まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.981 岐阜の旅春編(4)・・・犬山城界隈

2018-08-21 08:26:05 | 旅行記
おはようございます。


あの時何でそう思ったのかは分からないが、鹿児島実業に勝ったときに今年は金足農が行きそうやな、と思いました、ホント、何気なくですよ。ただここでそれを言ってしまってからは自分の言動には責任を持たなければと思いずっと見てきたわけですが、まさか本当に決勝まで進出してくるとは。準々決勝の近江戦、こちらも智辯和歌山を倒して波に乗って勝ち進んできたチーム、この2校がここで対戦か~、しかも試合は大熱戦、最後は劇的な結末となりました。準決勝は日大三が相手、先制、追加点、最小得点差を守り切ると言う続々とした試合展開で見事決勝までたどり着きました、相手はオルフェーヴルなみの強さを誇る大阪桐蔭、これは予想通りですがいよいよ今日、100回目の夏の終わりです、金足農はビートブラックのように大金星を挙げることができるでしょうか?













さて、岐阜の旅春編まずは新鵜沼まで名鉄各務原線、合わせ技でJR高山本線の両線を各駅巡りしてきました。新鵜沼駅を出ると名鉄線も道路も木曽川を渡る、道路と線路が隣り合うように並んでいて橋が架かっている、ここはなかなか電車の撮影に適していそうな所だ、と思ったがそれは橋の入口の所だけ、橋の真ん中では欄干が邪魔になって電車は柵越しにしか見ることができない。自分(一人称)はこの橋を自転車で走るのは初めてだが、以前鉄道とバスを利用して愛知~岐阜で城巡りをしたことがあって、その時にこの橋を渡ったことがあるがその時は橋の上を車と電車が同じ所を走っていた記憶があった↓↓↓



そうそう、こんな具合、何か大津市内を走る京阪電車みたいだが、こちらは普通電車だけでなく特急電車も平気な顔をして走っていたので結構カルチャーショックを受けた記憶があった。それにしても今見ても結構凄い光景だよなあ、電車と車が同じ道路の上を走るのは路面電車は当然のこと、江ノ電や京阪電車でも見ることができるが、普通に線路を走っている電車がこんなに狭い橋の上を渋滞しそうな車といっしょに走っていたなんて。当然のことこんな状態をずっと続けているわけにはいけないと今は線路と道路は分離されてしまったが、今も残していれば文化財に登録されていたかも。










犬山橋を渡り終えると愛知県に突入、犬山市となる、犬山と言うと当然思い浮かべるのが犬山城、名鉄線を各駅巡りしている頃から山の上に見えていたが、橋の上から見える天守閣の姿もまたなかなか壮麗なもの、反対車線側の歩道では橋の途中で立ち止まって写真を撮っているサイクリストがいた。さっきも書いたが自分(一人称)も昔はお城に興味があって、この付近の城を巡ったことがあった、確か名古屋から出発して名古屋城、小牧城、犬山城、墨俣一夜城と巡ったと思う、岐阜城は山の上なので敬遠したんだった。鉄道旅が一段落して城巡りでいろいろと廻ったりしていたが、その趣味もあまり長続きせず自転車旅に移行していった、今はお城を見ても何とも思わなくなったなあ、まあ申し訳程度に写真を撮るくらいか。
名鉄各務原線各駅巡りの最後の駅となるのが犬山遊園駅、その遊園地は山の上にあるとのこと、そっちに行く時間はないのでそのまま犬山の市街地へと進んで行く、その県道は車が渋滞していて、犬山遊園駅で電車を下りてきた人もたくさん狭い歩道を歩いている、さすがにここは自転車は走りにくいと言うことで横道へと入るが、歩いている人も車もその狭い道へと入って行く。少し進むと駐車場があり、そこが犬山城の入口へと通じているらしい、GWと言うことでたくさんの人がお城に訪れているのだろう、このまま進んで行っては巻き込まれかねないと思い、少し人通りの少ない所へと曲がり急な坂道を上る。たどり着いたのは古い町並がズラリと並ぶ所、この辺りは今回の旅の目的のひとつである犬山界隈の登録有形文化財巡りの場所、文化財サイトでは印が点在する所、文化財ハンターとしては垂涎な場所とも言える所だがさて、いくつ文化財を捕獲できたのかはこの旅における登録有形文化財巡りの項でまたお送りしたいと思います。













