真夜中の2分前

時事評論ブログ
「真夜中の5分前」→「3分前」→「2分前」に

戦争は平和なり――1984年は近い

2015-05-17 20:53:17 | 政治・経済
   戦争は平和なり
   自由は隷従なり
   無知は力なり
                 (ジョージ・オーウェル『1984』)

 今回は、安倍政権が閣議決定し今国会中の成立を目指すとしているいわゆる安保法制について書きたい。
 冒頭の引用は、近未来ディストピア小説の古典的名作であるジョージ・オーウェル『1984』からのものである(高橋和久訳・早川書房新訳版。以下、引用は同版による)。この小説の舞台は、“ビッグ・ブラザー”に支配された超・監視統制社会〈イングソック〉。その“真理省”の白い壁に掲げられているスローガンが、冒頭の三行だ。
 このパッセージを見て誰でも想像がつくように、ここで取り上げるのは、先日、社民党の福島瑞穂氏が安保関連法案を「戦争法案」と呼んだことに対して自民党が議事録の修整を要求した件である。
 報道されているところによれば、特定秘密保護法案の審議の際に、“特定秘密”という言葉が不穏なイメージを持っていたために、国民から反対の声があがった――という反省が政府与党にはあり、そのために彼らは言葉遣いに非常に敏感になっているという。それが、新たに提出された一連の法案を「平和安全法制」と名づけるというところにもつながっているわけだ。
 この問題に関しては、よもやオーウェルの世界がこうまで露骨なかたちで現実のものになるとは思っていなかったというのが私の率直な感想だ。
 すでに各方面で指摘されているとおり、今回の安保関連法案は、誰がどう考えても戦争の方向に大きく足を踏み出すものである。それに、政府与党は、「平和」という名をつけている。そのあまりのあからさまな『1984』っぷりは思わず笑ってしまうほどだが、しかしこれはジョークではなく現実だ。そのことに思い至ると、今度は薄ら寒くなってくる。
 オーウェルの描く近未来世界では、「二分間憎悪」によって国民は憎悪をかきたてられ、慢性的な戦争状態にある。戦争などなくてもほとんど事情は変わらないのに、同じような監視統制社会を持つ三つの国が、互いを批判しあいながら戦争を続ける。その恒久的戦争状態こそが、平和だというのである。国民は、この矛盾した内容を合理化する“二重思考”を身につけなければならない。二重思考とは、「――入念に組み立てられた嘘を告げながら、どこまでも真実であると認めること――……(中略)……民主主義は存在し得ないと信じつつ、党は民主主義の守護者であると信ずること――忘れなければいけないことは何であれ忘れ、そのうえで必要になればそれを記憶に引き戻し、そしてまた直ちにそれを忘れること……」である。この原則にしたがって、国民は自国の過去の行動について、“過去を変更”――つまり、都合の悪いことはなかったことにしなければならない。党のスローガンによれば、“過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする”のである(しかも、そうのうえでさらに二重思考の原則にしたがって、過去は変更されたことなどないと信じなければならない)。それを怠ると、思考警察によって逮捕され、収容所に送られることとなる。
 安倍首相は、今年アメリカ議会の調査局が発表した報告書で「歴史修正主義的」と認定されたが、その修正主義的姿勢を批判したドイツの新聞社に外務省が抗議するなど、彼らはどうやら“過去はコントロール”できるものと思っているらしい(そしてまた、二重思考の原則にしたがって、変更などしていないと信じてもいるらしい)。その姿も、『1984』のビッグ・ブラザーに重なって見える。思想のすみまで統制されるイングソックの社会は、もう現実のすぐそばにまで迫ってきているのかもしれない。