まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1181 万葉歌碑巡り・八尾~堺~住吉編

2019-08-19 10:58:10 | 万葉
おはようございます。


夏の甲子園もいよいよ大詰め、昨日(18日)は星稜頑張りましたね、あの大熱戦の後だから疲労もあるのだろうと思ったが、強豪仙台育英相手にまあ取るわ取るわの連続、奥川投手を十分に休ませることができました。いままでここでもネガティブなことばかり書いてきたのですが、これはいよいよ行きそうですね~、あの歌う監督にはそろそろ、高島監督が言っていた旗が見えてきたのではないでしょうか。準決勝の相手は中京学院大中京、昨日は佐賀北を思い出させる8回の満塁逆転本塁打で勢いに乗るチーム、最後の難関と言ってもいいくらいのチームでしょう、あの名門校と名前も似ているので決して名前負けしないように・・・星稜ももう名前で十分相手を怖がらせるチームになっているか。準決勝もう1試合は関西対決、明石商はなかなか魅せてくれますねえ~、あの監督も熱そうな人、まあ注意されない程度に選手を鼓舞させて、履正社相手にいい試合を見せてほしいところです。明石はこの間行ってきたばかりだからちょっと肩入れしてるんですけどね、その話はまた別枠でと言うことで本文、参りましょうか↓↓↓












万葉歌碑巡り。今回は大阪編、主に奈良に近い所となる大和川周辺部から堺、住吉方面を走って来ました、早速行ってみることとしましょう。まずはいつもの調子で国道25号線を進んで柏原市内へ、交通量の多い県境を越えてホッと一息つける所が近鉄国分駅前、大阪方面と堺方面の分岐点となるポイントの場所に歌碑があるとのことだがどこだ・・・と思ったらロータリーの真ん中に立っている碑に歌が刻まれているらしい。この碑は柏原、八尾付近で地元の歴史をPRするために立っていて、その文中に歌が掲げられているのだが文自体が見えにくいので歌がどの部分にあるのかほとんど分からない。大阪方面へ大和川に架かる橋を渡って国道25号線を進んで行くと、国道170号線との分岐点となる交差点の一角に大きな歌碑がひとつ、その後しばらく走ってJR八尾駅前にもスマートな形の歌碑が立っている。

「真鉋持ち 弓削の川原の 埋れ木の あらはるましじき ことにあらなくに」(作者不詳・巻7-1385)

「真鉋」とは鉋、読み方は「kanna」、御存知材木を削る工具のことですが、この場合は「弓」を「削」るとのことで弓削にかかる枕詞となっている。弓削とはJR志紀駅付近の地名だがその川原とはどういう事、この付近には大きな川はないはずだが・・・とその謎を写真4枚目にある地図の看板が解明してくれている、その地図を見ると黄色い部分が今はなくなっている河川と言うことで、以前の大和川はこの付近を流れていたと言うことがうかがえる。
















再び大和川を渡って堺市内へ、ここでの目的は古墳巡りとなりそうだがそれはまた次の機会へと置いといて仁徳陵にある歌碑を探すことに。走ったのは5月の後半の休日、新緑が眩しい頃、その歌碑は古墳の西側の緑に囲まれた森の中の遊歩道に5つ並んで立っていた、それが写真5枚目にある風景、大きな歌碑を真ん中にしてそれを囲むように左右に2つずつパネルの歌碑が立っている。

「ありつつも 君をば待たむ うち靡く 我が黒髪に 霜の置くまでに」(磐姫皇后・巻2-87)

一番真ん中の歌碑の歌が↑↑↑だが、ここにある5つの歌は全部磐姫皇后のもの、嫉妬深い皇后は夫が自分が旅に行っている間に自宅に女を囲ってしまったことに怒ってそのまま帰らなかったとか。その時に詠んだ歌が上の5つ、浮気している相手に怒っているのではなく、その相手を思っている自分の心情が歌われている辺りが何とも奥ゆかしい、結局皇后は夫に会うことがないまま亡くなってしまうと言うことだが、なぜそんな女性の歌を夫の墓の前に並べているのだ?って夫とは仁徳天皇とのこと、この歌碑をここに並べて生きているうちには会えなかった皇后の思いを叶えさせてあげたのでしょうか・・・














