札幌の古参の釣り会の交綸会は昨年から、磯釣りを続ける会員は、一部の会員が所属する医釣会に編入させて頂きました。淡水は、従来通りにバラト一円で例会を継続することで、交綸会という釣り会の名称は、淡水の部門で生き残りました。また、所属する北海道釣魚連盟支部は、従来通り札幌中央支部会員として残ることになりました。
高騰する釣りバス事情や、釣り会への新入会員の減少によって、存続の危機が出ている釣り会は多数あります。交綸会の選択は、止むを得ませんでした。釣魚連盟の方も、改革の方向で動いておりますので、時機を得たものだったと思います。今後、合併を模索する釣り会も現れることでしょうし、少人数化で、自家用車やマイクロバスに移行するなど生き残る道を模索しているところもあります。
札幌交綸(こうりん)会の綸は、糸、糸と交わる、という由緒ある名前を付けて「創立は昭和20年十月と明記した、駒崎元雄元老は、新聞記者の多忙の中を、釣り好きな記者仲間とともに札幌市内から多くの釣りキチを探し出して、協議を重ね、釣り会のマークを昭和20年に制定しております。
札幌市内の有志が沢山賛同されたせいであろうか、会長に新聞社の社長を担ぎだし、昭和23年の春25名の会員参加で第一回の大会を開催している。このような背景といきさつがあって、自然と釣魚連盟の会長は、この新聞社の社長になったのだと思われます。交綸会、今年は、70周年近いと思われます。すると、昭和40年創立の医釣会は、50周年を過ぎたのでは?
高騰する釣りバス事情や、釣り会への新入会員の減少によって、存続の危機が出ている釣り会は多数あります。交綸会の選択は、止むを得ませんでした。釣魚連盟の方も、改革の方向で動いておりますので、時機を得たものだったと思います。今後、合併を模索する釣り会も現れることでしょうし、少人数化で、自家用車やマイクロバスに移行するなど生き残る道を模索しているところもあります。
札幌交綸(こうりん)会の綸は、糸、糸と交わる、という由緒ある名前を付けて「創立は昭和20年十月と明記した、駒崎元雄元老は、新聞記者の多忙の中を、釣り好きな記者仲間とともに札幌市内から多くの釣りキチを探し出して、協議を重ね、釣り会のマークを昭和20年に制定しております。
札幌市内の有志が沢山賛同されたせいであろうか、会長に新聞社の社長を担ぎだし、昭和23年の春25名の会員参加で第一回の大会を開催している。このような背景といきさつがあって、自然と釣魚連盟の会長は、この新聞社の社長になったのだと思われます。交綸会、今年は、70周年近いと思われます。すると、昭和40年創立の医釣会は、50周年を過ぎたのでは?