西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

中年派遣員奮闘記(その14)

2016-01-04 | 奮闘記

NO.14[ボホベレバ村]

ワガドゥグより西に400キロ離れた所にボホベレバ村があります。バニキディ村とはちょうど反対の方角になりDr・イヴがプロデュースされている村でバニキディ村同様、学校や診療所、深井戸の建設整備を始めスクール机や椅子、保険衛生教育や薬の配備、教科書、ノート、ペン、石鹸、などの配布活動を数年に渡り行っています。

 今回は、教科書とノートペンの補充と製粉施設建設の為、村の人達と打合せをするという事で訪問する事になりました。メンバーはDr・イヴ、Sさん、ドライバーと私の4人、自動車に教科書やノート、ペン、石鹸を積み早朝に出発しました。

Dr・イヴは大学教授なのでさぞかし難しい性格の方なのかと初めて会った時は思っておりましたが自宅へ迎えに行くと日本語で「オハヨウゴザイマス!ソウソウソウ」とおどけています。見た目とは違いかなり明るい方で少し安心しました。

1時間程経過してDr・イヴが突然「ちょっと電話をかけたいのだけど止まって」と言ったのですが、周りは草原で電話ボックスは何処にも見当たりません。確か携帯電話を持っていたはずなのに、彼は外に出ると道路脇の草むらに歩いて行き小用を足してしております。間もなく戻ると「自然とのコミュニケーションをしていたのだよ。小はテレホン、大はファックスさ。紙を使うからね。」それを聞いて皆で大笑いです。

道中はDr・イヴの独壇場、おかげで村まで楽しく行くことが出来ました。

 村に着いたのは午後1時ごろ、村の人達が大勢で迎えてくれ一人一人挨拶をします。村では「ポー」というのが挨拶の言葉だと教わり「ポー」「ポー」と挨拶をしているうちに何と無く親近感が沸いてきました。

奥の家がDr・イヴの住まいと言う事で狭い通路を行くと土で作られたブロックを重ねてある塀や家が不規則に立っていてまるで迷路の様で、その一番奥まった所に家がありこの村の中では近代的な造りです。ひとまず荷物を降ろして一休みとソファに腰を掛け一時すると料理が運ばれてきました。

器の中から何とも言えない良い匂いがしますDr・イヴがふたを開けると鶏のソースとトーです、その後からはバケツに入ったチャパロ、彼はこれが大好きと見えて「トラディショナルビアー」と言いながらバケツからカリバスの器に並々と汲み取り皆に振舞います。そのとき初めてチャパロと言う物を飲んで、始めの内は独特の匂いがあり、なかなか喉を通りませんでしたが、酔いが廻るとだんだん慣れて来てビールの様に飲むことが出来ます。

ところがアルコール度数が高いのか後から一段と効いて来てカリバス2杯ばかり飲みますと完全に酔います、トーも少し酸味があり鶏のソースととても合っていて美味しく村の人達や風景に包まれながらひと時を堪能させて頂きました。おいしい食事が終わり診療所のドクターに案内され音楽室やクリニック、学校などを見学した後イヴの家の前にあるテラスに村の主な人達が集まり会議の始まりです。

Dr・イヴはさすがに教育者らしく少し速いテンポで話し、フランス語の解らない私も自然にうなずいてしまう様な歯切れの良い語り方で説明をしています。村の人達の色々な質問にも細かく答え90分程で終了しました、終わると徐にチャパロを出し「Sサン!イイダサン!トラディショナルビール!」とカリバスを渡されもう一杯、村の人達も帰り4人で椅子に腰かけているとボホベレバの草原の匂いと月の明りがとても心地よく感じられます。

「ここは私にとって一番落ち着く所です。」とDr・イヴが大きく深呼吸をして満足そうにまったりと椅子にもたれています、電気もなく土で作られた家は床も無く、コウモリや蚊は多いし何処に行くのも不便な村の生活は私にはとても困難ですが、彼の勤めているワガドゥグ大学は都会の中心ですから人も多いしバイクや車も沢山走っています。

その様な所で毎日忙しく仕事をしていると、自分の生まれ育った所が一番居心地の良い場所なのかなと感じました。夜も更けてチャパロの酔い心地も手伝い眠さが増して来ました。村に泊まるのは初めてなので少し戸惑いましたが、村の人が親切にバッテリーに蛍光灯を繋いでくれたりバケツにお湯を汲んでくれ、それで汗を流したりしてこれで何とか眠ることが出来そうです。

