Canal'sブログ

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2023年インド旅行#4(パトナの街中で)

2024-01-05 | インド旅行

我々夫婦は娘の後を金魚のフンのようについて回るだけだったが、日本にはない色々なものを見ることができた。

電柱

変電器みたいな箱がのっており、配線も混とんとしている。あんなのメンテできんよね?と婿殿に尋ねたら、電柱1本に担当者が決まっていて、担当者でなければ工事ができないらしい。貧困地区にいくと盗電のケーブルがさらに混とんとしていて、誰がメンテするのだろう?

 

発電機

停電が多い。停電時間は短いものの、頻度は多い。店によっては自衛のために発電機を置いている。日本の電力会社優秀やんと、九電社員の友人にメッセージを送った。

 

パレード

自宅(新婦宅?)から披露宴会場までパレードしながら移動する。私たちが訪れた12月は結婚のハイシーズンで、いたるところでパレードが行われて道路渋滞がひどい。披露宴も夜遅くまであっており騒音がひどく耳栓がないと寝れなかった。

ストリートスイーツ

商店街の通路でスイーツを売っていた。婿殿のご両親がお勧めということで、ごちそうになった。お腹が痛くなるのではと心配して嫁さんとシェアして食べてみたが、素朴な甘さでおいしかった。

 

フェンネル

食堂に行くと、かならず口直し用のフェンネルがおいてあった。すこし摘まんで口にいれてみた。爽やかな感じはするが、口に残るので好きになれず。

 

雑貨屋

大きな道添いは、果物や食べ物、家具、服、雑多なものを売る屋台が並ぶ。田舎に行っても屋台は続く。住宅街に入れば、こんな雑貨屋がポツンと点在している。お菓子や飲み物、なんと紙おむつやミルクまで売っている。


2023年インド旅行#3(結婚式準備編ーメヘンディ)

2024-01-05 | インド旅行

結婚式の前に新婦はヘナを使って手や足に装飾を施す。

話に聞いていたが、どこか美容室みたいなところでやるのかと思っていたら、商店街の通路で作業をしていて驚いた。

 

 

 

ヘナで模様を描いた後、数時間そのままにして、ココナッツオイル(だったと思う)をつけて乾いたペーストを落とす。この落とす作業がとても大変で、数時間かかった。模様を描くのも時間がかかり、乾燥段階は水も触れず、乾いたペーストを落とすにも時間がかかる。拘束時間長い。女性は大変です。

嫁さんも左手に少し装飾してもらいました。


2023年インド旅行#2(パトナで結婚式の準備編)

2024-01-05 | インド旅行

結婚式に必要なジュエリー、また娘が婿殿の実家で生活するために、婿殿ご両親が娘に色々と買ってくれた。

娘はオシャレにそれほど興味はなく、物欲も少ないので、婿殿から「両親が買ってくれるものは、くれぐれも要らないといわず、笑顔で受け取ってほしい」とお願いされていたらしい。アメリカでも、婿殿が娘に「これ可愛いね。買ってあげようか?」と言っても、いつも要らないと返事していたそうな。

我々夫婦も娘の成長段階のイベントにおいても着飾ってあげたことはない。753で貸衣装を着せたくらいだ。成人式もドレスを借りてやろうか?と提案したが、要らないと返事された。

まずはバングル(腕輪)のお店へ。

テレビで見たことはあったが、実物は初めて。

普段着はブティックみたいなお店。入口に警備員がいて、ドアも開けてくれる。裕福層しかこない店なんだろうな。

ここで、私と嫁さんの結婚式用の服まで買っていただいた。

次は化粧品のお店。

店内も狭く男の居場所はないと思って外でまっていたら、物乞いがよってきて絡まれて困った。言葉はまったくわからないし、ルピーは持ってないのでどうしようもないのだけど。

次はサリーのお店。

娘の分だけかと思ったら、嫁さんも買っていただいた。投げて物を渡しているのにはちょっと驚いた。

次はジュエリーショップ。高級なお店みたいで、ここも入口に警備員とドアを開ける人がいる。

テレビでしかみたことがない首や額、鼻、足の甲を飾る24金のジュエリー。総額幾らだったのだろう。すべて婿殿ご両親の支払いです。

ジュエリーを選ぶ段階で、婿殿のお父様が色々と娘にアドバイスしています。インドの男性すげーと思って、婿殿に「これがインドスタンダード?」って尋ねたら、「彼だけ特別」とか。オシャレなお父さんです。

ジュエリーショップは1日仕事だったので、少々疲れました。

次は靴屋

普段履きのサンダルを買ってもらっていました。

ホテルに帰って買っていただいた普段着を並べてみました。娘は人生初めての着せ替え人形です。

 

 


2023年インド旅行記#1(プロローグーパトナ移動編)

2024-01-05 | インド旅行

プロローグ

アメリカの大学に留学中の娘が結婚したいと連絡してきた。ご相手はインドの人。アメリカ留学して日本に帰国しないんじゃないかと予感はしていたが、まさかインドに嫁にいくとは想定外。

