湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

金星と木星のランデブー

2019-11-15 17:58:00 | コラム
一番星みーつけた!って


宵の明星・金星と木星が
夕暮れすぐに現れた!

これから1週間ぐらいにかけて
木星は金星に近づいていく

金星は占星術では
愛情や仕事を示す星であり
木星はラッキーな星だと言われ
その拡大を意味する星といわれている

東の空には
牡牛座流星群がやってきていて
沢山の流れ星は
みれないかもしれないが
『火球』と呼ばれる火の玉のようなのが、時折流れるようで
人気の流星群らしい。

私も一度だけ
牡牛座流星群の火球を見たことがあるけれど
あーって、まさに
一瞬の間に壁から剥がさて
そのまま
お星様がこぼれ落ちていくよう。
長い火の軌道を描きながら。
それでも
願いことなんて三回言えたものじゃなかったよ



そんな夕暮れを
誰かと一緒に見てみたいなぁなんて
思いながら

いったい誰やねん!って
自分の中でツッコミして

ニヤニヤと笑いがこみ上げきたりして。

『あ、一番見つけた!あ、流れ星だ!』

『ふぅ〜ん、それがどうした?』
って言わない相手に限る、絶対に(笑)


すこし
寒空になった頃から
星は瞬きを増していくんだもんねー。


もう、そんな季節だよねー。













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『コーヒーが冷めないうちに』を見て

2019-11-13 00:10:00 | コラム



2018年邦画
『コーヒーが冷めないうちに』

風邪気味のボーとした頭を抱えながら、
最後は涙で浄化されながら
やっと見れた。


喫茶店フニクリフニクラ

ごく普通の人たちが
その喫茶店にあつまってくる。

マスターと、その姪にあたるカズちゃん

2人が営んでる喫茶店

ちょっと、都市伝説的なことがいわれている。

カズちゃんが
店のとある席でコーヒーを入れると
過去へも未来にも行けると言う


ただし、それには色んなルールが存在する

そして、それは、カズちゃんがコーヒーを入れて
それが冷めきるまでの間のみの時間
過去への時間のランデブー

冷めるまでに、そのコーヒーを飲み干さないといけない。

事態は変わらない。
一度起こってしまったことはどんなことがあっても変わることはない。

けれど、思いを残しているから
過去に戻りたい
言いたい、伝えたい言葉があるから
一生懸命に伝えようとする
短い時間の中で懸命であればあるほど、見ているこちらは、
なおさら切ない。
一度起こってしまったことは変えられないのだから。

それを知りながら‥

しかし
会いたくて‥
いいたくて‥

過去のその人に会いにいこうとする心情。

みんなそれぞれの事情ってものがある。

そっかそっか
そうだよね

やっぱり、それ、言いたいよね

頷きながら
やがて気づいていく。

過去は変えられない。
しかし、そこから未来は変えていけると。


一番切ない思いを抱いていたのは
代々続くコーヒーを淹れて
過去や未来へと送り出す女性のカズちゃんだった。
その血筋のものだけが
そうした能力を得ている

ことのほか、カズちゃんは
人には言えない複雑な過去をもってた。
しかし、母を居なくなった同然のカズちゃんに
コーヒーをいれて過去に送ってくれる人はいない。


しかし、、、、。
神さまはみていてくれたのかな。


カズちゃんにコーヒーをいれて過去の母親に合わせてくれる。

ちょっとしたトリックのような
なるほど、そう言う手があったかーと、ホッコリする場面が用意されている。

『コーヒーが冷めないうちに』と
言われて過去や未来にいける。
ほんの10分ほどの時間

過去から戻った人は
変わらね現実を受け止めたら
また、明日へと希望をもっていけるのだ。

そう、映画の中でカズちゃんは言う
『未来はまだ訪れてませんから、それはお客様次第かと...』

素直にうけとればなるほど、まったくだ!




