2015年がやってきた。
本ブログにおける今年最初のテーマとして、特定秘密保護法について物申したい。
こう書くと、「え? 今ごろ?」と思われるかもしれない。だが、今であることが大事なのだ。なぜそうなのかということも含めて、これからこの法律に対する私見を述べていきたい。
といっても、特定秘密保護法そのものについてとくに新しい問題点を指摘しようというようなことではない。この法案が国会で審議されていた2013年秋ごろにメディアで問題とされたことを、以下にいくつか列挙する。
①どこまでが“特定秘密”に含まれるかがはっきりせず、拡大解釈される可能性が高い。
②メディアが取材しづらくなり、結果として国民の知る権利が侵害されるおそれがある。特にフリージャーナリストは活動しづらくなると思われる。
③「教唆」だけで罪が成立し、それが特定秘密にあたるかどうかも知らずになにげなく質問しただけで罪に問われかねない。
④石破茂幹事長(当時)がブログで法案へ反対するデモを「テロ行為」と呼んで問題視されたが、つまるところ政府与党には、「秘密保護」に名を借りて反対意見を封殺しようという意図があるのではないか(石破氏は問題の発言を撤回しているが、これは彼の考え方を表明したものであり、発言を撤回したとしてもそこに表れている彼の思想をなかったことにするものではないと私は考える)。
⑤各種世論調査をみても、反対の人が多い。
⑥特定秘密に指定された情報を取り扱うことになる責任者へは適正評価が行われるが、これによってプライバシーが侵害されるおそれがある。
……などである。なかでも①の点がもっとも問題にされるところだと思うので、この点をもう少し掘り下げてみたい。
本当に特定秘密は拡大解釈されないのか。そのための合意はできているのか。これが、はなはだあやしい。この法案が審議された2013年秋の臨時国会では、あるとき自民党の小池百合子衆院議員が「首相動静は知る権利を超えている」といい、後に菅官房長官が「特定秘密にはあたらない」と指摘。また、法案の担当大臣である森雅子特定秘密保護法担当相は、TPP交渉に関する情報が特定秘密にあたるかを問われて「私が判断できない」と答えるなど、政府与党内部でも見解がちぐはぐである。ちなみに担当大臣である森氏に関しては、その後「食品の安全」も特定秘密になるかもしれないなどとも発言している。食品の中にテロリストが毒物を入れるというような情報がある場合、テロ対策として特定秘密になるかもしれないというのである。この発言ひとつとっても、特定秘密なるものがいくらでも恣意的に拡大解釈できるものであることがわかるだろう。繰り返しになるが、石破茂氏にとってデモはテロ行為なのである。
また、ちょうどその頃ニュースになった話として、海上自衛隊の護衛艦「たちかぜ」でのいじめ自殺裁判でその証拠となる文書が隠蔽されていたという一件があった。いじめの存在を示す内部調査資料が存在していたにもかかわらず、遺族の情報公開に対して「破棄した」と嘘をついて隠していたのである。これなども、このような隠蔽体質を持った組織によって「特定秘密」が拡大解釈されるおそれを現実の出来事として示したものと考えられる。ちなみにこの文書の存在を内部告発した3等海佐に対して、防衛省は一時懲戒処分をくだそうともしていた。このような組織が、特定秘密を担うことになるのである。
こうした一連の批判・懸念に対して安倍首相は「秘密の範囲が広がることはない」「一般国民が巻き込まれることはない」というようなことをいっているのだが、これらの発言に関しても、いったい何の根拠があってそんなことを言い切れるのかという批判が巻き起こった。
私もまた、安倍首相がそう請合ったところで、信じる気にはまったくなれない。
そもそも、この総理はできもしないことを軽々しく「やります」と約束する癖がある。その一つの例として――これもまた古い話になるが――2007年にもちあがった年金記録問題がある。このときが第1次安倍政権にあたっていたのだが、このいわゆる“宙に浮いた年金”問題で安倍首相は、納付者が特定できない約5000万件について「最後のお一人にいたるまでチェックしてきちんと年金をお支払いしていく」と述べた。本当にそんなことが可能なのかと多くの人が疑ったと思うが、それから7年が経ち、やはり不可能であることが明らかになっている。この件について社会保障審議会が去年一月に報告書を出しているのだが、その報告によれば「最後のお一人にいたるまで」どころか、2000万件以上が未解明のままで残されており、そのうえで報告書は《「すべての人の年金記録について100%完全な回復」がなされることは、まず不可能という現実を踏まえておく必要がある。》と指摘している。つまり安倍首相は現実を踏まえない実現不可能な約束をしていたわけだ。
