西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

中年派遣員奮闘記(その12)

2016-01-02 | 奮闘記

NO.12[バニキディ村]

ワガドゥグから北東約300キロの所にバニキディという村があります、そこはDr.ディアノウがプロデュースされている所で、私の派遣団体では学校や診療所、井戸、などを作るほか、保健衛生教育や、教育面で教科書やノート、ペン、石鹸などを配布するなど数年に渡り係わっており、今回の訪問は離乳食と学校給食を作る施設建設の事で村の人達との事前の話し合いをすると言う活動です。

どんなに日本から色々な施設や物を与えても、それを使う人達の意見や意思、意識がなければ何もならないと言うSさんの話しを聞き、確かにブルキナファソは、まだ電気や清潔な飲み水も無い所が多く、また貧困の為病気になっても病院にかかれない人や学校へ行けない子供も沢山いて日本で考えるよりも実際に苛酷な環境の中で生活をしております。

それゆえにどんなに便利な物でもそれを使えるだけの知識や技術、維持するための最低の財力が無いと使い物にならないか、使えても維持管理が出来なくては宝の持ち腐れとなってしまいます。それにはまず村の人達との話し合いを充分にした上で村に人達が主体となって恒久的に使えるようにしなければ意味がないという事です。

ワガドゥグを出発したのは7時頃で、5人乗りのトラックにはドライバーとタプソバさんそしてDr.ディアノウと息子のマリオ君、そして清水さんと私の6人で乗り込みましたがトラックは少し後部座席が狭くかなりの鮨詰め状態です。ワガドゥグから数十キロ行った所からは舗装道路からラテライト道路になり、おまけに雨季なので雨が降るたびに道路が傷みます。

トラックはあまり乗り心地のことは考えて造られてはいない様でガタン!ガタン!と体に伝わる衝撃は予想したよりも激しく、道の壊れた所を縫うようにトラックは走ります。

約150㌔行った所で昼食を取る事になり、ブルキナ風ドライブインとでも言えましょうか広い敷地に屋根のあるテラスが5つ6つ在りとても良い雰囲気の所です。

私は朝から何も食べていませんのでビールとライスにピーナッツソースをかけたものを頂きました。鶏をピーナッツバターとコンソメスープで煮込んであるソースでこれが日本ではちょっと味わえない風味です。皆お腹もふくれ休息をして再び苦痛の道のりです。

しばらく車に揺られておりますとなんとなく込上げる物があり汗が出て、このまま我慢しようと堪えましたが車の振動が激しく、とう とう耐えかねて車を止めてもらい先ほど食べた物を全部出してしまいました。日本ではこんな事は無かったので、これから先は長いしとても不安にかられます。

20分程休息してどうにか気分も落ち着いて来たのでどうにか続行となりました。どこまでも続く悪路、揺れる車の中で「これがアフリカだ」と思いました。

バニキディ村に着いたのは夕方6時頃、もう日も暮れかかっていてDr.ディアノウが村の主な人達を紹介してくれ一通り挨拶が済むと診療所の前に行き一時たつと徐々に人が集まりだして、大人子供を含め約40人程度男性と女性のグループに分かれDr.ディアノウの進行で会議が始まりました。

議題は離乳食と学校給食を作る施設建設に付いてです。Dr.ディアノウが施設に付いてまず説明し、後に質疑応答デスカッション、会議は約1時間、最後はみんなで拍手をして滞りなく終了です。

会議も無事終了しボガンデと言う近郊の町に宿泊する事になり、街のレストランにて食事をしましたが初めての旅の疲れか体調も思わしくなく食欲も無いのでコーラを頂きましたが他の方々は美味しそうに鳥の料理を食べています。

Dr.ディアノウが「食べないと元気が出ないよ。」と言ってくれるのですが匂いだけでもまた気分が悪くなりとても食べる状態ではありません。ホテルは一戸建てで5部屋位あり一番奥が私の部屋です。

中を見ますと薄暗い部屋にベッドが在り、1日の汗を流そうとシャワルームに行くとタオルと石鹸が有りません、それまで日本のホテルの感覚でいましたので備わっているだろうと思っていたのは間違いでした。

疲れていて借りにいくのも面倒なのでとりあえず水で汗を流してハンカチで体を拭きベッドに倒れこみました。しかしそれからが大変、蚊は沢山いるしカヤがないので刺されないようにまた服を着て寝ると今度は暑苦しくてどうしようもないので扇風機を最大にして寝る事にしました。

ところが夜中の2時頃、雷の音で目が覚め間もなく停電に見舞われ、真っ暗の中で何も見えず暑くて体は汗でびっしょり、また「これもアフリカだ」と思い知らされました。

朝になり体は重くだるいので気分転換でも図ろうと外に出ますとマリオ君が居て、一緒にあたりを散歩していると沢山のアリがいます。そのアリが日本のアリに比べると3倍位あってあまり大きいので驚きます。アリの通り道を辿って行くと小さなアリを捕まえ自分の巣へ運んでいる様です。

そこでちょっといたずらをしてアリの通り道に大きな石を置いて見ると一瞬パニック状態になりますが又何も無かった様にもくもくと作業を続けます。「アリの世界も弱肉強食なんだな」などとちょっと複雑な心境に陥り、しばらく見とれていると出発の呼び声がして慌てて部屋に引き返し荷物をまとめ車に乗り込みました。

また帰りは過酷な道のりで、昨日の事も有り朝食は軽めに済ませワガドゥグへと車は走ります。

約半分の所で一休憩と言うことで車を止め固まった体をほぐしまた出発です。後部座席が窮屈なのでタプソバさんが荷台に乗り20キロくらい走った頃突然タプソバさんが大声で運転手に何か話をしています。

車が停止して話を聞くとどうやら財布を落としてしまったらしく、免許証や身分証明書なども一緒に入っていた為これは一大事と言う事で、又来た道を引き返す事になりました。道路ですれ違う人一人一人聞きながら戻ったのですが見当たらず、荷台に乗り移った所まで引き返しても有りません。

諦めて又引き返すと10キロほど行った所で財布が見つかりましたが、残念ながらお金と免許証が無くなってしまった様です。とても気の毒で何とも言えない心境でした。日本では荷台に乗って悪路を何十キロも行くと言う事は今では有り得ない事ですし、お金はともかく免許証は戻るはずです。

また「これがアフリカだ」と感じました。


次回をお楽しみに・・・・



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