それにしてもこの界隈、物凄い賑わい具合、お城が目的と言うよりはこの辺りにはいろいろなお店があってそちらが目的なんだろう。この人の波ではさすがに自転車で走るのは迷惑極まりないだろうとのことでここは相棒君を押し歩き、それでも人の波は道を埋め尽くしているのでこちらは肩身が狭すぎる思い。文化財が多いからひっそりとして趣のある所だと思っていたのだがこれは当てが外れた、人の波に右へ左へと振られながら町並の中をゆっくりと進んで行く、ああ~、向こう側の店に五平餅の看板、今回はこれを目的に来たんや~、しかし人の波が向こう側へ行かせてくれない、しかも店には行列ができていて相棒君を止める場所もない。結局波に流されて「あいやぁ~!」と言う感じで店が遠ざかって行く、五平餅が遠ざかって行く・・・、こんなところで今回も時間となったようです、五平餅のチャンスは逃してしまったがまだこの先、何とか望みはあるだろう、と言うことで次回も気楽にお越しくださいませ。       まちみち




No.980 大和鉄道100周年(1)・広陵町

2018-08-20 08:23:50 | 鉄道
おはようございます。


甲子園は残り4校となってしまいました、もう終わりかと思うとやっぱり寂しいもんですねえ。毎回高校野球をホントに落ち着いて見ることができるのは、実は地元奈良県のチームが負けた後から、って書くと地元に期待してへんのかって言われそうだが・・・。でも奈良県は大概日程の真ん中辺りまでは行ってくれるので、それ以上まで勝ち進んでくるともう落ち着いて見ることができなくなってしまう。去年がそうだったな、まさかの天理がベスト4進出、正直期待してなかったと言ってもここまで来たら夢見ますよ、今その夢を一番見ているのが秋田の人たちだろうな、100回目の夏の大会で103年前の屈辱を果たす、これぞドラマじゃないですか。自分(一人称)は以前今年は秋田に優勝旗が・・・って書きましたが本当にそうなるかもってところまで来ました、さあ、準決勝、相手は奈良大附の応援にビビったチーム、でも勝つことに慣れたチームはそれも一つのポーズに過ぎません、何とかこの強豪を撃破して一番高いところまで勝ち進んでいってほしいところです。












このところ月に1回の割で二上山や馬見丘陵公園へ写真を撮りに行っているのですが、その時に大概通るのが河合町、広陵町、三宅町、この3つの町を地図的に斜めに貫いているのが近鉄田原本線、新王寺駅と西田原本駅を結び他線との接続はない単独の路線で全便が普通のローカル線です。この路線は戦時中は田原本から先桜井まで伸びていて「大和鉄道」として運行されていたが、その鉄道ができてから今年で100年になりました、そんなことで今年は沿線でいろいろと100周年を記念してのイベントが行われることになってました。「はあ~、なってましたってどういうことやねん?」と言われそうですが、イベントが行われるはずの週末に台風がやってきたために両日とも中止になってしまいました。まあ~何とも運の悪い事、土曜日は仕方ないとしても日曜日は台風が通り過ぎた後だったのでできそうな気もしたが、週末前に予報を見て中止と決めたので予定を覆すことはできなかったのだろう、まあ~この運のなさもまた奈良県らしいと言ったところでしょうか。さて、上に貼った写真はそれよりも2週間ほど前に、新王寺から近鉄田原本線、更に田原本からは大和鉄道が通っていたであろう所をたぐって各駅巡りしたものです。各駅巡りについては以前に走っていてその時にお送りしているので今回はサクッと行こうと思ったのですが、何かこの100周年の記念に昔の塗装の車両が走るとかでその車両を追いかけての走りとなってしまいました。その車両とは早速佐味田川駅で遭遇したのですが見ることができたのはホームの上の柵越しから、何か、何かなあ~中途半端な遭遇になってしまった。この車両が新王寺駅まで行って折り返して帰ってくるとしたら次に見ることができるのは・・・どこだあ???