そしてもう一つ、これはわりかし最近の話だが、国会議員の定数削減問題がある。2012年の臨時国会で安倍氏は、自民党総裁として当時の野田首相に対して議員定数削減を約束している。このやりとりは、はっきりと映像としても記録されている。それが実現されていないじゃないか――というのが、選挙の前に報道番組などで取り上げられた。これに関して当の安倍総理は、自分は「自民と民主だけでは決められないけれど」ということをいっておいた、その部分がカットされている、などと逆ギレしていたが、本当にそれは言い訳になるのか。ごく普通に考えて、自民と民主だけで決められないというのなら、その両者の間だけで「約束します」ということ自体がおかしくないか。本当にそう思っているのなら、約束しますとはいわずに、「あなたと私の間だけでは決められませんから、約束はできません」というべきである。できないとわかっていながら約束するということ自体、きわめて無責任で、口先だけと批判されてもやむをえまい。こういった無責任な約束をする“前科”があるから、問題の特定秘密保護法に関しても、安倍首相がいくら懸念されるような事態は起きないと言い張ったところで、私はそれを信頼する気にはなれないのである。
そしてここで、特定秘密保護法が成立した直後の朝日新聞の記事の一部を引用しておこう。
《秘密保護と知る権利を調整する国際指針「ツワネ原則」の採択を主導した米国の「オープン・ソサエティー財団」は6日、特定秘密保護法の中身は国際基準にほど遠いとして深い憂慮を示す声明を出した。また、同財団の上級顧問で元米政府高官のモートン・ハルペリン氏は「21世紀に民主国家で検討されたもので最悪レベルのもの」と強く批判した。》
以上が、特定秘密保護法に関してとりあえず私がいっておきたいことである。
で、ここからは、なぜ今になって二年前の話をはじめたのかということを説明したい。
そのためのたとえ話として――唐突に思えるかもしれないが――ロシアとウクライナの対立の話をしよう。
昨年、ロシアはウクライナのクリミア半島を併合し、そのあとウクライナ東部で騒乱を起こさせた。これは、クリミア併合を既成事実化するための策といわれる(現地の親露派の暴走という見方もあるようだが)。クリミア併合から間をおかずにすぐに東部の紛争が生じたために、国際社会の関心はそちらにひきつけられ、クリミアのことはほとんど注意が払われない状態となったのだ。
私は、安倍政権が特定秘密保護法、集団的自衛権と立て続けに重大なイッシューを扱ったのは、同じような狙いがあったのではないかと勘繰っている。特定秘密保護法は各方面から反対の声があがったが、それが成立するとすぐに今度は集団的自衛権の行使容認という話が出てきた。これによって、マスメディアは今度は集団的自衛権に関する議論が大きなウェイトを占めることになり、特定秘密保護法の話は影を潜めていった。このようにして、なし崩しに既成事実化されたのである。それがはじめからの狙いだったのかは知る由もないが、結果としてロシアの対ウクライナ政策と同じ効果が生じたことは否めないと思う。狼は、足跡を隠す。そうして、獲物に気づかれないようにそっと背後から忍び寄るのだ。気づいたときにはもう逃げることもできない――
こういう手法がまかり通るとなると、政府はもうやりたい放題である。一つのイッシューが問題視されても、閣議決定なり法案を成立させるなりして次のイッシューを提示すれば、前のものは自動的に過去の領域に押し出され既成事実化される。無茶苦茶な法律は、出せば出すほどお得ということになってしまう。実際のところ、先に特定秘密保護法が施行されたときには、その法案が審議されていたころに比べれば、はるかにメディアの取り上げ方は小さくなっていた。
そこで、最初の話に戻ってくる。このような逃げ得を許さないために、われわれは、時々おりにふれて「あいつらそういえばあんな無茶苦茶なことしてたよなあ」と思い出すべきなのだ。そうしなければ、世界はいつの間にか闇の淵に引きずりこまれてしまうだろう。忘却とあきらめは、強権的政府にとっての最大の武器である。そういうわけで、今回は特定秘密保護法のことを取り上げた。今回の記事で、あらためてこの法律のことを思い出し、読者諸氏にその危険性を再認識してもらえたなら、書いた意味もあったというものである。