三度大和川を渡って住吉公園へ、快晴の休日と言うことでたくさんの人が公園に繰り出している、何かイベントもやっているようだ。公園の入口から南海住吉大社駅へ、更にそのまま住吉大社へと通じるこの道に歌碑があることだが・・・それはすぐに見つかったが歌碑の表面がつるつるしていて文面がみにくい、歌も確認しにくいと言うことでここはスルー。公園内の道標にラジオ塔とあったのでそちらの方へと行ってみる、そのラジオ塔が写真5枚目にあるもの、前に一度明石で登録有形文化財のものを見たことがあったが今ではもう遺産になってしまったもの、公園で遊んでいる人からは見向きもされない存在となってしまっている。
南海住吉大社駅から高架沿いに雑然とした狭い道を進んで行くと次の南海粉浜駅、高架駅で周辺は商店街と特にどうってことのない所だが、その駅前の一角に万葉歌碑が何か不釣り合いな感じで立っている↓↓↓

「住吉の 粉浜のしじみ 開けもみず 隠りてのみや 恋ひわたりなむ」(作者不詳・巻6-997)

この歌はさっき住吉公園にあった歌碑と同じものである、駅名からも分かるようにこの辺りもはるか昔は海の近くだったと言うことで、その眺めもきれいなものだったのだろう。作者は誰か不明だが、当時の天皇の難波行幸の際に住吉に立ち寄り、その時に見た風景の美しさに心をとらわれて詠ったものだと言う説明が隣の看板に書かれている。まあ残念ながら現在の粉浜駅付近はこの歌とは打って変わってどこが美しい風景やねんと言いたくなるような所、商店街から聞こえてくる曲も現代風の顔色のないメロディーと言った感じ、浜の美しさに歌を詠った人の嘆きがこの歌碑から漂ってきそうな気もします、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。              まちみち


No.1180 各駅巡り、近鉄名古屋線(8)・・・最終区間、普通しか停まらない駅

2019-08-18 22:11:50 | 鉄道
おはようございます。













各駅巡り近鉄名古屋線、3月に走った記録ですがさすがに78.8キロ44駅ともなると回数が増えてしまうのも無理ありません、今回が8回目でまるで遠出の旅と変わらない回数を費やしてしまうことになってしまったのですが、やっと最終回を迎えることとなりました、では行ってみることとしましょう。
前回でやっと愛知県に入ってここまで来たら後はもう名古屋を目指すばかり、まず今回最初の駅は冨吉駅、2面4線で始発終点の設定もある大きな駅でホームには特急が停まっているように見えるがこれは回送車、停車するのは四日市方面へはこの駅から先は各駅停車になる準急までで急行は停車しない。名古屋側には車庫がありそこにも普通車や特急車両が停まっているのが見える、もっとよく見える所はないかなと線路沿いを走って行くと先で川を渡る所にある跨線橋が線路をまたいでいてたくさんの線路と電車を見ることができた。ちなみに冨吉駅は蟹江町にあるが車庫の線路は一部愛西市にかかっている、そう言えばさっき国道1号線を走っていても愛西市の表示を見たなあ、愛西市のエリアって一体どこからどこまでなんだ~、ますます謎が深くなりそうな市だが、この走りではこの先愛西市を走ることはなかった。


