河合町にある池部駅は小高い丘の上にあり、そこから滑り降りるように坂を下り古い町並を抜けて行くと広陵町に入り箸尾駅付近へとたどり着く、計算ではこの駅で古い塗装の車両と出会えることができるはず、でもまだ時間があるのでちょっと町並を巡ってみることとしよう。この辺りは古い町並が狭い通りに軒を為していて落ち着いた雰囲気が漂っている、よく走る所だがここでいつも気になっていたのが写真3枚目、4枚目にある呉服店、その店先には高校野球球児の名前が刺しゅうされたタオルが飾られている。今写真にある分では昨年のベスト4まで進出した天理の選手の名前が刺しゅうされたタオルが並んでいる、確か以前には今巨人(G)の4番打者で活躍している岡本和真選手のタオルも飾られていたんじゃなかったかな、チラッと見ただけだからうろ覚えだけど・・・。彼もやっと今年花が開いた感じ、センバツで1試合に2本塁打打った時には奈良にもすごい選手が出てきたなあと思ったが、その時の智辯学園は春1勝、夏は明徳義塾に負けて0勝で終わってしまった、結構期待してたんやけどなあ・・・。










と言うことで箸尾駅に戻って来ました、駅前には大和鉄道100周年を記念する垂れ幕が貼られその横にはイベントを告知する広告、王寺、河合、広陵、三宅、田原本と5町でそれぞれ行われることになっていたイベント、天候での中止となってしまって今となっては虚しいばかりだ。箸尾駅にはさっきチラッとしか見えなかった電車が停まっていた、昔本線系でも走っていた赤一色の車体だと思ったら、窓の下に白い細いラインが入っていた、ほぼ単色系の車体、これ!これなんだよなあ、阪急電車の落ち着いた感じには及ばないがそれでも懐かしさと新鮮さを思い出させてくれる赤い車体、周りの風景が車体にユラユラとはね返っている。近鉄田原本線ではこの後もう1編成、復刻版の車両が走るとのこと、イベントは中止になってしまったが100年間無事に地味に奈良盆地の中心を走り続けてきたことが何よりものイベント、そしてこれからも続いて行くイベント・・・。近鉄田原本線についてはいろいろと写真も撮っているのでまた機会を見つけて公開していきたいと思います、沿線巡りの方もこの先田原本、その先の桜井までは線路のない所を進んで行くことに、でも今回は時間となったようです、次回も気楽にお越しくださいませ。             まちみち


No.979 「判官びいき」ってどういうことなの!!

2018-08-17 09:08:36 | 日記
おはようございます。


前回の最後で高校野球関連で嫌ァ~な記事が出てきたと書いたんですが、それがこれ↓↓↓

球児を追い込む“判官”びいき 日大三・日置主将「俺たちこんなに嫌われてるんだ」

記事には奈良大附の9回裏の攻撃時の応援のことが書かれている。奈良大附のアルプス応援席から流れてくる『青のプライド』に乗せられて球場全体が奈良大附の応援になってしまった、日大三の選手がその時に感じたことが書かれているのだが、それがな~んか嫌な感じなんだよなあ。勝っているチームの主将がこんなこと言うのはホントにガックリだよなあ、結果試合は勝っているのに被害者ぶった言い方はないんじゃないかな・・・とまあこれは自分(一人称)が奈良県民だから思ってしまうこと、悪く思わないでね、ちょっと自分(一人称)もクールダウンして客観的にこの件を検証してみようと思います。


