まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.976 タイブレーク、どうやねん!

2018-08-13 23:30:33 | 日記
おはようございます。


まず結論から言いましょう

タイブレークはやっぱりやめるべきだ!!

理由は単純、面白すぎるからです。野球は9回までに相手から点数を1点でも多く取ってそれを守り抜くもの、しかしタイブレークはもうそれまでのプレーも関係なしに点数を取り合うゲーム、これはもう試合ではない別物、それがこうも面白いとはねえ・・・肯定したいのか否定したいのかどっちやねん、と言われそうですが、昨日の試合を検証してみましょう。




↑↑↑この試合が甲子園で初めてのタイブレーク、そして昨日(12日)の第3試合星稜vs済美が早くも2度目のタイブレークとなりました。自分(一人称)は今日は明日香村の方へと走りに行ってたのですが、ちょうどこの試合が始まったのが明日香に着いた頃、それまでも弱い雨と遠くで鳴り響く雷に悩まされながら何とかここまでたどり着いたわけだが、明日香に着いた時には雨は左程ではなかったが空が真っ暗になって稲妻が近くで光り出した。アカン・・・怖い・・・と言うことで川原寺前の休憩所で雨宿り、その時には6-0で星稜リード、一方的な試合になっていたのだが・・・



雨が本降りになって雷もゴロゴロなっている間ずっと雨宿りしていたのですが、試合はいつの間にかこんな状態になっていました、まあ6点差も残り1イニングも守れないと言うのも何か、何かなあ~な感じなのですが。そんな緩み緩みな試合をキッチリと締めてくれたのが9回裏からマウンドに上がった星稜の寺沢投手、特に延長12回の1死満塁からのピッチングは圧巻でした、これが流れというものなんだよねえ。それを打ち壊してしまったのがタイブレーク、自分が何の責任も負っていないのに無死1、2塁からピッチングを始めなければならない、投手にとってはもう流れも勢いも関係なしになってここからまた新しいゲームの始まりです。

タイブレークは試合と違ってあらかじめもらったチャンスからいくら得点を入れていくかのゲームです。13回表の星稜の攻撃では1死2、3塁から済美のサードのフィルダースチョイスで1点を取られてしまいました、タイブレークはあらかじめ得点が入るゲームと前提していればここは1塁に投げてアウトを1つ確実にとるべき、単純なことを言えば無死1、2塁ならバント2つで1点を取ることができるからここは1点をあげてもいいところです。しかしサードの選手はホームに投げて1点を与えてしまった、守備側としては点数を与えてはいけないと言う試合からの切り替えができていなかったからだと思います。タイブレークはいわばサッカーのPK戦と同じです、あらかじめチャンスをもらっているシュツエーションにはこれまでの流れは関係なし、ここで気持ちをリセットさせるべきなのです。




試合は済美がサヨナラ逆転満塁本塁打で勝利、星稜にとっては最悪の結末、これまでアホみたいな試合を引き締めてくれた寺沢投手にとってはあまりにも気の毒な結果となってしまいました。星稜も負けの歴史を背負わされるチームですねえ、箕島との延長18回はファールフライで1塁手が転んでしまい、松井秀喜の5打席連続敬遠はせっかくもらったチャンスをものにできなかった、やっぱり負けには自分たちの責任がつきまとうわけです、ところが今回のタイブレークはそうじゃないよな~、これは作り上げられたルールによってもたらされた敗戦、こんなのはやっぱりやめるべきである・・・ってもい今更言っても遅いんだよなあ。昨日はラジオで試合を聞いていたがめっさ面白かった、表と裏で作戦の取り方が全然違ってくる、後攻のチームは先攻のチームが表に撮った点数を上回る得点をとるための作戦を考えなければならない、もちろんそのために先行のチームは取れるだけ得点を取っておきたい、この駆け引きは3時間近く延長12回の死闘を繰り広げてきた両チームにとってはなかなか大変なことなはずだ。ただ自分(一人称)はタイブレークはもう試合ではないと思ってしまっている、それならいっそのこと、タイブレークに関しては監督は作戦に関与しないで選手だけで作戦を考えさせてみてはいかがなものか、サッカーのPK戦でもそうでしょう、試合じゃないところで監督が責任を負うことはもうないと思ってしまうのですが。まあ選手が作戦を考えると言うのはちょっと重荷になってしまうかも知れないが、得点を取る方法はグラウンドに立っている選手が一番わかっていると思うので、どうだろう・・・