次の駅は近鉄蟹江駅、2面4線のホームを有する急行停車駅で駅前も割と人が多くて結構賑やかだった。駅名に近鉄とあるからJR関西本線にも蟹江駅があるわけだが両駅は結構離れている、ここまで両線を比較して圧倒的に近鉄の方がありとあらゆる面で有利だったが、名古屋に近い所となるとJR線も本数は多くて乗客も多い、この辺りでは両社は拮抗しているだろうから両駅が蟹江町の中心駅の役割を分け合っている感じ。近鉄線は名古屋駅を出た急行が初めて停車する駅なので、ここから先は普通しか停まらない駅が続くことになる、都心に近づくほど存在感が薄くなりそうな駅が続くが果たしてどんな所なのだろう。と言うことでまずは次の戸田駅、町中の一角にある感じの駅は割と立派な駅舎でホームは2面2線、駅のすぐ横を川が流れている。そう言えば愛知県に入ってから小さな川に何度か行く手を阻まれている気がする、この流れを予感するかのように近鉄線は川を渡った先で高架になって道は迂回して進まなければならなくなった。しかもその予想通り、結構大きな川を渡り単調な住宅地の中をくぐり抜けて伏屋駅へとたどり着く、駅はついこないだできたばかりの新しさが残る感じの高架駅でホームの様子をうかがうことはもちろんできない。
伏屋駅を後にして北へと進みJR関西本線の高架をくぐり右折した先でまた結構大きな川を渡る、ここまで長い距離を走って来ているので橋を渡る時のアップダウンが足にダメージを与えてくる。せっせせっせと町中を縫うように進んで行くとJR線と近鉄線の高架が交差する所へ、両高架線の下をたどるようにして進んで行くと先にJR関西本線の八田駅、そのすぐ後に近鉄八田駅が現れる。ここももちろん高架駅、wikiによるとホームは2面4線と言うことだから名古屋駅を出て初めての待避可能な駅と言うことになる。JR線の駅がすぐ隣にあり、下には地下鉄線が走っていてそこにも八田駅があり名古屋へと通じている、町自体は都心の外れと言う感じだが交通が賑やかな所で名古屋へ出る手段も競争になっているのだろう、イメージ的にはJRが一番有利な気もするが。八田駅前から鉄道の高架線に沿うように大きな道を進んで行くと次の烏森駅、ここも高架駅でJR線が相変わらず並走しているが、何か南の方からもう1本、高架線が寄り添ってきているぞ、あれは何だあ~?











烏森駅を出ると近鉄線もJR線も地上に下りてきてくれた、JR関西本線ではもうこの辺りになると名古屋駅手前のアナウンスが流れ下りる準備をしているところ、近鉄線の方にまだ残りの駅が2つ、そのうちの1つ目、黄金駅へとたどり着く。2面2線に短編成の普通しか停まらない寂しい雰囲気の駅だが、隣のJR線は線路が広がっていて関西本線も本数が多く回送車もたくさん停まっていて、ここに来てやっと近鉄に一矢報いたと言ったところか。線路に沿う道を進んで最後の駅が米野駅、ここまで7回各駅巡りをお送りしてきて最終目標は名古屋駅だと書いてきたが、実はこの駅で相棒君はお役御免と最初から決めていた。プレハブの小さな小屋みたいな駅舎の前の狭いスペースで相棒君を寝床につかせ、ここで終点の近鉄名古屋駅までの1駅だけの切符を購入して1区間だけの鉄道旅。ホームは2面3線で構内踏切を渡って行くようになっているが、いきなりその踏切が鳴ってすぐ間近をアーバンライナーがゆっくりと通り過ぎて行った、3線のうちの1線は特急回送用のホームで、名古屋方にある特急電車の車庫への折り返しに使用されている。踏切が空くとすぐに名古屋行の普通電車がやって来た、本当はもっとゆっくりと写真を撮りたかったのだが、時間が押し迫っていたのと名古屋駅からはJR線に乗換え、多分ここで経路と人の多さに苦しめられるだろうと思ったのですぐにその電車に乗り込んだ。
普通電車は地下へと入りゆっくりとポイントを飛び越えて近鉄名古屋駅へとたどり着く、短編成の普通は追いやられるように一番端のホームに停車、準急、急行が発車するホームは夕方なので結構人が多いが、やっぱり一番賑やかなのは特急が発着するホーム、観光客ばかりではなく通勤客も特急発車ホームへと足を向けて行く。近鉄名古屋線は特急と普通の格差が激しい路線と言うイメージがあるが長距離輸送が主流だから仕方ないのだろう、特急が停車する駅は大きな駅、急行が停車する駅もそれなりに大きく、しかし普通しか停まらない駅は・・・まるで中川家礼二が鉄道大好き芸人の時にやっている『のぞみ』の物真似のような感じですっ飛ばされて行く。帰りはJR関西本線を利用したがもちろん名古屋からは座ることができなかった、車内はかなりの混雑、輪行は肩身が狭い思いをして乗らなければならないところ。弥冨を過ぎてもまだ座れない、ああ~、疲れた・・・座りたいなあ~、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。             まちみち