この記事で思い出されるのが2年前の東邦vs八戸学院光星の試合、9回4点差を逆転されサヨナラ負けした光星の投手は「球場全体が敵だと・・・」とコメントしていた。自分(一人称)もこの試合はテレビで見ていたが、球場全体がタオルを回して東邦の応援をする光景は確かに異様さを感じた、でも残り1イニングで4点差、やはりここは守って当然だと言うのが自分(一人称)の考えだ、それができなかった光星は敗因を休場の雰囲気に置き換えてしまっている。9回の追い上げでよく取り上げられるのが中京大中京vs日本文理の決勝戦、負けているチームが追い上げる姿ってのは見てて熱くなるんだよなあ、やっぱり・・・、日本文理のそのひたむきさが応援したくなる気持ちにさせてくれたわけだが、この時一番見たかったのは甲子園では何度も頂点を極めている中京大中京を弱小県だった新潟県のチームが倒すかもしれないと言うところ、その期待の表れがあの雰囲気だったと思う。上の記事のタイトルに「判官びいき」とあるが、その一つに当たるのが弱小県が強豪県を倒すこと、東邦と光星の場合は9回まで優勝未経験の青森県が強豪愛知県をあと1イニングと言うところまで追い込んでいただけに、あの球場全体の雰囲気に関係なく勝ってほしいところだった。しかしそれができなかった、ここで出てくる言葉が「やっぱり・・・」、強豪県はどんなに追い込まれても勝ち方を知っていると言うことである。
最近は県全体をあげて高校野球の強化に力を入れているところも多く、特に山形県は屈辱的な敗戦をきっかけに強化に取り組んできたと言う。その結果は未だ現れることはないにしても最近の山形県勢のレベルははるかにアップしてきている。まあ今年は春も夏も奈良県がその勢いを止めてしまったが、いずれはその努力が報われる時が来ることでしょう。青森、宮城を除く東北勢(福島は出るとこが偏ってるから除外になるかも)、新潟や富山、滋賀や宮崎はそう言う意味ではよく応援してますね、これは判官びいきになるんでしょうか。
実は奈良県も以前、物凄い判官びいきの対象にされて日本全国の敵にされてしまったことがある、沖縄県勢が初めて決勝に進出した時だ。まだ弱小県だった沖縄県勢で沖縄水産が初めて決勝に進出、その時の相手が天理だった、そりゃ~沖縄県勢の初優勝はみんな望んでいたと思いますよ、優勝することが沖縄の戦後になるとまで言われてたくらいだから。でも戦争の歴史を甲子園にまで引っ張り出してマスコミが沖縄県勢初優勝を期待するようなことを煽ってしまったために、天理はその夢を打ち砕く悪者とされてしまった。結果は1-0で天理が優勝、やりました!!奈良県勢2度目の優勝、その夜のニュースを楽しみにしていたら取り上げられているのは沖縄のことばかり、天理の優勝は横に置かれてかすんでしまった。今や春3度、夏1度、春夏連覇も果たして誰もが強豪県と認めるくらいの沖縄県だが、今でも戦争の歴史を引っ張り出されて応援に利用されることがある、自分(一人称)は沖縄県勢の指笛と「タッタタララ~」のあの応援歌が嫌いだ、沖縄県の代表で出てくるチームに恨みはないが県全体が判官びいきされている気がしてならない。