娘が選んだ人なので、相手に対しての不安はさほどなかったが、課題と思ったのがインド固有の習慣や親子関係、親戚付き合い。娘に根掘り葉掘り確認すると「何故そんなことを聞くのかわからない」と怒られた。まぁ、後で娘もわかることだろうとあきらめず覚悟のほどを確認した。覚悟はあるようだから、反対する理由はない。

8月に婿殿来日。我が家に1週間宿泊させてジジババや兄弟に会わせ、彼にとっては初体験のセーリングや魚釣り、海水浴を体験させた。娘と二人で北部九州ー中九州の観光地もチョイスして楽しんできた。

食生活も初体験であろう夏の日本食、サザエやタコを主体とした料理やおきゅうとを食べさせた。幸い彼はアメリカで色々な食を試していたので、日本食も喜んで食べてくれたものだと思う...。

別れる際には、我々夫婦宛てに手紙をくれて、好感度アップ。当初心配していた妻も彼を気に入ったようだ。

結婚式は彼の両親の希望でインドで挙げるという。我々も行く必要はあるか?と娘に尋ねたら、インドの結婚式や披露宴は大変で、相手家族からも、おもてなしが完全にできないから無理に来なくて良いということだった。

言葉も習慣も、まったくわからないインド。還暦近いおっさんは体力も落ちてるし、健康も、異文化に対する対応力も不安がある。なので、夫婦で話し合ってインドには行かないと決めていた。

だが、しかし、娘がインドに行く3週間前、同窓会から帰宅した妻が、インドの結婚式に行くと言い出した。同窓生の子供の結婚式の話や写真を見せられ、気が変わったらしい。

それからの怒涛の忙しさは「準備編」を読んでほしい。

なんとか準備も終えてインドに旅立つことになった。

日本出国~インド入国

出国は顔認証で。パスポートを取得する際、眼鏡をかけた顔では顔認証でエラーになるかも?と言われたが、これがそうかーと思いつつ無事通過。

飛行機はJAL。せめて国際線だけでも日本語が通じる航空会社にしたいと思った。エコノミークラスは狭く、腰も尻も痛い。席は真ん中の通路に面していないところなので、トイレが近いおっさんには苦しい旅だった。訪問先は禁酒法の州なので、最後のビールが飲めたのはうれしかったが。

インディラガンディ空港到着。携帯の電源をONにしたらローミングは問題なし。ただ、電波状態がイマイチなようで、変なマークがスマホの電波状態に表示されている。後で確認すると2Gモードでつながっていたらしい。再起動でようやく3G網につながった。

娘のサポートで入国審査も無事通過。英語すらほぼ理解できない夫婦なので、娘がいなかったらもっと時間がかかっただろう。

荷物を受け取り、出口のフロアへ。

AirTelの窓口でSIMを手に入れようとしたが、なぜか拒否された。日本円をインドルピーに交換すべく換金所に行っても何故か拒否。他に行けと言われたが、婿殿が出口の外で待っているのが見えたので、後でSIMや換金すればよいと考えて空港の外へ。しかしこの後SIMやルピーを手に入れる機会がなかった。。。

婿殿が予約してくれていた政府公認のタクシーで、空港近くのホテルへ移動。毎日悩まされるクラクション音と喧騒の洗礼を浴びました。

デリー~パトナ

ホテル到着。チェックイン時にパスポートのコピーをとられ、外国人宿泊に必要な書類に記入。

部屋に行き、シャワーの湯沸かし器やインド式ウォッシュレットの使い方を一通り婿殿からレクチャーをうける。

インド最初の食事。真夜中でもホテルのレストランで食事できるのが驚き。

辛いもの苦手なので、婿殿がなるべく辛くないものを選んでくれたが、それでも辛くて、「毎日これなのか...」と憂鬱になった最初の食事でした。

スマホの充電。変換器の使い方がイマイチ不明だったが、たぶんこれであってるはず。

朝起きて、クラクションと喧騒の中タクシーで国内線ターミナルに移動。

国内線でパトナへ。

面倒くさい空港のセキュリティを抜けて、ようやく休憩スペースへ。

ケンタッキーがあった。

離陸前は客室の窓を閉めるようキャビンアテンドさんから指示があり、離陸後は窓を開けることができた。大気にはPM2.5の膜ができている。

パトナの空港に到着。飛行機からターミナルへは徒歩で。

空港では婿殿ご両親が歓迎してくれた。

婿殿が予約してくれていたホテル(レッドベルベット)へ移動。

喧騒とクラクションはデリーだけではなく、パトナでも凄まじい。

ホテル到着後昼食。今回も婿殿がなるべく辛くないものを選んでくれた。この食事から結婚式終了まで我々もベジタリアンになる必要があると聞かされた。

料理の名前は覚えることができず、「タコ焼き」「お好み焼き」「フライドポテト」と命名した(笑)