今日もはれたり♪くもったりⅡ 

熟年再婚14年目にして、人生変えたはずが。
恥ずかしながら、出戻りました。

ハマのメリーさん

2013-08-05 22:15:23 | 日々の事


   戦後の横浜を生きた「ハマのメリーさん」を知る人が

   少なくなった、

   そんな中、横浜出身の女優 

   五大路子さん(大和田伸也夫人)が、

   毎年終戦記念日に一人芝居で彼女の一生を表現する。

             

   終戦後、

   外人相手の娼婦だったと言う彼女の本名や生い立ちを

   知る人は少ない、

   私が初めて伊勢佐木町通りで見かけたのは、

     確か私が30代の頃、

   全身白いフリルのついたロングドレス、もちろん靴も白い、

   歌舞伎役者のような白塗りの顔、

   太く黒く引いたアイラインにマスカラ、

   真っ赤な口紅、 髪の毛も白く塗り、

   逆算すると、

      その頃のメリーさんは60代になっていたはず、


             

   周りの目を気にせず、堂々と歩く姿に

   友人と唖然とした記憶がある。

   彼女を見かけた話になると、

   皆、口にするのは、

   向こうから

   メリーさんが来るとわかっているときは

   心の準備が出来ている、、

   突然ドアーは開けた先にいたり、

   曲がり角を曲がったとたんに現れると、

   かなり驚き、衝撃的・・・と。

   私も天理ビルのステーキ屋さんのトイレで、

   扉を開けた瞬間、遭遇、

   「がぁー」と声をあげ、失礼があった。

   晩年は腰が曲がり、白いドレスから、

   ひざ下の色物ドレスにかわり、

   知人の店があるビルのエレベータの前に座り、

   エレベーターのボタンを押して、

   チップで生活していたが

   その後彼女の姿が見えなくなった。


   彼女の一生のドキメントが映画化されものを見た、

   映画の最後の場面、

        故郷の老人ホームで

        白塗りではなく、白いドレスでもない、

    普通のおばあちゃんとして、

    みんなと雑談する姿を見て、

               ホッとした。
   

    2005年の1月にホームで亡くなった、

    享年84歳、

    横浜での放浪生活からふるさとに戻り、

    そんな晩年を送った事で彼女を知る人は

    きっとホッとしたはず。

    終戦記念日が近くなると「ハマのメリー」と呼ばれた

    彼女を思い出す。


                     bonji
   

  

   

   

   

   

  


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12 コメント

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メリーさん (さくらえび)
2013-08-05 23:48:40
何十年前だったか・・横浜駅周辺で会いました。

その風貌に驚きましたが、あれが噂のメリーさんと知ったのは
しばらくしてからでした。

五大さん、もうライフワークになってますね。

一度見に行きたいと思っているのですが・・
返信する
さくらえびさんへ (bonji)
2013-08-06 08:34:16
さくらえびさんも見かけた事ありますか!
最後は背中が曲がりビルの中で
寝泊りしていたり、
ビルの中でお店をしている知人が、
椅子が壊れたので、
使っていない椅子をかしてあげたら、
お中元を持ってきたと言っていました。
五大さん、私も一度見てみたいと思います。

           bonji
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そういうの興味あります (わんこ)
2013-08-06 11:15:00
戦後史のひとつね。
おりしも今日は広島の原爆記念日ですね。
TVを見て黙とうしましたが、、、
福島の事を思うと少しも反省しない人間に

さすがは横浜ですね。
ハマのメリーさん、だれがつけたんでしょうね。
詳しい事は知りませんでしたが、
五代さんが横浜でそんなお芝居するというのは
聞いたことがありましたが、それが
メリーさんの事でしたか?
ちなみに大和田兄弟は福井の敦賀の出身です。

興味深いお話ありがとね。

でもさくらえびさんもbonjiさんも実際に会ってるんですね。それも凄いね。
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わんこさんへ (bonji)
2013-08-06 21:33:27
広島、そして長崎ですね、
戦争に人生を変えられてしまった
そんなたくさんの日本人に手を合わせました。
彼女もたぶん戦争で人生を変えてしまったのでしょう、
横浜の伊勢佐木町や横浜駅周辺で暮らしていました。

大和田兄弟は福井ですか!
弟は新婚の頃、
五大さんの実家のマンションに住んでいて、
お隣同士でした。
路子さんはとても気さくな人柄だそうです。

            bonji
返信する
見たことあります。 (koba)
2013-08-07 05:29:25
五大さんのお芝居のことは
新聞でちらっとみましたが
よくは読んでいませんでした。
あの白い人を演じていることを始めて知りました。

ずっと昔横浜駅のあたりで、数回みました。
なんとも「不思議なひとだなぁ」と思った
記憶が残っていました。

先日高島屋で昭和の原風景を模した
ジオラマ見てきました。

敗戦当時の街の様子から、昭和も遠くなったものだと
つくづく思いました。
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kobaさんへ (bonji)
2013-08-07 08:00:05
見かけられていらしたのですね、
やはり人ごみの中でも
かなり目立つ姿でした、
横浜も大きく変わりましたね、
確か中学の修学旅行の集合場所が
横浜駅西口で、古い駅から変わる工事中で、
改札口の足元は木材で覆われていた
記憶があります、
いまだ工事中の横浜駅は有名ですね。
五大さんの一人芝居は
『横浜ローザ』、メリーさんの生涯です。


             bonji

返信する
こんばんは (lily)
2013-08-08 19:46:54
五大路子さんが一人芝居をされていると聞いたことあります。
このお芝居は実在の方のお話なんですね。
「ハマのメリーさん」のことを全然知らなかったのですが、なんだか切ない話ですね。
でも年老いての写真でのメリーさん、本当に極 普通の上品なおばあさんって感じですね。
この方は日本の方ですか?
外国の方だったのですか?
返信する
ハマのメリーさん (☆銀河☆)
2013-08-09 10:15:36
 私は会ったことはないのですが、
晩年、新聞や雑誌でかなり特集されていた時期があり、
ビルのオーナーの好意で椅子を並べて寝ている話や、
故郷の老人ホームで暮らしている話は知っていました。

たくさんの方が見かけてらっしゃったのね。
奇異な感じではあっても、毅然としていたという点は
興味をそそられる部分がありますね。
一体どんな人生を送ってきたのか、
戦後世代の私達には計り知れない人生だったのでしょう。
返信する
lilyさんへ (bonji)
2013-08-09 10:44:25
岡山出身の日本人です、
日本人と結婚、
離婚した後、アメリカ人の愛人となり、
彼が帰国、
その後横須賀の米軍基地周辺で
娼婦として生き、
1960年ごろから、伊勢佐木町や
横浜駅近辺で見かけました。
70歳後半まで、白塗りでしたから、
ドキメンタリー映画で、
施設で暮らす様子を見て、
素顔を初めてみました。


            bonji
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☆銀河☆さんへ (bonji)
2013-08-09 10:54:51
私は仕事場が近かったので
よく見かけました。
そのビルに友人がいまして、
いつも座っている椅子が壊れたので、
使っていない椅子を提供したら
お礼に何かいただいて、
熨斗紙の苗字と、
知り合いが病院の受付をしてたときに
貧血で倒れて病院に運ばれた時の
カルテの名前が違っていました。
実名は明かされていないのですよ。
友人は見かけるとチップを渡していました。

             bonji
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