と言うことでこれが星稜vs済美のスコアです。これ、おかしいでしょ、タイブレークはもう試合ではないのだからこの試合は9-9(延長12回)タイブレーク4-2で済美の勝利と表記すべき。それと夏の大会のサヨナラ満塁本塁打は史上2度目のことだとか言っていたが、今回の本塁打も公式記録ではないし大会記録に入れるべきでもない。自分(一人称)はこのタイブレークのスコアを延長13回として甲子園の公式記録と表記するのは反対です、まあ蚤粒ほどの一ファンがほざいていることだから今更どうこう変わることはないと思いますが、ただどうしてもこの表記には違和感があるんだよなあ・・・

夏の甲子園はこの他にも暑い試合が繰り広げられています、大阪桐蔭はやっぱり強いねえ・・・って本当にそうかなあ、何か変なんだよなあ、作新学院戦も今日の試合も何かフラフラしていた感じ、でも最後にはやっぱり頂点にいるのは、ってなるのかな。高岡商がベスト16進出、全国でベスト4進出がないのは富山県だけ、でも近年富山県は強くなってきている印象があるだけに今回はチャンスかも、ただ次の相手は大阪桐蔭なんですよねえ、何とか頑張ってほしいところです、このチームって打つ印象があるから・・・3年前の関東一戦ではとんでもない打撃戦を繰り広げた・・・何とかフラフラの大阪桐蔭に一泡吹かせてほしいところです。さて、地元奈良大附は15日に登場、相手は日大三、こちらも名前だけではとても太刀打ちできなさそうな感じですが頑張ってほしいです。そんなわけで今回も時間となったようです、今年も盆休みはいろいろと走りに行ってます、その模様についてはさて~、いつのお伝えになるでしょうかねえ、高校野球で枠をとってしまうからズルズルと遅くなってしまいそうなんですが・・・と言うことで次回も気楽にお越しくださいませ。          まちみち




No.975 三重の旅冬編(5)・・・各駅巡り、近鉄山田線・その3

2018-08-11 22:26:19 | 鉄道
おはようございます。


夏の甲子園は昨日(10日)奈良大附が登場、相手は山形県代表羽黒、強力打線と言うことで打撃戦になるのかなと思ったのですが4-1と案外ロースコアで奈良大附が甲子園初勝利を飾りました。実は地元ではもう奈良県は天理か智辯学園が当たり前と言う感じで、奈良大附はすぐ負けるだろうと案外期待されてなかったのが実情でした、でもいつまでもこの2校では奈良県のレベルは頭打ちのまんまです、だからこの勝利は大きいよ~!!奈良大附が奈良県の高校野球の次の100年の歴史を築いてくれる一角となってくれることでしょう。本塁打を打ってくれたのも良かった、なんせ前に春に初出場した時はその時の優勝校が相手だったとはいえ1安打しか打てなかったのだから。次回は日大三が相手、正直言って勝つのは厳しいかな・・・と言った感じ、でも頑張ってほしいですね、実のある試合を繰り広げてほしいところです、さて、本文と行きましょうか↓↓↓











