不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

猫と台風

2019-10-22 10:16:08 | 日記
坂の中腹で待っていると、夫はすぐ戻ってきました。
家の周りは水浸しですが、少し坂を上ると何事もなく、無事に公民館まで行くことができました。

まだ台風は日本列島に上陸もしていない時刻で、避難してきた住人もまばらです。

「猫は入れますか?」
と受付で聞くと、
「すみません、猫ちゃんはダメなんです」
との答え。ほったらかしていくわけにもいかないので、
「とりあえず車の中でお弁当を食べよう」
と、朝から準備して置いたふかしイモと唐揚げとパンを食べます。

ここで夫が自分のリュックを忘れてきたことが発覚しました。みんなの食料を少しずつ分け合います。
ベジタリアンの息子にはイモとパンだけ。この子はいつも炭水化物まみれです。

夫が館内の様子を見に行きました。
「これから混んでくるから、場所は取っといた方がいいみたい」
と言うので、私と夫で場所取りに行きました。

人数分の畳をもらって床に敷き、配られた毛布を置いて、私は車に戻りました。
「トイレも借りられるし、疲れたら横になれるよ。どうする?」
と子供たちに聞くと、
「俺はシロと車にいる」
と息子。夫に荷物の番を頼んで、私と子供たちはとりあえず車に残ることにしました。

「ニャア」
それまでおとなしくしていたシロがか細い声で鳴きました。
「よしよし」
娘が自分の手のひらを皿がわりにしてケージに水とカリカリを差し入れてやりました。
「食べた?」
「うん」

しばらくおとなしくなったシロがまた鳴きました。
「ニャア」
「出たいのかな」
「車の中だけならいいんじゃない?かわいそうだよ」
「俺ならいくらでも引きこもってられるんだけど」
要らない自虐ネタをかましてくる息子をさりげなく無視して私はシロをケージから出してやりました。
シロはしばらく車内を落ち着きなく歩き回っていましたが、後部座席の真ん中、私と息子の間に前脚を、
床に転がしてあったシュラフに後ろ脚を突いた格好でぴたりと立ち止まりました。
「あっ!」
シャーーッと小気味のいい音をたててシロが勢いよくオシッコを始めました。
「あー、あー」
もう口をぽかんと開けて見守るしかありません。今動かせば周り中にオシッコが飛び散ってしまいます。

長い長いオシッコが終わった時、狭い車内には臭いが充満していました。
「少し休んでこようかな」
と娘はいち早く館内に入っていきました。臭気に耐え切れなくなったのでしょう。

「これ、どうするよ」
と息子が半切れでシュラフを指差しました。
「あー、外に出すか」
と私。
「それはすばらしい」
すごい風なので、シュラフのひもを車のドアに挟んだ状態で外に出すと、臭いはだいぶマシになりました。

この後しばらく、我が家でのシロのあだ名は「おもらし大将」でした。

初めての被災

2019-10-14 10:16:59 | 日記
今回の台風19号で、公民館に1泊避難しました。

金曜日に近所のスーパーに行ったところ、土曜日は13時で営業終了と放送していました。
買い物客もなんとなく殺気立っていて、パンの棚はからっぽです。

15号の時に短時間ですが停電したので、私は電池を20個くらい買いました。
ラジオと懐中電灯に入れるためです。

食料は家にロングライフパンがあったので普通に買いました。
停電した場合は冷凍食品を消費しなければならないし、
他にどんな状況になるか予測できなかったからです。

出かけられそうもないので暇つぶしにDVDも2本借りました。

土曜日は朝のうちにさつまいものレンチンと唐揚げをつくり、
家族4人分のリュックにそれぞれカッパや懐中電灯を詰めました。
猫のケージと餌と水も玄関に準備しておきます。

あとは家族でテレビの前に集まってニュースを見たりDVDを見たりしていました。

我が家は坂の下にあり、すぐ近くに川があります。
夫はネットで河川の水位をチェックし、私は時々2階のベランダから川の方角を見ていました。

昼頃見ると川につながる道路が冠水していました。
「公民館に行った方がいいかな」
と夫に聞くと、
「まだ水位は全然大丈夫だよ」
との答え。

(川があふれてるのでなければ、側溝の排水が悪いのかな?)
と思ってまた1階でしばらくテレビを見て、再びベランダに行くと、
今度は道路の両側にある畑も水に漬かっています。
「そろそろ行かない?」
と夫に言いましたが、スマホを見て
「いや、水位は上がってない」
との答え。見るからに水位が上がってきているのに……?