本ブログにおける今年最初のテーマとして、特定秘密保護法について物申したい。
こう書くと、「え? 今ごろ?」と思われるかもしれない。だが、今であることが大事なのだ。なぜそうなのかということも含めて、これからこの法律に対する私見を述べていきたい。
といっても、特定秘密保護法そのものについてとくに新しい問題点を指摘しようというようなことではない。この法案が国会で審議されていた2013年秋ごろにメディアで問題とされたことを、以下にいくつか列挙する。
①どこまでが“特定秘密”に含まれるかがはっきりせず、拡大解釈される可能性が高い。
②メディアが取材しづらくなり、結果として国民の知る権利が侵害されるおそれがある。特にフリージャーナリストは活動しづらくなると思われる。
③「教唆」だけで罪が成立し、それが特定秘密にあたるかどうかも知らずになにげなく質問しただけで罪に問われかねない。
④石破茂幹事長(当時)がブログで法案へ反対するデモを「テロ行為」と呼んで問題視されたが、つまるところ政府与党には、「秘密保護」に名を借りて反対意見を封殺しようという意図があるのではないか(石破氏は問題の発言を撤回しているが、これは彼の考え方を表明したものであり、発言を撤回したとしてもそこに表れている彼の思想をなかったことにするものではないと私は考える)。
⑤各種世論調査をみても、反対の人が多い。
⑥特定秘密に指定された情報を取り扱うことになる責任者へは適正評価が行われるが、これによってプライバシーが侵害されるおそれがある。
……などである。なかでも①の点がもっとも問題にされるところだと思うので、この点をもう少し掘り下げてみたい。
本当に特定秘密は拡大解釈されないのか。そのための合意はできているのか。これが、はなはだあやしい。この法案が審議された2013年秋の臨時国会では、あるとき自民党の小池百合子衆院議員が「首相動静は知る権利を超えている」といい、後に菅官房長官が「特定秘密にはあたらない」と指摘。また、法案の担当大臣である森雅子特定秘密保護法担当相は、TPP交渉に関する情報が特定秘密にあたるかを問われて「私が判断できない」と答えるなど、政府与党内部でも見解がちぐはぐである。ちなみに担当大臣である森氏に関しては、その後「食品の安全」も特定秘密になるかもしれないなどとも発言している。食品の中にテロリストが毒物を入れるというような情報がある場合、テロ対策として特定秘密になるかもしれないというのである。この発言ひとつとっても、特定秘密なるものがいくらでも恣意的に拡大解釈できるものであることがわかるだろう。繰り返しになるが、石破茂氏にとってデモはテロ行為なのである。
また、ちょうどその頃ニュースになった話として、海上自衛隊の護衛艦「たちかぜ」でのいじめ自殺裁判でその証拠となる文書が隠蔽されていたという一件があった。いじめの存在を示す内部調査資料が存在していたにもかかわらず、遺族の情報公開に対して「破棄した」と嘘をついて隠していたのである。これなども、このような隠蔽体質を持った組織によって「特定秘密」が拡大解釈されるおそれを現実の出来事として示したものと考えられる。ちなみにこの文書の存在を内部告発した3等海佐に対して、防衛省は一時懲戒処分をくだそうともしていた。このような組織が、特定秘密を担うことになるのである。
こうした一連の批判・懸念に対して安倍首相は「秘密の範囲が広がることはない」「一般国民が巻き込まれることはない」というようなことをいっているのだが、これらの発言に関しても、いったい何の根拠があってそんなことを言い切れるのかという批判が巻き起こった。
私もまた、安倍首相がそう請合ったところで、信じる気にはまったくなれない。
そもそも、この総理はできもしないことを軽々しく「やります」と約束する癖がある。その一つの例として――これもまた古い話になるが――2007年にもちあがった年金記録問題がある。このときが第1次安倍政権にあたっていたのだが、このいわゆる“宙に浮いた年金”問題で安倍首相は、納付者が特定できない約5000万件について「最後のお一人にいたるまでチェックしてきちんと年金をお支払いしていく」と述べた。本当にそんなことが可能なのかと多くの人が疑ったと思うが、それから7年が経ち、やはり不可能であることが明らかになっている。この件について社会保障審議会が去年一月に報告書を出しているのだが、その報告によれば「最後のお一人にいたるまで」どころか、2000万件以上が未解明のままで残されており、そのうえで報告書は《「すべての人の年金記録について100%完全な回復」がなされることは、まず不可能という現実を踏まえておく必要がある。》と指摘している。つまり安倍首相は現実を踏まえない実現不可能な約束をしていたわけだ。
