにを
言いたいか。例えば日本で外国人に電車の「乗り場」を
訪ねられた時「すぐそこの」「となり」の「3番線」と「口」
で教えるより時間があったら歩いて「3番線」のホーム
まで連れて行ってほしいものだなーとつくづく思う。