まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1212 奈良の古墳巡り(2)・・・斑鳩町、河合町編

2019-10-23 10:38:04 | 文化財
おはようございます。
















奈良の古墳巡りシリーズ、前回は佐保佐紀の古墳群をお送りしました、今回はその2回目、斑鳩町から河合町へと巡ってみることとしましょう。奈良県は古墳が多いと常々思っていたわけですが、実は数の多さランキングでは47都道府県中で8位、1位の兵庫県のほぼ半分、鳥取や京都、岡山にも及ばないと言うことでした。でもまあこれはいわば納得と言えば納得ですね、奈良の半分は吉野の山、狭い平地に集中しているから多いと思ってしまっていたんだよな~、多さと言うよりは密度と言ったところですか、あらあら、最初から話が逸れてしまいました、古墳巡り行ってみましょうか。
写真1枚目~3枚目はまだ大和郡山市、矢田丘陵の住宅地の真ん中にある古墳、この道は斑鳩、大阪へ向かう時にいつも利用する道なので結構気になっていました。その後は斑鳩町に入って国道25号線へ、その国道沿いにあるのが写真6枚目にある駒塚古墳、そこから少し逸れた住宅地の中にポコンとある丘が写真4枚目、5枚目にある調子丸古墳。聖徳太子の愛馬のお墓が駒塚古墳、その世話役だった調子丸と言う名の人のお墓が調子丸古墳と言うことです、聖徳太子と馬は切っても切れない関係と言う感じでいろいろな所で見かけるが、厩戸皇子と言うことだから一層愛着があったとでも言ったところでしょうか、犬も大事にしていたと言うことだから優しい心の持主だったんでしょうねえ。









写真1枚目~4枚目にあるのは国道25号線の南側の住宅地から少し離れた所にある斑鳩大塚古墳、田園風景の中にあるのですぐに古墳と分かる。一本道の畦道を進んで行くと古墳の片隅にお地蔵様が立っている、古墳入口には石段があって立ち入ることができそうだが、ここは厳かな雰囲気を感じつつスルーして先に続く畦道を進んで行く。再び国道へと戻り少しだけ西に進んだ所で新しくできた道を左へと曲がる、この辺りはニュータウンの走りと言った感じで家が斜面になった所に建ち始めて行っている。この道を真っ直ぐ下りて行くといかるがパークウェイ・・・地図で見ると国道25号線のバイパスが独立した感じで記されている、将来は混雑がひどい国道25号線の迂回路となるのだろう・・・まで行くが、その途中で左へと曲がり細い道を進んで行くと写真下2枚にある戸垣山古墳へとたどり着く。この辺りは付近に住宅はなく田園風景のど真ん中、一見すると田んぼの中の小さな休憩所と言った感じの丘、さっきの古墳と比べると厳かな雰囲気はほとんど感じられない。





















場所は変わって富雄川沿いの道を進んで河合町に入った所、西名阪を過ぎたあたりにはいくつかの古墳が集まって大塚山古墳群を形成している。まずは西名阪をくぐって少しだけ進むと右手側に現れる写真1枚目、2枚目にあるポッコリとした古墳、何か鉄腕アトムを作った博士の頭を連想させてくれる。更に南に進むとこの古墳群の代表格に当たる大塚山古墳、こちらは威圧感十分な前方後円墳、ただ面白味がないんだよなあ~、いかにも古墳です・・・ってな感じで。と言うことでこの古墳を挟む西側の道へと入って西名阪法隆寺IC近くへと戻ってくると、まず目立って見えるのが中良塚古墳、案内板には高山塚一号古墳とカッコで記されている。1号があると言うことはパーマンみたいに2号、3号とあるはず、と言うことでここでグーグルマップの出番、「墳」で検索するとこの付近で2号から4号までの古墳があることが確認できた。とりあえずその場所を当たってみたが確認できたのは2号墳だけ、地図では3号墳はすぐ向かいにあるとのことだがそれらしい丘のようなものは見当たらなかった、上の写真ではその印が付いていた場所を手当り次第に撮ってみたのですが・・・。形はなくてもそこに古墳があったと言う印は地図サイトに記される、この先はそんな隠れた存在の古墳もできるだけ掘り下げて巡って行ってみようと思っています、奈良の古墳巡りはまだまだ始まったばかりです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち

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