朝晩すっかり冷え込むようになりましたね。
服装を考えないと大変なことになりますね。
昼間は半袖でも朝晩は冷え込むので上に羽織るものも必要ですね。
私はどうでも旦那の服装も考えた方が良いですね。
うっかり半袖のワイシャツを着せる。
そろそろ長袖でも良さそうです。
こういう季節の変わり目は厄介ですね。
私のような病気の人は季節の変わり目は要注意です。
極端な意欲低下を起こすからです。
同居の母はすっかり近所にお使いも行けなくなり、外出も病院に行くのがやっとで、それも大きな総合病院等は入口付近に置いてある車椅子を借りる有り様です。
少しの距離でも疲れたと言います。
自分の母親が若くして亡くなり、実の姉も幼くして亡くなり、あとから来た後妻は母が居ることを知らずに嫁にきました。
義理の親子と言えどもさほど歳も離れておらず、母曰く学校の先生は母の母親があまりにも若いことに驚いたようです。
後妻は次から次へと子供を産み、母には妹や弟が出来ました。
幼い母は小学2年生から家事をし、子守りもしたそうです。
仕方がありませんね。
すぐ下の妹とは5才しか年が離れていません。
一番下の弟は私の主人と同じ年です。
片方は叔父さんで片方は旦那です。
母は女学校を出るとすぐに働きに行き、働いたお金は実家に仕送りをしていました。
働いた先でも後妻に子供が生まれると実家に帰ります。
数年そんな日々が続いたと言います。
母は24歳で幼なじみの父と結婚しました。
父は一つ年下です。
父は金持ちのおぼっちやんで、末っ子です。
兄二人は戦死し、もう一人の兄が家を継ぎました。
父は遺産相続の時に姉たちが相続を放棄したので、父も放棄しました。
それで私たち家族は貧乏の道を辿るのです。
少しでももらっておけば良いものを、何も貰わなかったのですからね。
おまけに酒とタバコとギャンブルが好きときています。
宵越しの銭は持たない性格です。
商売をしても失敗し、サラリーマンになっても長続きせず、職を転々とし、母は結婚当初から働く羽目になったのです。
えてしてエエとこの坊っちゃんとは結婚しない方が良さそうですね。
そこへいくと私の旦那は酒もタバコもギャンブルもしません。
お坊っちゃんはお坊っちゃんですが、兼業農家の次男坊です。
旦那の母親は頑固でうるさいお爺さんが居たので苦労したようです。
兼業農家の傍らパートで働きにも行っていました。
私が旦那と結婚した頃にはとっくに農家はやめていました。
旦那の父親は国鉄の職員でした。
私と旦那が結婚した頃はとっくに定年退職をしていました。
母親はパートでまだ働いていました。
良く働く母で、人柄も良く、性格も良く友人も多い母でした。
父親は町内会の役員をしていて、地元の祭の役員もしていました。
それも今では旦那の兄がしています。
旦那と兄は性格がまるで違います。
人当たりの良い兄なんですよ。
旦那と兄は同じ高校に行き、大学も同じ大学の同じ学部でした。
お互いに私立の大学に行ったので、母親はパートで働いていたのかも知れませんね。
良く働き多趣味な母でした。
新舞踊を習い、名取をもらい、ダンスもして、カラオケのサークルにいくつも入っていて、墨彩画を趣味で習ってました。
幸い私は良い家の次男坊に嫁ぎましたね。
嫁と旦那の両親とのいさかいも無く、本当に良い旦那の両親に恵まれたと思います。
また、義兄夫婦も良い夫婦で感謝しています。
結婚するなら相手の家族も知るべきですね。