「念のため車に荷物を積んでおこう」
と子供たちに声をかけて玄関を出ると、隣家の車がありません。
我が家の前の道路も川になっています。

「隣、逃げたよ。車に乗って!」
ドタバタと車に荷物を積み込み、猫をケージに詰め込みました。
見ると向かいの家のおじさんが水浸しの道路を歩いています。
「逃げられなくなりますよ」
と夫が声をかけました。

「ちょっと、路地の奥の方にも知らせてくる」
と夫が言いました。
「そんなことしてないで、早く逃げようよ」
と私。私は自分の家族のことで精いっぱいで、
その間にもじわじわと上がってくる水位に恐怖を感じていました。
「とりあえず子供乗せて坂の上まで行って。すぐ追いつくから」
夫は言って奥の家の方へ歩いていきました。
水が来ていると言ってもまだ足の甲くらいで歩行に支障はないのですが、
(車が水没したら公民館にも行けなくなってしまう)
と私は焦っていました。

後悔しても取り返しはつきません

2019-10-06 09:19:08 | 日記
久しぶりの応援でしたが、二階にMさんの姿はありませんでした。

その後も何度か応援があり、一階にも行きましたが、やはりMさんはいませんでした。
二階で全然見かけないので、一階にいるものとばかり思っていたのに……。

じゃあ、一体Mさんはどこにいるんだろう。私は不安になってきました。
急にこの倉庫全体からMさんの気配が消えてしまったような、もの寂しい感じが忍び寄ってきたのです。

ある日私は食堂で、一人でお昼を食べているOさんを見つけました。
OさんはMさんの友達です。
最近冷たい目で見られるので勇気が要りましたが、私は思い切ってOさんに声をかけました。
「Oさん」
「うん?」
Oさんは振り向かずに答えました。
「Mさんって辞めちゃったんですか?」
と私は聞きました。
「うん」
Oさんはこともなげに言いました。
私の心臓は一瞬止まったかと思うとうるさいほど鳴り始めました。
Oさんの口調は(何を、今さら)と言いたげでした。
Oさんはちらっと私の顔を見て、
「なんで?」
と言いました。
「いつ?」
私は質問を無視して聞きました。自分の声が震えているのが分かりました。
「2月の半ばかな」

それは私が最後にMさんに会った頃でした。

Mさんが出勤簿置き場に現れたあの日。
あんなに前に、Mさんは辞めていたのです。
あの日、もし私が声をかけていたら、Mさんは辞めなかったのでしょうか……?

私は茫然としてOさんから離れました。

久しぶりに応援に行く時に
「そろそろいいでしょ」
と言ったKさんの言葉は、
(Mさんが辞めたショックから、もう立ち直った頃でしょ)
という意味だったのです。
私はマヌケなことに、Mさんが辞めたことを知りもしなかったというのに……。

冷たくしてしまったことを私は後悔しました。でももうMさんには会えません。
私はMさんについて、名前以外何も知らないのです。住んでいる場所も、派遣会社も。

Mさんは黒シャツだから、そう簡単に辞めないと思っていました。
何年か頑張れば正社員にもなれただろうに。
Mさんを辞めさせるくらいなら、私が辞めたほうが良かったのに……。

いくら後悔しても取り返しはつきません。

この果てしないノンバーバルコミュニケーション

2019-09-30 17:04:54 | 日記
エレベーターホールで久しぶりに見かけたMさんは、見る影もないほど憔悴していました。
私は思わずたじろいでしまい、挨拶するのがやっとでした。
「こんにちは」
ぎこちなく笑って挨拶すると、Mさんは黙って目だけで挨拶を返してきました。