現在お送りしている旅のレポートの中では今回お伝えする伊勢の旅が一番古いものとなってしまいました、走ったのは今年の1月半ばの頃、伊勢神宮にはまだ初詣の雰囲気が残っている頃でした。伊勢市を後にして近鉄山田線を各駅巡り、ここまで2回お送りして斎宮駅までやって来ました、早速続きと行ってみましょう。まずは近鉄線に沿って参宮街道を進んで行く、写真1枚目、2枚目にあるように地元の人からしたら普通に生活のために浸かっている道も往時は伊勢神宮へ向かう人たちが、さあ、最後もうひと踏ん張りだ!と思いを馳せながら歩いていた所。そんな旅人たちの励みとなっていたのだろうが写真3枚目にある「従是外宮三里」の碑、三里と言うと約12キロだからもう少しの所だろうが歩くとなるとやっぱり大変と言ったところ、そんな旅人の気持ちを蔑ろにするかのように今は近鉄特急がサクッとこの区間を走り過ぎて行く。今回お送りしている各駅巡りは伊勢市駅~松阪駅間だがこの区間は特急も急行も停まらない、往時の旅人もいよいよ神宮だとはやる気持ちで近鉄特急のようにこの道を通り過ぎて行ったのだろうか。
















今回最初の駅は漕代駅、「koishiro」と読む、旧街道から少しだけ脇に逸れた所にある駅はもちろん無人駅、ホームはローカル線の情緒が漂っているが特急銀座と言う感じの路線なので優等列車が頻繁に通過して行く。写真3枚目には『しまかぜ』、この特急電車はよく遭遇するんだよなあ、別に狙っているわけでもないのに、対して『青の交響曲』とはなぜか相性が悪い、こちらは狙ってもなぜかタイミングが悪く姿を捉えることがなかなかできなかった、でもその呪縛が解けたから↑↑↑の写真が撮れたわけで・・・ああ、また話が逸れてしまった、次行こう、次!!
参宮街道は大きな道標が立つ所から櫛田川に架かる橋を渡るが、各駅巡りの方はここから旧街道を外れて民家が密集する町中へと入って行く。たどり着いた櫛田駅は下から4枚目の写真にある駅だがホームの様子は収めることができなかった、ホームは2面2線の間に上下の通過線がある形、となると瓢箪山駅と同じ構造か、この区間では明野駅が同じ構造に当たる。このホームの構造となると線路が4本ある大きな駅と言っても特急や急行は未来永劫この駅には停めませんよ~、と言われている感じ、まあ瓢箪山駅は準急が停まるようにはなったが東大阪市の代表駅の風格はあってもそれ以上の優等列車の停車は望めない、この形で造られた駅はその時点で運命が決まってしまっていると言うことか。櫛田からその次の駅までは山田線の中では一番距離が長く、参宮街道とも大きく離れているので町中の迷路のような道を進んで行かなければならない、携帯の地図サイトは開けないので感覚で進んで行くといつの間にか町中に入り、JR紀勢本線の単線の線路が寄り添ってきた所に次の東松阪駅がある。三角屋根が特徴の小ぶりな駅舎で無人駅、2面2線のホームは今までの駅と変わらないと言った感じだが、近くに高校があることもあってホームには何人か高校生の姿が見られてここまでの駅にはない活気が感じられた。wikiで見てみると大阪桐蔭と2度名勝負を繰り広げた三重高が最寄りとなっている、県名を掲げている高校だから津とか四日市とか大きな町にあるのかと思ったら、こんな田舎の町にあったのか・・・とか書くと松阪市は田舎と違うわ!とか言われそう、JRも近鉄も特急が停まるから大きな町なのだろう、次の駅が松阪なので早速行ってみることとしましょう。