No.1179 智辯和歌山、散る・・・

2019-08-18 00:10:28 | 日記
おはようございます。


今年の盆休みは相棒君の調子が悪くて部品が入り次第手術と言うことになってしまったため遠出ができなくなってしまい、もっぱら近場を走るばかり、しかも台風で出られなくなってしまったこともあってフラストレーションがたまるばかりとなってしまいました。昨日(16日)が仕事で今日は休み、ちょっと鬱憤を晴らしたいと思い宇陀市方面を走って来ました、もちろん耳にはお供ラジオで夏の甲子園、と言うことで今日の第2試合、智辯和歌山vs星稜の試合は走りながら聞いていました。自分(一人称)は高校野球の試合は毎回決勝戦だけは録画するのですが、この試合は何か凄いことになりそうな気がしたのでBS朝日で10時半から5時間ぶっ通しで予約録画しておきました、いくらもつれたとしても5時間もかかることはないだろうと思ってたんですけどねえ・・・。





まあ思い出すのも癪に障るのですが、前回も書きました奈良県代表の智辯学園の方は青森県の八戸学院光星にあえなく敗れてしまいました、もう情けなかったねえ、10点も取られ過ぎ、攻の方は予選でも大逆転勝ちがあったからリードされても何とかなるやろ、と思って見ていたら案の定7点差を逆転、でもそのリードが守れない、案の定9回に2点取られてTHE END、もう負ける時は毎度毎度なんだよなあ。作新学院、鳴門、創成館・・・競り合いになると9回に失点するのはもう毎度のこと、センバツで優勝した時に「笑ってしまった」と相手に失礼なことを言い放った監督には、もっとこの辺りをキッチリと締めてほしいところ、まあ来年に期待しましょう、天理がしばらくおとなしくなってますからね・・・そう言えばその天理、この間のテレビの最強校ランキングで7位に入ってました↓↓↓




まさか嘘やろ~って思ってしまいました、だって日大三、龍谷大平安、興南と言った強豪校が20位にも入ってないランキングでまさか7位に入るとはねえ、ありがたいことです。ただそのランキングを見ると仙台育英や星稜と言った優勝してない高校も入っているから、多分印象度で選ばれたんでしょうねえ。でも2年前にはベスト4まで行ったとしても最近体たらく気味の天理が7位と言うのも何か、何かなあ~、やっぱり申し訳ない気分、最初にインタビューされてたオバちゃんの後ろに映ってたのは天理駅やったしねえ~。


智辯和歌山は2回戦では明徳義塾に逆転勝利、以前夏の決勝で負けていたのでここはそのリベンジと言う感じでしたが、1イニング3本塁打で7点と言うのがいかにも智辯和歌山らしい↓↓↓




だから今日の試合は負の歴史を背負う星稜だけあって智辯和歌山が星稜の奥川投手を得意の空中戦で打ち崩して、と思ったんですけどやっぱりそうは行かなかったですねえ。奥川投手は9回までに17奪三振、その中には6者連続三振、150キロ越えの速球もあってさすがに評判通りの投手↓↓↓



いつかは点を取るだろうと思っていたのだが、回を増すごとに凄みが増してくる奥川投手からはそのイメージもほとんど感じられなくなってきた。ただ星稜も打てないんだよねえ、いつぞやの仙台育英の佐藤由規投手が智辯学園に負けた時がそうだった、いくらいい投手がいても打てなければ勝てないと言うこと、今回の星稜もそんなイメージだったのですが・・・。




