大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

剣門関2016 その壱

2017年03月06日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

明月峡桟道の観光時間は40分程度の予定だったが、
たっぷり2時間位かかってしまった。
文句を言わない中国の運転手さんは優しい(笑)。

来た道を戻って広元駅付近を通り過ぎて、剣門関へ向かう。

剣門関は諸葛亮が設置した関所で、切り立った岩場に作られている。
箱根の山も函谷関もおよびでないことは確か。
見た感じでは、攻めるのも嫌だが、守るのも嫌な雰囲気。
眩暈がするような階段ばかりの岩場で、ここに駐屯させられたら
一ヶ月もたたずにスリムになること請け合いの場所。 

着いてみると剣門関もすっかり整備された感じ。
駐車場、食堂や土産物屋が並ぶ入口を通り、切符売り場へ。

剣門関風景区はかなり広大でどの辺を見て回るかで料金が異なる。
時間の無い我々は、剣門関の城楼と姜維の墓が見られれば良いと
思っていたが、それでも入場券115元、保険料5元の
計120元(約1920円) 。…高い。 

▼剣門関風景区の入場券

入場ゲートを入ると、石坊がある。
この石坊の手前の右側の道を上がっていくと姜維の墓がある。 

▼姜維神像/緑が多すぎて判りにくいが、姜維の横顔と言われる岩。

▼山道脇の岩棚に「第一関」と書かれた石碑がある

雍正12(1734)年、ダライラマ6世をチベットへ送る命を受けた
果毅親王允礼(かきしんのういんれい)が剣門関の雄大な山や
険しい道に感嘆して題字したそうだ。
「宮廷の諍い女」の果郡王ファンの為に、サービス(笑)。


明月峡2000

2017年03月05日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

2000年の桟道は荒々しい感じで、これもまた良い。

…まだ整備途中だったのか、頑張って整備したけど老朽化したのか。
老朽化した方に掛ける(笑)。 

▲岸壁をこんなにも削って作ったなんて凄い。ほぼアーチ。

▼船から仰ぎ見るとこんな感じ。

▲昔の桟道ってこんな感じだったのだろうか。

▲桟道の杭(くい)を打つ坑(あな)。

▼2000年当時の遊覧船

▼宝成線のトンネル。線路上を近くの農民らしき人が歩いてた。


明月峡2016

2017年03月04日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

引き続き明月峡2016。
夏は山肌も緑豊かで川面も緑一色でいい感じ。
明月峡は朝天区にあるので、朝天峡ともいう。

▼写真の上の岩を削って作られた道は以前一般道だったが、現在は
 明月峡風景区の敷地内。下段の黒い柵が、昔の桟道をイメージして
 新しく作られた道。 

▼以前はここが「朝天峡先秦桟道遺址」の入口だった。

▼桟道は船で川から眺めることも可能。
 川面からだと桟道の杭を打ち込んだ穴がよく見える。
 今回は早朝の為か、船は営業していなかった。

▼桟道の対岸には鉄道(宝成線/宝鶏~成都)が走っていて
 時折列車が通る。我々が乗ってきた列車もここを通った。