マタイ福音書20:29~34
盲人二人がイエスを「メシヤ」救い主と信じて
「いやしてください」と叫びます。
主は分かっておられるのに、わざわざ
「わたしに何をしてほしいのか?」と聞かれます。
「目をあけて見えるようにしてほしい」と返答します。
その中に主は真に自分をメシヤと信じる信仰を見られ、
ふたりを癒されます。
ふたりは弟子になった。という箇所です。
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癒しの箇所を読むと、私はいつも複雑な感情をおさえられません。
その感情は時にして、正直、私の信仰を邪魔することがあります。
しかし、聖書を学ぶ事によって、納得できないことも
人間的、この世的に思考するのとは全然違うことが分かってきました。
これが神様のみこころだったんだと思えるようになりつつあります。
それは何故かわかりませんが、兎に角どこかで納得しているのです。
それでも心がみだれまくることがよくあって辛いです。
こんな信仰でいいのか!と自問自答します。
それに主はお答えくださいませんが、本心から納得できる時は
来ると信じています。それはこの世のお別れのときかもしれませんが
それでもいいのです。
私は、イエスさまについてゆく事を決心したのですから。
振り返れば、恥ずかしいことばかりのわたしの信仰生活です。
デモ、イエス様はそんな私を十字架の血で清めて下さっていることを
とってもとっても感謝しています。