3月8日72歳になりました。・・・目出度くもあり目出度くもなし・・・3月8日は私が5年生の時亡くなった姉の命日でもある。
24歳で亡くなった姉の丁度3倍の年齢まで生きたことになる。
どんなに長生きしたかっただろうになぁ~~~と私の誕生日になるとよく思う事が有る。
17歳の時から8年間も青春の楽しいはずの人生を入院生活で一生を終わった姉の事を考えると7か月の入院は何って事は無い。
折角頂いた命72歳のこれからの時間大切に生きなければ罰が当たりそう。だけどもう、そろそろやる事に順番をつけなければ
ならないかなぁ~~~とも思う。
今年に入ってから高校の友達が来てくれた。彼女は札幌・函館に2人・北本に1人・富津に1人みんな元気で暮らしている。
まあそれぞれ寄る年並みには勝てず何処かに支障があるがどうにか生きている。6人のうち3人は旦那が亡くなったか
別居という生活だが、皆逞しく過ごしている。72歳と73歳の5人の友達、私の病気を境に早く元気な内に会おうと、私の回復を
待っていてくれる。皆を待たせないように私も頑張って早く治したい。
先日の検診で嬉しい事が有った。先生が凄く嬉しい知らせです。と言い数値がとってもよくなっているとの事
このまま良くなったら薬を少しずつ減らしていけそうとの事、私の場合は急ぐ事は出来ないのでゆっくり様子を
見ながらですと言う条件付きですが後退しているのではないのだから、良しとしなければ・・・・・
待っててね皆ぁ~~~~からぁ~~~
30年以上愛用していたバイクを今回手放した。長い付き合いだった。何台乗り潰したのか忘れたが、色々ありました。一番悔しい思い出は両親を此方に引き取り一緒に暮らす事になり90歳の父が買ってくれたバイクを5日位乗っただけで盗難にあった事、仕事であちこち飛び廻った事、
今では怖くて絶対に行けないと思う、ひばりが丘まであの車の多い所沢街道を往復した事、仕事の都合で冬の寒い日の夜中に帰宅する事も多かったなぁ~~~私もよく働いたものだなと思う。胸に風が沁みるので新聞紙をコートの中に入れ走った事。
今回もしかしたら乗れるのではと思いながらなかなか、諦めがつかなかったが主人と息子の言う事を素直に聞く事にした。
私の足となりよーく稼いでくれました。私の足となりよーくあちこち連れって行ってくれました。ありがとう
今度は自分の足でしっかり歩きます。