大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

香檳烏龍茶 その② ~東方美人~

2005年07月07日 | お茶/中国茶


横浜中華街の三希堂(4、5年前の写真ですけど…)

香檳烏龍とファーストコンタクト…のだいぶ経った後、中華街で包種茶を飲ませてくれる茶館ができたというので、久々に横浜へGO!「三希堂」へ行きました。禁煙で静かでまったりできる空間にかなり満足。
中国茶飲んでて、煙草の煙に襲われたること程嫌なことはないですからねぇ。目黒の某岩茶専門店に行った時、近くに煙草をプカプカ吸う男性が居てかなり嫌な思いをしました。お茶は美味しかったんですけどね。それ以来行こうという気が起こりません…。

話しは戻って、この時同行した友人が、「東方美人」をチョイスしました。多分字面からの選択だと思います(笑)。

………美人って!!!

私もちょっと気になっていました(笑)。目的の文山包種を飲み倒した後、東方美人をいただいたのですが、

あれっ?紅茶?青茶に入ってるのに、飲んでみると紅茶っぽい…

どこかで体験したシチュエーション。しかもこの時も、包種はさっぱり系なので、東方美人は木柵鉄観音系のコックリしたお茶だったらいいなぁ~と、密かに期待していました(爆)。(当時台湾のお茶は凍頂烏龍、木柵鉄観音、包種茶しか知りませんでした(笑)。)
友人はさっぱりして甘味のある紅茶系の味に満足げ、私は、お茶自体は美味しかったのですが、またまた期待を裏切られ、イマイチ消化不良気味(笑)。
「紅茶と青茶の線引きはいったい何処にあるんだ?」
なんて考えながら、中国茶の奥深さに、いや増す疑問…。香檳烏龍とのセカンドコンタクトです(笑)。

その後、再訪した杭州で龍井茶にハマリ、北京のお茶屋で紹介された安渓鉄観音にハマリ、四川で寧強雀舌(ねいきょうじゃくぜつ)、雪芽(せつが)、竹葉青(ちくようせい)にハマリ、鳳凰単叢(ほうおうたんそう/叢の字は木+叢)のファーストコンタクトは全然記憶にないのですが、いつの間にかハマっていて (笑)、だいぶ前からネットで気になっていた中国茶講習会に通うようになりました。
ここに至り、やっと東方美人=香檳烏龍であったことがわかり、すっかり忘れていた陝西省歴史博物館の香檳烏龍茶体験の記憶が甦ってきた訳です。 でも中国で飲んだ香檳烏龍はかなり濃い紅…というかドス黒かった。お水が硬いからですかねぇ…。西安の水で淹れたお茶は結構不味いです(笑)。


Zガンダム~星を継ぐ者~

2005年07月06日 | Weblog


今更ながら、Zガンダム観てきました!!TV版を観たことない人には全く判らないという大名作りの映画でした。往年のガンダムファンのみ対象なのね。天晴れな潔さです(笑)。学生時代にTV版を観てたけど、あまりにも昔の事なので、話を殆ど忘れてます。脳みそ、かなり死んでるかも…。往年のファンとしては、ブライトさんの「修正してやる!」が一回も登場しなかったのは、ちょっと寂しいかな。友人間で流行りましたからねぇ、修正してやるぅって(笑)。

でも、まぁ、シャアさえ出ていればいいんですけどね(笑)…

相変わらずクワトロ大尉はカッコ良かった~。思わず、十数年ぶりにクワトロ大尉描いちゃいましたよ。資料ないのでうろ覚え。髪型なんか結構適当。でも金髪、ゴーグル(TV版のはサングラスというよりゴーグルっぽかったよね?)、ノースリーブにすればなんとなく、クワトロ大尉っぽくなるもんです(笑)。パンフくらい買ってくれば良かったかな…。

でも下絵描こうと思って、鉛筆がなかったのには驚いた(笑)。もう1年半以上漫画描いてないからねぇ。ペンもインクもどこに行ったかわからない(苦笑)。画も描けるかどうかわからないって感じ。こんなことで夏コミに本は出るのか…。今の時点で、映画なんか観に行ちゃってるんだから、多分無理かも。〆切りまで、あと3週間…。 