こんなに傷つけるつもりはなかったのに。私は困惑しました。

翌日もMさんはエレベーターホールに現れました。けれど今度は友達に囲まれていました。
彼の友達は私のことを良く思っていないので、私は気後れして声を掛けられませんでした。

その翌日、私が出勤表を書きに行くと、Mさんが一人で現れました。

なんでこの人は私の行く先々にちょろちょろ姿を現すだけで何も言わないんだろう。
どうしてもこちらから何か声をかけてあげなきゃいけないんでしょうか。私はげんなりしました。

(まだやるの?)
私はMさんの顔をちらりと見ただけで通り過ぎてしまいました。
もういい加減この果てしないノンバーバルコミュニケーションに疲れ果てていたのです。

それきりMさんは私の前に姿を現さなくなりました。
(またかくれんぼか……)
私はため息をつきました。こうなると私から会いに行く方法はないのです。

私は寂しさといら立ちでずっとモヤモヤした思いを抱えながら、しばらく梱包の仕事に没頭していました。
Mさんのことは好きだけど、こちらの事情もお構いなしに振り回されて一喜一憂するのにうんざりしていました。

時折Mさんの友達に会うと相変わらず冷たい目で見られましたが、
梱包のブースに一人こもっている時だけは面倒な人間関係も忘れていられました。

「今日、午後から2階の応援だから」
梱包事務所の黒シャツのKさんがわざわざ私のブースまで来て言ったのは、
それから一カ月以上もたってからでした。
「わかりました」
と私は答えました。順番に全員が2階の応援に行くことになると数日前から朝礼で通告されていたのです。
もうすぐ棚卸があるので、その作業を覚えてもらうためだということでした。

「そろそろいいでしょ」
とKさんは意味ありげに言いました。
(そろそろって、何のことだろう)
と思いましたが、深く突っ込みませんでした。

また、オーバーなんだから

2019-09-24 07:36:10 | 日記
棚間にいたMさんを見つけて、声もかけずにその場を離れた私ですが、
Mさんは私の姿に気づいていたようです。

昼休みのあとピッキング事務所から現場に向かう通路の脇に、Mさんが立っていたのです。
こちらに背を向けて、声をかけてもらいたそうにして……。

2週間も会えなかったので、私の心には恨みが溜まっていました。
私はMさんに会いたいと思っても会えないし、避けようと思っても避けられないのに、
Mさんは自分の都合で私を応援に呼んだり姿を隠したりできるのです。

まあ元はと言えば冷たい態度をとったのは私なんですが、2週間は長すぎました。
寂しいのを通り越して、私はうんざりし始めていました。

何にって?
Mさんの執念深さももちろんですが、周囲の好奇の視線とか、
リストラの進む中で梱包の仕事に戻れないことへのいら立ちとか、
夫も子供もいながら息子ほどの年の男に振り回されていることへの自己嫌悪とか。

好きなことは好きだけど、付き合う気なんかないのだから、気を持たせるだけ残酷なのです。
(距離を置いたほうがいいんだ)
私は心を鬼にして、声をかけてほしそうにしているMさんをわざと避けて通りました。
実際、何と声をかけていいかもわからなかったのです。

けれどこれがMさんにはこたえたようでした。

次の日から私は梱包の仕事に戻してもらえました。

けれどその後久しぶりに2階の応援に行った時、Mさんの憔悴した姿に私はたじろぎました。
何というか、目に光がなくてどんよりと落ち込んでいて、マスクまで掛けて顔を隠しています。
(かわいそう)
と思うと同時に、
(また、オーバーなんだから……)
とうんざりしました。

Mさんのことが嫌いとかじゃなくて、梱包に戻りたいって言っただけなのに!

単に私は梱包の仕事が好きなのです。
コミュ障の私に、朝から晩まで独りでブースに籠ってする梱包の仕事はぴったりなのです。

私はいよいよ何と声をかけていいか分からなくなりました。
「この前はごめん」
くらいの軽い謝罪で済むような雰囲気では到底ありませんでした。
「本当は好きです」
と言って抱きしめてあげたら元気になるかもしれませんが、そんなことして責任取れるわけありません。

(どないせえっちゅうねん)
思わず関西弁になって私は思いました。