私が今回風邪を引かなければ
いま、上映している映画
『マチネの終わりに』を観に行くつもりだったが、観にいけないでいる。

この映画のメッセージは

『未来を変えれば過去が変わる』

どう言うこと?

『たった3度しか会ってない人が
人生において一番最愛の人でした』

だとか

『人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです』

と言うセリフがでてくるらしい。

愛し合った2人が
違う場所で、互いを思う気持ちを同化させていく。

2人が出会った過去に支えられて
未来を築いていくとき
未来で起きたことによって
過去が全て塗り替えられいくと言うようだ。

切ない過去であっても
未来において、何かしらのアクションが過去と触れ合ったときに
過去を肯定できるようになるんだと言うのか。

実際、出会った人によって
今までの過去が、
その人に出会うための過去だったと思えたとき、一瞬で暗い過去は確かに塗り替えられたりする

また、
自分の思っていた過去が
ある日、すべてが自分の思い込みのせいだったと思える出来事だったと気付かされたり。

未来は、過去おも変えていく。

そう言いたいのか。

愛し合った2人の行方はどうなるのか。
いま、一番興味津々の映画。

ちょっとしつこい風邪に
行く手を阻まれている私は
また、DVDが出るまで
お預けになるのだろうか

『コーヒーが冷めないうちに』と

『マチネの終わりに』の共通点は
未来に託されていると言う点か?

じゃ、未来の入り口の『今日』と言う日を大切にしなきゃいけないと言うことかしら、、、。

また、映画を見たら
感想を書いてみたい。





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寒くなってきたから、『鍋』

2019-11-06 20:57:00 | グルメ
暑かった日が長かったから 
秋は今なのかな
もう過ぎたのかな

もうすでに肌寒いんだけど

関西風うどんすき
普段の普通の日バージョン


もっと特別な日なら
ここに、海老やホタテやタラが
はいるのだけど。


あ、フランクフルトがあったから
入ってるけど
鍋の真ん中に茶色のイルカみたい

笑ってしまう

ピヤピヤ
何か言いたげに
つゆに浸かってるみたいだ


だけど、フランクフルト以外は
今日は
普段のうどんすき

そうやねん
うどん好きやねん

って実は
お蕎麦の方が好きだけど、
お蕎麦じゃ鍋は想像できないね


はふー
はふー

あったまったよー

風邪に気をつけてね





コメント (4)
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『オカンの昼ごはん』を読んで

2019-11-04 09:45:00 | コラム
五年前に書いたものが上がってきた。
ほかのSNSではあるが、、。


その頃
まだ、両親は健在。
しかし、介護の途中の迷いや行き先のわからない不安に苛まれていたころなんだろうと思う。
一冊の本と出会ったことで
親から子供の橋渡しのような
誰にでもある葛藤を知ることで
次へと歩み続けていけた時期の話。




私が風邪をひいて
心も体もほとほと弱っていた時
思いっきり涙を流し浄化されて助けられた、この本。

山田ズーニー著書
『オカンの昼ごはん』と言う本だった。







著者はとある小説から
『人生は短い。一番大事なものはなんですか?』
そう問われたような気がして
一番大切なものの為に実家に帰省する。
そこで見たものは、ろくにお昼ごはんもつくれなくなった自分のオカンの姿だった。

オカンの記憶が鮮明なうちに
その集中力が持続するうちに、父母とやりたかったことを
私はやってこられたのだろうか?
自分自身に問いかける。
そして、親の老いと死の影を受け入れざる終えなくなってしまうとき
「青春のおわりの瞬間」だと言っている。


誰しも自分の親は
不死鳥かエスパーのごとく
そこに居るものだとみんなが思っている。
それが、親が昨日できてたことが今日はできないと言う現実を
見た時から始まる苛立ちや悲しみ、やるせなさ。
そして、腹立たしさ。

それは、オカンやオトンに向けられてはいるが
そのほとんどが、実のところ自分が受け入れ難い部分なわけを
悟るまで続いていく、
果てしない自分のエゴでもあることを葛藤しなが書いてある。