ジャイアントキリングを期待するのも判官びいきになるんでしょうか?例えば昨日(16日)の大阪桐蔭vs高岡商、自分(一人称)は前回高岡商に一泡吹かせてほしいと書きました。試合は見ていなかったのですが9回は高岡商にチャンスがあり大阪桐蔭には昨年の嫌な記憶が甦りそうになりと、いろいろな思惑があったイニングだったと思います。観客がその時のプレーにどういう反応を示していたのかも見てないから分からない、もしかしたら高岡商の逆転勝ちするかもと期待している人もいれば、大阪桐蔭去年の二の舞はないやろな~と祈りながら見ていた人もいるだろう、そんな人々の思惑を判官びいきと言う言葉に置き換えたりはしないでしょ、普通、では日大三の場合はどうだったのか・・・
東京はもう何度も優勝しているし奈良県勢も強豪県ではないけどそれなりに優勝したこともあるまあまあな実績はある、しかしこの対決はさすがにキツイ、天理を倒して初めて甲子園にやってきた全国的にはまだまだ無名なチームが春夏3度優勝の超名門校に挑むわけだから。試合経過は半分予想通り、3点取られた時は10点くらいとられてしかもノーヒットノーランされるかもと思ったくらい、そして甲子園でもお馴染みの日大三の応援、ここにも『魔曲』がありましたね、その曲が演奏されるたびに見ているこちらは背筋が寒くなるくらいだった。ところが6回に3ラン本塁打が飛び出し反撃開始、奈良大附応援席から『青のプライド』が流れ始めると球場の雰囲気が一変した、それが9回3-8の場面で最高潮に至っただけのこと。百戦錬磨の日大三にとっては残り1イニングで5点のリード、まさか観客席の波打つような応援だけで逆転されるようなチームではないでしょ、それなのに上の記事のタイトルにある↓↓↓

俺たちこんなに嫌われてるんだ

こんなこと言うなんてどうなんでしょうねえ、正直神経疑いますわ。まあ勝っているからそう思ったし勝ったからそう言ったのだと思いますが、あの球場全体の応援は劣勢だった奈良大附には大きな援護になり、驚異的な粘り(と言わせてください。1点だけでしたけど)を見せたことによって奈良には奈良大附もあるんだぞ!!と言うところを見せてくれた。開催前は無名でほとんど空気扱いだったのがひとつ勝つこと、『青のプライド』と言う魔曲のおかげで「また来年も見たい」と言われるチームになったのが嬉しかった、なのになのに・・・そんないい気分に水を差す記事、しかも主将がこんな弱気なことを言うなんて、正直神経疑いますわ。
確かにね、当事者からしたら球場全体が敵になったと感じるかも知れないが、それは例えば応援だけではなく、相手にスター選手や注目選手がいたらマスコミが煽ってそう言う雰囲気にしてしまうこともあります。そう言う意味では昨年清宮のいる早実を予選の決勝で破って甲子園にやって来てベスト4まで勝ち進んだ東海大菅生は、ヒール的な見られ方をしながらも実力を如何なく見せつけてお見事でした。日大三はそんな東海大菅生など足元にも寄せ付けないほどの実績の持つチーム、こんな弱気なことを言っててどうするの、今日(17日)の相手は龍谷大平安、今度は奈良大附など足元にも寄せ付けないほどの超名門校、そしてこのチームの応援には相手を窮地に追い込む魔曲『怪しいボレロ』がある、『青のプライド』でビビッていたらこの曲では到底勝てないよ。今回のこの記事のせいでもう日大三を応援する気はなくなってしまったが、ひとつだけ明るいジンクスを、奈良大附が前回初めて春のセンバツに出た時に負けた相手が敦賀気比、その時の優勝校です、まあ頑張って!!長い文章は嫌われるかも知れないけど今回は書かせていただきました、次回も気楽にお越しくださいませ。         まちみち




No.978 京都鉄道博物館(5)・・・蒸気機関車はいつまでも人々を魅了する

2018-08-16 23:33:24 | 鉄道
おはようございます。












京都鉄道博物館に来ています、ってこれ去年の暮れの話なんですよねえ、もうそろそろ終わらせる時だと言うことで今回が最終回です。前回はテラスに出てそばを通る新幹線やJR東海道本線、その他京都の風景を写真に撮ったりしていました、おやおや、どこからか「ボオォォォ~ッ」とチコチャンが怒っているのではなく蒸気機関車の汽笛が聞こえてくる、程なく梅小路公園の方から客車を引いて蒸気機関車がやってきた、以前は梅小路蒸気機関車館としてあった蒸気機関車の車庫がある所に帰ってきたようだ、テラスからその場に下りることができるので早速行ってみることにしよう。
