香檳烏龍茶 その①~陝西省歴史博物館~

2005年07月05日 | お茶/中国茶


↑上海博物館と↓鄭州博物館

陝西省歴史博物館の写真が探せなかったので
代わりに現代的な中国の博物館を二つ出してみました。
新しくなる前の博物館を知っている人はビックリでしょ(笑)?
中国も近代化じゃなくて、現代化になったよねぇ。

香檳(シャンピン)烏龍は台湾の発酵度の高い青茶。別名東方美人(オリエンタルビューティ)、紅烏龍、白毫(はくごう/びゃくごう)烏龍、etc.。呼び方に関しては諸説ありますが、難しい論議はその筋の方にお任せです。東方美人という呼び名がグローバルスタンダードなので、東方美人というのが一番なんでしょうけど、私の場合、出会いが香檳烏龍だったもので、ここでは香檳烏龍で書かせてもらいます。

でも、オリエンタルビューティなんて素敵な名前ですよね。西洋人でなくても、そのネーミングだけで憧れて、飲んでみようかなと思わせてくれる。飲んでみると…紅茶でしょ?ってイメージのお茶です。でも青茶なんですって。茶葉が稲の害虫(ウンカ)に食べられちゃって、それでも茶農としては少しでも収入を得なければと、半ばヤケクソ(?)で作ってみたらば、これが素晴らしく美味しいお茶になったという、いわば偶然の産物らしいですよ。
自然って凄いですよねぇ。

香檳烏龍茶との出会いは1993年春。4月も末の西安にある陝西省歴史博物館の茶館でした(この茶館も今はないけど…)。4月の西安暑いんですよ。連日32~34 ℃なんて気温で、日向を歩いていると脱水症状で死にそうな程。でも湿度が低いので日陰を選んで歩くと爽やかなんですよ。大陸は寒いシーズンしか旅したことが無かったので、そのことに気づくまで結構時間がかかりました(苦笑)。

歴史博物館は西安城郭の南、大雁塔の近く。当時は出来たばかりの博物館で、現代的なその風情にかなり驚きました(笑)。観覧者も殆ど居ない、居閑散とした展示室は、外の喧騒が嘘のような異質な空間。篭ったような静けさは、かなり昔の兵馬俑坑(一号坑)みたいでした。今は観光客でザワザワしている体育館みたいな兵馬俑坑ですが、昔は結構静かで時間が止まったように感じる空間だったんですよ。
照りつける日差しと乾燥で干からびそうだったので、何か飲みたいと思っていた矢先、目の前に茶館があるではありませんか。内装は白い壁にカウンター、アイスケースにテーブルと椅子。見た感じ観光地の定食屋かジューススタンド(?)みたいで、全く茶館じゃないんですけどね。壁に貼ってあるメニューには花茶、烏龍茶、龍井茶等、プアール茶等、当時の中国では茶芸館なんてポピュラーじゃなかったから、ハシリ(?)といっても良いのでは、という感じです。だいたいメニューに烏龍茶があるのは珍しい(笑)。この時は一ヶ月半ほど中国を放浪していて、花茶か緑茶しか飲んでいなかった為、久々に烏龍茶を飲みたかった。
友達と二人で、

やっぱ烏龍茶でしょう!

と、過去に見たことの無い烏龍茶「香檳烏龍茶」を注文してみました。15~20元位だったかな…。「檳」が何かは解らないけど、木偏がついてるから何かの木だよねぇ。その木の香りに似てるんだろうか…。なんて考えながらも、私の希望は、鉄観音みたいだったらいいなぁ~でした(笑)。鉄観音といっても、現在の安渓みたいな軽い感じじゃない、焙煎のキツイ奴ね。

そうこうしているうちに、香檳烏龍茶と第一種接近遭遇…。

………なんか、茶壺(急須)が大きいぞ…

500cは入ろうかという大きな急須で出てきたそれは、色は黒目で、味は薄目の紅茶?薄いダージリンとウバを足して2で割った感じ(笑)。でもちょっと酸味と甘味があるかも…という味でした。