と言うことで東松阪駅から結構離れている参宮街道まで戻って松阪市の中心部へとやって来ました。駅の近くの町の真ん中に和歌山街道との分岐点があり、その場には大きな道標が立っている、道や建物が整備されると移設されたり壊されてしまったりする道標もあるがこの道標は町の真ん中に堂々と立っている、長年神宮を目指す旅人の指標になってくれた道標に地元の住民が敬意を払ってくれたのだろうか。松阪駅はJRと近鉄が同居している大きな駅、こうなるとJRはいつも劣勢に立たされるわけだが、近鉄線のホームは2面3線で優等列車までやりくりしているから構内の広さだけではJRが有利に立っている・・・と言っても非電化で列車の本数も少なければ何のメリットもないわけだが。さて、1月に走った旅の記録も記憶がそろそろ薄れてきそうな頃、近鉄山田線各駅巡りはあと3駅ほど残っているのですがとりあえずはここ松阪駅で終わり、次回はこれまでなかなか巡る機会がなかった松阪市の中心部をいろいろと廻ってみたいと思います。さあ、今回も時間となったようです、鈴愛チャンももう37になってたんですね、もういい年なのにこのアホっぷりは何なんでしょうねえ~、来週が楽しみだわ、と言うことで次回も気楽にお越しくださいませ。           まちみち



No.974 亀岡へ(1)・・・丹波街道町

2018-08-09 09:10:00 | 旅行記
おはようございます。


智辯和歌山が消えてしました、まさかまさかと言う気もしたのですがこれはもう近江の方が一枚上手だったと言うことでしょう。近畿同士の潰し合いはもったいないなあと思っていたのですがどちらかが消えるのは仕方ないこと、ただやっぱり智辯和歌山となるとここで負けるわけにもいかないし大阪桐蔭と言う目標もある、それがプレッシャーになってしまったんでしょうかねえ、自分(一人称)も試合はテレビで見ていましたが、何か智辯和歌山らしくないなあとは思っていました。ただここはわけのわからない野球をするチーム、4点差でも5点差でもあっと言う間に返すだろうから大丈夫だろうと思っていたのですが結局負けてしまいました、選手もこんなはずでは、あれ、おかしいぞ・・・と思いながら回を重ねてきたような感じでした。滋賀県も昨年は彦根東が頑張り今年は近江が優勝候補を撃破、これは初の優勝旗が琵琶湖の地にってことも、いや、それは言わないでおきましょう、もしかしたら今年の優勝旗は初めて東北に行くようなことになるかも、それも今まで影が薄かった秋田県に・・・














6月の梅雨の合間の晴れの日に亀岡まで走りました、せやせや、あの地震の前の日だった、だいたい関西は地震なんて度々あるわけじゃないしあっても体に感じないくらいの小さいもの、前触れなんて全く分からないし、震度5弱あった亀岡もその前日、自分(一人称)が走った時にもそんな兆しみたいなものはもちろん分かるわけはなかった。よく地震が起こると被災した地域では予測がどうだとかこれは人災だとか言う人がいますが、前触れもなく突然やって来たものに人の責任を押し付けるのはどうかと思うのですが、結局人はどうにもならない怒りの矛先を誰かに向けたいところなのでしょう。今年は関西も地震、大雨、酷暑といろいろと自然現象に惑わされる日が続いていますがどれも人災と言ってしまうほど単純なものではないでしょう、ただ地震で崩れた壁に関してはやっぱり気づいてあげてほしかったよな、事が起こってからここぞとばかりにものを言うような後出しじゃんけんは何か、何かなあ・・・、自分(一人称)も走っていて危ないなあと思う所を見たことがいっぱいあります、でもなかなか声をあげることはできないんだよなあ、言えば逆に変に思われることもありそうで・・・












