ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

日本一の天野屋利兵衛

2020年10月08日 | 介護
昨日の浅草の木馬亭で私は日本一の「天野屋利兵衛」を聴いたような気がする。
5日の「小村寿太郎」の時にドライマウスで上手く声が出せなかったことは改善され、完全とはいかないまでも素晴らしい出来だったと思う。
どうも私もドライマウスと判明し、ネットであれやこれや調べてSNSに上げた。
私の場合はおそらく口呼吸と歯並びが原因だと思われるが、適度に水分を摂り、飴や歯に付かないガムを噛み、唾液を出すことで多少改善されたと思われる。
子供の頃に歯列矯正をしてもらえず、62年間出っ歯で過ごしている。
ドライマウスは薬の副作用でも現れるので、病院で処方された薬のことも視野に入れるべきだと思われる。
それにしてもドライマウスが多少残っていても素晴らしい出来の「天野屋利兵衛」を聴かせていただいた。
この歳になって浪曲と言うものに巡り合い、五代目天中軒雲月師匠を知ったことは遅かったような気がする。
もう少し早いときに知っていれば良かったと、ちょっぴり後悔しているのも事実だ。
ほぼほぼ木馬亭でお聴きする浪曲師に嫌いな浪曲師はいない。
ただ最初に木馬亭に浪曲を聴きに行ったときにNHKの取材が入った日で、お客さんも少なく、翌年の2月に初めて雲月師匠の浪曲を聴き、ピンときたのか?この師匠と決めてそれから師匠のファンになったのだ。
いやあ、他の師匠や浪曲師の浪曲も聴き、どの師匠も素敵だと思うし、素晴らしいと思う。
雲月師匠に関して言えば声ぼれだったのだと思う。
50年以上の芸歴と声に惚れたのだと思う。
若いころに浪曲と言うジャンルに出会っていれば他の師匠のファンになっていたかも知れない。
また毎回お召しになる着物の趣味も私好みの着物を着られるので、それも楽しみの一つである。
着物に関して言えば着付けも素晴らしいと思う。
私はきちんときっちり着物を着ている女性は素敵だと思うのだ。
はっきり言って若いころ長沼静の着付け教室に3か月通っただけなので自分で着物を着ることは出来ないし、着物に関しての知識もないのは事実だ。
しかしながら綺麗に着こなした女性は素晴らしいと思う。
ご自分で着られるのか?弟子が手伝うのか?まるで着付け教室の先生よろしく着こなしている姿は惚れ惚れするする。
着物はこう着るべきだのお手本のような着こなしは、いつか私も着物を着たときに見習いたいと思う。
母の着付けは自己流なのでひどかった。
若いころは何かあると母は自分で着ものを着ていたが、今にして思えばひどかった。
着付け教室に私が通っているころに1度だけ母の着物の着付けに文句を言ったことはあったが、そのときはひどく怒られた記憶がある。
私は自分で着ものは着れないくせに文句だけは言えるのだから、あきれてしまう。
私の浪曲に関して言えばいまだに素人に毛の生えたような知識しかないのも事実です。
その証拠にいまだに関東節と関西節の違いがわからないでいる。
その証拠に5日の日は関西節の人ばかりの出場だったが、良くわからないままに帰ってきた。
ブログに多くのことは語れない。
浪曲は一節二声三啖呵と言われているが、天野屋利兵衛について言えばあの長い節を一気に唸ると言うか歌うというところは圧巻である。
どこで息継ぎをしているのか?不思議でしかないのだ。
途中で当然ブレスなどはしていると思うが、お見事の一言である。
私などは不整脈があるので、長く伸ばすロングトーンなどは出来ないのも事実だ。
その証拠にカラオケに行って声を伸ばすところで画面上の線の途中で続かなくなる。
天野屋利兵衛について言えば「天野屋利兵衛は男でござる」は有名なセリフであるが、私から言わせれば「五代目雲月師匠は日本一の浪曲師でござる」である。
これから母の介護も始まるので、思うような外出も難しくなると思われる。
その前にきちんと師匠の浪曲を聴けたことはある意味良かったと思う。
その意味も含めて昨日木馬亭に浪曲を聴きに行けたことは良かったと思う。
どうも母を看取ると言うのが残された私の使命のような気がするので、最後まで言いあいながらも喧嘩しながらも母と暮らすことが運命なのだ。
来月も何とかして師匠の浪曲は聴きに行けることを願いたいと思う。
それにしても29日の催しに行かれないのは残念でならない。

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