そしてもう一つ、これはわりかし最近の話だが、国会議員の定数削減問題がある。2012年の臨時国会で安倍氏は、自民党総裁として当時の野田首相に対して議員定数削減を約束している。このやりとりは、はっきりと映像としても記録されている。それが実現されていないじゃないか――というのが、選挙の前に報道番組などで取り上げられた。これに関して当の安倍総理は、自分は「自民と民主だけでは決められないけれど」ということをいっておいた、その部分がカットされている、などと逆ギレしていたが、本当にそれは言い訳になるのか。ごく普通に考えて、自民と民主だけで決められないというのなら、その両者の間だけで「約束します」ということ自体がおかしくないか。本当にそう思っているのなら、約束しますとはいわずに、「あなたと私の間だけでは決められませんから、約束はできません」というべきである。できないとわかっていながら約束するということ自体、きわめて無責任で、口先だけと批判されてもやむをえまい。こういった無責任な約束をする“前科”があるから、問題の特定秘密保護法に関しても、安倍首相がいくら懸念されるような事態は起きないと言い張ったところで、私はそれを信頼する気にはなれないのである。
そしてここで、特定秘密保護法が成立した直後の朝日新聞の記事の一部を引用しておこう。
《秘密保護と知る権利を調整する国際指針「ツワネ原則」の採択を主導した米国の「オープン・ソサエティー財団」は6日、特定秘密保護法の中身は国際基準にほど遠いとして深い憂慮を示す声明を出した。また、同財団の上級顧問で元米政府高官のモートン・ハルペリン氏は「21世紀に民主国家で検討されたもので最悪レベルのもの」と強く批判した。》
以上が、特定秘密保護法に関してとりあえず私がいっておきたいことである。
で、ここからは、なぜ今になって二年前の話をはじめたのかということを説明したい。
そのためのたとえ話として――唐突に思えるかもしれないが――ロシアとウクライナの対立の話をしよう。
昨年、ロシアはウクライナのクリミア半島を併合し、そのあとウクライナ東部で騒乱を起こさせた。これは、クリミア併合を既成事実化するための策といわれる(現地の親露派の暴走という見方もあるようだが)。クリミア併合から間をおかずにすぐに東部の紛争が生じたために、国際社会の関心はそちらにひきつけられ、クリミアのことはほとんど注意が払われない状態となったのだ。
私は、安倍政権が特定秘密保護法、集団的自衛権と立て続けに重大なイッシューを扱ったのは、同じような狙いがあったのではないかと勘繰っている。特定秘密保護法は各方面から反対の声があがったが、それが成立するとすぐに今度は集団的自衛権の行使容認という話が出てきた。これによって、マスメディアは今度は集団的自衛権に関する議論が大きなウェイトを占めることになり、特定秘密保護法の話は影を潜めていった。このようにして、なし崩しに既成事実化されたのである。それがはじめからの狙いだったのかは知る由もないが、結果としてロシアの対ウクライナ政策と同じ効果が生じたことは否めないと思う。狼は、足跡を隠す。そうして、獲物に気づかれないようにそっと背後から忍び寄るのだ。気づいたときにはもう逃げることもできない――
こういう手法がまかり通るとなると、政府はもうやりたい放題である。一つのイッシューが問題視されても、閣議決定なり法案を成立させるなりして次のイッシューを提示すれば、前のものは自動的に過去の領域に押し出され既成事実化される。無茶苦茶な法律は、出せば出すほどお得ということになってしまう。実際のところ、先に特定秘密保護法が施行されたときには、その法案が審議されていたころに比べれば、はるかにメディアの取り上げ方は小さくなっていた。
そこで、最初の話に戻ってくる。このような逃げ得を許さないために、われわれは、時々おりにふれて「あいつらそういえばあんな無茶苦茶なことしてたよなあ」と思い出すべきなのだ。そうしなければ、世界はいつの間にか闇の淵に引きずりこまれてしまうだろう。忘却とあきらめは、強権的政府にとっての最大の武器である。そういうわけで、今回は特定秘密保護法のことを取り上げた。今回の記事で、あらためてこの法律のことを思い出し、読者諸氏にその危険性を再認識してもらえたなら、書いた意味もあったというものである。