恵迪寮を「けいてきりょう」と読める方は少ないでしょう。北大の学生寮ですが、食堂に「迪(みち)に従うは吉、迪に逆らうは凶・・・」という初代北大総長佐藤昌介が書いた四書五経の「書経」にある禹が述べた言葉の書額が飾ってありました。掲載された51年間に7600名の寮生が眺めたと言われています。私が入っていた時、恵迪寮は男子寮で女子寮は別の場所にありました。現在は、北大構内に一つの学寮「恵迪寮」としてまとめられ、男子の棟と女子の棟が放射状に分かれております。
新寮が新築された時に、旧恵迪寮の一部が野幌の開拓の村に移築されました。今年の6月9日、明治45年に創られた寮歌「都ぞ弥生」の百年記念祭が開催されますが、事業の一環として開拓の村の旧恵迪寮前庭と中庭に記念植樹が5月13日に行われます。釣り会と重ならなければ、植樹をしてこようと思っています。
寮の玄関の横には寮務室があり寮務委員として私も一時期詰めていました。この部屋の外壁に寮生全員の名札が掛かっていました。在寮中は黒字、外出して不在にする場合はひっくり返して赤字を示すルールでした。外から家族やデートなどの連絡が入ると、名札を見て呼び出しもしていました。アルバイトなどの場合は「電話です」、デートは「お電話ですよ」にしていたと、記憶しています。カミさんからの電話も受けたことがあります。この部分は、開拓の村に移築されています。
寮に住んだことのある有志は、名札掲示の寄付をして百年祭を盛り上げることになりました。名札を掲示することによってその方の生死が分かるようになってます。存命中は黒字で掲示し、亡くなった連絡が入ると永代供養をして名札を赤に返すことになっています。私も百年事業に寄付をしていますが、遺族からの寄付も受け付けると思います。
詳しくは、同窓会のサイトをご覧ください。URL:http://www. keiteki-ob.jp
新寮が新築された時に、旧恵迪寮の一部が野幌の開拓の村に移築されました。今年の6月9日、明治45年に創られた寮歌「都ぞ弥生」の百年記念祭が開催されますが、事業の一環として開拓の村の旧恵迪寮前庭と中庭に記念植樹が5月13日に行われます。釣り会と重ならなければ、植樹をしてこようと思っています。
寮の玄関の横には寮務室があり寮務委員として私も一時期詰めていました。この部屋の外壁に寮生全員の名札が掛かっていました。在寮中は黒字、外出して不在にする場合はひっくり返して赤字を示すルールでした。外から家族やデートなどの連絡が入ると、名札を見て呼び出しもしていました。アルバイトなどの場合は「電話です」、デートは「お電話ですよ」にしていたと、記憶しています。カミさんからの電話も受けたことがあります。この部分は、開拓の村に移築されています。
寮に住んだことのある有志は、名札掲示の寄付をして百年祭を盛り上げることになりました。名札を掲示することによってその方の生死が分かるようになってます。存命中は黒字で掲示し、亡くなった連絡が入ると永代供養をして名札を赤に返すことになっています。私も百年事業に寄付をしていますが、遺族からの寄付も受け付けると思います。
詳しくは、同窓会のサイトをご覧ください。URL:http://www. keiteki-ob.jp