自分(一人称)が子供の頃は天理市内に住んでいて家のすぐそばに国鉄桜井線が通っていた、その頃はまだ電化されてなくてディーゼルカーが轟音を響かせながら走っていた、だから蒸気機関車が走っているところは実際に見たことがなかった。国鉄奈良駅には西側に転車台があったがそこに機関車があったかどうかも記憶がない、時代は軽く、速くをスローガンに掲げているかのようだったが、そんな時代からは取り残されたかのような奈良県がその後JR線は全線電化区間となりディーゼル車両が入って来ない県となってしまった。現在は新幹線が全国に路線を広げ寝台特急はほとんどなくなってしまった、蒸気機関車がなくなったのと同じように時代の流れが自分たちが子供の頃に憧れていた列車が淘汰されていった。それでも蒸気機関車は子供たちに大人気だ、見るからに威圧感を与えてくる重厚感、真っ黒な車体、黒い煙を吹き上げて遠くまで聞こえるように鳴り響く汽笛、「シュッシュッポッポシュッシュッポッポ」と走行音を唸らせて何連もの大きな車輪がレールの上を進んで行く、スピードに慣らされた電車には興味を示さない子供たちが蒸気機関車には興味津々だ。それは大人も同様、写真を見ても分かるように男性に限らず若い女性の方たちにも蒸気機関車には何か感じるものがあるのか興味を示して眺めている、昭和を宿命のように駆け抜けていた車体は何十年もの時代を飛び越えた現代でも人々を魅了している、蒸気機関車はまだまだこの世からリタイアするのは許されないとでも言ったところでしょうか。









さて、京都鉄道博物館に関しては計5回に渡ってその時の写真を貼らせてもらった上に、自分(一人称)の鉄道に対する思いを勝手気ままに書かせていただきました。以前は「鉄道」が趣味だと言うと何やかんやと言われた時代もありましたが、今では旅番組でローカル線が取り上げられたり鉄道ファンを公言する芸能人が増えたりして、鉄道趣味もやっと日の目が見えてきた・・・この日本語おかしいかな?・・・と言う感じです。自分(一人称)も一時期は鉄道趣味から離れていましたが、今ではこのブログもほぼ半分が鉄道関係になってしまう程、まあネタにしやすいからですかね。年末も押し迫ったこの日、京都鉄道博物館に初めて行ってたくさんの人たちが館内で楽しんでいる姿を見て、やっぱりみんな鉄道が好きなんやな~と思いました、まあ身近にあると言えばそうだし、駅にせよ車両にせよ人々にいろいろな感傷を与えてくれるものですしね。そんなわけで今回も時間となったようです、鉄道に関しては相変わらずやな~、と思われても今後もいろいろと取り上げて行きたいと思います、と言うことで幸せな気分でこの項を終わりたいと思っていたのですが、高校野球関連で嫌ァ~な記事が出てきました、この件については引き続きと言うことにて、次回も気楽にお越しくださいませ。            まちみち




No.977 奈良交通100番系統(前編)

