ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

最近主人が一番大事に思えました。

2016年05月08日 | 介護
2016.5.8
夫婦で病気になったおかげで主人が一番大事に思えました。
主人は明日から少しでも仕事に行くと言っています。
仕事は事務職です。
無理しない程度に仕事に行くと!
本当は私が少しでも働ければいいのですがね。
うつ病の再発は心配です。
どこかのパートに使ってくれるかしら?
家事をやりながらのパートは出来るかしら?
今のところ退院してきた主人のお世話と同居の母のことで手一杯です。
夢は叶わない作詞家になることなので、間違って運よく作詞家になれたらいいですね。
♪人生七坂いろは坂
長い道だね あなたと私
歩くこの道 花も咲く
曲がりくねった道だけど
肩を寄せ合い行こうじゃあないか
人生七坂いろは坂
たまに休んで歩こうじゃあないか
苦労も半分分け合って

夢があるから あなたと私
歩くこの道 月も出る
愛を求めた二人連れ
手と手つないで行こうじゃあないか
人生七坂いろは坂
心一つで歩こうじゃあないか
あなたと私の夫婦坂

なかなかうまく出来ませんね。
意外と難しいですね。
もっと勉強が必要ですね。

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いかれたパソコン復旧しました。

2016年05月08日 | 介護
2016.5.8
午前中にブログを更新し、少ししたらパソコンが全く起動しなくなり、あきらめて「明日パソコン教室の先生に聞くわ!ダメなら修理!」と思って、ほったらかしで主人のお供で駅前からバスに乗り、市内のショッピングモールに行き、買い物をして帰って来て、再びパソコンを開いたらなんとパソコンが復旧したではありませんか!
安心しました。
でもまたいつか起動しなくなるかも知れません。
主人は杖なしでもゆっくりなら歩けるようになりました。
でもまだ足首が浮腫んでいます。
ショッピングモール、休憩しながら歩きましたよ。
昨日よりも早く歩けるようになりました。
毎日が進歩です。
足首の浮腫みが取れれば大丈夫だと思います。
問題は病気になってからやたらとトイレが近いこと。
今までは夜中に1回のトイレで済んだのに2回以上行く日もあります。
今は2階で主人は寝ていません。
なぜなら2階にトイレがないからです。
いちいち階段を下りてくるのは大変です。
居間に布団を敷いて寝ています。
これから益々高齢になる夫婦。
さてさて老後はどうしましょう?
知り合いの老夫婦の家は数年前に平屋にしました。
宝くじ当たったら我が家も住みやすい平屋にします!
あっ!その前に宝くじ買わなくちゃあね。
バリアフリーの家にしたいな。

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自由のない暮らし。

2016年05月08日 | 介護
2016.5.8
子供の頃から自由のない暮らしを強いられてきていた。
学校から帰って来ても遊びに行くときはきちんと居場所を言わなければならない。
街灯が付く前に帰らなければならない。
夕暮れの音楽が鳴る前に自宅に戻らなければならない。
学校の帰りに寄り道は出来ない。
休日の過ごし方も決められる始末。
「どこへ行くの?」「何しに行くの?」「誰と行くの?」は当たり前に聞かれる。
電話がかかって来れば「誰からなの?」「何だったの?」は日常茶飯事だ。
高校を卒業するにあたって本当は和裁の専門学校に行きたかったのに、両親の反対に合い、就職をする羽目になった。
習い事は片っ端から反対に合った。
唯一クッキングスクールと着付け教室と自動車の教習所だけが許された。
しかし着付け教室は大手に行ったのでお金がかかり3か月でやめてしまった。
自動車教習所はあらゆる習い事を反対されて苦肉の策で近所の教習所の話をしたら「行ってもいいよ!」と。
しかし心から行きたかったわけではないので、教習所の中を1周するだけで怖かった。
第1段階を終えてさっさとやめてしまった。
仕事に行っても帰りはまっすぐ帰らなければならない。
職場から家までバスで何分?電車で何分と両親は把握しているので、少しでも遅いと怒られた。
帰りに食事をしてくる日はあらかじめ遅くなる旨を言わなければならない。
休日の過ごし方も決められた。
外出は必ず誰とどこへ行くのか?
何時に帰るのか言わなければならない。
よしんば彼氏が出来てもデートも思うように出来なかった。
給料はすべて母に渡して小遣いをもらっていた。
思うように使えなかった。
買って来たものは必ず文句を言われた。
洋服は地味なおとなしめの洋服しか着れなかった。
一度なんか伊勢丹で買って来たブランドの服を散々文句を言われて1度しか着ないのに捨てる羽目になった。
やっとお見合いして彼氏が出来るとデートに関してもいろいろ言われた。
「どこへ行って来たの?」「何してきたの?」「何を話したの?」
一事が万事これである。
芸能人の追っかけも思うように出来なかった。
嘘をついて出かけてもハンドバックの中のチケットの半券でばれてしまう。
夜寝る時間も決められた。
子供の頃は8時に寝かされた。
大人になってからは11時が就寝時間だった。
一旦夜になると外出は許されなかった。
不平不満を言おうものなら暴力こそ振るわれなかったがこっぴどく叱られた。
どうしても結婚して自由を勝ち取りたかった。
三十路になってやっとお見合いした相手と結婚することになったが、思うような結婚式は出来なかった。
結婚式は私の母と主人の両親で仕切られてしまった。
新居は二人だけの生活になったが、度々母は電話をよこした。
訪ねてくることもあった。
15年前から母との同居が始まった。
再び母の管理下の元になった。
私たち夫婦は会話を控えて自宅で過ごす。
かかってきた電話はすべて聞かれた。
「誰からなの?」「何の話?」
果ては主人の給料の話になり、貯金の額まで聞かれる始末。
自宅に友人は呼べなくなった。
休日は前日に「明日、どこへ行くの?」「何しに行くの?」と、聞かれた。
初めの頃は私たちが寝るのを待って母も寝ていた。
今年も家をあっちこっち直したが、母に相談もなかったことを怒られた。
いつだってお金は出さずに口は出す。
私も58年と5か月も良く耐えたものだ。
行かれるものなら今からでも調理師学校は行きたいと思う。
今更和裁は無理だろう?
そういえば作詞家になりたいと言った時に反対にあった。
今、その作詞家になるべく、去年からこっそり日本作詞家協会の作詞大賞の新人賞にこっそり応募している。
あっ!いまだに近所のお使いも母には行先を告げて行きます。
銀行、郵便局、コンビニ、生協、公民館などなど。
電話はとうとう数年前からほとんど家の固定電話は使えず、携帯を形態するようになりました。

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