命のカウントダウン(健康余命3605日)

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続、週休3日制について

2019-10-25 00:23:32 | 日記
前回、現在の自分の診療所が週休3日制に近いと書いたのですが・・・・
考えてみれば・・・・・
48年ほど前、私が高校3年生だった時に、週休3日制度を自分勝手に実施しておりました。

1971、1972、1973年の3年間、私は京都府立洛北高等学校に在籍しておりました。
その頃の京都府は、蜷川府政下にありました。与党が共産党という日本国の中で唯一無二の体制だったのです。


京都は、言わずもがな、日本のことであり歴史深い街なのですが・・・・
先進性に富んだ街でもあるのです。京都人は伝統を守っているだけでは満足しないのです。良いものがあれば取り入れる柔軟性も持っています。京都には「日本初」として誕生したものが、数多くあるのです。
小学校、画学校、発電所、路面電車、映画上映、中央卸売市場、国際会議場など枚挙にいとまがないほどです。
それはさておき、京都人は新し物好きの面も大いにあるのです。それで、私が高校生の頃は、京都府政は共産党の支配下にありました。高校は、一学区一校。すなわち、公立高校は良く学校が一校しかなくて、選択不可能でした。
なので、小学校の同窓生のほとんどは中学でも顔を合わせ、ほとんど同じメンバーが高校でも顔を合わせることになりました。
高校生活は本当に自由度が高くて、授業を休んでも、だれにも注意されることはありませんでした。
それで、学年を重ねるごとにさぼり癖が悪化していき、3年生になったころには、朝は学校近くの喫茶店でさぼり仲間と顔を合わせ、午前10時のパチンコ屋の開店には皆勤。開いたチューリップを閉じるだけで毎日500円ほどの収入を得て、喫茶店の支払いに充てておりました。

そうそう、週休3日制の話でしたね。
高校、ずる休みしても誰にも文句を言われない素敵な学校だったのですが、文部省の規定だけはクリアしろよなと言われておりました。
その文部省の規定というのが、規定された出席日数の2/3以上の出席があることというものでした。
その当時は土曜日も授業がりましたので、週に6日授業でした。
それで、その1/3は休んでも良いなと考えまして・・・・
今週は月火、来週は水木、再来週は金土休もうと、計画的な週休3日制度をひいたのでありました。

とてもうまく運用できていたのですけどねぇ。
最後の最後でアクシデントが・・・・・
それは、また、明日以降に・・・・



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