写真とは関係ない話をしてしまいました、走りの話に戻りましょう、と言うことで京都駅の近くの近鉄と新幹線の高架が交差する所の写真をお送りしています。八条通と油小路通が交差する所、南北に通る油小路通は写真3枚目にあるようにここから堀川通となり、油小路通は主役の座を譲るような感じで一本東側の脇道となってしまいます。この場所では前にも一度写真を撮ったことがあるのですが、ここは京都駅の南側ですぐそばにはイオンモール八条口店もあり人の行き来が多く、鉄道の写真を撮るにはちょっと気が引けてしまう所です、まあ自分(一人称)はそんなことは気にしないでマイペースでカメラを向けています。新幹線は京都駅のホームがすぐそこなのでゆっくりと走り、近鉄は駅を出てすぐの所でカーブになっていてこちらもゆっくりと走る、ここは新幹線と近鉄特急のツーショットが狙えるかなと思って機会を狙ってみました。まずは近鉄に『しまかぜ』がやってきた、しかし新幹線の方は来ずで最初のチャンスは潰えた、その後近鉄の普通車と新幹線の交差はあったものの特急電車とはなかなか機会が訪れない。そろそろ潮時かな、こんな人の通りが激しい所での撮影も迷惑やろうし、と思っていると新幹線がゆっくりと通り近鉄特急も京都駅に帰ってきた、写真下から3枚目、何とか1枚だけその瞬間を確保することができた、まあまあこれで満足、さて、走りを再開することとしましょう。









亀岡までの経路と言えば国道9号線、そのスタートは国道1号線から分岐する堀川五條交差点となるが旧街道のスタートとなると・・・と思って走っていると大宮通から1本西側に入った狭い道、ちょっと旧街道の雰囲気が漂う町並に丹波街道町とそのまんまやないけと言う地名の看板があった。写真1枚目、丹波口ともあるからこの辺りが丹波街道に当たる所か、旧街道のスタートは多分東海道の終点となる三条大橋となるのだろうが、そこから始まる丹波方面への道はどのような経路をたどってかこの町並へと至っていたと言うことになる。すぐ近くには西本願寺があって旅人が旅の安全をここで祈っていたのだろうか、まあ自分(一人称)は安全に走ることを心がけるのは当たり前のことなので神や仏に頼ることはしないで先へと進んで行きたいと思います、と言うことで亀岡への走りはここから始めて行くことになりますがその模様はまた次の機会で、今回も時間となったようです、次回も気楽にお越しくださいませ。         まちみち





No.973 風の森は冬、けれど話題は夏

2018-08-07 02:27:20 | 日記
おはようございます。











葛城方面を走ったのは2月の末、寒さが厳しいと言われていた今年の冬でしたがこの日はスカッと晴れて寒さもほとんど感じないくらい、そんな中を走って今年も風の森へ行ってきました。ここまでは葛城古道から県道30号線と去年とほぼ変わらない経路で進み、高鴨神社側からいつもの場所へと向かって行く、もう見慣れた風景、何もない風景って『襟裳岬』といっしょと言う感じで言ってしまったが、そんな場所に毎年1度は来ては何か「気」をもらうように・・・って、ああ~、自分(一人称)こう言うのってあまりないんだよなあ、ここに来るのはこの風景を見たいから、ただそれだけ、ただそれだけのために1年に1度はここに来る、ただそれだけ・・・。










昨日(5日)から100回目の夏の甲子園が始まりました、開会式はやっぱりいいですねえ、全校の大行進を見ただけで泣けてきました、もう涙腺が弱くなって仕方ない仕方ない。その後の給水タイムは選手や関係者の体調を慮ってのことでしたが、お堅い感じの高野連がここは粋な計らいをしてくれるんやなあ、選手やプラカードガールたちが水を飲む姿を見てまたなぜか泣けてきました。その後は大会主催者や大臣や皇太子さま、そんでいつもの八田さんのありが~たいお言葉、また長くなりそうやな~、去年は滝川西のプラカードガールが倒れたこともあって選手や女の子たちの表情をテレビで冷や冷やしながら見てましたが、まあ去年のことがあったので役員さんたちもその辺りを配慮したのか早口で短めで話を終わらせていました。選手宣誓はちょっと長め、この前の災害のことを宣誓の中に織り交ぜるのはどうかな・・・で、大概は1時間くらいかかる開会式が今年は50分足らずで終わってました、これはまあいい傾向なんじゃないでしょうか、客席にも熱中症対策をいろいろと考えているとのことで運営もかなりピリピリしていたのでしょうか。