試合は延長12回でも決着がつかずタイブレークへ、となると思い出すのが昨年の星稜vs済美のサヨナラ満塁逆転本塁打、星稜に負の歴史再びか、とも思ったが今回は星稜が裏の攻撃、表の智辯和歌山の攻撃を抑えれば何とかなるかも。それにしても無死1、2塁でどちらとも送りバントしてきて3塁で刺されてる、何で同じ手を何度も使うんだろうねえ、これ守りのセオリーで行くと送りバントで1死2、3塁、敬遠で満塁にしてゲッツーなんだよね。だから攻める方からすると最初の打者の送りバントは相手に守りのセオリーを与えてしまうもの、しかもそれを3塁でアウトにされてしまったらどうしょうもない、ここはもっと積極的に打って行ってもいいと思うんですけどねえ~、あとはイチかバチか盗塁するとか。
13回表裏、14回表と同じ感じで点が入らず、これは15回同点で再試合も、って思ってたら14回裏に出ましたね~、星稜、福本選手がサヨナラ3ラン本塁打で昨年の悪夢を振り払いました。これは星稜行くかもね、箕島=和歌山県、明徳義塾=前回智辯和歌山が倒した相手、タイブレークと重ねていた黒パネル=負の歴史を今日の勝利でオセロみたいに白のパネルにひっくり返したかも・・・ってどうかな~、そううまく行くかな?奥川投手は165球、23奪三振、延長に入っても150キロ越え連発、しかし延長に入って足が吊ったみたいだし明日も暑くなりそうで熱中症が心配、明日投げられるかな~。昨今、球数問題でいろいろと言われている中での今日の彼の力投は問題視されてもおかしくない、でも延長14回を足が吊ってでも投げぬいたのは賞賛してあげたい、有識者は何やかんや言うかも知れないが、投手はやっぱりお山の大将でならなければならないと思う。ただそのことが明日どんな結果をもたらすかですね、星稜に新しい栄光かそれともやっぱり長く続く負の歴史なのか・・・。
智辯和歌山、打てなかったですねえ、奥川投手が凄いのは分かっていたことだが、常識を逸した打撃がウリのチームが14回でたったの3安打とは予想外だった、ラジオを聞いていても金属バットの「カキーン!!」と言う音が全然聞こえてこないし、しかも延長に入ってからは無安打でしたからね。最後はサヨナラ本塁打、思えば春も明石商との対戦でサヨナラ本塁打で敗れてました、まあ勝つもドラマチックなら負けるもドラマチックなところが智辯和歌山らしいと言ったところでしょうか。今日は走りから帰ってきてから録画していた試合をぶっ通しで見ました、ラジオで聞いていた熱戦、ラジオでは選手たちの表情は見えないだけにやっぱり映像で見るとその熱さは半端なかったですね。普段なら3回戦の試合なんか録画することもないのですが、この試合には何か予感めいたものがあったんでしょうねえ、もしかしたらタイブレークもその予感の中にあったかも、だから録画時間を5時間にしておいたのかも。いやあ~、いい試合でした、ただこの試合が歴史に残るかどうかは明日以降の星稜にかかってくるでしょう、星稜はもう優勝するしかないと言うこと、でもそうなると明日、どうするんだろう、歌う監督はどんな考えでこの夜を過ごしているのでしょうか・・・。今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち



No.1178 浜名湖の旅(2)・・・各駅巡り、天竜浜名湖鉄道線、その2

2019-08-17 20:53:59 | 旅行記
おはようございます。


夏の高校野球、球児たちの熱いプレーを今年も相変わらずこちらも熱くなってテレビを見させて、もしくはラジオで聞かせてもらっています・・・とは言っても地元奈良県代表は情けない試合で早々と消えてしまいました、今回は49番目、一番最後の登場とのことでしたがまあひどい負け方やったなあ、何せ守れないんやからね、10点も取られるなんて情けないったらありゃしない、もう奈良県民やめて和歌山県民になろかな~って思ったもんな。でもその智辯和歌山もブンブン振り回して消えてしまいましたね、でも勝つもドラマありなら負けるにもドラマあり、さすが智辯和歌山と言った感じでした。高校野球に関してはまた枠を設けて話するとして、さて、本文に行くとしましょうか↓↓↓



