ボホベレバは雨量の多い所なので夜は涼しく、眠るのにはとてもよい環境ですが蚊も多く、防虫スプレーをつけていないと体中刺されてしまいます。しかし村の人達はその様な物はないし、どの様に過ごしているのかとても不思議です。朝になり部屋の外に行くと村の人達はもう働いていて、男の人は畑仕事で女の人は臼でとうもろこしを搗いたり、ポンプで井戸水を大きなたらいに汲み運んだりとても忙しそうです。

「ボンジュールDr」とDr・イヴに挨拶をすると「イイダサン、オハヨウゴザイマス、ソウソウソウ」、とチャパロの入ったポリタンクを差し出します。「ノ、ノ、ノンメルシー」さすがに昨日の余韻が覚めやらぬところなのでお断りしました。朝食を頂き私達が学校へ行くと夏休み中でしたが先生達が待っていて、そこで車に積んできた教科書とノートやペン、石鹸を渡しブルキナファソの第二の都市ボボディュラソへと向かいました。

ボボディュラソは丘陵地であるせいか何と無くワガドゥグとは雰囲気が違います。昔はジュラ族の都として栄えた所でも在り、近くにはいくつかの河川が在り近隣の町バンフォラは水の都としてとても風光明媚な所です。また此処にはDr・イヴのセカンドハウスが在り、以前お父さんの住んでおられた家でお父さんがお亡くなりになり今約半分はボボディュラソで生活をしているそうです。

市内の入るとまず目に入るのがイスラム教の巨大なモスクで、土のブロックで作られたモスクは古くからの物でボボディュラソの象徴でもあるそうで、近くに行くと日本の神社仏閣のような霊験あらたかな心境になります。それからボボディュラソ駅(SITALAIL)も白い大きな建物で美しい造りです。しかし残念ながら隣のコートディボアールが内紛で国境閉鎖をしているため鉄道は不通になり今は使われておりません。(2015年現在は開通)

駅の近くには大きなマルシェ(市場)が在り、後楽園球場くらいの敷地に色々な店がぎっしりと並び、中に入ると間口3~4メートルくらいの店が軒を並べ上野のアメヤ横丁のような感じで、衣、食はもちろん電気製品、工具、薬、服の仕立屋その他あらゆる物が売られています。

私達は駅前のレストランで昼食を取ったのち今日はこの街のホテルに宿泊をすることになり、Dr・イヴのお勧めで繁華街の中ほどにあるホテルにチェックインし時間も余裕があったので彼の家に行くことになりました。

Dr・イヴの家は市街からはちょっと離れた所に在り、白い壁に囲まれた家はモダンな造りで中に入ると大きな居間には高級な家具、いかにもハイクラスな佇まいで、音楽が好きと見えてサイドボードの横にはコンポーネントステレオがあり、窓の外のガレージにはドイツ製の高級車、村の家とは相まってこちらは近代的な暮らしで、都会と田舎と郊外に3つも家があり、なんとも羨ましい限りです。

翌日、ボボディュラソの近くのクンセニという村に行き教科書やノート、ペン、石鹸を配布した後、Dr.・イヴがボボディュラソで組織している「SIDA  KA  TAA」というアソシエーションの事務局に行き色々とお話しを聞くと、「SIDA」はエイズのことで、「KA TAA」はジュラ語で「出て行け」という意味らしく世界中で深刻な病気もこの国では感染者が特に多いそうでボボディュラソで毎年コンサートを催し音楽を通してエイズの感染防止を呼びかけており、著名な会社、団体の協力や外国のミュージシャンも参加するなど年々大きなイベントになりつつあるようです。

この活動を通して感じたことですが、村では農民が毎日の生活の中での食べることだけで精一杯で居や住はとても質素です。日本も嘗てそうであった様にブルキナファソの農工商の内92.2%を占める農業就労者の生活向上がこの国を豊かにするきっかけのひとつと言っても過言ではないと考えます。

農民の暮らしが少しでも豊かになれば国も豊かになり学校や道路もよくなります。一日も早く村の人達が感染症やそれを治す医療処置はもとより学校に行けない子供達が一人でも少なくなるよう国の農業政策の進展が期待されてなりません。


次回をお楽しみに・・・・



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