著者は
自身のブログでそれを問いかけた。

答えていく様々な人たち。
その原寸大の人々の中から
また、自分なりの問いを見つけていく。

自分自身のこと。
仕事のこと。
『医療』と『福祉』と『教育』のこと。


そして
生きた人生の教科書のような親の姿から
「それでもこれだけは」と湧き上がってくるもの、
それが『望み』であり
望みを自覚したとき、光が差す瞬間を『希望』だと。


幸せとは違う、夢というのでもなく、楽観でもなく、
希望としかいいようのないものと締めくくってある。



本を読み終えたとき、
私は優しさを忘れていたことに気づいた。
許すと言う行為。
親にも自分にも。


優しさがあるような顔をして
希望を見いだせることをわすれていた。
改めて、突きつけられて
自分の辛さに負けそうになっていたことに気がついた。


折しも
大切にし過ぎて
しまいこんであった娘から私への手紙をみつけたところだった。


5年前の私の誕生日に
娘とケンカした後だったと記憶しているが
ノートの切れ端になぐりつけるように書かれていた手紙だった。



『オカン、お誕生日おめでとう
なんだか不思議だね
きっと年をとっているのに多分、私の中で
オカンはずっと変わっていなくて
私も変わっていなくて。
いくつになっても、オカンとオトンはいなくならないと思っている。
私はオカンを尊敬していて、オカンみたいになりたくて
オカンはなんだかんだで幸せで
そんなオカンをみてる私も幸せで。
私がオトンとオカンの子供で良かったと思ってる。
今まで色々あって、きっと私は成長してるんだけど
まだまだ大人になっていない部分なんて沢山あって、
だから、今までありがとう。
オカンはずっとずっと元気で
私に心配かける事がないように。
ずっと私のオカンで居てもらわなきゃ困ります』


涙ながらに読んだあと、つぶやいた。


君と同じだよ。まだまだ青臭いのは私もだよ。
ただ、少し先を私は歩いているだけ。

君が私の背中を見て歩いているなら
私は立派に歩いてみせなきゃ。
娘が親を思う気持ちが同じなら
私も娘として、親として
こうして、本に助けられたように
いつか、君がこの道を通るとき、
わかりやすいようにしてあげることも私のつとめ。


君の青春が終わってから気づく
親への思いに苦しまなくていいようにしてあげなきゃいけないねー。



本のタイミングや
娘からもらった手紙を見つけたタイミングは、
何処かいるであろう目には見えない人からの
メッセージに込められた私へのエールのような気がしてならなかった。


ダーニングポイントとなった本。

『ほぼ日刊イトイ新聞』で、
大人の小論文教室というコラムを書かれている、
山田ズーニーさんの著書
『オカンの昼ごはん』



コメント (4)
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『北のマドンナ』を食べながら

2019-11-02 14:03:00 | 日記
今日は気持ちの良い朝

そらには、
魔女の宅急便のような雲






お洗濯をたくさんして
部屋の窓を全開にして
お掃除して

親友さんが
昨日、私の留守の間に届けてくれた小樽土産のダックワーズ
その名も『北のマドンナ』

まぁ〜どんな〜お菓子でしょ(∩˃o˂∩)♡






ダックワーズは、焼き菓子の中でも
私が一番大好きなお菓子で
ザックリ焼き上げた2枚の間に
さまざまなクリームやペーストが入っている。

じゃ、この北のマドンナさんは、
私の大好きなキャラメルクリームがサンドしてありました(((o(*゚▽゚*)o)))♡






美味じゃ〜♡
やったね(^-^)v


気持ちよく晴れ渡った空を
見ながら、ダッグワーズとコーヒーを頂く、至福の時。


主婦の日常ですが、
日常に有らず(笑)


届けてくれた友達に感謝しながらですから。


昨日、私の留守を尋ねた親友曰く


『居間も、トイレも、外から見たら、電気がつけっぱなしだったから居ると思ったゎー』


あははは

私ったら、ドンマイ!




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