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ついに佐野デザインの五輪エンブレムが白紙撤回になったが、佐野デザインはベルギーデザイナーのパクリではない!
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濡れ衣である!東京五輪エンブレムはベルギーデザイナーのパクリでなくタイポグラフィの神様「ヤン・チヒョホルト」のリスペクトなのである。
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コレが原案である。
ベルギーデザイナーやベルギー劇場にはそのことはちゃんと伝えましょう!
では「ヤン・チヒョホルト」の説明をしましょう。
チヒョホルトはドイツワイマール共和国のバウハウス系の文字や装丁デザイナーである。
しかしドイツではアドルフ・ヒトラーの当選後、デザイナーは文部省に登録をしなければならず、共産主義者は教職などから排除されるようになった。1933年に彼の妻は逮捕され、また彼の部屋からソビエトのポスターが見つかったことから、共産党員との共謀を疑われるようになった。
チヒョルトの書いた本は全てゲシュタポが「ドイツ人防衛のために」押収してしまった。6週間後、レジスタンスの警官からなんとかスイス行きのチケットを手に入れ、彼と家族はナチス・ドイツから逃れることができた。
1937年から1938年にかけて(Penrose Annual誌からの招待)と1947年から1949年にかけて( Penguin Books社で働くイギリス人書体デザイナーRuari McLeanからの招待)のイギリス滞在を除き、彼は残りの人生をスイスで過ごした。
「ヤン・チヒョホルト」は独裁者ヒットラーのカウンターデザインなのである。もし佐野研二郎氏がチヒョホルトさんをリスペクトしたデザインと言うなら権力者や独裁者に媚びたデザインはしないはずである。 彼の国民を舐めたような行動が一時が万事、国民を舐めた独裁的日本国総理のようだからいけないのだ。
発想のラフやプレゼンにコピペする事は多いが発表品はコピペではダメだね。
せっかく円ジョイは佐野デザインをリスペクトして2020年東京五輪で販売する「新・日の丸弁当」をオリジナルで考えたのに…
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残念(笑)