今日のひとネタ

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武士の娘はいつまで存在したか

2019年01月11日 | 日記・雑記

 朝ドラ「まんぷく」が好調のようです。なので松坂慶子がいう「私は武士の娘です」という台詞がもっと流行るかと思ったのですが、そうでもない様子。なので「私はブスな娘です」とか「私はブルの中野です」(←かなり苦しい…)というネタも使う機会はなし。

 ところで、ドラマの舞台は昭和30年代に入りました。松坂慶子はそれほど老け込んだ作りでなく、普通のおばさんで出てます。(まぁ普通よりはかなり綺麗ですが) しかし、昭和のその時代まで「武士の娘」が存在したかどうかを考えてみたいと思います。

 まず武士がいた時代ですが、「ラストサムライ」のモデルでもあった西郷どんは1877年に自刃しました。不平武士の反乱がそのあたりで終息したとすると、その時点ではまだ武士はいたといえるでしょう。

 で、今のドラマの舞台は昭和32年。1957年ですのでこの時点で70歳の人は1887生まれということになります。その親が武士の家に生まれた人だとして、30歳で子供が出来たと想定すると、その「武士」は1957年生まれということになります。ペリーが来航して数年という時点でまだ徳川幕府の時代ですから、武士の家に生まれた男の子はこの時点では武士といえますね。大政奉還の時で10歳ですから、昔の感覚ならまぁ武士でしょう。ということで、昭和30年に武士の娘が存在することは別に不自然ではありません。

 まぁ福子は三女という設定ですので、その母となると70歳よりはもうちょっと上の気はしますが。あとは江戸時代なら二十歳くらいで子供作るのかも。ま、そんな細かいこと考えながらドラマを見てはいけませんよね。(細かいのはおめーだろ!と)