西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

中年派遣員奮闘記(その3)

2015-12-20 | 奮闘記

NO.3[ロビーでの出来事]

午後の3時ブルキナの暑さは日本とは異質です。日本に比べ湿度が無いせいか、とにかく太陽光線が暑く日陰に行くととても涼しい。早く外に出て現地オフィスのSさんと会わなければ、と逸る気持ちを抑えながら荷物の受け渡しを待っていました。Sさんは日本人で私と業務を引き継ぐまで滞在されている方です。

ところが待てども一向に荷物が出てきません。やがて到着の時の賑わいも無くなりとうとう機械も止まってしまいました。頭の中はパニック状態、呆然としていると荷物係りの人なのか、何かこちらに向かって話しかけているので「私の荷物がない」と言うと事務所に連れて行ってくれ、そこにはベージュ色の税関の制服を着た大柄の人で金縁の眼鏡をかけ、髭面でプロレスラー・ブッチャーの様な強面の人が座っておりこちらを見ております。

そこでまた恐る恐る消え入りそうな、か細い声で「私の荷物がない」と言うと以外に優しく荷物のチケット見てパソコンで調べてくれた結果、シャルル・ドゴール空港にあることがわかりました。どうやら成田でワガドゥグ迄と言わなくてはいけなかったようです。

明日取りに来てくれと言われ、仕方なくすごすごとゲートを出ながら、Sさんがさぞかし心配しているだろうと思い周りを見ると、Sさんらしき姿は見受けられません、きっと待ちくたびれて帰ってしまったのか、それともあたりを探し回っているのか、などと最悪の事態を考えながら30分くらいじっと待っていると、ふと事務所の電話番号のメモがあったのを思い出し電話ボックスを探しましたが、それらしき物はありません。

なにやら電話の絵が描いてある小屋を覗いて見ると、幾つかの小さな部屋があり電話らしき物があります。その時ふと脳裏に、きっとここはブルキナファソの如何わしい出会い系のダイヤルの電話小屋なのかと思い、小屋の中にいた女の人に片言の英語で聞くと解からないようすで、仕方なく汗だくで身振り手振りで説明をするとムッとした顔で電話のほうを指差しています。

部屋に入ると電話は普通のものでお金を入れるところは無く、とりあえず勇気を振り絞って「お願いだから電話に出てくれー!」と念じながらダイヤルすると「アロー」とSさんらしき声、「今着きました~!」というと「あれ、もう着いたのですか?」と気軽の口調でおっしゃる。「今行きますから待っていて下さい。」

アア~!良かった~!と気の遠くなるような安心感を覚え外へ出ると、 険悪顔で電話屋の娘が目を吊り上げて追い駆けて来て「モネー!モネー!」うっかり電話代を払うのを忘れていました。

それからSさんが来るまでの40分の時間が不安感からか何倍にも感じられました。何しろ初めて見る世界で右も左もわからず、猛暑の中タクシーの運転手は集まってくるワ、物売りは寄って来るワ、まるで小鹿?に群がるハイエナのごとく・・・。

日本から来るとあまりにも景色が違うので、はじめは戸惑ってしまいます。Sさんの姿が見えたときは遭難者が救助隊に発見されたかのような思いでSさんの大柄な姿がより雄雄しく見えました。Sさんに聞くと、どうやら飛行機はいつも夜8時ごろ着くようで、まさか早い時間に着くとは思ってなかったようです。ブルキナファソまでどうにか一人で来られたという満足感と安堵感は、これまでの道中で何物にも例え様のないものでした。


次回をお楽しみに・・・・



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