ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

悲しいな

2023年11月28日 | 日記
母は我が家に着て私たち夫婦と同居してほぼ22年と数か月私たち夫婦がどこかに出かけるか夫婦で食事に行かない限り私の作る食事を食べていた。
たまには手抜きで出来合いのおかずの時もあった。
嫌いなおかずや食べたことのないおかずや炊き込みご飯などは喜ばなかった。
ご飯は白米を好んだ。
ネギが大嫌いですき焼きに長ねぎ1本を入れただけで文句を言われた。
その母が私の作る料理もご飯も食べられなくなり2か月以上が過ぎた。
入院したら病院の食事を食べる。
面会の時に食べ物の差し入れは持ち込めない。
来月入所する特養も同じです。
面会が土曜日か日曜日の5分から10分です。
もちろん食べ物の持ち込みは禁止です。
おそらく最後に私の手料理を食べたのは9月9日の朝食だけだったかも知れません。
母に心のこもった手料理を食べさせてあげることは無理になりました。
すっかり母より料理は出来るようになり、レパートリーも増えました。
時に簡単なお菓子やケーキも作っています。
母の部屋に持って行くと自分が食べる前に父の写真に供えます。
今、私はもう一度母に私の手料理を食べて欲しかったと思います。
入れ歯が合わなくなり、歯医者も行かなくなり、噛めないものも増えてきました。
肉より魚を好むようになり、好きだったマグロの刺身も食べなくなりました。
小食になり痩せていく母がいました。
晩年の母の楽しみは何だったのでしょう?
地元で作った友人が次々亡くなり、疎遠になり、昔からの友人も何人も亡くなりました。
音信不通の他人もいます。
そりゃあ93歳まで生きれば友達の大半はいなくなるはずです。
面会に行ったら93歳の母は自分の年齢を88歳だと言いました。
でも今日は私のことは覚えていました。
弟のことも父のことも覚えていました。
ただ自分の父親、すなわち私から見たら祖父がまだ生きていると思ってました。
あいまいな記憶ととぎれとぎれの記憶があります。
今更ながらたいした親孝行も出来ずに悪い娘だったと…。
子供の頃よく母と手をつなぎ歩きました。
迷子にならないためです。
母の手は暖かかったです。
そこには優しいぬくもりがあったのですね。


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