先日、安保関連法案の反対運動に関するツイッターを見ていて、ある歌の引用を目にした。中島みゆきの「ファイト」という歌である。あらためてその歌詞を思い起こしてみると、じつにいまの状況にぴったりな気がしてきた。そこで本記事では、今回の騒動とからめて勝手に注釈をくわえながら、この歌を紹介したい。
あたし 中卒やからね 仕事をもらわれへんのやと書いた
女の子の手紙の文字は 尖りながら震えている
ガキのくせにと頬を打たれ 少年達の目が歳をとる
悔しさを握りしめすぎた拳のなか 爪が突き刺さる
このフレーズは、「就職できなくて震える」などと心ない大人たちから罵声を浴びせられる若者たちの姿を思い起こさせる。
わたし本当は目撃したんです 昨日の夜 電車の駅 階段で
転がり落ちた子どもと 突き飛ばした女の薄笑い
私こわくなってしまって 助けもせず 叫びもしなかった
ただ怖くて 逃げました 私の敵は私です
転がり落ちた子どもと、突き飛ばした女の薄笑い――この一節からは、未来世代を終わりのない対立と紛争の淵に突き落とす法案を薄笑いを浮かべながら通す与党議員らの姿が思い浮かぶ。そんな状況に遭遇して、助けもせず、叫びもせずに、ただ怖くて逃げてしまうような自分を許せないという人たちが立ち上がり、全国各地で声をあげた。そんな人たちにむけられたエールのように感じられるのが、次のサビの部分。
ファイト!
闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト!
冷たい水の中を震えながらのぼってゆけ
さらにそこからの歌詞は、まさにいまの状況を歌っているようだ。
暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
光ってるのは傷ついて はがれかけた鱗がゆれるから
いっそ水の流れに身をまかせ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
やせこけて そんなにやせこけて
魚たち のぼってゆく
勝つか負けるか それはわからない
それでもとにかく闘いの 出場通知を抱きしめて
あいつは海になりました
この部分に注釈は不要だろう。
抗議活動などしたところで意味がないという人もいるが、絶望的な状況で、それでも立ち向かっていく姿は、多くの人に勇気を与えるのではないだろうか。それによって、また新たに立ち上がる人が出てくる。その連鎖が、今回の大規模な抗議行動につながった。
薄情者が田舎の町に 後足で砂ばかけるっていわれてさ
出てくならお前の身内も 住めんようにしちゃるっていわれてさ
うっかり燃やしたことにして やっぱり燃やせんかったこの切符
あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京行き
あたし男に生まれたらよかったわ 力づくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれたよかったわ
終盤の歌詞は、このように暗澹とした状況が歌われる。これは個人的な感想だが、私の地元である福岡あたりの方言で歌われているために、なお切々とせまってくる。“世間”、あるいはどこか官僚主義的な日常とでもいうべきものが、重苦しくのしかかってくる。
しかし最後は、かすかな希望のようなものを見せてもくれる。
ああ小魚たちの群れ きらきらと
海のなかの国境をこえてゆく
あきらめという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく
いま、小魚たちの群れは、“あきらめという名の鎖”から逃れつつあるのかもしれない。
そこに大きな苦難が待ちかまえているであろうことはたしかだが、暗い水の流れに身をまかせて流れ落ちてしまうことなく抗う力と勇気を、抗議者たちは見せてくれたし、今も見せ続けている。その力は、やがて海のなかの見えない国境をこえてゆくかもしれない。
政府与党の側は、とにかく法案をごり押しに可決成立させることで、抗議者たちがあきらめてしまうことを狙っている。だが、あきらめることなく、世の中を闇の淵に引きずり込んでいく重力に抗い続けるかぎり、希望はある。傷つき、やせこけても、それでも水の中をのぼってゆく魚たちの群れに、最後にもう一度このフレーズを繰り返しておこう。
ファイト!
闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト!
冷たい水の中を震えながらのぼってゆけ
あたし 中卒やからね 仕事をもらわれへんのやと書いた
女の子の手紙の文字は 尖りながら震えている
ガキのくせにと頬を打たれ 少年達の目が歳をとる
悔しさを握りしめすぎた拳のなか 爪が突き刺さる
このフレーズは、「就職できなくて震える」などと心ない大人たちから罵声を浴びせられる若者たちの姿を思い起こさせる。
わたし本当は目撃したんです 昨日の夜 電車の駅 階段で
転がり落ちた子どもと 突き飛ばした女の薄笑い
私こわくなってしまって 助けもせず 叫びもしなかった
ただ怖くて 逃げました 私の敵は私です
転がり落ちた子どもと、突き飛ばした女の薄笑い――この一節からは、未来世代を終わりのない対立と紛争の淵に突き落とす法案を薄笑いを浮かべながら通す与党議員らの姿が思い浮かぶ。そんな状況に遭遇して、助けもせず、叫びもせずに、ただ怖くて逃げてしまうような自分を許せないという人たちが立ち上がり、全国各地で声をあげた。そんな人たちにむけられたエールのように感じられるのが、次のサビの部分。
ファイト!
闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト!
冷たい水の中を震えながらのぼってゆけ
さらにそこからの歌詞は、まさにいまの状況を歌っているようだ。
暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
光ってるのは傷ついて はがれかけた鱗がゆれるから
いっそ水の流れに身をまかせ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
やせこけて そんなにやせこけて
魚たち のぼってゆく
勝つか負けるか それはわからない
それでもとにかく闘いの 出場通知を抱きしめて
あいつは海になりました
この部分に注釈は不要だろう。
抗議活動などしたところで意味がないという人もいるが、絶望的な状況で、それでも立ち向かっていく姿は、多くの人に勇気を与えるのではないだろうか。それによって、また新たに立ち上がる人が出てくる。その連鎖が、今回の大規模な抗議行動につながった。
薄情者が田舎の町に 後足で砂ばかけるっていわれてさ
出てくならお前の身内も 住めんようにしちゃるっていわれてさ
うっかり燃やしたことにして やっぱり燃やせんかったこの切符
あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京行き
あたし男に生まれたらよかったわ 力づくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれたよかったわ
終盤の歌詞は、このように暗澹とした状況が歌われる。これは個人的な感想だが、私の地元である福岡あたりの方言で歌われているために、なお切々とせまってくる。“世間”、あるいはどこか官僚主義的な日常とでもいうべきものが、重苦しくのしかかってくる。
しかし最後は、かすかな希望のようなものを見せてもくれる。
ああ小魚たちの群れ きらきらと
海のなかの国境をこえてゆく
あきらめという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく
いま、小魚たちの群れは、“あきらめという名の鎖”から逃れつつあるのかもしれない。
そこに大きな苦難が待ちかまえているであろうことはたしかだが、暗い水の流れに身をまかせて流れ落ちてしまうことなく抗う力と勇気を、抗議者たちは見せてくれたし、今も見せ続けている。その力は、やがて海のなかの見えない国境をこえてゆくかもしれない。
政府与党の側は、とにかく法案をごり押しに可決成立させることで、抗議者たちがあきらめてしまうことを狙っている。だが、あきらめることなく、世の中を闇の淵に引きずり込んでいく重力に抗い続けるかぎり、希望はある。傷つき、やせこけても、それでも水の中をのぼってゆく魚たちの群れに、最後にもう一度このフレーズを繰り返しておこう。
ファイト!
闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト!
冷たい水の中を震えながらのぼってゆけ