「これ…紅茶みたいだよね」

「間違ってるんじゃないの?」

「これが香檳烏龍茶なんだ???」

「やっぱ、新規チャレンジなんてしないで、鉄観音にすれぱよかった~」

「………」

烏龍茶を期待していた二人は、なんか裏切られた感じ(笑)。しかも急須が大きいので、どんどん濃くなってエグ味が出てくるし。ファーストコンタクト最悪です…。


六和塔と銭塘江

2005年07月02日 | 三国志・水滸伝・史記の旅


六和塔と銭塘江

六和塔は銭塘江沿いの月輪山に建つ塔で、北宋代に呉越王の銭俶(せんしゅく)が、銭塘江の高潮を鎮める為に建立したそうです。当時の塔は九層で、高さ約170メートル(本当か?でも、中国のガイドブックにそう記述されている(笑)。白髪三千丈の世界かな…)、灯台の役目も果たしていたとか。
宣和3(1121)年に戦火で焼失し、現存の磚(煉瓦)の塔身は、南宋の紹興23(1153)年に再建されたもの。外側の木造の回廊は、清の光緒25(1899)年に改修されたもので、八角形、高さ60メートル弱。
水滸伝では、花和尚魯智深(かおしょうろちしん)が、この六和塔で海嘯(かいしょう)を聞き自分の死期を悟った。林冲(りんちゅう)もここで病没し、林冲を看病していた武松(ぶしょう)は、彼の死後も寺男としてここに残り、天寿を全うした。フィクションと判っていても、水滸伝ファンにとっては感慨深い場所なんだよねぇ。


海嘯を聞く魯智深/あまりにベタなポーズで見たときに、死にそうになった(笑)


武松さん

現在六和塔裏に、海嘯を聞いている魯智深像と、静かに佇む武松像があるので、行く機会があったら話のタネに見るのも一興です。それから、魯智深、武松像の上(月輪山斜面)には、中華古塔博覧苑があって、中国各地の名塔を縮小サイズで再現している。この中に昔、西湖南岸にあった雷峰塔がある。(塔の由来については、6/15分の記述を見てね。)ここに再現された雷峰塔は、崩壊する前の写真通りの出来だった。昔の雷峰塔がどんなだったのか知りたい人は、是非見てください。


三国志子孫の村2002~曹操の末裔の住む村~

2005年07月01日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

瓜橋埠村から上村は、ほんの15分だった。思った通り、龍門鎮のガイドさんが場所を知っていた。



上村の集会所

住所は東図郷上村村(とうずきょうじょうそんそん)だ。

浙江省のみの大判地図でやっと、東図郷が載っている程度なので、手元の地図帳で上村を探そうということ自体が無謀だった(笑)。
見たところ、この村はまだ全く観光地化されていない。テレビに出ていた対聯のある集会所(?)は工事中で、カギが閉まっていた。小さな村なので、よそ者が観光に来たという噂は、直ぐに広まったらしく、近所のおじさん達が集まってきた。…懐かしい光景でちょっと笑った。昔は何処に行ってもそうだった。

「カギが閉まっているから、中は見られないよ」

「カギを開けて見せてやればいいじゃないか」

我々を囲んで、おじさん達の間で議論が湧き起こった。そうこうしているうちに、役人が鍵を持って現れ、「お待たせしましたね」と、中を見せてくれた。

………いい人たちだ。流石は曹家の子孫(笑)


内部は工事中で木材が無造作に置かれ、雑草が生えまくっていたが、テレビで見た通りの鄙びた佇まい。柱の対聯に「陳思」だ、「業」(業にはおおざと偏つき)だ、って字を見ると嬉しくなってしまうのが、曹操ファン。陳思は陳思王曹植で、業は官渡の戦い以後の本拠地。

ここの来歴を判っている人が皆無だった為、写真を撮りまくって撤収となる。

さあ、帰ろうとした矢先、おじさんの一人が、

「この石を撮って帰れ」

と、中央入口の舞台の下にある門石を指した。

「これって何か来歴があるんですか?」

「そういうことは判らないが、とにかく一番古いものだ」

龍門鎮の孫氏宗祠もそうだったが、この辺の村の集会所は、正門の左右の入口だけ使うようになっており、中央の入口は塞がれて、内側には舞台が設置してあった。まあ、どこも真中の入口は偉い人が出入りする時のみ使用するものだが、舞台でふさがれているのは初めて見た。小さな村ではこれが一般的なのだろうか?北方では見たことがないように思うが…。

最初は一日がかりの観光かと思っていたのだが、結局、昼過ぎには全部見終わってしまった。龍門鎮位なら、富陽からミニバスで来れると思うが、その先、瓜江埠、上村を回る場合は、タクシーを雇ってきた方が無難。脚に自信のある人なら、龍門鎮辺りに宿が取れれば、徒歩で二つの村を回る事もできるだろう。