GW宿泊の旅2日目は浜名湖の旅、初回は御機嫌な青天の中で天竜浜名湖鉄道線各駅巡りを奥浜名湖駅からスタート、三ヶ日駅を巡ったところまで行きました。線路に沿って進んで行く国道362号線は三ケ日の町並を過ぎるとカーブと上り坂で峠へと臨んで行く、進行方向右手側に見えているのは猪鼻湖、空の青さをまともに受けるかのように青色の湖面を輝かせている。峠を過ぎると小さな町に入り次の都築駅へとたどり着く、ちょっと洒落た感じの駅舎、無人の改札を抜けると1面だけのホームにはちょうど1両だけのディーゼル車両が停まっていた、今日はなかなか遭遇率がいいなあ~、などと思いながら次の駅へと走り去って行く車両を見送る。ディーゼルカーが残して行った煙も飛び散って静かになったホーム、緑の眩しさが目に優しく飛び込んでくる、まだ朝早い時間なので鳥の声もあちらこちらから聞こえてくる。駅を後にして国道を進んで行く、天気の良さがますますテンションを引き上げてくれそう、いつの間にか東名高速が北側を沿うように通っていてここからの区間は東名、天浜線、国道362号線が並走するようになる。都築駅から続く町中を抜けて行って次の東都筑駅へはすぐにたどり着く、駅舎はなく数段の階段を上るとすぐに1面1線だけの誰もいないホーム、線路の向こうはすぐの所に東名高速が通っているがもちろん車の往来は激しくその走行音はホームにまで聞こえてくる。















東都築駅を出ると緩く上りとなってトンネルとなった線路を飛び越える、その後は東名の下をくぐり抜け国道が今度は一番北側を走ることになる。緩やかなカーブの繰り返しの道を走って行くとやがて次の浜名湖佐久米駅へとたどり着く、四角い駅舎を抜けると1本だけのホーム、真正面には東名高速、その橋桁は湖面から立っているがこの湖が浜名湖と言うことで、相棒君との走りでは初めて見る浜名湖となる、ただ高速が眺望を邪魔していて湖の先はほとんど見ることができない。ここでもディーゼル車両と出会うことができた、上の写真にあるようにちょっと一時代前の懐かしさを感じるツートンカラーの車両だ、列車は静かなホームにディーゼル音を響かせながら三ヶ日方面へと走り去って行く、ホームを出ると湖に沿って急カーブで高速の下をくぐり抜けて姿が消えた。高速から車の走行音ばかりが聞こえてくるだけのホーム、この駅は浜名湖からたくさんの鳥が飛んでくる駅としてよくテレビでも紹介されることが多いが、鳥さんもシーズンオフのせいか時間が早かったからなのか全然姿を見せてくれなかった、まあいたらいたでそれもまた困りものなのだが・・・。









浜名湖佐久米駅を出ると道は上り坂、クネクネとカーブを繰り返しながら緩やかな上りを進んで行く、そのピークとなるのが写真1枚目にある寸座峠バス停がある所、ここを過ぎると下り坂になり再び右手側には浜名湖が見えてくる。勢いがついたまま坂を下って行くと線路の下をくぐり抜けて寸座交差点を通り過ぎる、線路は左手側で国道からは結構高い所を通っている、さて、次の駅への入口は・・・と思いながら走っていたが駅への表示は全然見当たらない。これはやってもうたかも、と思い地図サイトを見るとやっぱり、いつの間にか通り過ぎていた、駅はさっき線路をくぐり抜ける手前にあったようだ、と言うことで今勢いよく下りてきた坂道を上って行く。これは結構時間のロスやな・・・と思っても仕方ない、自分のミスだ、と言うことで次の寸座駅は下り坂の途中の国道と線路が同じ高さになった所にあった、こりゃあ見逃しても仕方ないわ、下り坂からだと完全に死角になっていた。ホームは1面だけ、これで4駅連続、この区間は列車のすれ違いが行えないことになるが、浜名湖の奥を走るローカル線はこれでも十分間に合うのだろう。浜名湖の旅もまだまだ序盤戦、ちょっとしたミスはありましたが傷は全然浅い、このままいい調子を保ってこの先も進んで行きます、各駅巡りは次回に続くと言うことで今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。         まちみち


