ボナさんの北海道の釣り三昧II(休養中)

投げ釣り主体に北海道の沿岸に出かけます。夏にはフナや鯉釣りも。

2度有ることは・・電話が怖い

2012-07-21 12:13:22 | 釣り
高校の同期会の幹事の一人に参加予定者から電話があって「捻挫と思っていたら、骨折だった」ということで欠席が出た。次は、別の女性予定者からの電話で「転んで肋骨の骨折しちゃった。コルセットを付けて安静なので・・」と、欠席者が続いた。

「私、もう電話出るの怖い!2度あることは・・でしょう」とメールがきた。今朝の私へのもう一人の女性参加予定者からの電話「出席しようと楽しみにしていたのに、足の怪我の痛みがぶり返して座れないから欠席にして・・」でついに、3人目が出た。70過ぎるとよくこけるようになるが、こう続くとお祓いでもするか。しかし、前出の幹事には「3人目がでたから、安心して・・」とメールを打った。

クラス会や同期会の幹事は、出席の確定が当日まで出来ないので、悩ましい役割だ。もう、こりごりと思うけれど中学の担任とのまだ果たしてない約束がある。「君が、高校に行って、大学に行ったなら、行けなかったクラスの仲間を呼んで、クラス会を開きなさい」が耳に残っている。その中学のクラス会が出来ていないのだ。学校をさぼって、岸壁や防波堤の釣りに行っていた仲間もいるけれど、消息を調べ尽くしていない。

今回、360名近くの同期卒業生の住所を300名以上までエクセルにインプットした(40名前後は故人)。この中にも中学のクラスメートがいるので、ツテをたどろうと思っている。工事中なので、熱い中、閉め切ってPCを動かしている時に「俺の名前も忘れずにな~」というような感触を肌に感じた。生きているものが、生きているのを感謝し、亡くなった同期生を追悼するのが同期会の一つの目的に思える。

糠よろこび?の88番

2012-07-20 16:03:31 | 釣り
実は、今週から来週にかけて10日間ほど私の家は外壁の塗装工事に入っています。足場が組みたてられ朝の8時から午後5時まで、毎日のように異なる職種の方々が塗装に入る前の下準備をやってくれています。今週は、そのようなこともあって釣りを休んでいます。

暑いさ中なので、熱中症や脱水症を起こさないかと心配しています。冷たい飲料がいいだろうと冷えたペットボトルを差し入れしています。足場の組み立てが終わると、外壁の亀裂や屋根のひずみの点検、屋内のひずみの点検などもお願いし、必要最小限度の工事にして貰いました。

一昨日と昨日は外壁のコーテイングだったのですが、換気口をとり換えて、壁の色に合わせて塗っているいるようです。今日は屋根のコーテイングもやっているようです。コーテイングの乾燥などの工程などが終わると塗装に入ります。外壁の塗り替えに合わせて防寒の詰めものも考えていましたが、自分たちの寿命も考えて最低必要な部分に絞ったのでした。

来週の月曜日23日から、みなさんご存知の計画停電が始まります。原発を認めろとの北電の見え見えのデモンストレーションです。塗装店さんも私の家も「88」番の領収書を頂いていて安心して、工事の日程を組んだのですが、どうも「外れ」のようで、腹立たしい限りです。糠よろこびをした自分が恥ずかしい限りです。早速、業者さんと打ち合わせし、毎日その日の時間帯の凌ぎ方を作戦を立てながら実施することに軌道修正しました。

旗のもとに集まること

2012-07-19 08:59:03 | 釣り
高校や大学の同期会の事務局を長年やっているが、同期会を開催する際に「旗」のことは念頭にない。いつも間際になって別の幹事から「旗は?」と言われる。大学の旗は、旭川駅に集合した際に迷子が出たので予防策も兼ねて旭川の幹事が自腹で作って呉れたのを私が預かっている。高校の旗も旭川の幹事が作ったものだった。

旭川と旗から陸軍師団のあった街から連想するものがあるが、私は昔から、何かしら旗のもとに集まるのに躊躇する。教養時代の応援団の行進や70年安保のデモに、またベ平連のデモにも参加した。応援団にもデモにも旗があった。

どちらも、統一した行動や考えを強制する色彩が強く、勝手な自由人を標榜したい私は、好きになれない。統一、一緒の・・というのは、ファシズムの方向に進む心配がある。しかし、何かの集会を持つ場合には、進行などにも整然とした流れも必要で悩ましいものだ。

釣り会の旗は、所属する交綸会にも医釣会にもあり、普段は会長のところに保存されている。他の釣り会は、釣りバスのフロントに縛りつけて目印にしているところが多いが、交綸会でも医釣会でも使われたことはない。チョッキや帽子も全員作ったのだが、身につけているものが少ない。着用しないのは、「旗」とは、別の理由なのだろう。私は、自分の行動を縛る役割に思えてチョッキや帽子の着用は続けている。

高校同窓会の旗の行方?

2012-07-18 21:16:09 | 釣り
高校出てから早55年も経ってしまった。50周年を定山渓で開催した際に、北海道観光とお盆のすき間で、札幌のホテルが空く7月の最終土日に高校の同期会を行ってきた。それも、同じ格安なホテルで支配人も融通を利かして貰える所を選んでいる。

55年前に一緒に卒業したのは354人で亡くなられた方の数は正確には把握していない。進学、実業、商業コースの7組に分かれていたが、教員の都合で分けられたようで、今は、この垣根を外して一本の同期会としている。卒後50周年の時に住所の渡っている全員に案内を出したが、40名近くが死亡していた。消息不明が100通近かった。

「個人情報保護法」のお蔭で、深くは尋ねることが出来なくなって実際のところ、50名前後は亡くなったのではと思っている。会を重ねるごとに、「住所不明」の付箋がついて案内状が戻って来るようになった。反応のない方には案内不要なのか、長年幹事をやっていても、迷惑なのか見えてこない。今年は昨年の参加者の顔ぶれや式次第の内容や、宴会の模様や、二次会で参加者が唄った歌の題名までも記して送ってみた。

コメント無しで欠席を丸で囲んで来るようなことはなくなり、反応が増えた、といっても、150人中30数名の参加では少ないのであろう。70過ぎて徹夜でする同期会はキツイのであろう。高校の同窓会の旗を留萌の幹事に探して貰ったが留萌高校では、5枚の旗が行方不明になっているという。幸い、旭川の同期の結束が良く、旗を造っていた。5年間で各地区の幹事の努力のお蔭で消息不明者が半減し50名となっていた、大半は亡くなられたのかもしれない。同期会が終わるまでは、釣りのことは極力考えないことにしよう。


釣魚を生かしておく方法

2012-07-17 13:19:29 | 釣り
フナ釣り大会は、計量後放流できるようにクーラーやバッカンに水を入れて審査場所まで運びます。暑い時には、釣ったフナを水を入れたクーラーに入れて置くと時間が経つと弱って死んでしまいますので、立ち込みしている浅瀬でビクに入れていましたが、弱って死んでしまうフナが出ました。

同じ釣り場で釣っていたアイナメさんも今回の大物は傷つきが多く弱っていたせいかもと指摘されました。雨のあとで、濁りが入っていました。気温も上がって酸素不足もあったのでしょうか、大漁場所のネット裏では大物が上がりませんでした。魚たちは水のきれいな、冷たいところを探して避難していたのかもしれません。

ビクは浮かせて置くタイプでしたので、水面に近い水温の高いところに生かしておいたのがいけなかったのかもしれません。浮きのついていないタモに入れておいたところ、大きなカニにタモを破られフナが逃げ出したのを2度経験しています。

金網式では、傷つきやすいので難しい問題です。クーラーに空気や酸素を発生させる装置を装備する方法も考えてみました。家庭で酸素を発生する装置(在宅酸素療法Home Oxygen Therapy:HOT)の機器などを釣魚に使っている方はいないでしょう。電池式の酸素あるいはエアーポンプなどの空気発生装置もあるでしょうね、酸素や空気を発生する錠剤(ブクブクブロックなど)などを使用した方おりますか?

コマセに近づけ

2012-07-16 09:51:58 | 釣り
先日のオンコの澤でのあたり仕掛けは、モイケシで立花さんから頂いたものを真似たものでした。ネットの傍の針が浮き止めを使うことで自在に上下に動きます。根がかりも少なく重宝しました。

この原理をフナ釣りにも応用しました。コマセかごの傍に針が来るようハリスも長めに付けたのが、他の仕掛けを圧倒しました。昨日のひぶなの傍に青いコマセ篭が見えます。これは10号の錘の鉛が篭の底についています。この篭の横にエサのミミズがくるように造りました。

立花さんの仕掛けのキモは、浮き止め用に丈夫なビニール管を幅狭くカットし仕掛け用の幹糸に通し再度くぐらせて結ぶものです。コマセネットの上に玉を配置し、次いで浮き止めのビニール管、そして浮き止めの上に長いプラピンを持って来ると仕掛けの針は自在に好きな位置に動かせます。ハリスを長くするとネットに絡みますので短くし、絡み防止にプラピンにビニール管を長めに被せ、根がかり防止に大きめの玉をハリスに通しています。

多くの釣り会に出かけて入賞している向かいのO村さんのネット仕掛けは、ネットに直に針がついています。硬めのプラスチック管をネット下部に付けてハリスを出すようになっています。ひげかじかさんはじめ多くのベテランが活性がおちて釣れない日に窮余の一策としてネットにサルカンに付けたハリス、針を付けます。淡水でも磯釣りでも、釣れる仕掛けは、身エサもミミズもですが、コマセに「近づける」工夫とアイデイアにかかっていると思います。ベストポイントに行けない病み上がりの私が、2番手や3番手の釣り場で成果が上がったのは、ひとえに仕掛けによると思っています。

8年かかったフナ釣り初優勝

2012-07-15 18:08:35 | 釣り
参加者が8名という少数で、その上、バラト大橋近くに入漁した方がこけて呉れたお蔭で、フナ釣りで初優勝しました。2位には何度か入賞したことがありましたが、やっと念願のフナ釣り優勝でした。

低気圧が避けて呉れたせいか、月沼は写真のように快晴です。濁っていましたが、本流のようなゴミはつきませんでした。鏡のような水面です。

酸素不足で、今日の月沼の大物は、傷だらけで、活性が低いのが気になりました。昼頃、写真のような緋色のフナ、ひぶなが釣れてお祝をしてくれました。ミミズは、バラト近くの店に予約していたのが良かったようです。

デジカメの電池が突然切れかかったので、入賞者は携帯で撮りました。3人とも月沼に入りました。フナ3尾の身長プラス20尾重量の点数を表示します。左は2位の大内さん、尺ブナの大物2本を竿上げの時間に揚げて、1710点、粘り勝ちです。中央優勝の私です、身長賞の37.7cm他に30オーバーを揃えて1938点でした。右は3位アイナメさんです。尺ぶなは2匹だけでしたが、1641点を獲得しております。3人とも、小アジ平打ちの針をネットでとり寄せていました。私は、釣童さんの行き付けの店員さんに頼んで手に入れました。4位はバラトのゴルフ練習場のネット裏に入った川原さん1630点、5位は焼き肉屋さんの横に入ったオノちゃんでした。二人は入賞者の常連です。

大雨の後、月沼の下見

2012-07-14 11:32:09 | 釣り
15日午前4時から午後3時まで交綸会の例会、バラト一円でのフナ釣り大会です。
雨の後、13日月沼を下見に行きました。馬たちは水飲みに出てきていません。長靴を履いて牧場の岸に入っていきました。温泉川の方まで潮位が高くなっていました。バラト川は、石狩川上流の水を集めた下流ですので、バラトの所在地札幌北区が晴れていても、水量は異なりますので雨の後は下見が大切です。国土交通省の石狩川開発建設部のパトロールカーが、見回っていました。

岸の雑草の部分まで冠水していました。水は濁りが入って生暖かく、水藻は水中に程よく生育していました。北西の風がかなり強く吹いていました。風の強さによって錘負荷何号の竿を使うべきか決めますので、身体で感じてくるのです。

私の入漁予定の場所は西向きですので、やりずらいでしょうが、さざ波がでますので活性は上がるでしょう。上の写真は、背中側が石狩川になります。藻岩山の方角を向いています。波風が強いなら、この堰堤に避難してもいいかな、と考えています。

下の写真は、バラト川の奥にあたります。避難場所の一つです。中央支部のO西さんに紹介されて釣りをしたことがあり、雨の強い日に、T花さんの横に入れてもらって釣ったこともありました。川の先に生振大橋があります。遠景に凄い量の藻の発生です。遠投はできないでしょう。左下に月沼に抜ける運河があります。小さな架橋があって、工事の土砂を運んでいました。右はドン詰まりで水が淀んでいます。雷魚の名場所になります。


「石狩川」と小樽

2012-07-13 12:35:35 | 釣り
本庄陸男の歴史小説「石狩川」は、戊辰戦争に敗れた東北列藩同盟のうちで伊達藩の支藩岩出山の武士団と家族が石狩川の北にあるシップに移住し、農作物の育たない砂地で飢えの為に辛い冬を送り、やがて余市に定着した会津藩の開拓予定地になっていた今の当別町を譲り受け、シップから再度移り住み開拓した物語である。私が、はじめのころ、北海道への移住と開発に釣りを加えたブログとして開いていたいきさつがあった。「陸」「睦」と多くの書物で入り混じっているが、小説「石狩川」では陸男、「本庄陸男の研究」の著者布野栄一先生(札幌大学木村元学長から紹介された)も陸男としている。画像をクリックすると拡大します。

先日訪れた朝里川温泉のホテルで「月刊おたる」7月号を開いて驚いた。小説「石狩川」の中で札幌へ連絡係として出向く途中で石狩川に呑み込まれた祐筆玉目三郎(記録係)のモデルとなった鵙目貫一郎が、病弱だったこともあって、実際には当別と岩出山支藩などの連絡係として小樽に移り住み小樽の学問の創設に貢献したことが語られている。以前、このブログに鵙目の子孫がコメントを何度か寄せて呉れた。

パレット「鵙目先生のころ」(睦男になっている)として、小樽市立量徳小学校のことが書かれている、作者不詳。明治6年(1873)9月25日の開校であったが、今年の3月に閉校した。岩出山から最初の踏査隊の一員として鵙目が北海道に渡ったのは明治3年(1870)、その際の記録は「従駕日録」として残されている(下の写真は「抄」、布野先生の著書より)。当時の札幌の人口は184人。小樽は3000人ほどだった。明治4年に家族とともに小樽にやってきて、翌年明治5年に新政府が学制発布。開拓使役人が鵙目に小樽学校見込書を提出させ明治6年に小樽郡郷学所と発足したのが量徳小学校の前身で鵙目は初代教授となった。

開拓使は造らせたが、経済的援助はせず公立だからと謝礼、入学金もとらせなかった。食べて行けず、妻が浜人夫相手の茶屋を出すほどの苦境に陥り半年で教授を退き塾を開くが貧乏と縁が切れなかった。当別の郷党が助け船を出して、石狩教育所(当別小学校の前身?)を開設し、教授になるよう家老だった吾妻らが計ったが明治10年に病没している。苦境の一因に当時、子弟の教育に積極的でなかった小樽の住民意識が垣間見える。嬉しいことに、その後、鵙目の子孫は小樽の教育の先駆者として開校記念式典には招待されていたのは救いである。



陰干し

2012-07-12 13:10:53 | 釣り
11日の戸外は、陽光が暖かく、風がカーテンを揺らしていました。このような日には、釣りから帰って洗って一度干した物や、仕掛けなどを陰干しすることにしています。北海道で最も雨量の多い場所の一つ、エリモ町目黒のオンコの澤海岸に入漁したのですから、釣り具や衣類には雨対策が大事でした。

1キロ半位歩くので、上着に登山用のヤッケの厚手と薄手を着て行きました。下は秋もののズボンに雨用にオーバーズボンを履きました。堰堤からの釣りということで、靴はハイキングブーツの深いものにしました。霧雨は、強くなったり弱くなったり一晩中やむことも無くしとしと続きました。

出番を待つ胴付き長くつは中が湿ることがありますので、陰干しの対象です。太陽に当てると折り目などに穴が開くことがあります。8日に使用した上着は太陽の下で干してから、部屋の中でハンガーに吊るして陰干しを続けています。ナイロンやポリエステルなどの化学繊維製の上着は、太陽の光に長くあてると化学変化を起こしますので乾いたなら、即、取り込んで陰干しにしています。

当日、釣り場に持参し、使用せずに持ち帰った仕掛けの群れです。霧や波のしずくは知らず知らずのうちに忍びこんでいるでしょう。仕掛けのサイズに応じてビニール袋に入れて、針はポリの小片に刺して入れ、メモ用紙に簡単な仕掛けのデザインを図示し、使用した針の種類やサイズなどを書いておきます。作製日も記して、ビニール袋を閉じる前に乾燥剤を入れます。釣りから帰ると、この袋を開けてメモ用紙を丸めて風が入るように、乾くようにしておきます。2-3日したなら、仕掛けの整理ケースに入れます。9月まで、私は淡水釣りに専念しますので、このようなことも必要なのです。