2018-08-15 18:59:17 | バス
おはようございます。


奈良大附、日大三との対戦でしたが4-8で敗れてしまいました、まあ勝つのは大変だろうし厳しい戦いになるだろうとは思いましたが、それでも十分健闘してくれたと思います。初回早速2点先取された時はこれは10点くらいとられるんじゃないかな、とか思っていましたが、奈良大附も守備陣が奮起して5回まで0-3、失礼ながら予想以上の健闘だと思いました。6回には2点取られて0-5、その裏には4番上野選手の3ラン本塁打で3-5と2点差、おおっ、これはもしかして!!なんて期待もしましたがその後も追加点を取られて3-8、9回裏にはチャンスを広げて1点を返すも反撃はここまで、でも1つ勝ってくれたし本塁打も2本飛び出した、もう十分、予想以上の健闘だったと思います。これまで何度も書いてきましたが奈良県と言うと紫と朱のチームしかなかったので奈良大附が出ると決まった時はほとんど期待されていない状態、でもいつまでも奈良県の高校野球がこの2校だけではいけない、未来がない、と思っていただけに今回の奈良大附の健闘は新しい歴史を作るにふさわしい活躍だったと思います。チャンスになるとアルプスから演奏されていた『青のプライド』、魔曲と言うにはまだまだですがこの曲に後押しされて本塁打も飛び出したし、十分奈良大附の活躍を印象付ける曲だったんではないでしょうか、何か高校野球ファンからカッコいいと評判なようで嬉しいです。この『青』が奈良県の高校野球に紫、朱に続く3強体制を築いて行くことになっていくことでしょう、出来ればまた聞きたいから次回の春のセンバツにも出てきてほしい、そのためにはまず秋の大会だ、今回の活躍に満足せずまた新しい歴史を作るべく頑張ってほしいところです。













GW前に加茂、笠置方面を走った記録は前回、再び奈良市へと入り柳生へとやって来ました、久しぶりの柳生でしたが何かネタがなかったせいか大河ドラマや『柳生一族の陰謀』で枠を埋めてしまいました。今回はキッチリと旅のレポートと言うことで奈良までの帰りの行程をバス停巡りを絡めてお送りしていこうと思います、どうぞお付き合い願います。
まずは写真1枚目、前回も出てきました十兵衛食堂、この向かい側にあるのが柳生バス停、JR奈良駅からやって来るバスのうちでは100番系統がここが終点となる、今回はこの100番系統の経路をたどって奈良方面へ、国道369号線を進んで行こうと思います。その国道369号線は2枚目の写真で言えばバス停の向こう側で十字に交差する道、この道は写真の右隅に見えている案内板にあるようにすぐに左折して、バス停から直進した道と合流する。柳生バス停を出ると国道へと入りカーブの上り坂、確か前に走った時もこれからの区間は上り坂が多かったのを憶えている、まあここは焦らずに行くこととしよう。










柳生は剣豪の里と言っているが、それにしても「忍者になれる、忍術学院」とは何なんでしょう、忍者と言うと伊賀上野が本元なわけですが柳生は結構離れているのであまりイメージはありません。この辺りは阪原とつくバス停名が続く、柳生を出て上り坂はあったがしばらくは緩いアップダウンはあるものの割と平坦な所、山や田畑の青さが目に映える・・・ってこれは緑色や、いや、青色でいい、ってどっちやねん、この問題は前に『チコチャン』でやってましたね。まあそれはそれとして、この時期は新緑・・・緑かやっぱり・・・と言うから生まれ変わりの時期、植物にとってはまた新しい命が始まると言ったところでしょう。交通量はほとんどなく車はたまに、バスも1日に数本しか走らない、時々大型バイクの群れが轟音を立てて通り過ぎて行く、そんな新緑に覆われた道をただひたすらに進んで行く、ちょっと風景には飽きてきた頃かな・・・












これまでは田園風景の中にまばらにしかなかった集落だったが、大柳生付近では久しぶりに町と言う感じの所へと差し掛かってきた。国道は大柳生の手前で一旦右へと折れて写真1枚目の場所にたどり着くが、バスは一旦道を真っ直ぐに進みそこから右に折れて写真2枚目、3枚目にあるバス停へ、そこから再び国道369号線へと進入する。柳生を出て久しぶりの町中と言う感じの所へと来たが、町の区間は左程なく次の大柳生口を出るとまた山に向かう上り坂となる、ここまでは割と楽に走れていたのだがここからの坂は結構一苦労を喰らうことになる。ここから先の話については今回も時間となったようなので次の機会にしておきたいと思います、奈良に住んでいるから知らなかったのですが、JR東海圏内では話題になったと言う寺院が登場します、次回も気楽にお越しくださいませ。           まちみち