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今年初めて、滋賀県守山市にある母教会に出席。
賛美リードをさせてもらった。
前半の聖日礼拝は家族だけでする礼拝と
牧師先生が来ての家庭礼拝だったので
教会での礼拝は久しぶりだった。
どこでもクリスチャン二.三人が居て祈れば
そこが教会になる・・・と
主イエスは聖書でいわれている・・・。
分かってはいるけど、やはり教会での礼拝、
みなと心ひとつにして賛美し、祈る
やっぱ、いいな~~なぁんて思っちゃった。
金曜日に賛美曲選びをした。
もっと早くすればいいのに、いつもぎりぎりなワタクシ。
奏楽のK・Tさんにも申し訳ないんだけど・・・・。
曲の選び方もちょいちょいと祈って(笑)
礼拝当日の聖書箇所も読まず感覚的なやりかた。
時折「こんなんでエエんかな~?」なんて思うんだけど
何しろ、元々エエかげんな人間ゆえ直りようが無いのだ。
こんな不信仰ちゅうか、なんちゅうかクリスチャン落第生なワタシ。
だから、主が哀れんで下さっているのだろうか
ピンポイントな曲が選ばれていることに
メッセージ中に知らされて、
ドキドキしてしまうことが多い。
昨日はまさにそれだった。
ひっくりかえりそうになったげな(笑)
それで 改めて
「はたらいてくれてはったんやな~」と
感じるアタシっていったいなんなん?って思うよ~~。
「学べよ!!」って
いつも頭ポカン!とはたかれている感じだ(爆笑)
昨日はメッセージも最高だった。
執事のT.Oさんが担当だったんだけど
彼のメッセージは 証を基にして
示された聖書箇所とのコラボメッセージなので
本職の牧師先生とは 又ひと味ちがう語りになり
それが又新鮮で面白いし、心に響くことが多い。
『私たちは、何もしなくてもよく
ただ主の方を向けばいい』
『キリストが再臨のとき、信じる者は
さなぎが蝶になるような変わり方をさせてもらう』
『聖書のみことばは、生きていて、心に語りかけてくれる』
『主なる神は 失望で真っ暗で皆無なところから
希望と光に満ちた暗闇の無い世界を創られるお方』
ハレルヤ。
O氏のメッセージには
整えられたブロークン(なんやそれ!)さがあり
なかなかなもので
(なーぁんてエラソーに言っちゃってぇ~)
大好きなメッセンジャーのおひとりである。
兎に角、礼拝は主のものであるし、
こちら側は捧げるだけで
感覚とか感情とかは別次元なんだってことは
よーく分かってはいるけど・・・・・・・。
やっぱり素敵な礼拝を捧げられる教会に
集えた喜びは素直に受けたいのである。