No.1177 平城京廃寺巡り(4)・・・左京北部、外京編

2019-08-16 07:47:55 | 
おはようございます。





平城京廃寺巡りは大安寺付近から右回りに右京を経由して、今回最終回を迎えることとなります、お送りしていくのは下の地図で色のついた枠の場所↓↓↓



まずは赤枠の部分を巡って行くこととしましょう。














写真1枚目のジオラマでは下半分が緑に囲われていて大きな古墳が並んでいます、この辺りが左記古墳群となりその上部が平城京の最北部となっています。そのすぐの場所に色のついた〇印が3つ並んでいるが、この3つの丸を含んだエリアが藤原不比等の邸宅があった所となっている、その中の一番大きな赤丸が現在では法華寺であり、ピンク色の丸の阿弥陀浄土院と緑色の丸の海龍王寺・・・写真では上から4枚目~6枚目にある寺院・・・が法華寺を囲むようにして建っていた。これらの寺院のすぐ横には平城宮があり、法華寺からさほど離れていない所に長屋王邸や藤原仲麻呂邸があったことから、都の重鎮の邸宅は平城宮の近くに集まっていたのだと思われる。その法華寺から東へと伸びる道が一条南大路、少しだけ進むと東三坊大路との交わる・・・現在では一条通りと国道24号線の交差点で一条高校がある所・・・ジオラマでは分かりにくいが茶色の丸が記している場所にあったのが阿シュク寺。その跡を示すかのように国道24号線の歩道には写真下から5枚目~4枚目にあるように、日本初の図書館であった芸亭伝承地の碑が立っている。国道は上り坂になって平城山へと差し掛かって行って、JR線の跨線橋を渡ると山の中に入って行って写真下3枚にある不退寺へとたどり着く、ジオラマではこれもかなり分かりにくいけどグレーの丸が記している所。都の中枢からはさほど離れた所ではないが、寺院は山の中にあって都心の喧騒など忘れそうなくらいな静けさが漂っている。


















ジオラマでは手前側が東、4つの丸が並んでいるエリアはこの間お伝えした外京に当たる、つまりこの部分が今の奈良の一番の中心部と言うことになる。手前の山の部分には2つの白い矢印が左右に向いているが、左向きにあるのがその先にある新薬師寺を示している、一方の右側に向いている矢印の先には写真ではほとんど切れて見えなくなっているが東大寺がある。ジオラマの写真では丸が3つ並んでいて一番左の青丸の上に朱色の丸が重なるようにあるが、その場所が写真2枚目、3枚目にある通りと町並、この朱色の丸の辺りには佐伯院、葛木寺と2つの寺院が並んであるとのことだったが今では写真にあるようにその痕跡は全く見られない。3つ並んだ丸の一番左側の青丸が紀寺跡、紀寺は町名、交差点名でここでよく取り上げたことがありますが、元は藤原京にあった紀氏の氏寺が平城京遷都の際にここに移転されたもの。今はこの地域が紀寺町となっているが、その町並の一角にひっそりとある璉珹寺が紀寺を前身とした寺院とされている。
この辺りは今で言うならまち界隈の一番南側に当たる所←「言うなら」ではなくて「言う」「ならまち」で切って読んでね。市内循環のバス通りの横断歩道を渡るとならまち界隈へと入って行くが、このジオラマではそのエリアは3つの丸の真ん中の茶色の丸の部分=元興寺に当たる、今はならまちの中にある小さな寺院だが訪れる人は多い。隣の紫色の丸に当たるのが興福寺、五重塔と猿沢の池でお馴染み、観光客がたくさん押し寄せる大きな寺院だが、ジオラマを見る限りではその大寺院よりも元興寺の方が広く大きな寺院だとうかがえる。元は蘇我氏が飛鳥に建立した法興寺=飛鳥寺が平城京遷都の際に移転された寺院、その寺院についてはここでも何度か取り上げたことがありますが、奈良時代以降東大寺、興福寺が隆盛していくのに対して元興寺は衰退していくばかり、一時はかなりの荒れ果てようだったとか、その辺りは藤原氏の氏寺である興福寺との因縁も感じてしまいそう。でもその隆盛、衰退の経路は1000年以上の時を経て、現代にならまちとしてたくさんの観光客をひきつける場所としてよみがえった、表面的な部分で訪れられる興福寺に対して、本質的な部分で訪れられる元興寺とでも言ったところでしょうか。さて、平城京についてはこれまで道や廃寺を巡ってお送りしてきましたがまだまだ奥が深い所があると思います、これからもいろいろとテーマを見つけて巡って行きたいと考えております、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち