早天デボーション。(マタイ15:21~28)
カナン人の女が「主よ。娘を癒して」と叫んでも
イエス様に無視される箇所。
無論主は、異邦人である彼女の信仰を試されてのことだけど
侮蔑的な言葉までその女に言われるイエス様。
私がカナンの女ならどうするだろう~って考える。
きっと
「意地悪な人だ。こんな人はメシヤではない」と
イエス様から離れるかもしれない。
私だったらやりかねん。根性なしだから。
新約聖書の中では、この箇所がなかなか理解できぬままでいたけど
今朝、分かった・・・。
私も、信仰を握って必死で祈り、叫んだ事もあった・・・
叶えられた事もいっぱいあったことは感謝であるが
癒されないことや、好転しない状況も多々あったし、今もある。
しかし考えると、なかなか聞かれていない願いは
神様的には、
全てが整えてられてなかったのだろうなと思うし
または自己実現の為に祈っていたのだろう。
私たちは目の前に起こる事柄を解決して欲しいと願うが
もし、それが叶えられたとしても
信仰薄い自分などは、きっとそれを軽く見てしまい
恵みを忘れてしまい、何の進歩も無く、又欲望、自己実現の為に
同じ所を巡っていることだろう。
神様は永遠の命の中での、確実な救い信仰を願われている。
義と愛の神であられる主は
身勝手な祈りには耳をかされることは無いお方なのである。