第1試合は序盤で大差がついたとはいえ終盤の追い上げがあり、しかも両チーム無失策と点差以上にいい試合でした。第3試合は慶応vs中越、ここでは以前に自分(一人称)がベストゲームで選ばせてもらった、しかもその時の敗戦のチーム同士の対決となりました、NHKラジオの実況は小野塚さん、異常なハイテンションでの実況を耳にイヤホンをさしながら聞いていましたが、1点を巡る緊張感のある攻防戦でした。気持的には中越を応援していたのですが、同じ投手を2度3度とひっきりなしに交替させるのはどうかな・・・と思いました、いや、選手がそれでいいと言うのならそれでいいんですが見ている(聞いている)方にしたら緊張感とか疲労とか、相手も目やタイミングが慣れてくるだろうしいつまでも通用するものではないと思っていたが、その緊張感はやっぱり9回で切れてしまったんでしょうかねえ。中越は前々回滝川二高、前回富山第一に続いて今回もサヨナラ負け、自分(一人称)は全部の試合をラジオで聞いていますがツイてないですねえ、新潟県勢は近年目覚ましく強くなってきている印象があるだけに次回こそ中越もその流れに乗れるように行ってほしいところです。













写真とは全然関係ない話を更に続けますが、高校野球と共に気になるのが『半分、青い。』、先週は鈴愛チャンが岐阜に帰って来て律と再会するところで終わりました。東京では辛いことが多かった感じの鈴愛チャンが今日(6日)の最後では寝転がって天井を見ながら涙をポロリと流していました、故郷に帰ってきたと言う安心感と、まさか自分の意志で帰って来なければならないと言った綯交ぜな気持ちがあの涙の表れとなったのでしょうか。東京での後半は涼ちゃんさん・・・もうこいつにさん付けはいらないか・・・のろくでもなさっぷりが際立ちました、でも3人の叔母さんたちは優しかったですねえ、まあこの人たちのおかげで鈴愛チャンが常識ある大人になった感じがしていましたが。でも鈴愛チャンは涼次のことがホントに好きだったんですね、それは鈴愛チャンの台詞で語られていました、見ている方はてっきり律への当てつけで結婚したのかとも思ったんですけどね。だからこそ迷いなくあんな過激なことを言えたんだろうな、その言葉はネットでは賛否両論な意見が飛び交っていたが鈴愛チャンからしたら自然に出た言葉だったんでしょう、それはそれで切ないよな~。そして鈴愛チャンは・・・ってもう30も過ぎて立派なお母さんになった人にチャン付けもおかしい話ですが言い慣れているからこのまんま続けます・・・で岐阜に帰ってきたわけですが、梟会ではあの頃のまんまの鈴愛チャンでした。菜生チャンも嬉しそうでした、みんなが離れ離れになる時は鉄板に涙を落していただけに今回の再会はずっと続いてほしいところでしょうね、でもそうはいかないみたいです、律も鈴愛チャンにもまだまだいろいろと波乱万丈な旅があるそうです、もうあと2ヶ月なのにね、どうなるんでしょうこのドラマ・・・。と言うことでしばらくは『半分、青い。』→甲子園の日が続きそうです、今回は写真とは関係のない話ばかりでしたね、そろそろ時間となったようです、これに懲りずに次回も気楽にお越しくださいませ。            まちみち





