興味津々

日々思ったことを綴ります

実家のこと

2021年05月16日 | 雑記
母は こんなになるなんて といつも話す
老いること 物事がわからなくなること
その寂しさ 悲しさ 苦しさ
を訴える

生きているって辛いこと

実家は私にとっては複雑な家であった

その複雑さは説明が難しく
その複雑さを説明出来たとしても
そこで育ち生きる苦しさは
誰にもわかってもらえないだろうと思う

それをわかってもらえるのは
他の誰でもなく 母だけである
母の苦しみも私にしか分かりえない部分がある

しかし私は母を攻撃したくなってしまう

例えば
父や祖父に 外に女性がいたとか
そんな単純なことなら分かりやすいだろうと思う
そういうことではない

例えば 家にお金がない とか
出生による差別を受けていた とか
犯罪人がいたとか そういうことでもない

そして それを外に話した場合は
たぶん傷つく人がいるだろうとも考えられるし
母は親戚などの人間関係を壊すことを何よりも恐れている

私はその狭間でずっと苦しんでいるのだと思っている

その苦しみから逃れられるほどの
社会的な力は得られなかった

loser って単語が私にはピッタリ

後ろ向きになった時にはそう思う

何も出来ない どんなことでも劣等なのである
ひとつくらい秀でたことがあっても良かったのに。

実家は いつも散らかっている
散らかっている状態が母のために良くないと思うから片付ける
片付けようとすると それはまだ捨てないでほしい
あとで読んで判断する という

そういう写真入りの商品案内やら会報やらノートやら領収書やら請求書
が机の上で常に山になって 
本当に必要な書類と共に乱雑に混じっている

食器をどこに片付けるのか決まっていない
筆記用具もスプーンや箸などの食器も全部机の上の
乱雑に置かれたコップにゴチャゴチャに刺さっている
食事は広いテーブルの荷物の隙間で取るのである
最近はもう買ってきたお弁当やらそういうもの
飲み物もほとんどペットボトル。弟も何もしない

母の入院中に片付けようと冷蔵庫を整理したのは数年前
消費期限切れのもの、カビの生えたようなもの
そういうものを処分したつもりでいたら
翌日弟によって全て冷蔵庫に戻っていた
母が嫌がったらしい

その辺りから 
その後も色々な事件があり
嫌気がさして来ている
酷い喧嘩もした

母は私を「怖い子」
あんたは怖い と言う
夫にまで電話で言う

なんで電話して来ないのか
毎日でも心配して電話をかけるべきじゃないか
何か手伝うことはないか と言ってくれれば
嬉しいのに
なんで来てくれないのか… とキレたこともある

優しくしたくても だんだんと腹が立ってくるのである
弟の私に対する態度にも寂しくて悲しいから腹を立てる
腹を立てると母が弟をかばう
かばう母にまた悲しくなって腹を立ててしまう

私は実家を自分の思い通りにしたいのだろう
と夫は冷静に分析してみる

ともかく母は仕切りたいのである 
基本的に自分の家のことは
自分で仕切りたい のだろう

しかし実際にじわじわと全てのことが出来なくなっている

お金のことはとりわけ分かっていない
そして結局 弟にも譲ろうとしない

私に優しさが足りないから そういう母とは
上手くやっていけない部分が生じている

母屋に家族とともに暮らしていた
父の弟が早くに亡くなり
その叔父家族が母屋に住み続けていて現在に至ること

祖母が父や母の金銭管理を全てしていたこと

母が大学に通うため、離れの暗い部屋で
ひとりで長い間どうやって時間を過ごすのか考えながら
母の帰りを待っていたこと

従妹達と遊ぶ時は 私が先導役だったけれど
叔母が早くに帰宅したらさっと私を置いて母屋に行ってしまったこと
置き去りになった幼い私は当然寂しかった
叔母は従妹達が私の格下扱いになるのを恐れていたのではないかとも想像される

母屋にはテレビもピアノもあったし犬も飼われていた 
火鉢に炬燵 台所 団らん 風呂 トイレ 多くの部屋
お手伝いさんもいた 持っていない人形やおもちゃ、絵本…
私はそのいちいちに知らず知らず羨ましく思っていたのだと思う

叔母は叔母でひたすら従妹達が順当に育つように心を砕いていたに違いない

父は片道3時間かかる職場の大学に通うためほとんど家にはいなかった
祖母や叔母家族を置いて引っ越しすることは出来なかった
そして弟は病気になった

一番目の孫として最初は注目されていたにも関わらず
私の存在は家族にとって薄いものになった、とどこかでひがんでいたのかも知れない

ついに思い出深い母屋を叔母がすっかり新築に建て替えたときに
祖母経由で父のお金がかなり流れていたのかもわからない
そんなことは全然知らないまでも
私はかなりの反発を覚えた
大人達は
私の母屋への思い入れなんて当然無視されていたが
父も反対していたことを覚えている
確かに古いトイレは汲み取り式だったし、叔母家族のためには建て替えて当然かも知れないのだが
私には自分の家の一部だったからそれが悲しかったのである
建て増しされた離れのリビングのベランダからすっかりそびえ立って見える叔母の家が
今現在でも私には憎しみの対象でさえある
憎んではいるのだが、その憎しみは決して表に出せるものではない

私の性格がひずんでしまったこと
寂しくて能力が十分に伸びなかったのではないか等
私は自分の不幸の全てを
生まれた実家の家族構成の異常さ所以だと思ってきた

それらを知らずに育ち
ほとんど私の苦しみの存在を知らずに来た従妹達に対しても
私達家族から精神的に独立すべく頑張って生きた
医者で世間的に信頼された立派な亡くなった叔母に対しても
恨みに似た感情を持ってしまう
恨みを持つ自分は悪い という罪悪感を抱きつつ
現実私は悲しいことに優秀でもなく努力することも出来ず
その原因は あの家のせいだ といつも考えているのである

今では
人並み以上の幸せを生きている というのに
実家を振り返ると 愛するはずの母や弟や亡くなった父を思うと
父のことも母のことも尊敬していたこともあったはずなのに
少しはその感情を呼び起こすことも出来るのに
感謝しなければ と分かってはいるのに
常に恨みが伴い、時には嫌悪を抱き 複雑な心境になってしまう

先日母と久しぶりにそんな話をしていたら
母も胸のうちを話してくれて
あ~あんたとこういう話がしたかったのよ と言っていた

だけどそういう話をしたからといって
何も解決する訳ではない 
愚痴を述べて気を少し晴らしているだけ
現状 母は老いていくし家は散らかったままで
重要なことは放置して逃げているだけである

昔母屋だった隣の従妹の家は今では誰も住んでいない 持主が誰なのかも不明
母と弟の二人暮らしの実家を何とか出来るのは結局私しか居ないのかも知れないが
どうすれば良いのかわからないままなのである
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