昨日は、在宅のがん末期患者さんが急変されました。大阪に居たときに状態が悪い、息が苦しいと言われています という連絡を訪問看護師から受けたのですが、まだ時間に余裕があると思ってしまったので、在宅酸素の手配をして、2時間ほどで用事が終わるので、できるだけ早く帰って往診します。と返事をしました。
30分ほどして、在宅酸素がまだ届かないうちに 「息が止まりました」という報告を受けてしまいました。
金曜日には元気に振舞っておられました。食べることは出来なくなったけれど、飲水できるし、何よりも声が元気でした。土曜は、経口で残っていた数少ない薬も持続皮下注入に代えました。それまでも、イレウスに対してオクトレオチドの持続皮下注をしていました。22日土曜からは痛みに対するオピオイドのPCAポンプの持続皮下注も増えて、持続皮下注が2本になったのです。状態は確かに悪化していたから、その悪化に対応した治療をしていたのですが、どうしても自己採点って甘くなりがちなのですよね。私、日曜日の昨日、危機感なく大阪に出かけていました。
それで、看取りには間に合わなかったのですが・・・・間に合わなかった事は全く問題視しておりません。医者が看取りに間に合っても、何のメリットもありませんから。患者さんが正に亡くなろうとしている、そんな場に出くわすことあるのですが、正直困ってしまいます。
というのは、正に亡くなりそうだという時、病院医師、特にICUやCCUの医師なら、やれボスミンだのサクシゾンだのと注射したり心臓マッサージや挿管して人工呼吸を始めたりするのでしょうが、在宅医は何もしないのです。何かすることは、苦しみを引き延ばすことになるだけだと知っていますから。ICUやCCUみたいに、その場をやり過ごしたら明るい未来がやってくる可能性はゼロなのですから。だから、がん末期をみとる在宅医は、患者さんが亡くなりそうなとき、何もしない 唯のでくの坊なのです。在宅医も医師ですから、死にゆく人を目の前にして、何もしないで突っ立っているのは苦痛なのですよ。でも、何もするべきではないと知っている。ですから、そのような場にはできるだけ出くわさないようにしています。亡くなりましたというご家族や訪問看護師の報告が入ってから出向くようにしているのです。間に合う必要がないと思っているから、カツオ釣りになんて行けるのですよ。
話がそれました。そういう意味では、昨日はその通りにストーリーは進んだのです。でも、私は、亡くなるのはもう数日先だと思っていました。それで、申し訳なく感じました。昨日の日曜日、何もできなかったのは、そういう私の反省からです。ちょっと落ち込んで身動きできませんでした。反省!!