No.972 滋賀の旅中山道編(4)・・・地味な宿場町、愛知川宿

2018-08-04 09:03:15 | 旅行記
おはようございます。












滋賀の旅中山道編はそろそろ中盤戦、久しぶりの旧街道とこの沿道に点在する文化財を巡りながら前回は豊郷までやって来ました。旧街道を真っ直ぐに進んで行くと愛荘町へと入る、まもなくたどり着くのが愛知川宿、宿場町は駅の近くで商店街の通りにあって車もたくさん通る賑やかな所、まずはその玄関口となる近江鉄道の愛知川駅へと行ってみる。旧街道から外れた所にある駅はこの路線ではもうお馴染みと言った感じのコミュニティーセンターを併設した駅らしくない駅舎、観光客誘致を見込んでこういった形に造り替えられたのだろうが、ローカル情緒が漂う路線だけにちょっと残念な気もする。無人駅でホームに入ると2面2線の単純な造り、それだけならローカル線の駅と言った感じだが、駅の裏にある高架線がその雰囲気を打ち壊しているかのよう。この高架線は東海道新幹線で短い編成の近江鉄道の電車が1時間に1本の割でトコトコと走っているのを横目に長大編成の車両がビュンビュンと轟音を立てて追い抜いて行く、近江鉄道はせっかくの山側の眺望も高架線に邪魔されてしまいちょっと不憫な感じである。













旧街道に戻って宿場町を進んで行く、この辺りはその雰囲気を残す町並はあるものの町中の商店街と言う感じで車の行き来が多い、すぐ横を通っている国道8号線の渋滞を嫌ってこちらに入って来ているのだろうか。ここは愛知郡愛荘町、「愛」の文字がやけに目立つ地名だが宿場町名も駅名も愛知川、愛知と言うと愛知県が「aichi」と読むがこちらの読み方は「echigawa」、こりゃ~地元の人と旧街道に詳しい人以外は読めないよなあ。実際にはそう表記されるが「滋賀県愛知郡」とか表示があったら知らない人などは戸惑ってしまいそう、まあ「愛」を「e」と読むことなんて滅多にないもんな、一般によく知られてる読み方と言えば愛でるの「me」か、鈴愛チャンの「me」ですね、そう言や鈴愛チャン東京では周りがアホな人間ばかりで結構まともな大人と言う感じだったのが、今日(4日)の放送で岐阜に帰って来た時にはやっぱりアホなヒロイン鈴愛チャンに戻っていましたね・・・って何の話をしてるんだ、『半分、青い。』についてはまた別枠で取り上げることにしておきましょう。すみません、この辺りははっきり言って話を膨らませるほどの見所とか特にない所なのです、なわけで宿場町の雰囲気はここは上に並べた写真で感じ取ってください、何か無責任やねえ~。おやおや、高宮宿で見かけた旧街道をずっと歩いてきている人、豊郷で追い越したと思ったらこちらが駅や文化財巡りで寄り道している間にまた追いつかれてしまった、あれだけの距離をこれだけの時間で徒歩だけで来るなんて結構強者・・・昔の人は歩くしか手段がなかったからこれくらいのスピードで歩くのは当たり前のことなのかも。今の時代では車や電車や自転車が当たり前の移動手段だが往時は歩くのが当たり前の移動手段、その頃の人たちが文明が発達したこんな時代が来るとは思いもしなかっただろうね・・・







愛知川宿の終わりは国道8号線と合流する所、車がすぐ横をビュンビュン走り抜けて行くのでここは気をつけて行かなければならない、やがて道は緩やかな上り坂になって愛知川に架かる橋へと差し掛かる。進行方向左手側には近江鉄道の赤い鉄橋、更にその向こうには新幹線の鉄橋も見えている、どうもこの2つの鉄道は寄り添っていなければいけない関係なのか、新幹線はそんなに近江鉄道のことが好きなのか、って鈴愛チャンばりの発想になってしまうのですが、近江鉄道の鉄橋の方は国の登録有形文化財と言うことでそこだけは誇らせてあげてください。さて、彦根市と二つの郡部を通り過ぎて愛知川を渡ると東近江市、琵琶湖岸の道路も、朝鮮人街道も中山道も、琵琶湖の南側を走ると必ず通るこの市、何かいろいろと謎を感じる市なんだよねえ、自分的には。まあそれは良しとして謎を感じながらもいつも通り過ぎるだけになってしまう東近江市、次回はこの町にある古い町並へと行ってみようと思います、さて、今回も時間となったようです、次回も気楽にお越しくださいませ。          まちみち