上海へ来るのにヤクルトさんを辞める事になって、それでも、いざ最後のお声掛け週となったときには本当にいろいろありました。
とりあえず、毎週私の休憩場所になってくれたりお昼ご飯をつくってくれたり、また、素直に受け取れない金額の選別を包んでくれたりしたお客さんのお家にお返しがてら、いきなり訪問を決行
まず、先代のお父さんが居ないのは分かってるんだけれど林自転車で中古自転車を購入
それからやっぱり、骨になっちまった西田のおっちゃんに線香をあげに行きやした。夏に亡くなったんだけれど、私も本人も多分分かってながら最後のお別れを認めたくないばかりに(余命いくばくもない時でした)本当に笑ってお別れしたのが辛く、線香でもあげて、ちっちゃくなっちまって男前が台無しな姿でもお母さんと笑おうと西田家へ。ほんまにちっちゃなって男前が台無しでした。そのあと、急に心配になって早送りみたいに何軒か顔を出してみて(10年よう来んかもしれんから老い先短い順や!といろんなとこ回ってました)最後にはヤクルト時代10年間金曜日(週末)コースの一番最後のお宅へ。
’ぴーんぽーん’
お留守のようなので帰ろうとしたら、自転車転倒。荷物がどうもうまく積めない。
すると、車が帰ってきた。尻尾振って、全開ダッシュの純ちゃん(柴犬メス)。
荷物がちゃんと積めていれば絶対いなかったのに。入院先から帰ってきたとこだった。
結局、お土産を配るつもりが、お返しをするつもりが、一軒一軒まわるたび お土産より高価な手土産をもたせてもらって、帰る頃には大荷物。
’娘なんやから気ィつかわんでもろていき!’
そんな言葉が相変わらず飛び交う中、結局根こそぎもろてきました
ええ気になって また行きます